北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/2/28
大阪南部から和歌山県へ その4 白浜町・すさみ町 |
2015/12/3~12/6 | |
第一日目、御坊市の古墳を終えたら、4時を過ぎたところだが、もう暗くなってしまった・・・
この後白浜町の古墳見学の予定だったが、明日見ることにする。
でも、せっかく白浜まできたのだから、千畳敷を見学せねば!
景勝地 |
千畳敷 |
白浜町 2015/12/3 |
日没近く・・・・吹き飛ばされそうな風が吹いている。
千畳敷は、
和歌山県朝日夕陽百選のひとつとなっている。
千畳敷は、太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩。
このでこぼこの岩畳は、大3紀層のやわらかい砂岩が打ち寄せる荒波に長い間侵食されてできたものである。
三段壁とともに白浜を代表する景勝地だ。
タイミング良く、夕陽が沈む千畳敷を見ることができた。
午後5時 湯快リゾート「ホテル白浜御苑」にチェックイン
バイキングの夕食
12月4日 二日目
バイキングの朝食を済ませ、8時少し前に、チェックアウト
近くの火雨塚古墳へ
駐車場がないので、ローソン白浜町白浜店で買い物をし、駐車させてもらう。
火雨塚古墳 県指定文化財 |
白浜町瀬戸熊野三所神社内 2015/12/4 |
白浜海岸の北約200m、熊野三所神社の境内に保存されている。
説明板あり。
火雨塚古墳は 径8m・高さ2mの円墳 横穴式石室に組合式石棺を収めているのは、紀南地方では珍しい。。 東南に開口した片袖型横穴式石室は、 玄室長さ2.05m・幅1.08m・高さ3m 羨道長さ3.02m・幅0.95m 玄室内に長さ120cm・幅42cm・高さ39cmの組合式石棺を置いている。 江戸時代にすでに盗掘されていて、須恵器・土師器以外は出土していない。 6世紀後半の築造と推定されている。 1977年石棺蓋石裏に文字が線刻されていることがわかった。 |
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熊野三所神社 |
中央の柵の中に墳丘が保存されている。 |
神社社殿 |
社殿右には「斉明天皇行幸の碑」がある。 天皇も白浜温泉で湯治だろうか? |
火雨塚古墳の墳丘と横穴式石室 |
開口部から石室内部を見る |
玄室 |
壊れている石棺 |
玄室から外を見る |
羨道から外を見る |
石棺が見られるとは思っていなかった・・・・。
安久川古墳 町指定文化財 |
白浜町才野 2015/12/4 |
安久川河口の安久橋の東にある。隣りに脇ノ谷古墳石室が移築されている。
道路脇に駐車スペースがある。説明板あり。
安久川古墳は 径8m・高さ3mほどの円墳 横穴式石室がある。 羨道部は一部破壊されているが、玄室は長さ2.1m・幅1.8m・高さ1.4m 地元では「ガマンドサン」と呼ばれて崇拝されている。 |
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安久川古墳 |
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横穴式石室 |
玄室内部 |
玄室から外を見る この正方形の入口がいいねー |
羨道から外を見る |
安久川脇の谷古墳 町指定文化財 |
白浜町才野 2015/12/4 |
安久川古墳の横に移築されている。
安久川脇の谷古墳は 1976年(昭和51年)、近くの畑で偶然発見され、発掘調査後、移築復元保存されている。 竪穴式石室に箱式石棺がある。 須恵器壺、鉄剣、鉄鏃等が出土 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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竪穴式石室 |
竪穴式石室内部 |
雑草におおわれた石室を見えるように掃除して撮影。
安久川の千躰仏 県史跡 |
白浜町才野 2015/12/4 |
安久川古墳から戻る時に、説明板を見かけて、見学。
千躰仏はすべて地蔵石像で、当地に産出する軟砂岩で掘られている。 一石一仏ないしは数仏としたものと、幅60cm・高さ30cm・厚さ10cmほどの板石に数十体以上の像を彫った2種類がある。 地蔵山の麓から頂上にかけて、当地に産する軟砂岩で彫られた石仏や板石に、数十体以上彫ったものもある。 山頂には「貞享4年1687」「宝永2年1705」の2基の碑を囲んで、約50体の石仏が一群をなしている。 |
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私たちはふもとを少し見学しただけだ。
上ミ山古墳を見学するために南下。
紀勢自動車道・南紀白浜ICーすさみICへ。 8月に開通したばかりで、ナビには載っていない道だ。
上ミ山古墳 県史跡 |
すさみ町周参見 2015/12/4 |
すさみICから南西にある半島の最高所にあるそうだが・・・・
半島の突端には、ホテルシーパレスがあるが、廃墟となっている。怖いくらい・・・。
そのホテルシーパレスの北東に山沿いの道があり、道がなくなったところに駐車。
そこから山道を登る。徒歩5分くらいかな。墳丘前に説明板あり。
上ミ山古墳は 1970年宅地造成中に発見された。 周参見湾西方の標高81mの上ミ山丘陵頂にある。 径40m・高さ4mの円墳 墳丘中央部に横穴式石室、この西側にも横穴式石室、 この2つの横穴式石室の間の南側には箱型石棺があったが、 中央部石室以外は工事により破壊された。 墳丘中央部の片袖型横穴式石は割石積。玄室は長さ2.3m、幅2.1m、高さ1.5mの正方形に近いもの 玄室内は奥壁に平行した石障で3区に分けられている。(3体を埋葬か?) 奥壁側棺床から刀子・ヤリガンナ・鉄鏃・鉄斧・算盤玉・須恵器 中央棺床から鉄刀・管玉・算盤玉・丸玉・棗玉・金環・鑿・鉄鏃 玄門側棺床から鉄刀・鉄矛・平玉・管玉・切子玉・ガラス製小玉・丸玉・棗玉・刀子・鉄鏃 が出土している。 1971年(昭和46年)調査。 |
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墳丘は小さくなっている。 |
横穴式石室入口 |
玄門には敷石 |
玄室 |
奥壁 |
区切られた床 |
玄室内部から外を見る |
墳丘からの景色 中央がホテルシーパレスの廃墟 |
説明版には、この古墳の所有者はホテルシーパレスだと書かれている。
那智勝浦町に下里古墳という、全長50mの前方後円墳がある。
盾形周濠がめぐり、葺石がある。埋葬施設は竪穴式石室で、墳頂に天井石が露出している。
4世紀後半頃の築造と推定されている。
貴重な前期の古墳で、和歌山市の秋月1号墳に次いで古い古墳と考えられている。
本州最南端の前方後円墳でもある。
時間がないので、下里古墳はあきらめて、ここから、北上することとなる。
今年8月30日に開通したばかりの紀勢道
日置IC-道の駅くちくまの(上冨田町岩崎555-5)-印南PA-田辺IC (無料区間)
田辺IC-海南IC (田辺ICからは以前からある道路なので、有料区間 ETC 1790円)
平池周辺の古墳へ つづく