河内から奈良の旅・2013 その2 二塚古墳から |
2013/4/23〜24 |
2013年4月24日 最終日。雨が降っている。午前8時10分。「ホテル大御門」発。
石室が3つあるという葛城市の二塚古墳へ・・・。
二塚古墳 国史跡 |
葛城市寺口 撮影日2013/4/24 |
山あいのたんぼの中にある。
二塚古墳実測図 (古墳辞典から) 二塚古墳は 全長60mの前方後円墳 後円部径36m・高さ13m、前方部幅41m・高さ13m。 前方部を北に向ける。 2段築成、周濠幅13m。葺石あり。埴輪なし。 左(西)側くびれ部に造出がある。 後円部、前方部、西側造出部にそれぞれ横穴式石室がある。 3石室は全て横穴式であるが構造や規模が異なる。 造出し部の石室は未盗掘の状態で発見された。 6世紀中ごろの築造と推定されている。 1958年に発掘調査。 後円部の石室は両袖式で、全長16.4m 玄室長6.7m・幅3m・高さ4.1m、 羨道長9.7m・幅1.7m・高さ2.7m 玄室内に石棺があったと考えられているが詳細は不明 (凝灰岩の棺材片のみ検出されている) 金銅花形座金具をはじめ、馬具、鉄製武器、農工具、玉類 前方部の石室は片袖式で、全長9m 玄室長3.9m・幅1.7m・高さ1.9m、 羨道長5.1m・幅1.4m・高さ1.5m 玄室内に組合式石棺が置かれていた(棺底材の一部だけが残存)。 馬具、農工具、金製中空丸玉・銀製中空丸玉 造出部の石室は無袖式で、全長7.8m、 玄室長4.5m・高さ1.3m・幅1.5m、 羨道道3.3m・幅1.4m コハク製棗玉、鉄製武器、農工具のほか、多量の須恵器、土師器 |
|||||
二塚古墳全景 西から見る 左(北) 前方部 右 後円部 周壕の跡が墳丘を囲んでいる。 |
|||||
二塚古墳 後円部側 |
二塚古墳 前方部前面側 |
||||
二塚古墳後円部石室 (全長16.4m)
|
|||||
二塚古墳前方部石室 (全長9m)
|
|||||
二塚古墳造出部石室 (全長7.8m)
|
団子山古墳 | 葛城市寺口 撮影日2013/4/24 |
二塚古墳から、100mくらい南にある。
団子山古墳は 一辺22m・高さ5mの方墳で石室がある。 南西隅に小墳丘(造出部か?)があり、そこにも石室がある。 主墳丘の両袖式横穴式石室は、全長.9.7m、 玄室長4.5m・幅1.7〜2.2m・高さ2.3m 羨道部長5.2m・幅1.5m・高さ1.4m。 南西隅の小墳丘の石室は開口しているが、内部が埋まっていて、詳細は不明。 発掘調査はされていないようで、詳しい事は分かっていない。 6世紀末〜7世紀前半の築造と推定されている。 |
|
団子山古墳 墳丘 |
団子山古墳 石室入口の反対側には石材が見える |
団子山古墳石室入口 無理すれば入れるが、雨が降っているので・・・・ |
団子山古墳の石室内部 カメラを突っ込んで撮影 |
団子山古墳の小墳丘(右手前) 左奥は主墳丘 |
団子山古墳 小墳丘の石室 埋まってしまっている。 |
屋敷山古墳 国史跡 |
葛城市新庄屋敷山公園内 撮影日2013/4/24 |
屋敷山古墳のある公園に隣接している文化会館や体育館が休館日(毎週水曜日は休館)。
駐車場にも入れない。裏道の道端に駐車。
屋敷山古墳は 前方部を北に向ける 全長135〜138mの前方後円墳 後円部径77m・高さ15m 前方部幅90m以上・現存高さ約10m 古墳の東側に、周壕の名残と思われる池があり、 古墳の周囲には埴輪がめぐっていたと考えられている。 竜山石製の長持形石棺の蓋石と小口板石、縄掛け突起をもつ天井石が出土していることから、 竪穴式石室に長持型組合式石棺があったと考えられている。 円筒埴輪片、器財埴輪片、家型埴輪片、ガラス製小玉、金銅製鉄製品などが出土。 5世紀中頃の築造と推定されている。 屋敷山の名は、中世〜金製初めにこの地を支配した布施氏が陣屋を築き、 周辺に屋敷を構えたことに由来している。 そのため、埋葬施設が破壊され、墳丘も著しく変形している。 1972年、1988年 に発掘調査 |
|
西から見た屋敷山古墳 左前方部 公園の芝生の向こうに 横たわっている。 |
|
屋敷山古墳 上り口 くびれ部付近 古墳ではなく、新庄城跡と刻まれた石碑がある。 |
屋敷山古墳 後円部 |
屋敷山古墳 後円部から見た前方部西側 |
屋敷山古墳前方部東側 |
屋敷山古墳の竪穴式石室内の石棺天井石 後円部ふもとの南側に置かれている。 短辺の両端に各一個の縄掛け突起を持つ。 竜山石製で、 御所市室宮山古墳の石材とよく似ている。 説明板があるが、 薄くなっていて、全く読めない。 |
神明神社古墳 |
葛城市寺口 撮影日2013/4/24 |
公園になっている奈良県社会教育センター敷地内にある。
神明神社古墳は 寺口丘陵の南斜面に築かれた径20mの円墳 鉄製環金具、銀製金具、水晶切子玉、鉄釘などが出土。 7世紀後半の築造と推定されている。 1981〜1982年に発掘調査 墓域俯瞰図 (説明板より) 南方に突き出した3つの尾根を利用し 中央の尾根に墳丘と前庭部を築き、 東西の尾根は半円形に整形して 全体を墓域としている。 東西120m、南北80mの広大な墓域となる。 石室の概要 (説明板より) 花崗岩切石を使用した無袖式横穴式石室があり、 南に開口している。 石室全長6.14m、高さ1.5m、入り口幅1.86m 石室内の奥壁から3mの地点と4.5mの地点の両壁に幅約8cmの溝が縦に彫りこまれていて、 元々は木製の中扉と前扉がはめこまれていたと考えられている。 石室内部から出土した銀製環金具は、扉の把手金具と見られている。 |
|
神明神社古墳墳丘 |
西側から見た神明神社古墳 |
神明神社古墳石室入口 中には入れない |
神明神社古墳 石室内部 |
神明神社古墳 開口部から外を見る 前庭がとても広い |
神明神社古墳の名前の由来とみられる神明神社 小さな石造りの社殿 |
皿池古墳 |
葛城市寺口 撮影日2013/4/24 |
奈良県社会教育センター敷地内にある。
神明神社古墳から東に行くと石碑が立っている。
皿池古墳は、径25mの円墳 発掘調査がされていないので、詳細は不明だが、前方後円墳ではないかともいわれている。 須恵器 円筒埴輪が出土。 |
|
皿池古墳 |
皿池古墳 角度を変えて見る |
午前11時過ぎだが・・・・雨が・・・・・。
次は、塚畑古墳へ。