奈良の旅2013
河内から奈良へ2013 その1 |
2013/4/23〜24 |
2013年4月23日 河内の古墳を見学後、山越えして、奈良県香芝市に入る。
午後6時を過ぎているが、まだ明るい。
狐井城山古墳 | 香芝市狐井 撮影日2013/4/23 |
狐井城山古墳のそばを通ったので、写真だけ撮る。
狐井城山古墳は 前方部を北に向ける 全長140mの前方後円墳 後円部径85〜90m、前方部幅110m 馬見古墳群最後の大型古墳で狐井集落にある台地の最高所に築かれている。 墳形は前方部が大きく開き 幅18mの周濠がある。埴輪、葺石あり。。 埋葬施設は不明だが,この古墳出土といわれている石材が現存していて、 刳抜式長持形石棺、刳抜式家形石棺があったと考えられている。 5世紀末〜6世紀初頭の築造と推定されている。 城山の名前は中世〜近世に この地方に勢力を持っていた岡部氏が城砦に用いたことに由来する。 |
狐井城山古墳 見えているところは どこなのか・・・? 前方部? |
狐井城山古墳から出土したと伝えられている石棺の石材が、いくつか見学できるそうだが・・・・。
1980年代に道路工事に伴う外堤の調査のみが行われている。
平林古墳に行きたいが、車の通れない道に、案内板が出ている・・・・・。
広い道をさがしているうちに、あたりは暗くなっていく・・・・。
暗くなってしまってからの写真は、補正しても、やはり色がおかしい・・・・・。
芝塚1号墳 | 葛城市兵家 撮影日2013/4/23 |
イトーピアという住宅街の、南西のため池の南側にある。
芝塚1号墳は 前方部を東に向ける 復元全長50mの前方後円墳 後円部復元径35m、前方部復元幅20m 12〜20m前後の周濠の痕跡がある。 後円部は未発掘。前方部端で直葬された内部を赤く塗った箱型木棺直葬棺1基が出土している。 木棺内から鉄刀1本、鉄鏃8本などが出土。 墳丘や周濠から円筒埴輪片、朝顔形埴輪、須恵器、土器などが出土している。 6世紀前半の築造と推定されている。 1985年に調査。 |
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芝塚1号墳 北側から見る。左側(東)に前方部がある。 後円部右側の裾の小屋に 芝塚2号墳の石棺が保存されている。 |
芝塚1号墳 前方部から後円部を見る |
芝塚1号墳 南側から見る。 右手前に前方部 |
芝塚1号墳 後円部から前方部を見る |
残存状態が良くなかったそうだが、整備保存されきれいな姿を見せている。
芝塚2号墳石棺 | 葛城市兵家 撮影日2013/4/23 |
芝塚1号墳後円部の北裾部に、芝塚2号墳の石棺が移築されている。
足場が悪くて、なかなか近付けない。
芝塚2号墳は、1号墳の西100mの地点にあったが、調査後、消滅してしまった。
芝塚2号墳は 径25mの円墳 復元すると、径30m、高さ4.5〜5mと考えられている。 周濠の痕跡がある。 南に開口している片袖式横穴石室は全長8.1m 玄室長5.1m・幅2.5m 羨道長3m、幅1.5m 玄室内には二上山凝灰岩製の朱が塗られた組合式家型石棺と木棺があった。 垂飾付耳飾、玉、馬具、刀、鉄製工具、須恵器などが出土 6世紀前半の築造と推定されている。 1985年に芝塚1号墳とともに調査されたが、消滅。 |
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芝塚2号墳 覆い屋の下に保存された石棺 |
芝塚2号墳 石棺 方向を変えて |
説明板があるが、判読できない・・・。
鍋塚古墳 |
葛城市竹内 撮影日2013/4/23 |
芝塚1号墳を見学して、真っ暗になり、さあ大和郡山市の宿泊地に向かおうと、北に向かったところ、
また、左手に古墳らしい高まりを発見!
やっぱり見学しなければならない・・・・。
鍋塚古墳は 径40mの円墳 周濠の痕跡あり。埴輪あり 埋葬施設は不明 朝顔形埴輪片、鰭つき円筒埴輪片が出土 5世紀前半の築造と推定されている。 1978年に一部調査された。 |
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鍋塚古墳 |
鍋塚古墳 方向を変えて |
鍋塚古墳 方向を変えて 右に説明板が見えている。 |
鍋塚古墳説明板の拡大 |
通りかかった男性によると、この近くに石棺が露出しているところがあるという。
興味津津だが・・・・・、真っ暗なので・・・・・・あきらめる・・・・・。
時刻は午後7時近くなる。結局、平林古墳には行けなかった・・・。
平林古墳には、高速道路の側道からなら、車で行けるとか・・・・。
大和郡山市井戸野町の「ホテル大御門」に行くのに、かなり時間がかかる。
筒井町の筒井食堂で、夕食を済ませ、午後8時半ごろに、ホテル到着。
葛城市・二塚古墳につづく・・・。
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