北村さんちの遺跡めぐり

奈良の旅・2011
その3
2011年11月20日〜11月23日

2011.11.21 奈良の旅・二日目に入る。午前7時に、 スーパーホテル「大和郡山」を出発。
まず帯解黄金塚を探すがみつからない。悔しいがさっさとあきらめて次に・・・・。

天理市の地図g

ウワナリ塚古墳
石上・豊田古墳群
天理市石上町
撮影日2011/11/21

前方部が果樹園となっていて入れないので、前方部の脇の細道を通って後円部へ。


   ウワナリ塚古墳 後円部

  ウワナリ塚古墳の横穴式石室入口
 後円部に南向きに開口する。
 羨道の一部が破壊されているが、
 両袖型の石室が完存する。

ウワナリ塚古墳の玄室内部

ウワナリ塚古墳玄室から開口部を見る
 ウワナリ塚古墳は  全長110mの前方後円墳
  後円部径68m・高14m、前方部幅80m・高14m
 前方部を北に向ける。
 造り出しがあって円筒埴輪が並べられていた。
 前方部西北隅に方形の張り出しがある。
 前方部前面にに円筒埴輪を並べた平坦面がある。(この部分まで含めると全長128m。)
 2段築成
 両袖式横穴式石室は、全長10.4m
  玄室長6.85m・幅2.9〜3.1m・高さ3.6m 羨道幅2.1m・現存長さ3.5m。
  床面には拳大の礫石が敷かれていた。凝灰岩製の石棺の破片も見つかる。
 須恵器片、円筒埴輪片などが出土。
 6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。  

    

石上大塚古墳
石上・豊田古墳群
天理市石上町
撮影日2011/11/21

墳丘はしっかり残っていて、周りを一周できる。周壕跡も確認できる。


石上大塚古墳 後円部
  
 
石上大塚古墳の造り出し
 立派な造り出しを確認できる。


石上大塚古墳の石室
南に開口する

ひどく破壊されていて、
石室の最下段の石もあんまり残っていない。
斜面には石材がころがっていたりする。






石上大塚古墳石室の奥壁部分
 
石上大塚古墳石室内部から入口を見る
 石上大塚古墳は 前方部を北に向ける。
  全長107mの前方後円墳   後円部径67m・高さ14m 前方部幅82m高さ14m
  北、西、南の3方に空濠あり。
  造り出しは西側にあり(東側に存在する可能性あり)
  2段築成  葺石、埴輪あり。
  片袖型横穴式石室
   玄室長6.3m、幅2.8m、高さ推定3.8m(残存2.8m)
   凝灰岩製石棺があったと考えられている。 (破片が出土)
  6世紀前半の築造と推定されている。

  

別所鑵子塚古墳
石上・豊田古墳群
天理市別所
撮影日2011/11/21

山の辺小学校の東横にある。

 
別所鑵子塚古墳 北から
ビニールハウスの向こうに見える。
撮影ポイントが難しい・・・

別所鑵子塚古墳 西から
小学校横の公園みたいなところから見る
塀の向こう側
 別所鑵子塚古墳
 全長57mの前方後円墳 後円部径31m・現状高5.5m、前方幅43.5m・高5.5m
 前方部をほぼ北に向ける
 周濠の痕跡あり 葺石あり 埴輪あり 造り出しの痕跡もあり
 埋葬施設は未調査で詳細は不明。
 6世紀前半の築造と推定されている。 

  

別所大塚古墳
石上・豊田古墳群
天理市別所
撮影日2011/11/21

墳丘がしっかり残っているように見えるが、実は土取りされていて、
石棺も横穴式石室も無くなっているという。ヤフー航空地図で見ると盾形の墳丘に見える。


別所大塚古墳
干上がっているため池の向こうの墳丘

別所大塚古墳
周壕跡がきれい!
 別所大塚古墳は 前方部を北東に向ける
 全長125mの前方後円墳 後円部径85m・高さ15m 前方部幅90m・高15m
  2段築成。周濠の痕跡あり。葺石あり、埴輪あり
 横穴式石室があり石棺があった
 埴輪片と金銅製の鈴や鏃、鎧、大刀、土器、人骨などが出土したといわれている。
 6世紀前半の築造と推定されている。


@ 櫟本墓山古墳
A まんじゅう塚古墳
B 和邇下神社古墳
C 赤土山古墳
D 東大寺山古墳
E 東大寺山25・26号墳
F 岩屋大塚古墳
G ウワナリ塚古墳
H 石上大塚古墳
I 別所大塚古墳
J 上総御墓山古墳
K ハミ塚古墳
L 別所鑵子塚古墳




峯塚古墳
杣之内古墳群
天理市杣之内町
撮影日2011/11/21

前回行ったときは、見つける事ができなかった。
HP「大和の古墳探索ブログ」を参考に、行き方をチェックして探す。

峯塚は、天理大学グランドの東方の図書館の東にある。
保昌塚古墳そばに説明板がある。


峯塚古墳墳丘

南に石室が開口している。

峯塚古墳 石室内部 
大きな石を大きさをそろえて
2段に積んでいる。

峯塚古墳 玄室から開口部を見る
峯塚古墳実測図  (説明板から)

峯塚古墳は 東方から延びる尾根の南裾にある
 径35.5m・高さ5mの円墳
 2段築成 葺石あり(一部残る) 
 周壕があった可能性もある。
 南に開口する両袖式の横穴式石室は全長11.11m
   玄室長さ4.46m・奥壁幅2.58m・高さ2.4m
  出土物は確認されていない。
  7世紀前半の築造と推定されている。

橿原市の小谷古墳や平群町の西宮古墳と同一設計というが、まわりの雰囲気が違うので全く違って見える。

東乗鞍古墳
杣之内古墳群
天理市杣之内町
撮影日2011/11/21

前回は西側から東乗鞍古墳を見学したが、開口している石室は分からなかった。
「大和の古墳探索ブログ」を参考に、行き方をチェックして探す。


東乗鞍古墳石室探索の出発地点
  夜都伎神社


ここから北に、東乗鞍古墳の石室へ・・・


東乗鞍古墳 前方部より後円部を見る
後円部のまん中は大きく陥没している。

東乗鞍古墳 石室入口
石室前には、石仏が安置されている。

東乗鞍古墳 玄室
細かなチリが舞い上がり、よく見えない。
奥壁は土砂で埋まっている。 

東乗鞍古墳 玄室から開口部を見る  
玄室内に2基の石棺がある。組合せ式石棺と刳抜式家形石棺。

東乗鞍古墳 玄室奥寄りの石棺
阿蘇ピンク石製刳貫式家型石棺

東乗鞍古墳
玄室前寄りの石棺は棺底部分だけ残る。

二上山凝灰岩製の組合式石棺
 東乗鞍古墳は  前方部を西に向ける
  全長約72mの前方後円墳 後円部径44m・高さ10m 前方部幅68m・高さ6.5m
  二段築成 葺石なし 埴輪はなし
  後円部南に開口する左片袖式横穴式石室は全長14.6m。
   羨道長7m・幅1.7m・高さ1.5m 玄室長7.6m・幅2.4m・高さ3.3m。
  馬具、甲冑の小札等が出土したという。
  6世紀前半の築造と推定されている。

  

星塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市新泉町
撮影日2011/11/21

大和神社境内にある古墳だが、測量調査しかなされておらず、詳細は不明。


星塚古墳 後方部墳丘
現在は雑木林となる

星塚古墳 後方部頂




星塚古墳後方部から前方部を見る
 
  
 星塚古墳は 前方部を南面に向ける
 全長60mの前方後方墳
  後方辺約30m・高さ約7m、頂辺10m  前方部幅約20m・長30m・高さ約2.6m
 くびれ幅15m・後前高差-2.9m)
 二つの方墳が連結しているのかもしれない。


馬口山古墳からみる星塚古墳
    右側  後方部



大和神社

「オオヤマトジンジャ」と読む

日本最古の神社という説明がある。


   

大和(萱生)古墳群の主な古墳の配置図

   名前 大きさ 奈良県
遺跡地図N0
1 ノムギ古墳 前方後方墳 全長63m 144
2 ヒエ塚古墳 前方後円墳 全長130m 145
3 マバカ古墳 前方後円墳 全長74m 147
4 クラ塚古墳 円墳 径32m 146
5 波多子塚古墳 前方後方墳 全長140m 148
6 西山塚古墳 前方後円墳 全長114m 153
7 栗塚古墳 前方後円墳 全長120m 149
8 西ノ塚古墳 円墳 径35m 150
9 下池山古墳 前方後方墳 全長120m 151
10 西殿塚古墳 前方後円墳 全長219m 161
11 東殿塚古墳 前方後円墳 全長139m 162
12 燈籠山古墳 前方後円墳 全長110m 156
13 中山大塚古墳 前方後円墳 全長132m 157
14 馬口山古墳 前方後円墳 全長110m 142
15 星塚古墳 前方後方墳 全長56m 141
16 フサギ塚古墳 前方後方墳 全長110m以上 143
17 平塚古墳 円墳 径54m 139
18 矢矧塚古墳 前方後円墳 全長105m 138
19 弁天塚古墳 前方後円墳 全長70m 135
20 空路宮山古墳 前方後円墳?  全長45m 154
21 小岳寺塚古墳 前方後円墳 全長45m  159
22 マトバ古墳 円墳  径50m 137
23 火矢塚古墳  前方後円墳 全長50m  155

     

矢矧塚古墳
ヤハギヅカ
大和(萱生)古墳群
天理市成願寺町
撮影日2011/11/21

墳丘全体が大規模に削平され一面が果樹園となる。説明板がある。


矢矧塚古墳
墳丘は柿畑となっている。

    矢矧塚古墳
  くびれ部がくっきり
  矢矧塚古墳は 前方部を西南西に向ける
  全長102mの前方後円墳 後円部径46m・前方部幅40m
  周壕なし。
  明治初期に玉類が出土した。
  後円部の端を上ッ道で削られているほか、後世の開墾でかなり形が変わっている。
  発掘調査はされていない。

  

Q 平塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市成願寺町
撮影日2011/11/21

果樹園となっている。



平塚古墳の低い墳丘




この辺りは、少しの高まりがあるだけで古墳である。

 平塚古墳は 径54mの円墳
  現状の高さは約1.5m
  纏向3型土器 が出土しているので、 3世紀後半の築造か

    

弁天塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市岸田町
撮影日2011/11/21

ため池の西に後円部がくっついた状態で墳丘がある。このため池は周壕の痕を利用したものなのか?


弁天塚古墳全景   左側 後円部 右側 前方部
 前方部は、ほとんど削平されわずかな高まりが残るだけ。
 左側にはため池がある。

 弁天塚古墳後円部にある小さな石祠
 これが弁天様か?



 弁天塚古墳
は 前方部を西に向ける
 全長70mの前方後円墳
  後円部径40m・前方部幅30m

   

マトバ古墳
大和(萱生)古墳群
天理市岸田町
撮影日2011/11/21

矧塚古墳と弁天塚古墳の中間あたりにある。 

マトバ古墳
低くなってしまった墳丘


径50mの円墳


フサギ塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市成願寺町
撮影日2011/11/21

小学校近くに墳丘。 くびれ部から前方部にかけて大きく破壊されている。

フサギ塚古墳

 フサギ塚古墳は 前方部を西に向ける
  全長約110mの前方後方墳 後方部の一辺60×65m・高さ9m、前方部高3m
  周濠があった可能性がある。
  刀剣類が出土したという伝承があるが、所在は不明。
  4世紀中頃の築造か

  

馬口山古墳
バクチヤマ

大和(萱生)古墳群
天理市兵庫町
撮影日2011/11/21

星塚古墳のすぐ東にある。簡単な説明板がある。


馬口山古墳
 周濠の名残と思われる池が南と東南部にある。

馬口山古墳  前方部から後円部
 くびれ部がわかる。
 馬口山古墳は 前方部を南に向ける
  全長110mの前方後円墳 後方部径56m・高さ約11m 前方部幅4m・高さ6m
  葺石あり、埴輪あり
  後円部で板石が採集できる事から竪穴式石室ではないかと考えられている
  宮山型の特殊器台が出土
  3世紀後半の築造と推定されている。

 どさんこヤマトにて、 中華丼の昼食。

下池山古墳
大和(萱生)古墳群
天理市成願寺町
撮影日2011/11/21

下池山古墳東の周壕跡ため池の東南角あたりに「下池山古墳」の説明板が立っているのに気付く。

 説明板から
 下池山古墳は 前方部を南に向ける
 全長125mの前方後方墳 後方部高さ14m 前方部幅現状27m・高さ7m
 2段築成 葺石あり 埴輪なし
 後方部頂の中央に長さ6.8mの竪穴式石室にはコウヤマキ製の割竹形木棺が安置されていた。
 石室内から、ガラス玉、勾玉、腕輪などの装飾品や鉄器片が出土。
 この石室の北西側に内法50cm四方の小石室があり銅鏡が出土。
 この銅鏡は内行花文鏡と呼ばれ、径37.5cmもある大型のもので、
   縞織りの平絹やウサギの毛織物で包まれていた。
 4世紀前半の築造と推定されている。

下池山古墳 東南から
右側 後方部
前回とは反対の方角から写真を撮る。

下池山古墳 実測図
(説明板から)

     

中山大塚古墳
県史跡
大和(萱生)古墳群
天理市中山町
撮影日2011/11/21

前回は墳裾を歩いた。今回は後円部に上がる。
前方部東側の角あたりに、後円部に上る道がある。


中山大塚
後円部頂


中山大塚古墳は全長130mの前方後円墳

墳頂には墓壙と石室部分がわかるように植栽がある。


     

燈籠山古墳
大和(萱生)古墳群
天理市中山町
撮影日2011/11/21

中山大塚古墳から西殿塚古墳に行くときに燈籠山古墳のそばを通る。
燈籠山古墳は前回見学したが、前回のときにはなかったはずの燈籠山古墳説明板を発見!

 説明板から
 燈籠山古墳は前方部を西に向けている
 現状全長110mの前方後円墳、後円部高さ6.4m・前方部幅41m
 3段築成
 未調査なので埋葬施設は不明だが、
  後円部で竪穴式石室の部材とみられる板石が多く採取されている。
 墳丘各所で円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片が採集されていることから、
  埴輪列が墳丘を囲んでいたと考えられている。
 その他、埴輪枕、埴質棺、石釧・勾玉・管玉などの装身具が出土している。
 4世紀前葉の築造と推定されている。

    

西殿塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市中山町
撮影日2011/11/21

前回は西側から西殿塚古墳を眺めたが、今回は南の前方部前面にある御拝所へ。

「西殿塚古墳・東殿塚古墳」という説明板がある。

 説明板から
 西殿塚古墳・東殿塚古墳は大和古墳群の中で最も高い所に位置する前方後円墳で、
  ともに前方部を南に向けている。
 西殿塚古墳は  全長230mの前方後円墳 後円部径145m・前方部幅130m。
  東側三段・西側4段築成 葺石あり 埴輪あり 周濠あり
  後円部及び前方部の墳頂に方形壇が存在する。
  墳丘部分は「手白香皇女衾田陵」として宮内庁が管理している。
  1989年の調査で、墳丘から特殊器台形土器や特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪が採集され、
  1993〜1995年の調査で 前方部裾やくびれ部からも 特殊円筒埴輪が出土。
 東殿塚古墳は  全長139mの前方後円墳 後円部径65m・前方部幅49m。
  周囲には古墳の外周を区画する長方形の地割が残る。
  後円部頂には多数の板石が散乱していることから、埋葬施設は竪穴式石室であると推定されている。
  1997年の調査で、墳丘裾と外堤の間の掘割内でみつかった祭祀施設では、
   初期埴輪と二重口縁壺や甕、高杯などの布留式土器や近江系や
   山陰系などの外来土器との共存が確認された。
 西殿塚古墳の後に東殿塚古墳が築造されたものとみられている。
 しかし、二つの古墳の時期に大きな隔たりがなく、
  3世紀後半に連続的に築造されたものと考えられている。

築造時期が手白香皇女の生没年と合わない?

火矢塚古墳空路宮山古墳
大和(萱生)古墳群
天理市中山町・萱生町
撮影日2011/11/21

西殿塚古墳の前方部の西側に、小さな(といっても普通に考えたら大きい)前方後円墳・火矢塚古墳がある。

 火矢塚古墳
 果樹園となっている。
 低い墳丘で知らないと気付かないかもしれない。



 燈籠山古墳と火矢塚の実測図
   (燈籠山古墳の説明板から)

 火矢塚古墳
 全長49mの前方後円墳  後円部径30m 前方部幅26m
 葺石あり 周濠の痕跡あり


 

空路宮山古墳  火矢塚古墳から見る
右にわずかに見える林は西殿塚古墳後円部端

 空路宮山古墳は 復元全長100mの前方後円墳
 前方部を西に向ける。
 現状は円墳状、(現状45m)
 横穴式石室が以前はあったという。

そばまでは行っていないが、
 位置から考えると空路宮山古墳と思われる。
    

小岳寺塚古墳
大和(萱生)古墳群
天理市中山町
撮影日2011/11/21

中山大塚から南へ下りる途中にある。墳丘は果樹園になっている。
発掘調査はされていない。

小岳寺塚古墳
前方部を西南に向ける

 小岳寺塚古墳は 全長45mの前方後円墳
  後円部径25m・,現状高さ5.4m
  前方部幅20m・現状高さ約5.4m


  

大和(萱生)古墳群の見学を終え、柳本古墳群の見学に入る。


柳本古墳群の主な古墳の配置図

天理市柳本町・渋谷町の古墳が
柳本古墳群となる。


珠城山古墳群より南の古墳は
纒向・箸中古墳群となる。
纒向・箸中古墳群は
桜井市となる。

   名前  大きさ・形  埋葬部 遺跡地図N0
@ 黒塚古墳 130mの前方後円墳   竪穴式石室 18
A アンド山古墳 全長120mの前方後円墳    29
B 南アンド山古墳 全長60mの前方後円墳    30
C 大和天神山古墳 全長103mの前方後円墳   竪穴式石室 31
D 百塚古墳・
崇神天皇陵ろ号陪冢
径20mの円墳  32
E 行燈山古墳 全長242mの前方後円墳    28
F 櫛山古墳 全長155mの双方中円墳   竪穴式石室 34
G ノベラ古墳 全長70mの前方後円墳   不明  19
H 石名塚古墳 111mの前方後円墳    21
I 柳本大塚古墳 全長94mの前方後円墳   石室 22
J 上ノ山古墳 全長140mの前方後円墳    454
K 丸山古墳  径20mの円墳   横穴墓 456
L 赤坂古墳  一辺25mの方墳    457
M シウロウ塚古墳 全長120mの前方後円墳    458
N 渋谷向山古墳 全長300mの前方後円墳    455
R 龍王山古墳群 600基    

  

ノベラ古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21


ノベラ古墳
低くなってしまった墳丘

 ノベラ古墳は 前方部を南に向ける 全長71mの前方後円墳
   後円部径42m・前方部幅30m
  未調査

  

石名塚古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21

周りに住宅が建っている。


石名塚古墳 西から見る
左 建物の後に後円部
 右  前方部     
 前方部の右はため池となっている。

東から見た石名塚古墳後円部
住宅の間から高い墳丘が見えている。
 石名塚古墳
  全長111mの前方後円墳 後円部径66m・現状高さ13m 前方部幅40m
  周濠の痕跡あり 埴輪あり

   

柳本大塚古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21

墳丘にビニールハウスがあるので、立ち入るのは遠慮した。

柳本大塚古墳

 柳本大塚古墳は 前方部を南に向ける  全長92mの前方後円墳
  後円部径48m・高さ14m 前方部幅不明・高さ8m
  葺石あり 埴輪なし
 4世紀前半の築造と推定されている。
 明治時代に、後円部中央に竪穴式石室(長さ3.6m・幅1.5m)が発見され、
  内部に割竹形木棺が残っていた。鉄鏃が出土した。
  この木棺片は、現在、桜井市三輪の「大神教」の本院拝殿に額として飾られている。
 大正時代には、後円部頂の平坦面東北寄りに小石室が発見され、
  面径39.8cmの内行花文鏡が発見された。
    (どちらも正式な発掘調査ではない)

桜井市に入る。

桜井市の地図g


纒向・箸中古墳群配置図
巻野内石塚古墳(9)から南のホケノ山(19)、
さらに南の茅原大墓にかけては
ポコンポコンとたくさんの古墳がある。

全てに番号をつけるとグチャグチャになるので、
主要なものだけ付けた。

詳しくは奈良県遺跡地図をごらんください。

 名前 8 大きさ・形 奈良県遺跡地図 
1 珠城山1号墳 全長50mの前方後円墳 492
2 珠城山2号墳 全長75mの前方後円墳 491
3 珠城山3号墳 全長48mの前方後円墳 490
4 纒向勝山古墳 全長115mの前方後円墳 482
5 纒向矢塚古墳 全長96mの前方後円墳 485
6 纒向石塚古墳 全長96mの前方後円墳 484
7 東田大塚古墳 全長120mの前方後円墳 486
8 箸墓古墳 全長280mの前方後円墳 509
9 巻野内石塚古墳 全長60mの前方後円墳 495
10 11D-0496  径15mの円墳?  496
11 11D-0497  径13mの円墳  497
12 11D-0498   一辺41mの方墳 498
13 11D-0499 径25mの円墳 499
14 石塚古墳   665
15 11D-664    664
16 茶ノ木塚古墳 径20mの円墳?  501
17 北口塚古墳 径25mの円墳  502
18 平塚古墳 径35mの円墳  506
19 ホケノ山古墳 全長80mの前方後円墳 504
20 堂ノ後古墳 径35mの円墳  503
21 慶雲寺裏円墳 径12mの円墳  507
22 慶雲寺裏古墳 径13mの円墳  508
23 ツヅロ塚 径30mの円墳  515
24 ツクロ塚 径10mの円墳  516
25 狐塚古墳 径5〜6mの円墳  517
26 石神塚古墳 径20mの円墳  518
27 藤が森古墳   552
32 馬塚 墳形不明  524
29 茅原大墓古墳 全長85mの前方後円墳 519
30 毘沙門塚古墳 全長45mの前方後円墳  549
31 弁天社古墳 不明  520
32 茅原狐塚古墳 一辺40mの方墳 521

   

牧野内石塚古墳とその周辺の古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2011/11/21



巻野内石塚古墳

 巻野内石塚古墳は 全長60mの纒向型前方後円墳
  前方部を北東に向ける。
  後円部径40m・前方部長20m
  現状は径40mの円墳状 
  測量調査のみがされている。


巻野内石塚古墳の南にある3つの古墳

右手前11D-0497、右奥11D-0498、
左11D-0499


     

慶雲寺の古墳 2基
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2011/11/21

ホケノ山古墳のすぐ東側にある慶雲寺には2つの古墳がある。


慶雲寺裏古墳
 本堂の後ろに石室が開口している。

慶雲寺裏古墳 石室内部


慶雲寺裏古墳
 石室内から開口部を見る
 慶雲寺裏古墳は 
  墳形不明(径13mほどの円墳か?)
  南に開口する両袖式横穴式石室は、長さ3m・幅1.8m・高さ2m
  羨道は一部削られている


慶雲寺裏円墳

慶雲寺裏古墳の西隣・墓地奥にある。

墳丘のまん中には石室を思わせる石材が飛び出している。

径12mの円墳だそうだ。

 

石棺仏
慶雲寺本堂の西側にある。

 説明板から
  刳抜式石棺の身に弥勒菩薩が刻まれている。
  慶雲寺周辺には、
   かつて6基前後の後期古墳が存在していたようで、
   この石棺はどの古墳にあったものなのかは分かっていない。


  

ホケノ山古墳の周辺の古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2011/11/21



堂ノ後古墳
 ホケノ山古墳から見る

古墳を分断する道ができているようだ。

堂ノ後古墳の向こうには、箸墓古墳が見える。

 堂ノ後古墳前方後円墳(現状は径約35mの円墳状)
  周濠あり。
  周濠部から 円筒埴輪片、鶏形埴輪頭部、須恵器のはそうが出土
  5世紀後半の築造と推定されている。
  2009年に範囲確認調査がなされている。


北口塚古墳
ホケノ山古墳の直ぐ北にある。

前方後円墳?(現状は円墳状で径25m・高さ2m)

左後ろに巻野内石塚古墳が見える

  

茶ノ木塚古墳

円墳?(現状は円墳状で径20m・高さ1.4〜1.7m)


   

ツヅロ塚古墳

径30m・高さは2.5mの円墳?(前方後円墳の可能性)


  

ツクロ塚古墳
ツヅロ塚の東にある。

径10m円墳

  

石神塚古墳

径20mの円墳
茅原大墓古墳の北に位置する。
横穴式石室と推定されている。

    

茅原大墓古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市茅原
撮影日2011/11/21

前回は、発掘中だったが墳丘に上らせていただき、埴輪が並んで埋まっているのを生で見た。
 (2010年11月・第4次調査)
整備のための調査は今後も続くようだ。


茅原大墓古墳

  

 茅原大墓古墳は  復元全長86mの帆立貝式前方後円墳
  後円部径72m・高さ9m 、前方部長さ15m・高さ1m
 埴輪あり 葺石あり 前方部を北に向け周濠の痕跡と見られる池がある
 円筒埴輪、朝顔形埴輪、きぬがさ型埴輪,壺形埴輪、盾持人埴輪、鳥形埴輪片などか出土している。
 埋葬施設は未調査 前方部で埴輪棺が1基確認されている。
 4世紀末の築造と推定されている。
 4次調査で日本最古級の人物埴輪「盾持人埴輪」が出土した。

  

「盾持人埴輪」・・・・
 墳丘東側のくびれ部付近で発見され、頭部から盾面の上半部にかけての高さ67 p分が残存していた。
 幅約50 p・高さ47 p以上の長方形と推定される盾部分には、線刻による文様が表現されている。
 顔面部分は平面的で、表面には赤色顔料が塗られている。
 顎には入れ墨が見られ、頭部には冑をかぶっている。

茅原大墓古墳の西には、墳丘が削平されている毘沙門塚古墳がある。
ヤフー航空地図では形がハッキリ!

弁天社古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市茅原
撮影日2011/11/21

茅原の集落の富士神社・厳島神社境内の小さな祠の裏にある。


弁天社古墳

墳丘はなくなり、横穴式石室が露出している。
かなり壊れている

弁天社古墳
木の根っこにやられそう・・・・
この方向だと石室に見えるかな?

石室内部
羨道部の家形石棺の蓋が見える
盗掘の穴があけられている

      石棺内部
 盗掘の穴にカメラを突っ込んで撮影
 きれいに整形された石を使って造られている!
 現代の石工も顔負け!!
 弁天社古墳は、墳丘の形や大きさは不明
  南に開口する両袖式横穴式石室は、玄室長さ4m・幅1.9m 羨道幅1.4m
  玄室内には破壊された石棺の破片があり
  羨道部には凝灰岩製の刳抜式家形石棺が安置されている。
  石棺の蓋の幅1.1m・高さ0.5m・長さ内測2m
  6世紀後半の築造と推定されている。

   

箸墓古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2009/11/6

倭迹迹日百襲媛命大市墓として宮内庁が管理している。
被葬者は卑弥呼?  



箸墓古墳
茅原大墓古墳(南東)から見る

左前方部 右後円部





箸墓古墳と周辺図

箸墓古墳
全長280mの前方後円墳
後円部径155m・高さ29.4m
前方部長さ125m・幅140m・高さ16m
撥方に開く前方部
葺石あり 埴輪あり
(特殊器台・特殊器台形埴輪や特殊壺形埴輪)
前方部4段、後円部5段の段築
 1992年前方部南側の調査で、この古墳は大半の封土を盛土した可能性が高いことが判明。
 周囲には幅約10m程度の周濠と、その外側に大きな外堤が巡っていた可能性がある。
 外堤の所々には渡り堤があったと考えられる。
 埋葬施設は竪穴式石室か?
 陵墓指定地外の調査で木製輪鎧等の木製品、土器破片が出土。
 宮内庁によって採集された特殊器台、特殊器台形埴輪、特殊壷、二重口縁壷が出土。
 渡堤や外堤から出土した土器から、3世紀後半の築造と推定されている

巻野内石塚古墳(北東)から見た
箸墓古墳後円部

ホケノ山古墳(東)から見た箸墓古墳後円部
手前は堂ノ後古墳

纒向・箸中古墳群はここまでとする。

谷首古墳
 県史跡
桜井市阿部
撮影日2011/11/21

社会福祉法人大和桜井園の西隣にある。道路から階段を6段上ったら石室が見える。


谷首古墳入口

谷首古墳 石室入口
  南に開口する

谷首古墳 石室内部
 丸い大きな天井石が不気味だ!

谷首古墳
 石室内部から開口部を見る。
 谷首古墳は、標高100mあたりにある。
  東西35m南北38m・高さ8.2mの方墳(現状)
  墳頂部に八幡神社の本殿と社殿があり、墳丘西側は変形している。
  葺石なし 埴輪なし
  両袖式横穴式石室は全長13.8m
   室長6m・幅2.8m・高さ4m 羨道長7.8m・幅1.7m・高さ1.8m。
   花崗岩の巨石で、奥壁2石、石室天井石2石、羨道天井石4石
   石室内は礫が敷かれていて、石棺らしき破片が見つかっている。
  6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。  

  

兜塚古墳 桜井市浅古
撮影日2011/11/21

谷首古墳から東南へ1kmほどの浅古にある。
浅古の交差点のコンビニに駐車させてもらって見学に行く。(駐車のお礼におやつを買う)
最初は八幡神社の境内をウロウロ・・・・・。でも古墳は八幡神社の南にある・・・・。



兜塚古墳 上り口
 後円部の高まりが見える。




兜塚古墳 後円部から前方部を見る

兜塚古墳 前方部から後円部を見る
かなり削られている。

兜塚古墳 後円部に露出した石棺



兜塚古墳 盗掘穴から見た石棺内部
きれいな仕事してますね!
残念なことに水がたまっているようだ。
阿蘇ピンク石で造られた刳抜式家型石棺で、
石棺の蓋の内側は確かにピンク色!!
 兜塚古墳は   全長45mの前方後円墳
  後円部径28m・高さ4m 前方部幅25m・高さ4m
 後円部頂にある竪穴式石室(長さ3.7m、幅1.4m)に、
  刳抜式家型石棺(長辺2.1m短辺1m・蓋の高さ0.45m・身の高さ1m)が安置されていた。
  阿蘇ピンク石で造られた石棺で、
   石室の天井石や側壁は早くから失われていたが、石棺はほぼ完全な形で残されていた。
 鉄鏃・ガラス製小玉・碧玉製管玉や琥珀製棗玉・銀製の中空丸玉などが出土
 棺西側の空間から金銅張りの馬具片が出土。
 5世紀後半〜6世紀初の築造と推定されている。
      (1954年石棺の周辺だけ調査)


艸墓古墳
クサハカ
国史跡
桜井市
撮影日2011/11/21

安倍文殊院の北東にある有名な古墳。
住宅に埋もれて道路から見えなくて、案内板に沿って細道を行ったところにある。
日が暮れて、写真の色がおかしい。


艸墓古墳 墳丘

艸墓古墳 開口部  東南に開口する

艸墓古墳 石室内部
長い羨道の奥に石棺の置かれた玄室が見える。

艸墓古墳 玄室内部
石棺の大きさギリギリに石室がつくられている。

艸墓古墳  石棺の盗掘穴
ちょっと見には石棺は無傷に見えるが、実は、
いかにも盗掘だという穴があいている。

艸墓古墳 石棺内部
石棺の盗掘穴からカメラを突っ込んで撮影。
きれいに整形されている。


艸墓古墳 石室内部から開口部をみる

開口部から隣の民家の屋根が見える
 
 艸墓古墳は 長辺27m・短辺21m・高さ8mの方墳
 葺石あり
 両袖式横穴式石室は全長13.16m
  玄室幅2.71m・長さ4.44m・高さ2.0m 羨道長さ8.72m・玄門部の幅1.9m・高さ1.5m
 側壁・天井石のすき間には漆喰が漆喰が詰められている。
 石棺の大きさに比べて石室が小さいので、石棺を安置してから石室を造ったと考えられている。
 竜山石製の刳抜式家型石棺(6個の縄掛突起を持つ)
 出土物は確認されていない。
 7世紀前半の築造と推定されている。

桜井市の地図

午後5時を過ぎ、暗くなったので、「スーパーホテル大和郡山」に戻ることとする。
渋滞に巻き込まれかなり時間がかかる。
午後6時15ごろ、 大和郡山市筒井町の「筒井食堂」で夕食後、ホテルへ
今晩も温泉だ!!

この奈良の旅では、HP「大和の古墳探索 ウェブリブログ」を大変参考にさせていただいています。
ありがとうございます!

奈良の旅2011・その4につづく

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