北村さんちの遺跡めぐり
奈良の旅・2011 その2 |
2011年11月20日〜11月23日 |
京都の芝ヶ原古墳・上人ヶ平遺跡を見学した後、奈良県に入る。(その1は京都府)
2008年11月に佐紀盾列古墳群を見学したが、その時に見学できなかった所へ。
H オセ山古墳 佐紀盾列古墳群 |
奈良市歌姫町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・70 |
自動車でやっと通れる道沿いにある。墳丘は雑木林になっているが周壕が残っている。
ヤフー地図では「マラ塚」と記されている。
オセ山古墳 西側から ほとんど削平された前方部から、後円部を見る |
オセ山古墳 周壕が後円部を囲んで残っている。 |
オセ山古墳は 現存65mの前方後円墳 後円部径45m・高さ5m 消滅した前方部を西に向ける。 周壕あり。 葺石あり・埴輪あり。 後円部2段築成 |
とっても道が狭い。けれども、生活道路なのだなあと感心してしまう。
佐紀盾列古墳群配置図
西群 | |
@ | 五社神古墳・神功皇后狭城盾列池上陵 |
A | 佐紀石塚山古墳・成務天皇狭城盾列池後陵 |
B | 佐紀陵山古墳・日葉酢媛命狭木之寺間陵 |
C | 佐紀高塚古墳・称徳天皇(孝謙天皇)高野陵 |
D | マエ塚 |
E | 瓢箪山古墳 |
F | 丸塚古墳 |
G | 塩塚古墳 |
H | オセ山古墳 |
I | 猫塚古墳 |
東群 | |
J | 市庭古墳・平城天皇揚梅陵 |
K | ヒシアゲ古墳・磐之媛命陵墓 |
L | コナベ古墳・小奈辺陵墓参考地 |
M | ウワナベ古墳・ 宇和奈辺陵墓参考地 |
N | 不退寺裏山古墳 |
O | 平塚1号墳 |
P | 平塚2号墳 |
Q | 神明野古墳 |
(不退寺境内石棺) |
本日11月20日は平城京跡で「第35回全国育樹祭」が開催されていて、通行止めの道路もあるらしく、渋滞。
(皇太子さまがご出席のようだ。)
オセ山古墳から佐紀高塚古墳まではそんなに離れていないはずなのに時間がかかってしまった。
C 佐紀高塚古墳 称徳天皇(孝謙天皇)高野陵 佐紀盾列古墳群 |
奈良市山陵町字御陵前 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・62 |
前回は北側からの見学で、写真がとれなかったので、今回前方部西の御拝所へ行ってみる。
称徳天皇は、第48代で第46代の孝謙天皇でもある。第47代淳仁天皇を廃して重祚した女帝だ。
佐紀高塚古墳 正面(前方部側から)
佐紀高塚古墳は 全長127mの前方後円墳 後円部径84m・高さ11.8m 前方部幅70m・高さ14.7m 不整形な丘尾切断形式 3段築成 埴輪あり 不連続の周濠 この古墳群では珍しく主軸が東西になる。 古墳時代前期の築造と推定されている。 |
1868年、高塚といわれていた古墳を修復し、陵墓に比定した。
南京終町のイオンスーパーセンターに駐車。駐車料無料の日。
徒歩で大安寺墓山古墳、杉山古墳、野上古墳の見学。
3基の古墳の見学が終わってから、このイオンで昼食。
大安寺墓山古墳 大安寺古墳群 |
奈良市大安寺 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・6 |
名前の通り全部墓地となっていて、知らないと古墳とは思わないだろう。
入口は融福寺となっているが、大安寺の墓地ともなっている。
大安寺墓山古墳
全長80mの前方後円墳で周壕をめぐらせていた。
ヤフーの航空写真で見ると前方後円墳の形になっている。
杉山古墳 大安寺古墳群 |
奈良市大安寺 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・5 |
南側の大通りから、杉山古墳の西側の脇道に入ると、その途中に古墳への入口がある。
杉山古墳入口 鉄の門が閉まっている日もあるらしいが、 開いていて良かった! |
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杉山古墳は 南側に前方部がある 全長154mの南面する前方後円墳 後円部径80m・高さ9.8m、前方部幅95m・高さ7m くびれ部東側に造り出しがある。 葺石あり。埴輪あり。 幅30mの周濠の跡がある。 5世紀後半の築造と推定されている。 主体部は1954年に調査しているが、確認されていない (粘土槨か) 家形埴輪が出土している。 8世紀、奈良時代に大安寺の境内に取り込まれ、 前方部南側に、瓦窯が築かれていた。 境内の隅にあり、「隅山」の名が「杉山」になったとも考えられる。 杉山古墳の前方部南斜面には、 6基の瓦窯跡が見つかり、大安寺杉山瓦窯跡群と呼ばれている。 杉山古墳史跡公園の敷地内に2号瓦窯が復元されている。 1度に焼かれた瓦は500枚前後と考えられている。 出土した瓦などから 奈良時代から平安時代にかけて 大安寺に使われた瓦を焼いた窯跡と考えられている。 |
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杉山古墳 後円部 |
杉山古墳 右側が前方部 |
杉山古墳の墳丘図 (説明板から) |
復元された大安寺杉山2号瓦窯 |
野神古墳 大安寺古墳群 |
奈良市南京終町野神 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・7 |
イオンから南に200m、ローソンの東側に保存されている。
野神古墳 石室のある所だけ保存されている。 |
野神古墳 後円部の竪穴式石室 コンクリートや鉄棒で補強されている。 天井石は残っているみたい。 |
野神古墳 石棺 |
野神古墳 築造当時のままの東の側壁 |
野神古墳は 前方後円墳と考えられている。 円筒埴輪あり 石室長さ3.7m・幅1.1m・高さ0.8mと推定されている。 築造当時そのままなのは、東側壁だけ。 縄掛突起を6つ持つ凝灰岩(阿蘇ピンク石)製家型石棺が残っている。 銅鏡2面、玉類、鉄刀3振り、馬具が1876年に出土したが行方不明という。 5世紀中ごろの築造と推定されている。 |
古市方形墳 | 奈良市古市町車塚 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・69 |
春日苑という住宅地の中にある。ヤフーの航空写真で見ると方墳とわかる。
古市方形墳
古市方形墳は 一辺24m・高さ3mの方墳
埋葬施設は、粘土槨が東・西に2基あり、鏡・玉が出土。
4世紀末〜5世紀初の築造と推定されている。
昭和38年発掘調査。
古市地区は古い時期の小型の独立墳が集まるという特色を示しているという。
護国神社前池中古墳 | 奈良市古市町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・68 |
護国神社の西側にある新池と呼ばれる池の中にある。池の中の小島としか思えない。
護国神社前池中古墳 東から
護国神社造営の時に、
この古墳周辺の土砂が使われた。
土砂の中に
多数の円筒埴輪片が混入していたという。
円墳のようだが前方後円墳の可能性もあるとか・・・
池はもともと周壕の一部だった・・・?
崇道天皇八嶋陵 | 奈良市八島町 撮影日2011/11/20 |
古市方形墳から南に1.5kmほどのところにある。
崇道天皇八嶋陵
8世紀の円墳
江戸末期文久年間に崇道天皇八嶋陵と治定
京都から淡路島に流された早良親王は、その死の間際に石を9個投げ
石が落ちたところに、葬って欲しいと願われ、その石のうち、8個落ちたところが、
八島町だったと伝えられている。
桓武天皇の同母弟早良親王は、無実の罪で淡路島に配流される途中、
絶食して憤死したといわれている。
早良親王の祟りを恐れて、延暦19年(800年)、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。
八嶋陵前古墳 奈良県遺跡地図・25
崇道天皇八嶋陵前の道路の真ん中に保存されている。
古墳の石室の一部といわれる巨石
本当に道路のまん中にある。交通の邪魔になるが、移動させると祟りがあるという。
帯解狐塚古墳 | 奈良市山町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・24 |
崇道天皇八嶋陵から南に300m、田んぼの中に丸い墳丘。
雨が降っているのと雑草で石室が見えなくなっている。
帯解狐塚古墳 |
帯解狐塚古墳石室内部 入口・奥壁ともに開口している。 (よくわからないなあ) |
帯解狐塚古墳は 径20mほどの円墳と考えられている。 石室が南に開口している。 両袖式横穴式石室は復元推定で全長7.5m 玄室長4.1m・幅1.8m・高さ2.4m 羨道長3.5m・幅1.5・高さ1.5m) 須恵器・土師器・馬具・鉄鏃などが出土している。 6世紀末の築造と推定されている。 (1959年調査) |
五ツ塚古墳 | 奈良市山町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・32〜36 |
帯解狐塚から東南東に800mの山沿いにある。
五ツ塚古墳 南から 左から1・2・3・4・5号墳 |
五ツ塚古墳実測図 (説明板から) 左から1・2・3・4・5号墳 上の写真と合わせるため、 説明板の上下を入れ替えて表示した。 |
五ツ塚古墳は 古くから知られていた5基からなる古墳群で 山裾の後背部を堀削して盛土してつくられた。 1号墳は 径18mの円墳 2号墳は 一辺14〜16mの方墳 3号墳は 径18mの円墳 4号墳は 一辺14〜17mの方墳 5号墳は 径18mの円墳 1・3・5号墳が6世紀後半 2・4号墳が7世紀の築造と推定されている。 埋葬施設はいずれも横穴式石室で2,3,4号墳は開口していたが今は全て封鎖されている。 |
五ツ塚古墳4号墳 石室石材が見えている。 5基ともに石材が見えるというが、 2・4号墳の石材しか発見できなかった。 |
大川池塚古墳 | 奈良市山町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・30 |
円照寺の南にある竜王池の中の小島が古墳?
大川池塚古墳
赤い鳥居が絵になる景色だ。
古墳といわれているが、
詳しい事は何も分かっていないようだ。
径4mの円墳とのこと
ベンショ塚古墳 | 奈良市山町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・23 |
赤い鳥居が目印。
ベンショ塚古墳 北から 左側が後円部 右側の前方部は削られて 低くなってしまっている。 |
ベンショ塚古墳は全長70mの前方後円墳 後円部径38m・高さ5m 前方部幅42m・高さ3m 前方部を西に向ける。盾形の周濠。葺石なし、埴輪あり 後円部に3基の埋葬施設があり、中央の第1主体部は詳細不明だが、 第2(南側)主体部と第3(東側)主体部は粘土槨。 革盾、短甲、眉庇付冑や馬具などが出土。 5世紀前半の築造と推定されている。(1990年調査) |
ベンショ塚古墳 後円部 墳頂にはお社がある。 |
シズカ塚古墳 | 奈良市山町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・26 |
シズカ塚古墳
東西約17m×南北16m、高さ2mの方墳
ということ以外にはなにも分かっていないようだ。
通りがかりの若い女性に聞いたら、これは古墳ではないそうだ・・・・。
帯解黄金塚古墳 | 奈良市田中町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・76 |
実は見つからなかった・・・・。
探す所が少しずれていたようだ。残念。次回に残しておく。
帯解黄金塚古墳は一辺30mほどの方墳で、陵墓参考地 となっている。
外堤は東西120m・南北90m以上で磚槨式石室、石列、石敷が確認されている。
弁天塚古墳 | 奈良市高樋町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・139 |
「粟 清澄の里」という和食のお店の敷地内にあるというので、
レストランを探したが、雰囲気が全然違っていた。
弁天塚古墳 駐車場に車を止めると山側に石室が見えた! |
弁天塚古墳 横穴式石室が南に開口している。 |
弁天塚古墳 玄室内部 |
弁天塚古墳 玄室から開口部を見る |
弁天塚古墳は 径17mの円墳 横穴式石室が南に開口している。 両袖式横穴式石室は 全長約8m 玄室長4.1m・幅2.2m・高さ2.1m、羨道長3.9m・幅約1.5m・高さ1m 6世紀後半の築造と推定されている。 |
栗塚古墳 | 奈良市高樋町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・87 |
弁天塚古墳から西に400mくらいのところにある。
栗塚古墳 後円部
段々に削られている。
前方部はほとんどなくなっている。
復元全長100mの前方後円墳
後円部径60m・高さ8m、前方幅50m・高さ3m
前方部を南東に向ける。
西からみる
左奥 栗塚古墳
右 割塚古墳
並んで二つの古墳がある。
割塚古墳 | 奈良市高樋町 撮影日2011/11/20 奈良県遺跡地図・86 |
栗塚古墳の西隣にある。
割塚古墳
径約30m・高さ3mの円墳
岩屋大塚古墳 | 天理市岩屋町・櫟本町 撮影日2011/11/20 |
名阪国道の側道の整備時に墳丘の南側が削られている。周りも削られているようだ。
岩屋大塚古墳
左手前が後円部 右奥が前方部
後円部も前方部も半分になってしまっている。
岩屋大塚古墳は 全長76mの前方後円墳 後円部径60m・高さ6.5m 前方部幅42m・高さ3m 2段築成 葺石あり。前方部を東に向ける 埋葬施設は現状では確認できないが、後円部と前方部どちらにも横穴式石室があった。 前方部の横穴式石室には組合式石棺があつた。 須恵器、瓦器、土釜などが出土した。 6世紀前半の築造と推定されている。 (1966年調査) |
ハミ塚古墳 | 天理市岩屋町 撮影日2011/11/20 |
古墳南側の道路の工事で巨石が発見され、調査した結果大きな方墳だと分かった。
説明板がある。
ハミ塚古墳 削られているので大きな古墳には見えない。 石室も1段目の石しか残っていなかった。 |
ハミ塚古墳 石室 閉じられている。手前の石しかみえない。 高さ4mもある巨大な石室だったという。 |
ハミ塚古墳は 復元長東西48.8m・南北45.6mの方墳 周濠の痕跡あり。 南に開口している石室は、花崗岩切石の両袖式横穴式石室で 現存長12m 玄室長5.7m・奥壁幅2.8m 玄門幅2.8m、羨道現存長5m・幅1.8m 床面は、平たい石を敷いた上に白石と黒石の玉砂利を厚さ5〜10cmに敷き その上に、漆喰が塗られた竜山石製刳抜式家型石棺(縄掛突起6個)が安置されていた。 須恵器片、土師器片、金環、太刀の環頭につく鉄地銀張りの環頭片、 刀装具と思われる金銅製品2、長頭鏃片が出土。 6世紀末〜7世紀初の築造と推定されている。(1994年調査) |
@ | 櫟本墓山古墳 |
A | まんじゅう塚古墳 |
B | 和邇下神社古墳 |
C | 赤土山古墳 |
D | 東大寺山古墳 |
E | 東大寺山25・26号墳 |
F | 岩屋大塚古墳 |
G | ウワナリ塚古墳 |
H | 石上大塚古墳 |
I | 別所大塚古墳 |
J | 上総御墓山古墳 |
K | ハミ塚古墳 |
L | 別所鑵子塚古墳 |
三陵墓古墳群 | 奈良市都祁南之庄町 撮影日2011/11/20 |
ハミ塚古墳から東に約10km、山辺郡都祁村は合併により2005年4月1日から奈良市都祁になった。
この地区にも古墳がある。
三陵墓古墳群は都介野岳からのびる尾根上に造られていて、
前方後円墳の東古墳、円墳の西古墳、南古墳の三基で構成されている。
東古墳・西古墳は、県の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。
このあたりには他にも、「市場古墳群」「観音山古墳群」と、古墳が点在している。
三陵墓西古墳
県史跡三陵墓古墳群
古代都祁王朝のゆるキャラ「つげまろ」くんに守られている。
三陵墓西古墳 |
三陵墓西古墳墳頂部 埴輪が復元されている。 二つの埋葬部が示されている。 |
三陵墓西古墳は、直径40m・高さ5mの円墳で墳頂部の径16m。 葺石あり 円筒埴輪と朝顔形埴輪の埴輪列がめぐっていた 二つの埋葬部が発見されている。 5世紀前葉の築造と推定されている。 第1主体部は割竹形木棺粘土槨で、 墳丘完成後、長さ13m・幅5.6m・深さ1.5mの隅丸長方形の墓壙を掘り下げ、 長さ8.35m・幅0.95〜1.2mの木棺を納めた。 棺床には ベンガラが散布されていた。 棺内から鉄剣5・ヤリガンナ2・鉄鑿1・鉄斧4・鉄鎌7・ 滑石製臼玉・琴柱形石製品8・碧玉製管玉・竪櫛多数が出土 棺外から、鉄鏃一群・鉄剣6・直刀9・鉄鉾1が出土。 第2主体部は組合式木棺直葬で 長さ5.5m・幅2m・深さ1.5mの隅丸長方形の墓壙に 長さ4.17m・幅0.61m〜0.67m・棺身高さ0.26mの木棺を納めたもので、 内部は全 面ベンガラが塗られていた。 棺内から、臼玉108・竪櫛89・鉄鏃8・漆塗り靫1が出土 棺外から、漆塗り盾1・鉄槍1・円礫1・鉄刀子2・ヤリガンナ2・鉄鑿1が出土。 |
半壊した古墳
奈良県遺跡地図12B-0021の古墳
(南から)
この奥に三陵墓西古墳がある。
三陵墓西古墳のすぐ南隣に残る。
三陵墓東古墳
県史跡三陵墓古墳群
三陵墓東古墳 前方部手前から |
三陵墓東古墳 後円部から前方部を見る |
三陵墓東古墳の形 (説明板から) |
墳丘実測図 (大和古代遺跡案内・吉川弘文館から引用) |
三陵墓東古墳は 墳丘長110mの前方後円墳 後円部径72m・前方部長39m・前方部幅50m 葺石あり 後円部3段築成 各段と墳頂部に埴輪が並べられていた。 大和高原において、最大級の古墳 前方部と後円部の高さの差が7.5mある。 埋葬部は未発掘だが、粘土槨と考えられている。 明治時代の盗掘で、 埋葬施設から、銅鏡2・玉類・鉄製武器・工具などが 多数出土したと伝えられている。 (遺物は行方不明) 5世紀後半の築造と推定されている。 |
三陵墓南古墳 三陵墓古墳群
三陵墓南古墳
小さな円墳だからこの山頂の部分だと思う。
直径16mの円墳
未調査の為、築造年代なども不明
現在は神社の社地で、墳頂に祠がある。
私有地なのか、説明板もない。
三陵墓とはいうがこの古墳はとても小さい。
暗くなっているので写真の色がおかしい・・・・。
日暮れが早くて・・・・・。
午後5時過ぎたところなのに、真っ暗になってしまった。
大和郡山のアピタにて夕食後、「スーパーホテル大和郡山」へ。
ここに3泊し、奈良をまわる。
温泉がある「スーパーホテル大和郡山は」2度目の宿泊。
温泉に入り、ゆっくり休んで明日に備える。
奈良の旅・その3 につづく