広陵町    牧野古墳 巣山古墳 新木山古墳 三吉石塚古墳 新山古墳 安部山古墳

広陵町の地図g

牧野(バクヤ)古墳
馬見古墳群丘陵中央群
国史跡
北葛城郡広陵町馬見北
牧野史跡公園内
撮影日2009/11/7

牧野古墳を現状のまま保存するために、牧野史跡公園となっている。



牧野古墳全景









石室開口部
残念な事に鍵がかかっている。
墳丘の2段目に開口している。



石室内部

玄室に壊れた石棺が残っている。

1984年に調査されている。


牧野古墳実測図


牧野古墳は  径48〜60m・高さ約12mの円墳
3段築成。墳丘2段目の南側に石室が開口している。
両袖式横穴式石室は全長17.1mで 
玄室長6.7m・幅3.2〜3.3m・高4.5m、羨道長10.2〜10.7m・幅1.8m、高2.0〜2.2m
排水溝がある。
(今は一つしかないが)玄室には2つ石棺が置かれていた。
 奥壁側に横向きに竜山石の刳抜式家型石棺、
 手前に石室主軸に並行して組合式家型石棺があった。
棺内の遺物はない
玄室奥壁と石棺の間で鉄鏃、馬具類、銀装太刀、ガラス小玉、桃核、
玄室右側壁と組合式石棺の間からは馬具、鉄鏃、須恵器片等
玄門周辺では朱、ガラス粟玉、鉄刀、金環等
羨道部で須恵器、木製容器の他、雲珠、杏葉、障泥金具(日本初の出土)等の馬具等
が出土した。
6世紀末の築造と推定されている。
舒明天皇の父にあたる押坂彦人大兄皇子(オシサカヒコヒトノオオエノオウジ)の成相墓の可能性が高いといわれている。

伝 文代山古墳石棺
牧野史跡公園内に保存されている。
長さ約240cm・最大幅約90cm
長持形石棺の底石
石棺を組み立てたときの溝が残っている。
広陵町寺戸の下池吐水口の橋に利用されていた。
昭和35年の下池堤改修工事の際に
水路の横に放置されていたものをここに移転、設置した。
文代山古墳は下池の東南約100mに位置する
寺戸方形墳ともいう。
一辺約40mの方墳
周壕、外提がある。
5世紀後半の築造と推定されている。
(本ホームページの馬見丘陵公園古墳分布図では、20番の古墳)

巣山古墳
馬見古墳群丘陵中央群
特別史跡
北葛城郡広陵町三吉
馬見古墳公園内
撮影日2009/11/7

馬見丘陵公園の南端にある。

巣山古墳
左(北)前方部
右側後円部

墳丘手前に出島状遺構らしきところが見えている。


巣山古墳の前方部西側にある
  出島状遺構


2003年、前方部西側の中央で
2段築成の葺石を施した出島状遺構を発掘、
水鳥形埴輪3・家形埴輪7・きぬがさ形埴輪7など
多くの形象埴輪や器材埴輪が出土した。

巣山古墳前方部を北に向ける。
復元全長220mの前方後円墳
後円部径約130m、高さ約19m、前方部先端幅約112m、高さ約16.5m
 (現状全長210m、後円部径118m・高さ17m、前方部幅96m・高さ約15m)
左右くびれ部に造り出しがある
3段築成。周濠・外堤・周庭帯がある。
埴輪、葺石あり。
後円部中央に竪穴式石室が2基、前方部にも小石室があるらしい。
明治時代の盗掘で、
石室から、鍬形石、車輪石、石釧等の石製品や勾玉(長さ10cm)、管玉等の玉類が出土、
鏡、銅釧、冠も出土したらしい
4世紀末の築造と推定されている。

新木山(ニキヤマ)古墳
三吉陵墓参考地

馬見古墳群丘陵中央群
北葛城郡広陵町赤部
撮影日2009/11/7

三吉陵墓参考地となり宮内庁の管理となっている。



新木山古墳
右後方が後円部





三吉石塚古墳から見た
新木山古墳

新木山古墳は、前方部を東に向ける
全長200mの前方後円墳 後円部径117m・高さ19m、前方部幅118m・高さ約17m。
くびれ部には造り出しがある。 周濠と外堤が巡る。
埴輪(円筒埴輪)あり、葺石あり。
埋葬施設は竪穴式石室か?。
後円部頂上に大きな盗掘穴があるという。(広陵町南郷の山王神社にある石棺仏は、この古墳から出土?)
勾玉や管玉が出土
5世紀前半(古墳時代中期後葉)の築造と推定されている。

三吉石塚古墳
馬見古墳群丘陵中央群
県史跡
北葛城郡広陵町三吉
撮影日2009/11/7

新木山古墳の外堤西に接するようにある。
古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿に復元整備している。


三吉石塚古墳





三吉石塚古墳
前方部の南側・くびれ部から南東方向に舌状に延びる張出部


張出部は基幹部で幅7m・前端部幅3.2m
北東隅に比べ3m程弧状に張り出している。





三吉石塚古墳整備平面図

赤いところが前方部張出部

三吉石塚古墳は、前方部を東に向ける。
全長45mの帆立貝式古墳
後円部径40m・後円部高さ6.5m 前方部長7m・前方部前端幅22.5m・前方部高さ3m
2段築成 葺石あり埴輪あり。
周囲には馬蹄形の堀があり外堤があり、堤を含めた全長は62mとなる。
堀が水をたたえた痕がない
埋葬施設は未調査だが、粘土槨と思われる。(既に破壊?)
円筒埴輪、朝顔形埴輪の他にキヌガサ、家、甲冑などの形象埴輪が出土。
5世紀後半の築造と推定されている。

新山(シンヤマ)古墳
大塚陵墓参考地

馬見古墳群南群
北葛城郡広陵町大塚
撮影日2009/11/7

大塚陵墓参考地として宮内庁が管理している。


新山古墳
木に覆われていて
形の確認はできない




新山古墳
墳丘内部の様子



新山古墳 前方部を南南西に向ける
全長126mの前方後方墳 後方部幅67m・前方部幅66m
周囲に一部、池が巡っているが周濠ではない?
埴輪あり。
1885年に当時の所有者が植林中に後方部中央で大石を発見、
竪穴式石室と思われる所から多量の遺物が発見された。
板石組の石棺があったというが詳細は不明。
車輪石、鍬形石、石釧などの石製品や、金銅製帯金具、刀剣類や34面の鏡が出土。
4世紀末の築造と推定されている。
馬見古墳群のなかで最初に造られた古墳と考えられている。
1981年の古墳北側の調査で、円筒棺7基・土壙墓1基などが発掘された。

安部山古墳群
馬見古墳群丘陵中央群
北葛城郡広陵町馬見南2丁目
西山公園内
撮影日2009/11/7

安部山古墳群は、新山古墳の北西にある西谷公園付近にあり、7基確認されている。
発掘調査がなされていて、
1号墳は前方後円墳、そのほかは円墳で、埋葬施設はいろいろあっておもしろそう。

2・3号墳は消滅しているが他は保存されている。
説明板などは見当たらない。


安部山1号墳
後円部から前方部を見る。


西山公園にある。
安部山1号墳
 全長42mの後期の前方後円墳 後円部径25m・前方部幅20m
 土壙に組合式木棺を直葬
 金環・勾玉・紡錘車・鉄器・槍・須恵器・土師器などが出土した。



安部山1号墳前方部から後円部を見る

形がよくわかる。

西山公園の小山はみんな古墳?!

他にも
モエサシ古墳群(前方後円墳1・円墳2) 広陵町大塚
  新山古墳の南西のみささぎ台公園に保存
エガミ田古墳群(方墳1・円墳5)      広陵町エガミ田
  みさざぎ台公園の西の黒石公園に保存
などがあるというので探してみるが、住宅地の中で道も狭く、車をおいて探す事もできず、あきらめる。

見丘陵公園古墳分布図(園内の説明板から作成)

名前 市町
1 ナガレ山古墳 前方後円墳
全長105m
河合町
2 ナガレ山北1号墳   河合町
3 ナガレ山北2号墳   河合町
4 ナガレ山北3号墳   河合町
5 ナガレ山北4号墳   河合町
6 ナガレ山北5号墳   河合町
7 坊塚古墳(消滅)   河合町
8 石塚1号墳(移築)   河合町
9 石塚2号墳(移築)   河合町
10 石塚3号墳(消滅)   河合町
11 ナガレ山東1号墳   河合町
12 ナガレ山東2号墳   河合町
13 別所下古墳 円墳・径60m  河合町
14 別所下2号墳 円墳 河合町
15 カタビ1号墳   河合町
16 カタビ2号墳   河合町
17 カタビ3号墳   河合町
18 カタビ4号墳   河合町
19 乙女山古墳 帆立貝形古墳全長130m・後円部径104m 河合町
20 文代山古墳 方墳44m×40.5m 広陵町
21 一本松古墳 前方後円墳
全長130m・後円部径80m
河合町
22 倉塚古墳 前方後円墳
全長180m・後円部径106m
河合町
23 倉塚1号円筒棺出土地   河合町
24 倉塚2号円筒棺出土地   河合町
25 狐塚古墳 帆立貝形古墳全長86m・後円部径66m 河合町
26 タダオシ古墳 前方後円墳全長48m・後円部径29m 広陵町
27 三吉2号墳 帆立貝形全長90m・後円部径78m 広陵町
28 三吉3号墳   広陵町 
29 巣山古墳 前方後円墳全長220m・後円部径130m 広陵町
30 讃岐神社古墳   広陵町
31 池上古墳 帆立貝形古墳全長92m・後円部径80.6m 広陵町

広陵町 おわり

香芝市

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