田原本町  唐古・鍵遺跡 黒田大塚古墳 笹鉾山古墳群

田原本町の地図g

唐古・鍵遺跡 田原本町唐古
撮影日2009/11/6

1936年からの唐古池の全面調査により、稲作のための木製品や自然遺物が、多量の弥生土器とともに検出された。
1977年からの調査では、この遺跡が南の鍵地区にまで 範囲が及ぶ大規模な集落跡であると判明した。
2005年までに100次以上の調査が行われている。

弥生時代の環濠集落跡。
1991年(平成3年)の調査で、楼閣の描かれた土器片が出土(弥生時代中期のもの)
その楼閣を復元。


復元された楼閣
唐古池のほとりにある。
高さ12.5m 柱の間隔4×5m 柱の太さ0.5mの規模に復元されている。

唐古池で釣りをしている人がいたが、
何が釣れるのか?
水抜きもしているようだ。
だいぶ老朽化しているみたい。


唐古・鍵遺跡は
大和(萱生)古墳群の西4kmほどのところにある。




黒田大塚古墳
(三宅古墳群)
 県史跡
田原本町黒田
撮影日2011/11/23

住所は田原本町だが、三宅古墳群に含まれる。



北から見た黒田大塚古墳

右 前方部

ここからだと前方部が高くなって見える。

黒田大塚古墳前方部から後円部を見る

黒田大塚古墳後円部から前方部を見る

黒田大塚古墳の変遷
  (説明板から)

現在いびつな形をした墳丘だが、
元はきれいな形の前方後円墳だったことが分かった。
 三宅古墳群の南端に位置する
 黒田大塚古墳は 前方部を西に向ける
  現状は全長55mの前方後円墳
     後円部径28m・,高さ6m ,前方部幅23m・高さ5m
  復元すると全長70mの前方後円墳
     後円部径40m・高さ8.2m 前方部幅45m・高さ7.7m
  幅8m・深さ1mの周壕があった。
  2段築成 葺石なし
  円筒埴輪、蓋形や鳥形の木製品が出土
  埋葬施設は未調査
  6世紀初頭の築造と推定されている。  (1983、1984、1986年調査)

    

笹鉾山古墳群 田原本町八尾
4号墳は三宅町石見字西大塚
撮影日2011/11/23

黒田大塚古墳のそばに「→笹鉾山古墳」という案内板があったので行ってみる。
平野稲荷神社がある所がそうらしい。行く途中、小さな円墳を見つける。
4号墳だけが、三宅町。


西大塚古墳
(笹鉾山古墳群4号墳)

径10mの円墳という。


笹鉾山古墳(1号墳)
 南東側から見る

笹鉾山古墳(1号墳)
 後円部上は平野稲荷神社の境内
 笹鉾山古墳群は、前方後円墳1基、円墳4基の6世紀代の古墳群
 1号墳は、前方部を東北東に向ける
  全長約50mの前方後円墳 後円部径約33m
  二重周濠あり 埴輪あり
  後円部墳頂に稲荷神社、前方部に向け参道がある。
  主体部は未発掘    円筒埴輪、土師器、馬歯等が出土
  6世紀前半の築造と推定されている。
 2号墳(消滅)は、1号墳の約30m北にある
  径19.5mの円墳
  周濠から円筒埴輪、朝顔型埴輪、形象埴輪、木製品が出土
  6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。
 3号墳(消滅)は、1号墳から北々西、約200mに位置する
  径20mの円墳
  周濠あり  土師器、須恵器が出土
  古墳時代後期。
 4号墳は1号墳の西北西400mにある 
  径10mの円墳
  坊主山古墳又は西大塚古墳ともよばれる。
  土師器の他、鉄剣が出土
  金鶏伝説がある。
               (HP「奈良の古墳探索」から)


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