三宅町 三宅古墳群 笹鉾山4号墳
三宅古墳群 | 三宅町・田原本町 撮影日2011/11/23 |
島の山古墳から南に行くと、田んぼの中に古墳がいくつも点在している。これらを三宅古墳群という。
盆地中央の低湿地帯にあり、旧三宅村を中心に分布している。
小さいといいながらも、40〜60mの前方後円墳で、ほとんどが周濠を持つ。
説明板があり、楽しい。
寺の前古墳 (三宅古墳群) 説明板がある。 |
三宅町屏風 |
寺の前古墳 墓地の横にある |
寺の前古墳 田んぼが周壕の形になっている |
寺の前古墳は 前方後円墳 (現存の墳丘の全長34m 後円径約20m・高さ3.5m・前方幅21m) 周濠あり(盾形) 周庭あり。埴輪あり 葺石不明。 横穴式石室に石棺があったと考えられている(1873〜1874年に盗掘の記録がある) 円筒埴輪片、家型埴輪片、須恵器、冑などが出土している。 6世紀初の築造と推定されている。 |
寺の前古墳の東にも前方後円墳があったが、削平され寺がある。(安養院古墳)
茄子塚古墳 (三宅古墳群) 説明板がある。 |
三宅町 |
茄子塚古墳 方墳に見える |
茄子塚古墳 方向を変えて |
茄子塚古墳は 別名 花子塚ともいう。 墳形は不明だが 現在は方墳のように見える。 須恵器高杯、堤瓶、台付長頸壺等の土器類 などが出土。 5世紀終わり〜6世紀初頭の築造と推定されている。 |
高山古墳 (三宅古墳群) 説明板がある。 |
三宅町屏風 |
高山古墳 墳丘の形はよく分からない。 細長い墳丘か? |
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高山古墳は 前方部をほぼ東に向ける 全長51mの前方後円墳 後円径26m・前方幅30m 周濠あり(盾形、全周)。 円筒埴輪片が出土 5世紀末の築造と推定されている。 |
アンノ山古墳 (三宅古墳群) 説明板がある。 |
三宅町伴堂 |
アンノ山古墳 低くなってしまった墳丘 |
アンノ山古墳 後円部側? くびれ部もよく分からない |
アンノ山古墳は 前方部を東南方向に向けた 前方後円墳(現存の墳丘の全長約40.5m、後円部径約20m・前方幅22.5m) 10m前後の周濠があったことが確認されている。 |
瓢箪山古墳 (三宅古墳群) 説明板がある。 |
三宅町伴堂字ササバカ |
瓢箪山古墳 南から 運動公園(三宅中央公園)駐車場から見る |
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(三宅)瓢箪山古墳は 前方部を南西方向に向ける 全長35mの前方後円墳 後円部経約13.5m・高さ4.5m 前方部幅14m。 周濠の痕跡あり(幅約11m) 5世紀代〜6世紀初頭の築造と推定されている。 |
他にも周辺にいくつか古墳がありそうだ。
名前のわからない古墳
低くなってしまっている
黒田大塚古墳 (三宅古墳群) 県史跡 住所は田原本町だが、三宅古墳群に含まれる。 |
田原本町黒田 |
北から見た黒田大塚古墳 右 前方部 ここからだと前方部が高くなって見える。 |
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黒田大塚古墳 前方部から後円部を見る |
黒田大塚古墳 後円部から前方部を見る |
黒田大塚古墳の変遷 (説明板から) 現在いびつな形をした墳丘だが、 元はきれいな形の前方後円墳 だったことが分かった。 |
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三宅古墳群の南端に位置する 黒田大塚古墳は前方部を西に向ける 現状は全長55mの前方後円墳 後円部径28m・,高さ6m ,前方部幅23m・高さ5m 復元すると全長70mの前方後円墳 後円部径40m・高さ8.2m 前方部幅45m・高さ7.7m 幅8m・深さ1mの周壕があった。 2段築成 葺石なし 円筒埴輪、蓋形や鳥形の木製品が出土 埋葬施設は未調査 6世紀初頭の築造と推定されている。 (1983、1984、1986年調査) |
天王塚古墳 (三宅古墳群) | 三宅町但馬字天王 |
天王塚古墳 きれいな墳丘 |
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天王塚古墳は、径16mの円墳 詳細不明 |
芝ぞえ古墳 (三宅古墳群) | 三宅町但馬 |
芝ぞえ古墳 小さくなってしまった墳丘。 |
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芝ぞえ古墳は径約30mの円墳 (前方後円墳の可能性があるという) 周濠があった 墳丘は削平されている。 |
笹鉾山古墳群 | 田原本町八尾 4号墳は三宅町石見字西大塚 撮影日2011/11/23 |
黒田大塚古墳のそばに「→笹鉾山古墳」という案内板があったので行ってみる。
平野稲荷神社がある所がそうらしい。行く途中、小さな円墳を見つける。
西大塚古墳
(笹鉾山古墳群4号墳)
径10mの円墳という。
4号墳だけが、三宅町。
笹鉾山古墳(1号墳) 南東側から見る |
笹鉾山古墳(1号墳) 後円部上は平野稲荷神社の境内 |
笹鉾山古墳群は、前方後円墳1基、円墳4基の6世紀代の古墳群。 1号墳は、前方部を東北東に向ける 全長約50mの前方後円墳 後円部径約33m 二重周濠あり 埴輪あり 後円部墳頂に稲荷神社、前方部に向け参道がある。 主体部は未発掘 円筒埴輪、土師器、馬歯等が出土 6世紀前半の築造と推定されている。 2号墳(消滅)は、1号墳の約30m北にある 径19.5mの円墳 周濠から円筒埴輪、朝顔型埴輪、形象埴輪、木製品が出土 6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。 3号墳(消滅)は、1号墳から北々西、約200mに位置する 径20mの円墳 周濠あり 土師器、須恵器が出土 古墳時代後期。 4号墳は1号墳の西北西400mにある 径10mの円墳 坊主山古墳又は西大塚古墳ともよばれる。 土師器の他、鉄剣が出土 金鶏伝説がある。 (HP「奈良の古墳探索」から) |
三宅町 おわり