桜井市・1 纒向・箸中古墳群
        (珠城山古墳群 纒向勝山古墳 纒向矢塚古墳 纒向石塚古墳 東田大塚古墳 箸墓古墳 巻野内石塚古墳
        ホケノ山古墳 慶雲寺の古墳 茅原大墓古墳 弁天社古墳 茅原狐塚古墳)

地図g

纒向・箸中古墳群 桜井市

纒向・箸中古墳群配置図


纒向・箸中古墳群
箸墓古墳と6基の前期の前方後円墳と周辺の古墳からなる。
6基の前期の古墳とは
 纒向石塚古墳、纒向勝山、纒向矢塚、
 東田(ヒガイダ)大塚古墳、ホケノ山古墳、巻野内石塚古墳


巻野内石塚古墳(9)から南のホケノ山(19)、さらに南の
 茅原大墓(29)にかけて
 ポコンポコンとたくさんの古墳がある。
全てに番号をつけるとグチャグチャになるので、主要なものだけ付けた。
詳しくは奈良県遺跡地図をごらんください。

奈良県遺跡地図 
1 珠城山1号墳 全長50mの前方後円墳 横穴式石室 6世紀中〜後半 492
2 珠城山2号墳 全長75mの前方後円墳     491
3 珠城山3号墳 全長48mの前方後円墳 横穴式石室 6世紀後半 490
4 纒向勝山古墳 全長115mの前方後円墳   3世紀中頃〜後半 482
5 纒向矢塚古墳 全長96mの前方後円墳   3世紀中頃 485
6 纒向石塚古墳 全長96mの前方後円墳   3世紀初頭〜中 484
7 東田大塚古墳 全長120mの前方後円墳   3世紀後半 486
8 箸墓古墳 全長280mの前方後円墳   3世紀後半 509
9 巻野内石塚古墳 全長60mの前方後円墳     495
10 11D-0496  径15mの円墳?      496
11 11D-0497  径13mの円墳      497
12 11D-0498   一辺41mの方墳     498
13 11D-0499 径25mの円墳     499
14 石塚古墳       665
15 11D-664        664
16 茶ノ木塚古墳 径20mの円墳?      501
17 北口塚古墳 径25mの円墳      502
18 平塚古墳 径35mの円墳      506
19 ホケノ山古墳 全長80mの前方後円墳 石囲い木槨 3世紀中頃 504
20 堂ノ後古墳 径35mの円墳      503
21 慶雲寺裏円墳 径12mの円墳      507
22 慶雲寺裏古墳 径13mの円墳  横穴式石室    508
23 ツヅロ塚 径30mの円墳  横穴   515
24 ツクロ塚 径10mの円墳      516
25 狐塚古墳 径5〜6mの円墳      517
26 石神塚 径20mの円墳  横穴式石室?   518
27 藤が森古墳   横穴   552
32 馬塚 墳形不明  横穴式石室   524
29 茅原大墓古墳 全長85mの前方後円墳   5世紀前半 519
30 毘沙門塚古墳 全長45mの前方後円墳    549
31 弁天社古墳       520
32 茅原狐塚古墳 一辺40mの方墳 横穴式石室 6世紀末〜7世紀初頭 521

珠城山古墳群・茅原大墓古墳は時期が少し後なので、纒向・箸中古墳群に含むのか・含まないのか?

1・2・3 珠城山古墳群
国史跡
桜井市穴師
撮影日2009/11/6

史跡公園となりきれいに整備されている。
後期の3基の前方後円墳が並んでいる。
が、2つの石室があった3号墳が消滅しているのが非常に残念だ。


珠城山古墳群配置図
  説明板から
西(左)から
3号墳・2号墳・1号墳
3号墳はほぼ消滅している。

 1955年から5回にわたり調査され、馬具をはじめ豪華な副葬品が出土した。
 築造時期はいずれも古墳時代後期(6世紀)と考えられていて、
  2号墳→1号墳→3号墳の順に築かれている。

珠城山古墳群の北側の山裾には
   立派な説明板がある。



階段の上は 2号墳後円部

南側の山裾から見た1号墳後円部の石室
(中央右付近)


珠城山1号墳・石室開口部
  


珠城山1号墳・石室内部
 
珠城山1号墳
 墳丘は後世の削平で変形している
 
全長50mの前方後円墳で前方部を東に向ける。
 墳丘裾を埴輪列がめぐっていた?
 片袖式の横穴式石室(全長3.4m)に組合式石棺がある。
  (石棺は橿考研付属博物館にて保存)
 石棺内から、人骨・挂甲・刀子・ガラス製小玉
 石室内から 環頭太刀、武器類、工具類(はさみなど)、金銅製勾玉、銀製空玉、琥珀製棗玉、
  鞍金具等の馬具類等が出土している。
 石室が再利用されていたらしく、平安時代の遺物も出土。
 6世紀中〜後半の築造と推定されている。
珠城山2号墳
 全長75mの前方後円墳  前方部を西に向ける。
 後円部墳頂などは調査されたが、内部主体はわかっていない。
 少しの埴輪片が出土。
 前方部前面にはかって小石室が存在していたが現在は消滅。
珠城山3号墳
 全長48mの前方後円墳  前方部を東に向ける。
 現在は前方部の一部を残しほぼ消滅。
 前方部と後円部に1基づつ横穴式石室があった。
 前方部の石室には(木棺があったと推定され、
  中世には火葬墓として使用されていたとおもわれる。
 耳環、太刀片、土器類が出土
 全長9.7mの後円部の石室には、組合式石棺があり、
  太刀類、挂甲小札、鉄鏃、杏葉や鏡板などの馬具類、土器が出土。
 遺物から、6世紀後半の築造と推定されている。


4 纏向勝山古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市黒田字勝山
撮影日2009/11/6


纏向勝山古墳
右側が前方部


左側は周壕跡の池の堤だが、
こっちのほうが前方部に見えてしまう。

纏向勝山古墳実測図 
  
勝山古墳の竹を切りに来た夫婦と出会う。
2、3日前、大発見があったらしくて、取材のヘリが飛んでいたとのこと。
自宅に帰ってから、纏向遺跡で3世紀前半の大型の建物発見というニュースが発表された。

纏向勝山古墳
後円部後方から見る。

濠の痕跡を残すように逆台形の池がある。
勝山古墳の周りは遊歩道がある。

纏向勝山古墳は  115mの前方後円墳  後円部径67m
馬蹄形の周壕(幅29m)がめぐる
葺石なし 埴輪なし
北側くびれ部付近の周濠からは多数の木製品が出土
3世紀中頃〜後半の築造と推定されている。
墳丘北側のくびれ部から出土した板材の年輪年代測定が西暦210年との結果がでている。
従来は纒向型前方後円墳と見られてきたが
 2009年3月の発表で、前方部の南東隅が見つかり全長は115mと確定、
 墳形も前方部が短い纒向型ではない事が正式に判明した。
この発表で勝山古墳と東田大塚古墳は、前方後円墳で、周濠は馬蹄形、
 矢塚古墳は前方部が短い纒向型とほぼ確定された

5 纏向矢塚古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市東田字矢塚
撮影日2009/11/6



勝山古墳から見た矢塚古墳






纏向矢塚古墳後円部





纏向矢塚古墳実測図

纏向矢塚古墳
全長96mの纒向型前方後円墳  後円部径62m・前方部幅34m
纒向型の古墳は後円部と前方部の比率が2:1である。
埴輪なし 葺石なし
埋葬施設は未調査(竪穴式石室か?)
土師器が出土
3世紀中頃の築造と推定されている。

6 纏向石塚古墳 
纒向・箸中古墳群
市史跡
桜井市太田
撮影日2009/11/6



纏向石塚古墳全景


墳丘は全体に低くなっていて、前方部はよくわからない。

纏向石塚古墳実測図


纏向石塚古墳は  全長96mの前方後円墳  後円部径64m・前方部幅32m
周馬蹄形の壕あり  埴輪なし 葺石なし  3段築成
埋葬施設は残っていない。
周壕内から
 弧紋円盤,朱塗の鶏形木製品 、木製鋤 、木製鍬 、横槌 、水槽、
   建築部材等の木製品、土師器 が出土した。
墳丘盛土内から見つかった土器から
 3世紀初頭〜中頃の築造と推定されている。

7 東田大塚古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市東田
撮影日2009/11/6


西から見た東田大塚古墳





東田大塚古墳実測図

東田大塚古墳
全長120mの前方後円墳
後円部径70m・前方部長さ50m
馬蹄形の濠の外側から壺棺が出土
濠の中から土器や木製品、外堤から壷棺、籠状製品が出土 
3世紀後半の築造と推定されている。

8 箸墓古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2009/11/6

倭迹迹日百襲媛命大市墓として宮内庁が管理している。
被葬者は卑弥呼?  


箸墓古墳
茅原大墓古墳(南東)から見る

左前方部 右後円部
   



箸墓古墳と周辺図


箸墓古墳
全長280mの前方後円墳
 後円部径155m・高さ29.4m 
 前方部長さ125m・幅140m・高さ16m
 撥方に開く前方部
 葺石あり 埴輪あり(特殊器台・特殊器台形埴輪や特殊壺形埴輪)
 前方部4段、後円部5段の段築
 1992年前方部南側の調査で
  この古墳は大半の封土を盛土した可能性が高いことが判明。
 周囲には幅約10m程度の周濠と、
  その外側に大きな外堤が巡っていた可能性がある。
 外堤の所々には渡り堤があったと考えられる。
 埋葬施設は竪穴式石室か?
 陵墓指定地外の調査で木製輪鎧等の木製品、土器破片が出土。
 宮内庁によって採集された特殊器台、特殊器台形埴輪、特殊壷、二重口縁壷が出土。
 渡堤や外堤から出土した土器から、3世紀後半の築造と推定されている

巻野内石塚古墳(北東)から見た
箸墓古墳後円部

ホケノ山古墳(東)から見た箸墓古墳後円部
手前は堂ノ後古墳

    

9 巻野内石塚古墳 とその周辺の古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市巻野内
撮影日2009/11/6
2011/11/21

通りがかりに、古墳だとすぐわかったので写真を撮る。

巻野内石塚古墳  撮影日2009/11/6
前方後円墳というが、
後円部しかわからない
  


巻野内石塚古墳  撮影日2011/11/2
  

巻野内石塚古墳
 全長60mの纒向型前方後円墳 前方部を北東に向ける。
 後円部径40m・前方部長20m
 現状は径40mの円墳状 
 測量調査のみがされている。


巻野内石塚古墳の南にある3つの古墳

右手前11D-0497、右奥11D-0498、
左11D-0499


     撮影日2011/11/21
    

19 ホケノ山古墳とその周辺の古墳
纒向・箸中古墳群
国史跡
桜井市箸中
撮影日2009/11/6
2011/11/21

東方から派生した丘陵上にある。

墳裾から見たホケノ山古墳
    撮影日2009/11/6

  

後円部から見た前方部 
      撮影日2009/11/6

復元された前方部東斜面の埋葬施設が
左のほうに見えている。




前方部東斜面に復元された埋葬施設

       撮影日2009/11/6

墓壙は全長4.2m・幅1.2m・深さ30〜50cm
内部は南端に大型壺、中央に壺があり
これにはさまれるように
 全長2.15m・幅45cmの組合式木棺の痕跡が確認された。
墳丘が完成した後に設置されたもの。
ホケノ山古墳
全長80mの前方後円墳で、前方部を南東に向ける。
 後円部径60m・高さ8.5m 前方部長さ20m・高さ3.5m
 後円部3段築成  葺石あり 埴輪なし
後円部側に周濠状遺構がめぐる。

後円部中央に石囲い木槨に長さ5mの刳抜式木棺 がある。
後円部の主体部西側に6世紀末頃の横穴式石室がある。(全長14m以上で組合式石棺がある。)
前方部東斜面にも木棺直葬の埋葬施設がある。.

二重口縁壷・銅鏃・鉄鏃・素環頭大刀・鉄製刀剣類・鉄製農工具・
同向式神獣鏡・内行花文鏡の破片・鉄製農工具などが出土。
3世紀中頃の築造?と推定されている。


堂ノ後古墳
 ホケノ山古墳から見る

         撮影日2011/11/21
古墳を分断する道ができているようだ。

堂ノ後古墳の向こうには、箸墓古墳が見える。

 堂ノ後古墳前方後円墳(現状は径約35mの円墳状)
  周濠あり。
  周濠部から 円筒埴輪片、鶏形埴輪頭部、須恵器のはそうが出土
  5世紀後半の築造と推定されている。
  2009年に範囲確認調査がなされている。


北口塚古墳
   撮影日2011/11/21
ホケノ山古墳の直ぐ北にある。
前方後円墳?(現状は円墳状で径25m・高さ2m)

左後ろに巻野内石塚古墳が見える


茶ノ木塚古墳
     撮影日2011/11/21

円墳?
(現状は円墳状で径20m・高さ1.4〜1.7m)


ツヅロ塚古墳
    撮影日2011/11/21

径30m・高さは2.5mの円墳?
(前方後円墳の可能性)



ツクロ塚古墳
   撮影日2011/11/21

ツヅロ塚の東にある。
径10mの円墳



石神塚古墳
   撮影日2011/11/21

径20mの円墳
茅原大墓古墳の北に位置する。
横穴式石室と推定されている。
   

21・22 慶雲寺の古墳 2基
纒向・箸中古墳群
桜井市箸中
撮影日2011/11/21

ホケノ山古墳のすぐ東側にある慶雲寺には2つの古墳がある。


慶雲寺裏古墳
本堂の後ろに石室が開口している。

慶雲寺裏古墳 石室内部



慶雲寺裏古墳
 石室内から開口部を見る
慶雲寺裏古墳は 
 墳形不明(径13mほどの円墳か?)
 南に開口する両袖式横穴式石室は、長さ3m・幅1.8m・高さ2m
 羨道は一部削られている


慶雲寺裏円墳
慶雲寺裏古墳の西隣・墓地奥にある。
墳丘のまん中には石室を思わせる石材が飛び出している。
径12mの円墳だそうだ。




石棺仏
慶雲寺本堂の西側にある。

説明板から
 刳抜式石棺の身に弥勒菩薩が刻まれている。
 慶雲寺周辺には、かつて6基前後の後期古墳が存在していたようで、
  この石棺はどの古墳にあったものなのかは分かっていない。



29 茅原大墓古墳
国史跡
桜井市茅原
撮影日2009/11/6
2011/11/2

発掘に遭遇した。
発掘の邪魔にならなければ、墳丘に上がってもいいと言われ感激。
円筒埴輪が並んで埋まっている様子を見ることができた。

発掘中の茅原大墓古墳
   撮影日2009/11/6

左手前の木があるところあたりが
短い前方部と思われる。
墳丘だけの調査で埋葬部分はそのままという。


茅原大墓古墳後円部頂から見た前方部
   撮影日2009/11/6


前回は、発掘中だったが墳丘に上らせていただき、埴輪が並んで埋まっているのを生で見せていただいた。
      (2010年11月・第4次調査)
整備のための調査は今後も続くようだ。


茅原大墓古墳
   撮影日2011/11/21


茅原大墓古墳
 復元全長86mの帆立貝式前方後円墳 後円部径72m・高さ9m 、前方部長さ15m・高さ1m
 埴輪あり 葺石あり 前方部を北に向け周濠の痕跡と見られる池がある
 円筒埴輪、朝顔形埴輪、きぬがさ型埴輪,壺形埴輪、盾持人埴輪、鳥形埴輪片などか出土している。
 埋葬施設は未調査 前方部で埴輪棺が1基確認されている。
 4世紀末の築造と推定されている。
 4次調査で日本最古級の人物埴輪「盾持人埴輪」が出土した。

「盾持人埴輪」・・・・
 墳丘東側のくびれ部付近で発見され、頭部から盾面の上半部にかけての高さ67 p分が残存していた。
 幅約50 p・高さ47 p以上の長方形と推定される盾部分には、線刻による文様が表現されている。
 顔面部分は平面的で、表面には赤色顔料が塗られている。
 顎には入れ墨が見られ、頭部には冑をかぶっている。

茅原大墓古墳の西には、墳丘が削平されている毘沙門塚古墳がある。
ヤフー航空地図では形がハッキリ!

31 弁天社古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市茅原
撮影日2011/11/21

茅原の集落の富士神社・厳島神社境内の小さな祠の裏にある。


弁天社古墳

墳丘はなくなり、横穴式石室が露出している。
かなり壊れている

弁天社古墳 木の根っこにやられそう・・・・

この方向だと石室に見えるかな?

石室内部
羨道部の家形石棺の蓋が見える
盗掘の穴があけられている

石棺内部
盗掘の穴にカメラを突っ込んで撮影
きれいに整形された石を使って造られている!
現代の石工も顔負け!!
弁天社古墳は、墳丘の形や大きさは不明
 南に開口する両袖式横穴式石室は、玄室長さ4m・幅1.9m 羨道幅1.4m
 玄室内には破壊された石棺の破片があり
 羨道部には凝灰岩製の刳抜式家形石棺が安置されている。
 石棺の蓋の幅1.1m・高さ0.5m・長さ内測2m
 6世紀後半の築造と推定されている。

  

32 茅原狐塚古墳
纒向・箸中古墳群
桜井市茅原
撮影日2009/11/6

JR桜井線沿いに石室が開口している。


茅原狐塚古墳全景
盛り土はなくなっている。




横穴式石室
水がたまっている。





茅原狐塚古墳・石室内部

奥壁に穴があいていて空が見える。
石棺が3個あったという。




茅原狐塚古墳の奥壁後方から石室を見る
補修しないとくずれそう
茅原狐塚古墳40mの方墳と考えられている。
横穴式石室は長さ17.3m
玄室の長さ6m・幅2.6m・高さ3.2m
羨道の長さ11.3m・幅2.1m・高さ1.9m
石室内に石棺が3個、羨道部に木棺があった(釘が出土)
玄室から多数の須恵器の杯、
 羨道部から鉄直刀と思われる小残片、木棺の釘、土師器破片等が出土。
6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。


桜井市・1 おわり

桜井市・2

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