天理市・4  柳本古墳群
        (黒塚古墳  行燈山古墳  アンド山古墳 南アンド山古墳 大和天神山古墳 崇神天皇ろ号陪冢 櫛山古墳 
         ノベラ古墳 石名塚古墳 柳本大塚古墳  上ノ山古墳 渋谷向山古墳)

地図g

柳本古墳群 天理市柳本

崇神天皇陵(行燈山古墳) 景行天皇陵(渋谷向山古墳)を中心にした古墳群。
アンド山、天神山、上ノ山、シウロウ塚、黒塚、柳本大塚などの前方後円墳と双方中円墳の櫛山古墳がある。
大部分が前期の古墳。

   柳本古墳群(@〜R)の主な古墳の配置図


天理市柳本町・渋谷町の古墳が
柳本古墳群となる。


珠城山古墳群より南の古墳は
纒向・箸中古墳群となる。
纒向・箸中古墳群は
桜井市となる。
   

@ 黒塚古墳 130mの前方後円墳  竪穴式石室 4C 18
A アンド山古墳 全長120mの前方後円墳    4C前半 29
B 南アンド山古墳 全長60mの前方後円墳      30
C 大和天神山古墳 全長103mの前方後円墳  竪穴式石室 4C 31
D 丸山古墳  径20mの円墳  横穴墓   32
E 行燈山古墳 全長242mの前方後円墳    4C中〜末 28
F 櫛山古墳 全長155mの双方中円墳  竪穴式石室 4C後半 34
G ノベラ古墳 全長70mの前方後円墳  不明    19
H 石名塚古墳 111mの前方後円墳    4C 21
I 柳本大塚古墳 全長94mの前方後円墳  石室 4C前半 22
J 上ノ山古墳 全長140mの前方後円墳    4C中 454
K 百塚古墳・
崇神天皇陵ろ号陪冢
径20mの円墳  横穴墓   456
L 赤坂古墳  一辺25mの方墳      457
M シウロウ塚古墳 全長120mの前方後円墳     458
N 渋谷向山古墳 全長300mの前方後円墳   4C中 455
R 龍王山古墳群 600基   後期の群集墳  

  

@ 黒塚古墳
大和(萱生)古墳群
国史跡
天理市柳本町黒塚
撮影日2009/11/5

2007・08年に発掘調査、多数の三角縁神獣鏡が元の位置を保った状態で発見された
発見されたときのニュースを覚えている。
柳本公園となる。



黒塚古墳
黒塚古墳は  全長130mの前方後円墳  後円部径72m・高さ11m
 戦国時代には城郭として利用されたので墳丘は改変を受けている。
 周囲の濠は周壕を拡張したもの。
 後円部中央の竪穴式石室は長さ8.3m・幅1.3m〜0.9m高さ1.7m
  川原石と板石を使った合掌式の石室
  石室床面の粘土の棺台の中央には長さ6.2mのクワの巨木をくりぬいた木棺の痕跡が残る。
  水銀朱が残る。
 遺物は盗掘をまぬがれ埋葬した当時のまま出土
 棺内は、画文帯神獣鏡1面が立った状態であり、その両脇に刀剣が2振り置かれていた。
 棺外は33面の鏡が、棺と壁面の間、および北小口に立てかけるように置かれていた。
  全て三角縁神獣鏡。
 鏡に重なるように刀剣類・鉄鏃・槍などが出土。
 天理市立黒塚古墳展示館が設けられて、石室の実物大レプリカや出土した鏡などの模型が展示されている。

A アンド山古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2009/11/5

崇神天皇陵陪塚い号に比定されていて崇神天皇陵の半分の大きさだという。

アンド山古墳
左手前 前方部

きれいに整備されていて
形がよくわかる。
副葬品を納めただけの古墳といわれている。
アンド山古墳 全長120mの前方後円墳
後円部径70m・高さ15.5m  前方部幅53m・高さ11.5m
周濠なし、段築なし、前方部を南南西に向ける。
埋葬施設は不明
4世紀前半の築造と推定されている。

B 南アンド山古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2009/11/5

崇神天皇陵陪塚は号と比定されていて、行燈山の4分の1の大きさといわれている。

「崇神天皇陵ろ号陪塚」から見た
南アンド山古墳

左 後円部
右 前方部


その右に行燈山古墳の前方部がある。
南アンド山古墳東西に主軸をおく 全長60mの前方後円墳

C 大和天神山古墳
柳本古墳群
県史跡
天理市柳本町
撮影日2009/11/5

井射奈岐神社の境内にあり東側半分は道路で削平されている。
崇神天皇陵の陪塚といわれている。


天神山古墳遠景
崇神天皇陵から見る


右手前は南アンド山古墳
左手前は行燈山古墳の前方部外堤





井射奈岐神社鳥居の南側(左側)に
墳丘(後円部がある。



天神山古墳実測図
説明板から

見事に東半分が削平されている。
天神山古墳は前方部を南に向けた 全長113mの前方後円墳
後円部径56m・高さ9m 前方部幅47m・高さ7m
墳丘の東半分が国道169号線の建設時に削られている。
周壕の有無は不明
葺石あり 埴輪なし
1960年、後円部中央の竪穴式石室の発掘調査、
長さ6.1m・幅1.4m・高さ1.2mで合掌式の構造(天井石は必要としない)の石室に
粘土で作られた台の上にコウヤマキ製の割竹形木棺が安置されていて、
 銅鏡23面や鉄製品等の副葬品が出土。
銅鏡が木棺中央に置かれた41kgの朱を取り囲むように配置されていた。
銅鏡は三角縁神獣鏡を含まない。
副葬品は2002年に国重文、木棺は2008年に県の有形文化財に指定されている。

人体埋葬の痕跡はないといわれているが・・・・どうなのだろうか?

E 行燈山古墳
柳本古墳群
天理市柳本町行燈
撮影日2009/11/5

柳本古墳群の盟主墳ともいえる古墳で現在崇神天皇山辺勾岡上陵に比定されている。
行燈山古墳周辺にはアンド山古墳、南アンド山古墳、天神山古墳の3基の前方後円墳がありいずれも陪塚とされている。


崇神天皇陵礼拝所

大きくて山にしか見えない。

行燈山古墳は 全長242mの前方後円墳
後円部径158m・高さ31m 前方部幅100m・高さ13.6m
周壕を含めると全長360m、最大幅230mとなる。
周壕は東から渡堤で階段状に区切られている。
東西に主軸を置く。
幕末に大規模な御陵補修と灌漑用水確保のための工事が行われたので
 前方部の一部が水没したり周壕の形が変化している。
葺石あり 埴輪あり
埋葬施設は不明だが、
 近くの長岳寺の石棺仏はこの古墳の天井石が使われているといわれていて、
 石室があると推定されている。
墳丘から円筒埴輪、小型丸底壺  濠から銅版が出土
4世紀〜末の築造と推定されている。

F 櫛山古墳
柳本古墳群
国史跡
天理市柳本町
撮影日2009/11/5

珍しい双方中円墳で墳丘に入れる古墳。

櫛山古墳
中円部から後方部を見る
方形をしっかり確認できる。
ここに祭壇があったのだろう。

櫛山古墳は崇神天皇陵の後円部周壕に接している
全長155mの双方中円墳  中円部径90m・前方部長さ60m・幅60m・後方部長さ25m
周濠あり 葺石あり 埴輪あり
昭和23・24(1948・49)年の発掘調査で
 後方部の大型祭壇
上から排水施設を伴う白礫を敷き詰めた遺構や
 白礫層の下部に赤色顔料を含む砂層を施した方形の土坑などが検出されている。
鍬形石・車輪石・石釧などの腕輪形製品や、高杯形土師器の破片が白礫層の上部から出土、
 墓前祭祀に関係する遺構と見られている。
中円部の頂上に築かれた竪穴式石室は、すでに盗掘されていたが、
 全長7.1m・幅1.4mで、扁平な石材を用いて側壁を築いている。
石室の中央に石棺を据えたと思われる方形の落ち込みがあり、長持形石棺の一部が出土。
石棺を据えてから石室の側壁を築いたものと考えられている。
(石棺は棺身の下半分が石室の床面を掘って埋められている)
4世紀後半の築造と推定されている。

柳本町の専行院というお寺の境内にある石棺仏は、櫛山古墳出土の長持形石棺のものといわれている。

G ノベラ古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21



ノベラ古墳
低くなってしまった墳丘

 ノベラ古墳は 前方部を南に向ける
  全長71mの前方後円墳   後円部径42m・前方部幅30m
 未調査

   

H 石名塚古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21

周りに住宅が建っている。


  石名塚古墳 西から見る
 左 建物の後に後円部
  右  前方部
 前方部の右はため池となっている。

東から見た石名塚古墳後円部
住宅の間から高い墳丘が見えている。
 石名塚古墳
  全長111mの前方後円墳   後円部径66m・現状高さ13m 前方部幅40m
  周濠の痕跡あり 埴輪あり

  

I 柳本大塚古墳
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2011/11/21

墳丘にビニールハウスがあるので、立ち入るのは遠慮した。


柳本大塚古墳

 柳本大塚古墳は 前方部を南に向ける
  全長92mの前方後円墳   後円部径48m・高さ14m 前方部幅不明・高さ8m
  葺石あり 埴輪なし
  4世紀前半の築造と推定されている。
  明治時代に、後円部中央に竪穴式石室(長さ3.6m・幅1.5m)が発見され、
     内部に割竹形木棺が残っていた。
  鉄鏃が出土した。
  木棺片は、現在、桜井市三輪の「大神教」の本院拝殿に額として飾られている。
  大正時代には、後円部頂の平坦面東北寄りに小石室が発見され、
     面径39.8cmの内行花文鏡が発見された。
    (どちらも正式な発掘調査ではない)

   

J 上の山古墳
柳本古墳群
天理市渋谷町
撮影日2009/11/6

景行天皇陵陪塚い号として宮内庁の管理の古墳である。


上の山古墳全景
左(北)後円部
上の山古墳は  
 全長140mの前方後円墳   後円部径84m・前方部幅56m
 幅25mの周壕あり    葺石あり 埴輪あり
 前方部を南南東に向ける。
 平成6年の前方部西側の調査で、
  周濠内より鰭付き円筒埴輪、壷型埴輪、朝顔型埴輪、盾形埴輪、木製品が出土した。
 4世紀中の築造と推定されている。

K 崇神天皇陵陪塚ろ号
柳本古墳群
天理市柳本町
撮影日2009/11/6

通りがかりにみつける。

崇神天皇陵陪塚ろ号

径20mの円墳



別名「白塚古墳」といわれている。宮内庁が管理している。

N 渋谷向山古墳
柳本古墳群
天理市渋谷町
撮影日2009/11/6

崇神天皇陵の南1kmにあり景行天皇陵として宮内庁の管理となっている。


渋谷向山古墳前方部
柳本古墳群の前期古墳では
最後に築造されたものだという。

渋谷向山古墳は 
全長300mの前方後円墳
後円部径160m・高さ26m 前方部幅170m・長さ130m・高さ24m
周濠は現在9箇所に区切られているが築造時の姿ではない。
前方部前面が幕末の修復時に拡張され形状が大きく変化している。
3段築成 
葺石あり 埴輪((円筒埴輪 盾形埴輪)あり
複数の埋葬施設があると考えられている。
石枕が出土したといわれている。
4世紀中頃の築造と推定されている。

天理市・4 おわり

桜井市・1

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