天理市・2   杣之内古墳群   ( 塚穴山古墳 西山古墳 峯塚古墳 保昌塚古墳 小墓古墳 西乗鞍古墳 東乗鞍古墳 )
           二階堂星塚古墳群

地図g

杣之内古墳群 天理市杣之内町・勾田町・ 乙木町

杣之内古墳群の主な古墳の配置図

@ 塚穴山古墳 円墳 径65m 6C末〜7C初頭
A 西山古墳 前方後方墳 全長183m 4C後半
B 峯塚古墳 円墳 径35.5m 6C末〜7C中
C 保昌塚古墳 円墳 径約16.8m
元は径25m
D 西天井山・
東天井山古墳
円墳
E 小墓古墳 前方後円墳 全長80m 5C末〜6C前半
F 西乗鞍古墳 前方後円墳 全長118m 6C前半
G 東乗鞍古墳 前方後円墳 全長72m 6C前半


   

@ 塚穴山古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内町
撮影日2009/11/5

天理高校のアーチェリー練習場の向こうに巨大な横穴発見。
石舞台古墳に負けないくらいの大きな石室がある。

西山古墳のすぐ北側にあり、石室を含む南側半分が天理高校の敷地、北半分は善福寺の敷地となる。


塚穴山古墳の周壕と周堤


墳丘の北側は墓地となり削られている。
天井石はなくなっているが、巨大な石室にびっくり!


長い羨道の向こうに大きな石室

石室全長は17m




玄室の巨石
玄室の長さは7m
写真では大きさがわからないのが
非常に残念!


石室の側壁としては一番大きな石
幅6m

案内板には、見学のときは天理高校の許可を取ってほしいと書かれている。
塚穴山古墳は 直径65mの円墳
周濠あり(周濠の外の周堤帯を含めると、直径112m)
上半分が失われている横穴式石室は、
 全長17.12m、玄室長さ7m。巨石で造られた石室
出土した須恵器から、6世紀末〜7世紀前半の築造と推定されている。
明日香村の石舞台古墳(全長19.1m、玄室の長さ7.5m)に匹敵する大きさだ。

A 西山古墳 
(杣之内古墳群)
国史跡
天理市杣之内
撮影日2009/11/5

天理高校の隣にある。

西山古墳
左 前方部
右 後方部
前方部側に周壕のなごりが残る。

西山古墳
全長183m・高さ16mの前方後方墳
前方部幅72m・後方部幅94m 全国で一番大きな前方後方墳
後方部を東に向ける
葺石あり 埴輪あり
3段築成 1段目のみ前方後方形 2段目から上が前方後円形
周壕がめぐる(古池がなごり)
竪穴式石室があったと考えられていて、鏡・鉄剣・勾玉・管玉の出土が伝えられている。
周壕の外提に埴輪棺墓・石棺墓・小石室などの付属の埋葬施設が造られている。
鏡破片・碧玉製石鏃破片・碧玉製車輪石破片・
 鉄製刀剣類破片・管玉・埴輪(円筒・鰭付円筒・朝顔形・家形) などが出土している。
古墳時代前期(4世紀後半)の築造と推定されている。
古墳時代後期には北側の外提を壊して塚穴山古墳の外提が造られた。
丘陵上に築かれた古墳で第二次大戦中はアメリカ軍の空襲に備えて対空射撃陣地が置かれた。
このとき掘り出されたとみられる竪穴式石室の石材が墳丘上に散乱している。
石材は大阪府柏原市芝山産のもの。

B 峯塚古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内
撮影日2011/11/21

峯塚は、天理大学グランドの東方の図書館の東にある。
保昌塚古墳そばに説明板がある。


峯塚古墳墳丘

南に石室が開口している。

峯塚古墳 石室内部 
大きな石を大きさをそろえて
2段に積んでいる。

峯塚古墳 玄室から開口部を見る
峯塚古墳実測図  (説明板から)

峯塚古墳は 東方から延びる尾根の南裾にある
 径35.5m・高さ5mの円墳
 2段築成 葺石あり(一部残る) 
 周壕があった可能性もある。
 南に開口する両袖式の横穴式石室は全長11.11m
   玄室長さ4.46m・奥壁幅2.58m・高さ2.4m
  出土物は確認されていない。
  7世紀前半の築造と推定されている。

橿原市の小谷古墳や平群町の西宮古墳と同一設計というが、まわりの雰囲気が違うので全く違って見える。

C 保昌塚古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内
撮影日2009/11/5

峯塚古墳の説明板のところにある古墳。

保昌塚古墳
峯塚古墳の説明板そばにある。
現在は径約16.8mの円形

元は径25mはあったと推定されている。

E 小墓古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内
撮影日2009/11/6

東乗鞍古墳や西乗鞍古墳から続く尾根上の西のもっとも先端に造られている。

小墓古墳全景


小墓古墳
前方部を南西に向ける
全長80.5mの前方後円墳  後円部高さ7.8m・前方部高さ6.1m
もとは85m以上あったと考えられている。
3段築成  盾形の周壕(幅12m)の痕跡がある。
昭和62年(1987)平成元年(1989)の墳丘東側の発掘で
周壕からたくさんの埴輪や木製品が出土した。
埴輪は円筒・朝顔形・きぬがさ形・盾形・鞍形・人物・馬形・鹿形・水鳥形、鶏形・家形など
木製品はきぬがさ形・盾形・刀形・サシバ形・鉾形など
 これらの木製品は「木製埴輪」で埴輪と同じように古墳の上や周囲に並べられていた。
ほかに木製の槽・槌・火切臼・耳杯形容器や柱・杭などが見つかるが使い方はよくわかっていない。
6世紀前半の築造と推定されている。

F 西乗鞍古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内
撮影日2009/11/5


桜の名所として有名な公園となっている。

西乗鞍古墳全景
左 後円部



前方部から後円部を見る

墳形はかなり崩れているが、
東側墳裾で、周壕と周堤の跡を見つけて規模の大きさに感動!





西乗鞍古墳実測図

西乗鞍古墳
は、東方から延びる丘陵の先端に作られた
前方部を南に向けた
全長118mの前方後円墳

後円部径66m・高さ16m
横穴式石室と推定されている。
墳丘裾部の西側に東西20〜30m南北130mの平坦地がひろがることから、
墳丘の土台となる基壇上の施設の存在が考えられる。
昭和56(1981)の南側隣接地の発掘調査で
南・東側に外濠が確認され二重周壕の存在が確認されている。
濠の内部から多数の埴輪が出土、
平成11(1999)年の墳丘裾西側平坦面の発掘調査では、周壕と東側外提の遺存が確認された。
5世紀末〜6世紀初頭の築造と推定されている。

G 東乗鞍古墳
(杣之内古墳群)
天理市杣之内
撮影日2009/11/5
2011/11/21

西乗鞍の東、現在ホッケー場の横にあるが、雑木林となっていて形の確認もむずかしい。

東乗鞍古墳





東乗鞍古墳石室探索の出発地点
  夜都伎神社


ここから北に、東乗鞍古墳の石室へ・・・


東乗鞍古墳 前方部より後円部を見る
後円部のまん中は大きく陥没している。

東乗鞍古墳 石室入口
石室前には、石仏が安置されている。

東乗鞍古墳 玄室
細かなチリが舞い上がり、よく見えない。
奥壁は土砂で埋まっている。 

東乗鞍古墳 玄室から開口部を見る  
玄室内に2基の石棺がある。組合せ式石棺と刳抜式家形石棺。

東乗鞍古墳 玄室奥寄りの石棺
阿蘇ピンク石製刳貫式家型石棺

東乗鞍古墳
玄室前寄りの石棺は棺底部分だけ残る。

二上山凝灰岩製の組合式石棺
 東乗鞍古墳は  前方部を西に向ける
  全長約72mの前方後円墳 後円部径44m・高さ10m 前方部幅68m・高さ6.5m
  二段築成 葺石なし 埴輪はなし
  後円部南に開口する左片袖式横穴式石室は全長14.6m。
   羨道長7m・幅1.7m・高さ1.5m 玄室長7.6m・幅2.4m・高さ3.3m。
  馬具、甲冑の小札等が出土したという。
  6世紀前半の築造と推定されている。

   

星塚古墳 天理市二階堂上ノ庄町
撮影日2009/11/5

「星塚古墳」は大和神社の境内にもあるというが、
    西山古墳の西の荒蒔町付近にも「星塚古墳」がある。
宿への帰り道、見学に行く。
ヤフーの航空写真でみたところ、そのあたりには古墳らしいものは見当たらない。
日没後となってしまったが、暗い中に星塚古墳あるはずの辺りを探してみた。
やはり古墳は消滅していた。

「星塚古墳」の大きな説明板があった。
現在付近は墓地公園となり、星塚2号墳の中心あたりに「星塚古墳」と書かれた石碑が立つ。

星塚古墳の配置図
暗やみの中の説明板から

1号墳は1985年発見された。
星塚古墳
1952年石室が調査
1985年の周辺の水田の発掘で、もう一つ古い古墳が埋もれていることがわかった。
埋もれていた古墳を星塚1号墳、
1号墳の一部を壊して築造された古墳を2号墳とした。
近鉄天理線の踏切の南側には2号墳に隣接して3号墳があったことが確認された。

 星塚1号墳
  全長38mの前方後円墳 後円部は南北26m東西27m
  東に後円部、西に前方部がある。
  周壕の幅5〜8m・深さ0.8m
  前方部の一部が2号墳の外濠によって切られている。
  墳丘は鎌倉時代に削平
  周壕内から埴輪・須恵器・土師器が出土
  木製品では琴状木製品や笛状木製品が出土
  笛状木製品は周壕北側のくびれ部付近から出土したが、
  現存長28.7cm・太さ2.9cmの管状で小さな孔があいている。
  6世紀初頭の築造と推定されている。
 星塚2号墳
  南北27m東西30mが残り、西に土壇状のものが見られる。
  1985年の調査で馬蹄形の二重の濠が見つかったことから前方後円墳と考えられる。
  全長7mの横穴式石室は、
  玄室は長さ4.7m・幅2.3m 羨道の長さ2.3mが残る
  盗掘されていたが、凝灰岩製の組合式石棺の底石と蓋石の一部や
  装飾品、利器、馬具、容器など各種の副葬品が出土
  そのうち金製の垂下式耳飾やガラス製の装飾品と鉄製の柄頭が注目される。
  柄頭は金銀線の象嵌によって亀甲のつなぎ文を前面に配し、
  亀甲の中に向かい合う鳥が描かれている。
  6世紀前半の築造と推定されている。
 星塚3号墳
  2号墳の南側にあった。

近くには荒蒔古墳や岩室池古墳があるがいずれも消滅か?
暗くなってしまい、確認できなかった。

  星塚古墳付近の地図

 荒蒔古墳は全長30mの前方後円墳、墳丘はすでにない。
  1988年の発掘調査で周壕の痕跡が発見され、
    多量の円筒埴輪のほか馬、鳥、犬、猪、人物、盾、太刀などの埴輪が出土。
  5世紀末〜6世紀前半の築造と推定されている。
 岩室池古墳は全長50mの前方後円墳で墳丘はほとんど失われている。
  1980年の発掘で円筒埴輪のほかに盾、人物、馬などの埴輪が出土。
  5世紀末〜6世紀前半の築造と推定されている。

天理市・その2 おわり

天理市・3

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