天理市・3 萱生古墳群
(ノムギ古墳 ヒエ塚古墳 マバカ古墳 波多子塚古墳 西山塚古墳 栗塚古墳 下池山古墳 西殿塚古墳
東殿塚古墳 燈籠山古墳 中山大塚古墳 馬口山古墳 星塚古墳 フサギ塚古墳 平塚古墳 矢矧塚古墳
弁天塚古墳 空路宮山古墳 小岳寺塚古墳 マトバ古墳 火矢塚古墳)
大和(萱生)古墳群 (オオヤマトコフングン) |
天理市 撮影日2009/11/5 |
ヒエ塚・ノムギ古墳・マバカ古墳のそばに新しい道路が通ることとなり、発掘調査。
ヒエ塚古墳そばに「大和古墳群」の大きな説明板が設置された。
大和古墳群は奈良盆地の東南部、
天理市から桜井市にかけて広がる大型の前方後円墳を中心にした古墳群の総称。
天理市萱生町・成願寺町・中山町・岸田町・兵庫町・新泉町一帯に
広がる大和(萱生)古墳群
天理市柳本町付近一帯の柳本古墳群
桜井市箸中・太田・東田付近一帯の纒向(箸墓)古墳群
からなる。
大和(萱生)古墳群の中では全長230mの西殿塚古墳(衾田陵)が最大で周囲に
前方後円墳として、東殿塚古墳・中山大塚・馬口山(バグチヤマ)古墳など
前方後方墳として、波多子塚古墳・下池山
円墳として、クラ塚古墳・西ノ塚古墳
がある。
説明板や他の資料を基に、大和(萱生)古墳群の古墳の位置を調べてみた。
大和(萱生)古墳群の主な古墳の配置図 5基の前方後方墳がある。 黒塚古墳は柳本古墳群となる。 この辺りは、何気なく歩いていても古墳にぶつかると 思えるくらい古墳が密集している。 |
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1 ノムギ古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町
撮影日2009/11/5
「大和古墳群」の大きな説明板の横に、「ヒエ塚古墳とノムギ古墳」の大きな説明板が設置されている。
ヒエ塚古墳とノムギ古墳は大和古墳群の最北端にあり、東西に位置する。
現在は道路東にヒエ塚古墳、西にノムギ古墳がある。
2003年県道天理環状線建設に伴い調査。道路ができたが、古墳は道路下にしっかり保存されているそうだ。
ノムギ古墳
左後方部 右前方部
ノムギ古墳は、現状全長63mの前方後方墳 後方部40m・前方部20m
埋葬施設は未調査だが、明治年間に勾玉・管玉などが出土したという(山辺郡誌)。
周壕を発掘調査、
周壕の南東コーナーと墳丘の南東コーナーが確認され、前方後方墳であることが確定した。
周壕は築造されてから6世紀後半までに何度か改変されている。
周壕から大量の古式土師器や鰭付円筒埴輪、須恵器などが出土した。
ヒエ塚と同時期(3世紀後半〜4世紀)か、すこし後の築造と推定されている。
2 ヒエ塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町
撮影日2009/11/5
ノムギ古墳の東側にある。
ヒエ塚古墳
北から
中山大塚と形や大きさがほぼ同じというが
ヒエ塚古墳は小さく見える。
ヒエ塚古墳は
全長130mの前方後円墳 後円部径60m高さ10m 前方部幅55m高さ7m
2003年の調査では周壕が確認できなかった。
埋葬施設は未調査だが、
明治年間に勾玉・管玉・金環・土器などが出土したという(山辺郡誌)。
墳丘北側の周壕外提部の調査で、外提を分断する溝の中から大量の古式土師器が出土した。
古墳時代前期前半(3世紀後半〜4世紀)の築造と推定されている。
ヒエ塚とノムギ古墳の実測図
3 マパカ古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町マバカ
撮影日2009/11/5
この古墳の前にも大きな説明板が設置されている。
以前から古墳を分断する道がついていた。
2002年・2004年調査 埋葬部は未調査。
マバカ古墳
左後円部
くびれ部を道路が通る。
実測図
マバカ古墳は
現状全長74mの前方後円墳
後円部径43m・高さ7m
前方部幅26m・高さ2m
周壕の痕跡あり
明治年間に管玉・勾玉が出土したという。
前方部の西側で、溝状の区画や池状の落ち込みの遺構が検出された。
古墳北西部では、幅27mほどの川跡から大量の古式土師器や須恵器、円筒埴輪などが出土。
南側では古式土師器を含む溝や土杭などの遺構が検出された。
3世紀前半の築造か?
5 波多子塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町
撮影日2009/11/6
波多子塚古墳の後方部
小さな池の向こうに見える。
向こう側(西側)に長い前方部があるが、
果樹園となっている。
前方部は写真ではよくわからない
この形の説明板は
山の辺の道にあるようだ。
波多子塚古墳は 全長140mの前方後方墳
後方部東西50m復原長65m・南北45m・後方部高さ7m 前方部長さ90m幅14m
主軸は東西で、後方部は東側にある。
前方後方墳では全国2番目の大きさ。
幅7mの周濠跡がある。 その外側には堤がある。
葺石あり 埴輪あり
円筒埴輪、特殊器台型埴輪、朝顔形埴輪などが出土、
墳丘に埴輪が並んでいた。
墳丘北側の周濠の外堤上部から未盗掘の小石室が確認された。
竪穴式石室と考えられている。
4世紀前半の築造と推定されている。(説明板には3世紀後半の築造とある)
前方部の幅が極端に狭く細長い形とされてきたが、調査で一般的な前方後方墳と同じ形と分かってきた。
後の開墾で墳丘が削られたために、現状のようになったのではないかと考えられるようになった。
元の大きさは全長約140m・後方部幅約50m・長さ約45m?
6 西山塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町西山
撮影日2009/11/5
本当の衾田陵ではないかといわれている。
西山塚古墳 後円部
西山塚古墳は後円部を南に向けた
全長114mの前方後円墳
後円部径65m・高さ10m 前方部幅65m・高さ7m
前方部2段・後円部3段に築成
周囲には幅20mの馬蹄形の周壕がめぐる。
傾斜地に築造されているため周壕が4つの池に分かれて作られている。
埋葬施設は未調査だが、開墾の際に石棺が確認されているので、
家形石棺が使用されていると考えられている。
発掘した円筒埴輪から、6世紀前半の築造と推定されている。
7 栗塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町西山
撮影日2009/11/5
かなり目立つ。
栗塚古墳後円部
前方部は、天神山古墳の南半分とともに道路で消滅
栗塚古墳は 全長約120mの前方後円墳 後円部径70m・高さ8m、前方部幅45m
前方部は国道169号線に削り取られている。
後円部は柿畑
過去に土器・管玉が出土したらしい。
未調査
9 下池山古墳
大和(萱生)古墳群
県史跡天理市成願寺町
撮影日2009/11/5
2011/11/21
下池山古墳 北西から
撮影日2009/11/5
左後方部
下池山古墳東の周壕跡ため池の東南角あたりに「下池山古墳」の説明板が立っているのに気付く。
下池山古墳は 前方部を南に向ける 全長125mの前方後方墳 後方部幅57m・後方部高さ14m 前方部長さ60m・幅現状27m・高さ7m (前方部の南端が削られている) 前方部は先端の開かない細長い形 2段築成 葺石あり 埴輪なし 墳丘の西側や東側に池があるが周壕と確認されたわけではない。 1995年〜1996年に石室を調査。 後方部頂の中央に長さ6.8m・最大幅1.3m・最大高さ1.8mの竪穴式石室には、 コウヤマキ製の割竹形木棺が腐らずに残っていた。 盗掘されていたが石室内から、ガラス玉、勾玉、腕輪などの装飾品や鉄器片が出土。 この石室の北西側に内法50cm四方の小石室があり銅鏡が出土。 この銅鏡は内行花文鏡と呼ばれ、径37.5cmもある大型のもので、 縞織りの平絹やウサギの毛織物で包まれていた。 4世紀前半の築造と推定されている。 |
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下池山古墳 東南から 撮影日2011/11/21 右側 後方部 前回とは反対の方角から写真を撮る。 |
下池山古墳 実測図 (説明板から) 撮影日2009/11/5 |
10 西殿塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町西山
撮影日2009/11/5
撮影日2011/11/21
延喜式で山辺郡にあったとされる継体天皇の皇后・手白香(タシラカ)皇女衾田陵に治定されている。
西殿塚古墳遠景
撮影日2009/11/5
築造時期が手白香皇女の生没年と合わない?
衾田陵は、推定築造時期が6世紀と推定されている西山塚古墳ではないかといわれている。
南の前方部前面にある御拝所
「西殿塚古墳・東殿塚古墳」
という説明板がある。
撮影日2011/11/21
説明板から 西殿塚古墳・東殿塚古墳は大和古墳群の中で最も高い所に位置する前方後円墳で、 ともに前方部を南に向けている。 西殿塚古墳は 全長230mの前方後円墳 後円部径145m・前方部幅130m。 東側三段・西側4段築成 葺石あり 埴輪あり 周濠あり 後円部及び前方部の墳頂に方形壇が存在する。 墳丘部分は「手白香皇女衾田陵」として宮内庁が管理している。 1989年の調査で、墳丘から特殊器台形土器や特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪が採集され、 1993〜1995年の調査で 前方部裾やくびれ部からも 特殊円筒埴輪が出土。 西殿塚古墳の後に東殿塚古墳が築造されたものとみられる。 しかし、二つの古墳の時期に大きな隔たりがなく、 3世紀後半に連続的に築造されたものと考えられている。 |
11 東殿塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市萱生町西山
撮影日2009/11/5
西殿塚古墳の東、古墳群中の最高所に位置している。
東殿塚古墳後円部
西殿塚古墳前の説明板から 西殿塚古墳・東殿塚古墳は大和古墳群の中で最も高い所に位置する前方後円墳で、 ともに前方部を南に向けている。 東殿塚古墳は 全長139mの前方後円墳 後円部径65m・前方部幅49m。 前方部が著しく長い。 周囲には古墳の外周を区画する長方形の地割が残る。(周壕の痕跡) 後円部頂には多数の板石が散乱していることから、 埋葬施設は竪穴式石室であると推定されている。(未発掘) 1997年の調査で、墳丘裾と外堤の間の掘割内でみつかった祭祀施設では、 初期埴輪(円筒埴輪)やと二重口縁壺や甕、高杯などの布留式土器や 近江系や山陰系などの外来土器との共存が確認された。 西殿塚古墳の後に東殿塚古墳が築造されたものとみられる。 しかし、二つの古墳の時期に大きな隔たりがなく、 3世紀後半に連続的に築造されたものと考えられている。 |
行燈山古墳(伝崇神陵)と同時期と考えられている。
12 燈籠山古墳
大和(萱生)古墳群天理市中山町燈籠山
撮影日2009/11/6
墳丘の前方部が念仏寺の墓地となり、後円部は果樹園となる。
東の山側に後円部があり、主軸は東西となる。
燈籠山古墳
前方部から見た後円部
燈籠山古墳と火矢塚の実測図
(燈籠山古墳の説明板から)
説明板から 燈籠山古墳は前方部を西に向けている 現状全長110mの前方後円墳、 後円部径55m・高さ6.4m 前方部幅41m・高さ6.3m 3段築成 葺石あり 未調査なので埋葬施設は不明だが、 後円部で竪穴式石室の部材とみられる板石が多く採取されている。 墳丘各所で円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片が採集されていることから、 埴輪列が墳丘を囲んでいたと考えられている。 その他、埴輪枕、埴質棺、石釧・勾玉・管玉などの装身具が出土している。 埴製枕は長辺36.8cm・短辺29.4cm・厚さ8cmで全面に朱が塗られていて線刻がある。 4世紀前葉の築造と推定されている。 |
13 中山大塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市中山町
撮影日2009/11/5
撮影日2011/11/21
1985〜1994年まで学術調査が行われた。
ヒエ塚古墳と形・大きさがほぼ同じだというが、中山大塚のほうが大きく見えるのは山にあるからか?
中山大塚古墳
前方部の大和神社のお旅所
撮影日2009/11/5
現在は
墳裾は子どもたちの遊び場となっている。
前方部には大和神社のお旅所が置かれたため削平を受けている。
中世に城郭としても利用されたため墳丘は大きく改変されている。
中山大塚古墳のくびれ部
撮影日2009/11/5
奥が後円部となる。
空から見た中山大塚古墳
撮影日2009/11/5
説明板から
前方部東側の角あたりに、後円部に上る道がある。
中山大塚後円部頂
墳頂には墓壙と石室部分がわかるように植栽がある。
撮影日2011/11/21
中山大塚古墳は 標高90mの尾根上に前方部を南西に向けている
全長130mの前方後円墳
後円部径67m・高さ11.3m 前方部幅56m・高さ10.5m
後円部2段、前方部1段に築成
西側くびれ部に三角形の張り出し部と後円部北側に張り出し部がある。
各斜面と前方部上面に葺石あり
葺石の最下段は垂直に近く石垣のように築かれていた。
埋葬施設は後円部中央の竪穴式石室で長さ7.5m・高さ2m
石室の石材は大阪府羽曳野市と太子町の間の春日山産の安山岩が使用されている。
すでに盗掘を受けていたが、銅鏡片2・鉄器36などが出土
墳頂部から
土器や特殊壺形埴輪、二重口縁壺系の埴輪、特殊円筒埴輪、
特殊器台形土器、特殊壺形土器などが出土。
古墳群の中で初期に築かれた古墳の一つと考えられている。
3世紀?の築造と推定されている。
14 馬口山古墳
バクチヤマ
大和(萱生)古墳群天理市兵庫町
撮影日2011/11/21
星塚古墳のすぐ東にある。簡単な説明板がある。
馬口山古墳 周濠の名残と思われる池が南と東南部にある。 |
馬口山古墳 前方部から後円部 くびれ部がわかる。 |
馬口山古墳は 前方部を南に向ける 全長110mの前方後円墳 後方部径56m・高さ約11m 前方部幅4m・高さ6m 葺石あり、埴輪あり 後円部で板石が採集できる事から竪穴式石室ではないかと考えられている 宮山型の特殊器台が出土 3世紀後半の築造と推定されている。 |
15 星塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市新泉町
撮影日2011/11/21
大和神社境内にある古墳だが、測量調査しかなされておらず、詳細は不明。
星塚古墳 後方部墳丘 現在は雑木林となる |
星塚古墳 後方部頂 |
星塚古墳後方部から前方部を見る |
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星塚古墳は 前方部を南面に向ける 全長60mの前方後方墳 後方辺約30m・高さ約7m、頂辺10m 前方部幅約20m・長30m・高さ約2.6m くびれ幅15m・後前高差-2.9m) 二つの方墳が連結しているのかもしれない。 |
馬口山古墳からみる星塚古墳
右側 後方部
大和神社
「オオヤマトジンジャ」と読む
日本最古の神社という説明がある。
16 フサギ塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市成願寺町
撮影日2011/11/21
小学校近くに墳丘。 くびれ部から前方部にかけて大きく破壊されている。
フサギ塚古墳
フサギ塚古墳は 前方部を西に向ける 全長約110mの前方後方墳 後方部の一辺60×65m・高さ9m、前方部高3m 周濠があった可能性がある。 刀剣類が出土したという伝承があるが、所在は不明。 4世紀中頃の築造か? |
17 平塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市成願寺町
撮影日2011/11/21
果樹園となっている。
平塚古墳の低い墳丘
この辺りは、少しの高まりがあるだけで古墳である。
平塚古墳は 径54mの円墳 現状の高さは約1.5m 纏向3型土器 が出土しているので、 3世紀後半の築造か? |
18 矢矧塚古墳
ヤハギヅカ
大和(萱生)古墳群天理市成願寺町
撮影日2011/11/21
墳丘全体が大規模に削平され一面が果樹園となる。説明板がある。
矢矧塚古墳 墳丘は柿畑となっている。 |
矢矧塚古墳 くびれ部がくっきり |
矢矧塚古墳は 前方部を西南西に向ける 全長102mの前方後円墳 後円部径46m・前方部幅40m 周壕なし。 明治初期に玉類が出土した。 後円部の端を上ッ道で削られているほか、後世の開墾でかなり形が変わっている。 発掘調査はされていない。 |
19 弁天塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市岸田町
撮影日2011/11/21
ため池の西に後円部がくっついた状態で墳丘がある。このため池は周壕の痕を利用したものなのか?
弁天塚古墳全景 左側 後円部 右側 前方部 前方部は、ほとんど削平されわずかな高まりが残るだけ。 左側にはため池がある。 |
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弁天塚古墳後円部にある小さな石祠 これが弁天様か? |
弁天塚古墳は 前方部を西に向ける 全長70mの前方後円墳 後円部径40m・前方部幅30m |
20 空路宮山古墳
大和(萱生)古墳群天理市中山町・萱生町
撮影日2011/11/21
空路宮山古墳
火矢塚古墳から見る
右にわずかに見える林は西殿塚古墳後円部端
空路宮山古墳は 復元全長100mの前方後円墳 前方部を西に向ける。 現状は円墳状、(現状45m) 横穴式石室が以前はあったという。 |
そばまでは行っていないが、位置から考えると空路宮山古墳と思われる。
21 小岳寺塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市中山町
撮影日2011/11/21
中山大塚から南へ下りる途中にある。墳丘は果樹園になっている。
発掘調査はされていない。
小岳寺塚古墳
前方部を西南に向ける
小岳寺塚古墳は 全長45mの前方後円墳 後円部径25m・,現状高さ5.4m 前方部幅20m・現状高さ約5.4m |
22 マトバ古墳
大和(萱生)古墳群天理市岸田町
撮影日2011/11/21
矢矧塚古墳と弁天塚古墳の中間あたりにある。
マトバ古墳
低くなってしまった墳丘
径50mの円墳。
23 火矢塚古墳
大和(萱生)古墳群天理市中山町・萱生町
撮影日2011/11/21
西殿塚古墳の前方部の西側に、小さな(といっても普通に考えたら大きい)前方後円墳・火矢塚古墳がある。
火矢塚古墳
果樹園となっている。
低い墳丘で知らないと気付かないかもしれない。
火矢塚古墳は 全長49mの前方後円墳 後円部径30m 前方部幅26m 葺石あり 周濠の痕跡あり |