奈良市・3  古市方形墳 護国神社前池中古墳 古市方形墳 護国神社前池中古墳 崇道天皇八嶋陵
    帯解狐塚古墳 五ツ塚古墳 大川池塚古墳 ベンショ塚古墳 シズカ塚古墳 帯解黄金塚古墳
    弁天塚古墳 栗塚古墳 割塚古墳

地図g 

古市方形墳 奈良市古市町車塚
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・69

春日苑という住宅地の中にある。ヤフーの航空写真で見ると方墳とわかる。

古市方形墳

古市方形墳は 一辺24m・高さ3mの方墳
 埋葬施設は、粘土槨が東・西に2基あり、鏡・玉が出土。
 4世紀末〜5世紀初の築造と推定されている。
  昭和38年発掘調査。
古市地区は古い時期の小型の独立墳が集まるという特色を示しているという。

護国神社前池中古墳 奈良市古市町
撮影日2011/11/20
奈良県遺跡地図・68

護国神社の西側にある新池と呼ばれる池の中にある。池の中の小島としか思えない。

護国神社前池中古墳 東から

護国神社造営の時に、この古墳周辺の土砂が使われた。
土砂の中に多数の円筒埴輪片が混入していたという。

円墳のようだが前方後円墳の可能性もあるとか・・・
池はもともと周壕の一部だった・・・?

崇道天皇八嶋陵 奈良市八島町
撮影日2011/11/20

古市方形墳から南に1.5kmほどのところにある。

崇道天皇八嶋陵
  8世紀の円墳

江戸末期文久年間に崇道天皇八嶋陵と治定
京都から淡路島に流された早良親王は、その死の間際に石を9個投げ 
  石が落ちたところに、葬って欲しいと願われ、その石のうち、8個落ちたところが、
   八島町だったと伝えられている。
桓武天皇の同母弟早良親王は、無実の罪で淡路島に配流される途中、
  絶食して憤死したといわれている。
早良親王の祟りを恐れて、延暦19年(800年)、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。

八嶋陵前古墳     奈良県遺跡地図・25

崇道天皇八嶋陵前の道路の真ん中に保存されている。
古墳の石室の一部といわれる巨石

本当に道路のまん中にある。交通の邪魔になるが、
移動させると祟りがあるという。

帯解狐塚古墳 奈良市山町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・24

崇道天皇八嶋陵から南に300m、田んぼの中に丸い墳丘。
雨が降っているのと雑草で石室が見えなくなっている。 


帯解狐塚古墳

帯解狐塚古墳石室内部
  入口・奥壁ともに開口している。
  (よくわからないなあ)
 帯解狐塚古墳は 径20mほどの円墳と考えられている。
 石室が南に開口している。
 両袖式横穴式石室は復元推定で全長7.5m
  玄室長4.1m・幅1.8m・高さ2.4m  羨道長3.5m・幅1.5・高さ1.5m)
 須恵器・土師器・馬具・鉄鏃などが出土している。
 6世紀末の築造と推定されている。      (1959年調査)

   

五ツ塚古墳 奈良市山町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・32〜36

帯解狐塚から東南東に800mの山沿いにある。


五ツ塚古墳 南から
左から1・2・3・4・5号墳


五ツ塚古墳実測図
 (説明板から)
左から1・2・3・4・5号墳
上の写真と合わせるため、 説明板の上下を入れ替えて表示した。
 五ツ塚古墳は 古くから知られていた5基からなる古墳群で
 山裾の後背部を堀削して盛土してつくられた。
 1号墳は 径18mの円墳
 2号墳は 一辺14〜16mの方墳
 3号墳は 径18mの円墳
 4号墳は 一辺14〜17mの方墳
 5号墳は 径18mの円墳
 1・3・5号墳が6世紀後半
 2・4号墳が7世紀の築造と推定
されている。
 埋葬施設はいずれも横穴式石室で2,3,4号墳は開口していたが今は全て封鎖されている。

五ツ塚古墳4号墳

石室石材が見えている。
5基ともに石材が見えるというが、
2・4号墳の石材しか発見できなかった。

   

大川池塚古墳 奈良市山町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・30

円照寺の南にある竜王池の中の小島が古墳?

大川池塚古墳

赤い鳥居が絵になる景色だ。
古墳といわれているが、
  詳しい事は何も分かっていないようだ。
径4mの円墳とのこと
   

ベンショ塚古墳 奈良市山町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・23

赤い鳥居が目印。


ベンショ塚古墳 北から

左側が後円部
右側の前方部は削られて
   低くなってしまっている。
 ベンショ塚古墳全長70mの前方後円墳
  後円部径38m・高さ5m 前方部幅42m・高さ3m
 前方部を西に向ける。盾形の周濠。葺石なし、埴輪あり
 後円部に3基の埋葬施設があり、中央の第1主体部は詳細不明だが、
  第2(南側)主体部と第3(東側)主体部は粘土槨。
 革盾、短甲、眉庇付冑や馬具などが出土。
 5世紀前半の築造と推定されている。(1990年調査)

ベンショ塚古墳 後円部

墳頂にはお社がある。

   

シズカ塚古墳 奈良市山町
撮影日2011/11/20
奈良県遺跡地図・26



シズカ塚古墳

東西約17m×南北16m、高さ2mの方墳
ということ以外にはなにも分かっていないようだ。

通りがかりの若い女性に聞いたら、これは古墳ではないそうだ・・・・。

帯解黄金塚古墳 奈良市田中町
撮影日2013/4/23
奈良県遺跡地図・76

車がやっと通れるような狭い道を入ったところにある。
この道を広げたいということで、墳裾の調査をしたが、
 その結果、遺跡を壊すことになるので、道は広げられないことになってしまった。
2009年2月の現地説明会の資料が、インターネットで公開されている。

1890 年(明治23 年)に石室の一部が開墾によって破壊され、
 同年に宮内庁によって墳丘部が御陵墓伝説地(のちに陵墓参考地)に治定されて現在にいたる。



帯解黄金塚古墳と発掘区
(2009年2月の現説資料から)


C発掘区で、
須恵器杯蓋、土師器甕の破片
が出土、
7世紀中頃の築造と判明した。
飛鳥時代である。

 帯解黄金塚古墳
  一辺30mの方墳(2009年以前は一辺26mの方墳と考えられていた)
  2段築成。
  墳丘の東西と北側には2段の石敷きの空濠と外堤があり、南側には幅約6mの石敷があるので、
  墓域は、東西約120m、南北70mとなる。
  石敷きは飛鳥の寺院跡や宮殿遺跡にも似た特徴的な構造となっている。

  南に開口する磚積式横穴式石室は全長12.5mで、漆喰が塗られている。 
   玄室は長さ2.95m・幅3.3m・高さ2.6m 
   羨道は長さ9.54mを約3mおきに柱状の括れ部で3室に分けたような形になっている。
  2009年の調査で須恵器や土師器が出土している。
  7世紀中頃(飛鳥時代・古墳時代終末期)の築造と推定されている。
     (2009年の調査で出土した須恵器や土師器より明らかとなる)
  2004年、2008年〜陵墓指定外を断続的に調査中。


帯解黄金塚古墳正面

石室は閉じられているが
写真があり、石室の規模などは判明している。

西から見た帯解黄金塚古墳

東から見た帯解黄金塚古墳
駐車スペースがある。

三度目の訪問でようやく見つけた古墳だ。

弁天塚古墳 奈良市高樋町
撮影日2011/11/20
奈良県遺跡地図・139

「粟 清澄の里」という和食のお店の敷地内にあるというので、レストランを探したが、雰囲気が全然違っていた。


弁天塚古墳
駐車場に車を止めると山側に石室が見えた!

弁天塚古墳
横穴式石室が南に開口している。

弁天塚古墳 玄室内部

弁天塚古墳 玄室から開口部を見る
 弁天塚古墳は 径17mの円墳
 横穴式石室が南に開口している。
 両袖式横穴式石室は 全長約8m
  玄室長4.1m・幅2.2m・高さ2.1m、羨道長3.9m・幅約1.5m・高さ1m
 6世紀後半の築造と推定されている。

    

栗塚古墳 奈良市高樋町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・87

弁天塚古墳から西に400mくらいのところにある。


栗塚古墳 後円部
段々に削られている。
前方部はほとんどなくなっている。
復元全長100mの前方後円墳
 後円部径60m・高さ8m、前方幅50m・高さ3m
 前方部を南東に向ける。

西からみる
左奥 栗塚古墳
右   割塚古墳


並んで二つの古墳がある。
      

割塚古墳 奈良市高樋町
撮影日2011/11/20

奈良県遺跡地図・86

栗塚古墳の西隣にある。

割塚古墳

径約30m・高さ3mの円墳
周辺の地図

奈良市・その3 おわり

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