北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2019/3/1

兵庫県北部その3
豊岡市
2018/12/1〜3

12月2日、二日目です。7時半過ぎに、豊岡駅前のホテル出発。
豊岡市の古墳。
円山川は朝霧がすごい!

周辺の地図g

二見谷古墳群
県指定史跡
豊岡市城崎町上山
(撮影日2018/12/1)

JR玄武洞駅の西側の山側道路沿いに1・2・3号墳、谷をはさんで西の山に4号墳がある。
4基とも横穴式石室がある。

 二見谷1号墳  ( 兵庫県遺跡地図p10・580007 )
 養父市HPの「但馬の横穴式石室ランキング」では、第8位の規模の横穴式石室がある。
 径20m程の円墳
 全長約8.5mの横穴式石室内に刳抜き式の家形石棺が置かれている。
 横穴式石室は 全長8.45mの両袖式
 玄室長5.3m・幅2.05m・高さ2.97m  羨道長3.1m・幅1.35m・高さ1.35mの両袖式
 石棺は、凝灰岩製くり抜き式家形石棺で
 長さ2.2m、幅0.8m、高さ0.58m
 羨道部には閉塞石が残り、追葬の痕跡も認められている。
 石棺はすでに蓋が開けられた状態で発見されて、棺内には副葬品は見られなかったが、
  石棺の周囲から、太刀や馬具、装身具、土器などが出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。

道路から見た1号墳

横穴式石室

墳丘上 向こう側に石室開口部がある。

入口から石室内部を見る

石棺手前から奥壁を見る

奥壁手前から外を見る

石棺を入口側から見る

石棺を奥壁側から見る

  

 二見谷2号墳    ( 兵庫県遺跡地図p10・580008 )
   (兵庫県遺跡地図p10・580007)後世の開墾のため墳丘が削平され、規模は不明。
 横穴式石室も崩壊している
 水晶の切子玉と鉄鏃片が出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。

石室の辺りだけ保存されている。

横穴式石室が露出している。

      

  二見谷3号墳   ( 兵庫県遺跡地図p10・580009 )
 未調査
 現状では、墳丘の盛り上がりが確認できる。
 墳上に20cm前後の角礫が積まれ一見積石塚状だが、
  開墾時の石を集めたものもかなり含まれているようだ。
 わずかに横穴式石室の天井石と思われるものが認められる。
 現在、天井石保護のために盛り土を施している。

墳丘  保護のため盛土された墳丘

礫がいっぱい

石室入口?

石室内部!

1・2・3号墳のあるところから南へ、一旦谷を下りて道路の反対側(西側)の斜面を上ったところにある。

4号墳上り口


 二見谷4号墳    ( 兵庫県遺跡地図p10・580038 )
 養父市HPの「但馬の横穴式石室ランキング」では、第18位の規模の横穴式石室がある。
 径18mの円墳
 墳丘は失われ、横穴式石室が開口しています。
 横穴式石室は全長9.7mの両袖式
  玄室長4.2m、幅1.76m、高さ1.9m、羨道長2.4m、幅1.04m、高さ1.6m
 凝灰岩製の組合せ式家形石棺が置かれている。
 現在置かれているのは一部復元したもので、元の石材は奥に置かれている。

左が石室 右側は墳丘ではない…

横穴式石室露出

石室内部
石棺は一部復元 身が復元か

石棺手前から奥壁を見る

奥壁手前に、本来の石棺石材が置かれている。

奥壁側から外を見る

   

ケゴヤ古墳
県指定史跡
豊岡市城崎町上山
(撮影日2018/12/1)

二見谷古墳群から町道を北へ800m、円山川西岸に張り出した尾根の先端部、標高18mの位置にある。
養父市HPによると、但馬の横穴式石室ランキングでは、第7位の規模の横穴式石室がある。
  ( 兵庫県遺跡地図p10・580020-580023 ケゴヤ古墳群1号墳から4号墳 )


町道沿いにある標識。ここから山に上がる。

山道

   

 ケゴヤ古墳(ケゴヤ1号墳)は 径15〜16mの円墳 高さ3m
 墳丘山側に馬蹄形の溝が確認されている。
 墳丘はかなり流失している。
 横穴式石室は玄部岩の自然石を使用した大型の玄室がほぼ完存、
  全長8.22m、玄室長6.35m、幅2.4m、高さ2.3m、羨道長1.87m、幅1.6m、高さ1.32mの両袖式。
  玄門は天井が一段低くなっていて、閉塞石も良く残る。
  羨道は短いが、石室前が崖で崩れているので、もう少し長かったかもしれない。
 須恵器、土師器、鉄鏃、銀貼りの耳環、ガラス小玉、碧玉製管玉などのほか、
  米粒状の土製品が数多く出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。追葬が行われている。

墳丘

羨道部が短いのは、
  墳丘が流失しているからか?

横穴式石室開口部

入口には土嚢が積まれている。
羨道部は短くてすぐ玄室

玄室内部

玄室から外を見る

    

玄武洞
山陰海岸ジオパーク
豊岡市城崎町上山
(撮影日2018/12/1)

玄武洞と青龍洞は節理の美しさや学術的な重要さから、1931年(昭和6年)に国の天然記念物に制定された。
山陰海岸国立公園であり、日本の地質100選にも選ばれている。
玄武洞は文化4年(1807)儒学者柴野栗山が、
 この岩山が作り出す節理の形や断面の模様などから中国の妖獣「玄武」を連想し、「玄武洞」と命名した。
明治17年(1884)、小藤文次郎博士は、玄武洞にちなんで、同様の岩石の名称を玄武岩と名付けた。

玄武洞 配置図

玄武洞以外の青龍洞・白虎洞、朱雀洞などの名称は、
大正時代以降に観光用に名付けられたもの。


玄武洞

かつての砕石場で、
家の石垣や庭石、
漬物石などに使用されていた。

玄武洞その1

玄武洞その2

白虎洞
水平方向に伸びた柱状節理の断面を
間近に見ることができる

南朱雀洞

北朱雀洞

青龍洞

観光客がかなり集まってきている。円山川の霧もようやく晴れてきた。

十二所神社古墳 豊岡市日高町松岡
(撮影日2018/12/1)

円山川の西岸にある十二所神社の境内の真ん中に、石室が露出している。
駐車スペースあり。

 十二所神社古墳は 詳細不明
 境内の真ん中に、横穴式石室が開口している
 見上げ石には、意味不明の線刻がある。

十二所神社 東から見る

木の根っこの下が、あやしい…

木の根の下に石室開口

奥壁側の天井石部分が開いている?

玄室と羨道の境の見上げ石
この向こうに羨道が埋まっているのか。
線刻があるそうだが、分からない

そばにある小祠の土台は天井石のひとつか?

西から境内を見る

低くなった墳丘が残っているようだ。

   

楯縫古墳
県指定史跡
豊岡市日高町鶴岡
(撮影日2018/12/2)

鶴岡地区の南東の谷間の狭い道をずっと進むと、楯縫古墳群の石柱がある。
そこから林の中に入ると、大きな石室が開口している。
説明板あります。
養父市HPの「但馬の横穴式石室ランキング」では、第2位の規模の横穴式石室がある。
  ( 兵庫県遺跡地図p16・611152 )

 楯縫古墳は  円山川右岸の中流域に造られた  直径29mの円墳
 西向きに開口する横穴式石室は全長13m以上、
  玄室長5.1m、幅2.6m、高さ3.4m、羨道長8m、幅1.5m、高さ1.7mの両袖式
  閉塞石が一部残っている。
  玄室の床面に河原石を敷いている。
 昭和49年度の調査で、
 石室内から
  太刀、刀子、鉄鏃、鐙、轡、土器片のほか、銀象嵌を施した刀の金具が出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 楯縫古墳のまわりには、いくつかの古墳があり楯縫古墳群を構成している。

楯縫古墳 墳丘

開口部から石室内部を見る

羨道から玄室を見る

玄室から外を見る

墳丘上  玄門の上は穴が開いている。

苔むした石室が素敵です!

出石茶臼山古墳
市指定史跡
豊岡市出石町下谷
(撮影日2018/12/2)

楯縫古墳から東に直線距離約8km。この古墳を見るために、出石町まで行ってきた。
立派な円墳なのに、説明板が無い…。

 出石茶臼山古墳は 直径49mの円墳
 未調査のため、埋葬施設等は不明。
 5世紀ごろの築造と推定されている。
 詳細不明
  ( 兵庫県遺跡地図p17・620302 )

出石茶臼山古墳全景

周濠跡はぬかるんでいる。

 墳裾から見上げる。 段築があるようだ。

葺石か?

出石町は、蕎麦が有名で、蕎麦屋がたくさんあるが、どんな蕎麦かわからなくて入れず…
お昼になったのに…。 日高地区に戻る。

但馬国分寺跡
国史跡
豊岡市日高町国分寺
(撮影日2018/12/2)

国史跡だが、現在は、空き地。

 国分寺とは、
  奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇が国家の安泰などを願って諸国に建てさせたもの
 文化11年(1814)に但馬を測量図に訪れた伊能忠敬は、
  「国分寺旧跡田地中に柱の敷石三ツあり」と記録していて、
  江戸時代にはすでに国分寺跡として知られていたことが分かる。
 昭和48年(1973)に始まった発掘調査では、
  金堂・中門・回廊などの主要伽藍や、寺域東南隅を区画する築地塀、井戸などが見つかっていて、
  寺域は一辺160mほどであったと考えられている。
 遺物では、大量の瓦や土器のほか、全国の国分寺ては初めてとなった木簡が出土
  木簡には、「天平神護三年(767)」「神護景雲二年(768)」などの年号や
  「院内」「西倉」「醤殿」「鋳所」といった施設名が記されていて、
  国分寺の造営過程や寺院経営を考える上で貴重な資料となっている。
 但馬国分寺跡から出土した資料は、但馬国府・国分寺館で展示・保管されている。
   (説明板から)

但馬国分寺跡の伽藍配置

  (説明板から)

説明板の後ろには、塔跡礎石がある。

「塔跡礎石」「塔跡心礎」「金堂跡」
「回廊跡」「講堂跡」などの
案内表示はあるが、
基本的には、空き地だ。

講堂跡

回廊跡



但馬国分寺跡周辺の遺跡と見どころ
  (説明板から)





豊岡市立歴史博物館−但馬国府・国分寺館−

入館していないが…

但馬国分寺跡から出土した資料が
展示されている。


近くのLAWSON豊岡高祢布(ニュウ)店にて、ようやく昼食調達!
養父市に再三戻る。

舞狂若宮1号墳へつづく

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