北村さんちの遺跡めぐり
更新日2006/12/22

関西への旅・その2 2006/10/22
大阪で就職している長男の、引越しの手伝いに行ってきた。
結婚30周年記念として、ついでに大阪北部の古墳と滋賀県湖西の古墳を見てこようと決めた。
関西への旅・その2です。
引越しの手伝いも終わり、第2日目、豊中市の大石塚・小石塚古墳を見た後、豊中の北の池田市に向かう。

豊中市・池田市の地図g



まず、日本では珍しい双円墳だといわれている二子塚古墳に行く。
住宅に囲まれて残っていて、道も狭く、駐車するところがない。
大通りのコンビニに駐車させてもらって、二子塚古墳に行く。
 二子塚古墳

大阪府池田市井口堂1-5
 (撮影日2006/10/22)

全長70m・高さ10mの双円墳といわれている。


古墳の周りは金網で囲まれており入り口にも鍵が・・・・
と思ったら、開きました。
稲荷の祠があるので、お参りしている女性も見かけた。


階段を登ると、立派な石室が露出している。

円墳を二つくっつけたような形の双円墳だという。
  (前方後円墳という説もある)

別名「稲荷山古墳」とも言われ、赤い鳥居が並ぶ。


破壊されている東側の石室




残っている西側の石室

玄室に入った私。
入り口は狭い。

玄室の長さ4m・高さ1.8m・幅1.5mの両袖式の横穴式石室。
6世紀代の築造。
羨道部は長さ1.5m・高さ0.7m・幅0.9mだが、天井石はない。

西側石室内部の様子

玄室部分がそのまま露出している。

奥壁は一部破壊されているので、
中は日が差し込み明るい。

石垣のように隙間なく積み上げられている石。
2つの横穴式石室を持ち、
 その間隔は17m、各石室を中心に約25mの半径で円を描くという。

住宅街の中に、取り残され現状のまま保存された古墳。
造られたときは、周辺はどんなふうだったのか?
当時に戻って見てみたい!

二子塚古墳の北西には鉢塚古墳という、大きな横穴式石室を持つ古墳があるという。

 鉢塚古墳

大阪府池田市鉢塚

鉢塚古墳は、一辺約40mの上円下方墳
古墳時代後期の築造。
開口している横穴式石室は、全長14m・玄室の長さ6.5m・高さ5mの大きなもの。
北側には幅約3mの周濠が残る。
石室の玄室内には、鎌倉時代の石造十三重塔がある。

鉢塚古墳のそばまで行くが、ここの道はますます狭く、路上駐車も難しく、見学をあきらめる。
しょうがないので、駐車場のありそうな池田市歴史資料館に行く。
資料館の裏山には五月丘古墳がある。

 五月丘古墳

大阪府池田市五月丘
 (撮影日2006/10/22)

資料館に併設された図書館の横からゆるやかな坂を登ったところに、五月丘古墳がある。

五月丘古墳

径8mくらいの円墳

覆い屋に石室が保存されている。
昭和36年に発見された

古墳時代末期の7世紀に築造。
被葬者は秦氏一族か?
長さ3.5m・幅0.7m・高さ0.7m(残存部分)の無袖型石室内に
須恵質の家形四柱式陶棺(長さ1.95m・幅0.46〜0.6m・深さ0.46m)の身が残っていた。
   家形四柱式陶棺・・・2列16本の足がつき、脚上部と身の四隅に槨1列の竹管文がほどこされているもの



石室のようす

陶棺が展示されている。 

石室内は盗掘されていた。

両側の壁石は奥壁とかみあう長さ56cmの側壁を残すだけで
  羨道部は欠失していた。

この陶棺と須恵器一つしか出土しなかった。
      五月丘古墳石室実測図(案内板から)

石室の様子だけが、展示されていて、どこからどこまでが古墳なのかはわからない。
径8mの円墳というわりには、立派すぎる石室だ。

五月丘古墳のすぐ北の茶臼山公園にある、茶臼山古墳に、徒歩で向かう。

 池田茶臼山古墳

大阪府池田市五月丘
 (撮影日2006/10/22)

池田茶臼山古墳は昭和32年に始まった五月丘区画整理事業で破壊の危機に直面したが、
有志が集まり、保存運動を展開し、保存されることになった。

池田茶臼山古墳
後円部への登り道



池田茶臼山古墳
後円部から前方部を見る



後円部裾から

五月山丘陵の鞍部に築造された全長62mの前方後円墳
後円部径33m・高さ6.64m、前方部幅18m・高さ3.45m

典型的な前期古墳としての形態を持つ。
墳丘には上下2列の葺石が取りまき、円筒埴輪が立てられている。
石英粗面岩の割石積みの竪穴式石室(長さ6.35m・幅1m・高さ1.0〜1.2m)がある。
石室は底部に粘土棺床をしつらえ壁面の板石の面にベンガラが塗布されていた。
盗掘にあっているが、脚付椀形土器・碧玉製石釧・碧玉製管玉・ガラス玉・鉄製品が出土。
後円部北東裾部とくびれ部頂に埴輪円筒棺が出土し、くびれ部の円筒棺から刀子が出土した。
4世紀後半の築造

茶臼山公園の横には、「塩塚公園」というのがある。これもかつては古墳だったのだろうか?

茶臼山古墳の北、児童センターの横の薄暗い道をのぼったところに娯三堂古墳がある。

 娯三堂古墳

大阪府池田市五月丘
 (撮影日2006/10/22)

円墳だというが、四角くみえる。


  娯三堂古墳 

  娯三堂古墳  

娯三堂古墳は、標高109.5mの尾根上に築造された、径27m・高さ5mの円墳
古墳時代前期(4世紀末)の円墳。
1897年に発掘された。

古墳の頂部に竪穴式石室と粘土槨が並べて設けられている。
葺石はないが、家形埴輪が出土している。
竪穴式石室から画文帯神獣鏡1・管玉3・土師器1・碧玉石釧1・碧玉管玉
  ・鉄刀・鉄剣・鉄斧・刀子・用途不明鉄器1・甕形土器が出土。

池田茶臼山に引き続き築造されたものと推定されている。
墳丘規模が縮小し外表施設が簡略化されていること、
 娯三堂古墳に後続する古墳が見られないことから、
古墳時代前期における地域の勢力が衰退したことを示していると考えられている。

午前10時30分。
池田市の古墳を見学してしまったので、滋賀県に行こうと地図を見ていたら、
  地図の中に大きな前方後円墳を発見!
太田茶臼山古墳と今城塚古墳だ。これは見ないで通りすぎるわけにはいかない。
まず、太田茶臼山古墳に行こう!

B 関西の旅・今城塚につづく

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