北村さんちの遺跡めぐり
更新日2002/8/3
丹後旅行記
2年前の5月にも丹後の巨大古墳(全長200m級)を見に行った。
今年はもう少し先の丹後久美浜を目指し、買ったばかりのデジカメを持って出発した。
2002年4月29日朝8時に石川県松任市を出発し、久美浜駅に着いたのが午後2時。
久美浜駅の観光案内所で今夜の宿を予約し、城崎へ
久美浜駅
山越えの道を西へ30分ほど行くと、城崎温泉である。
城崎温泉は、とっても情緒のある温泉場だが、駐車場がない。
ぐるっとひと回りして、湯舟坂2号墳の見学へ。
久美浜駅から南、川上谷川西岸の須田から西方へ、山すその道を行った突き当たりにある。
久美浜で一番有名な古墳だが、残念なことに天井石がもう無くなっている。
柄頭に二対の竜を配した金銅装環頭太刀が出土した。
|
湯舟坂の帰り道、偶然見つけた。出土品はなし。
石室が開口しているだけの古墳だが、完備していた当時の湯舟坂2号墳を想像することができた。
石室を覗き込む私 横穴式石室を持つ前方後円墳
6世紀中期の築造
全長 22m
後円径 16.4m
前方幅 10.8m
高さ 3.5m
石室内部
石室の規模(両袖式)
全長9.78m
幅(奥壁)1.96m
幅(袖部)2.36m
羨道幅1.44m
現在の高さ1.84m
平野古墳から東に300mの市場集落から500m南にある。
延喜式にのっている由緒ある神社。
敷地のすみに石仏が安置されている。
廃寺の石仏を安置している。
如意寺山門 |
|
平戸つつじがとってもきれいだった。
|
如意寺の見学が済んだのがそろそろ6時。今夜のお宿は小天橋(しょうてんきょう)の民宿「つるや」
「小天橋」も天橋立のような砂洲の地形。小さな「天橋立」という意味をこめて「小天橋」と名づけたらしい。
小天橋の西の入口の焼肉屋「大門」で夕食。
大門の女将さんはとっても上品な70歳くらいのおばあちゃん。
以前は「大門」の目の前に久美浜湾があったけど、埋め立てられて今はなくなったと話してくれた。
夕食後、「つるや」へ
新しくとってもきれいな民宿 |
丹後旅行記2日目へ4
2002年4月30日、丹後2日目です。
朝9時、民宿「つるや」を出発。
近くの蛭児(ひるこ)神社の、江戸時代(1795年)に奉納されたという千石船の模型をみて
小天橋の東の函石浜遺物包含地へ出発。
函石浜遺物包含地は縄文時代から室町時代の遺跡で、竪穴式住居が復元されているという。
そのあたりをぐるぐる廻ったけれどもわからない。
久美浜町湊宮箱石
久美浜湾の西岸から湾内に突き出た岬(大明神岬)に
11基の古墳があるらしい。
でも、古墳への道路がないので、舟で行くしかない。
小天橋から大明神岬を眺めて想像するだけ。
久美浜湾の西の海岸沿いの崖の上あたりにあるらしい。
そばまで行ってみたけどわからなかった。
こんな辺鄙なところにも人家があるのに感動。
美浜駅の北西300mほどのところにある。本殿は1781年の建築。
境内には旧久美浜県庁舎玄関棟が移築されている(朽ち果てそうな建物だった。)
デジカメのパワー切れのため、写真はない。
神社を分断して道路があるのがおもしろい。
もともとは巨石信仰の場所なのではないかと思われる。
これで久美浜町を去り、遺跡を見ながら、帰りの道をたどります。
網野駅から南西へ1kmほど行くと、道のそばに見える。
お寺の横の道を少し上がると前方部。
全長198mの日本海側最大の前方後円墳。あまりの大きさにただの山としか思えない。
後円部の頂上からの眺望は最高。1500年前の王と同じ景色を見た。
古墳時代前期末・5世紀初頭のもの。
前方部の前に寛平法皇塚古墳(径22mの円墳・国史跡)がある。
銚子山古墳から北東に向かうと湖がある。
浦島伝説の「水之江」である。
離島には離古墳(古墳時代後期の円墳)があり整備され、全体が公園になっている。
小雨が降っていてほとんど人がいなかった。
離湖の岸には岡1号墳(古墳時代後期の円墳)がある。
昼食は峰山町の大型ショッピングセンターMINEの王将のギョーザ
パワー切れのデジカメの電池をゲット
峰山駅の北西にある。
この神社の後ろの山に湧山古墳群があるらしいので、訪れてみたけれど、わからない・・
多久神社鳥居立派だったけれど古そう。 |
丹後大宮駅の南1kmほどの奥大野にある。
説明板は見つけたので、後ろの山に登ってみたけれど、古墳自体はわからない。石室が開口しているはずなのに・・・ 一体どこにあるのだ??? |
時間は午後2時半を過ぎた。必死に帰らないと今日中に家に着かんぞ!
午後4時に舞鶴海鮮市場。福井にいる娘に電話。午後7時に福井で待ち合わせ。
午後7時半娘と食事(アトムボーイ)
午後9時半 自宅到着
全走行距離735km ご苦労様でした