北村さんちの遺跡めぐり
八幡市 京都府南部の地図g
松花堂と東車塚古墳 ヒガシクルマヅカ (国史跡) |
京都府八幡市八幡 |
松花堂資料館や松花堂美術館があるが、月曜日は休館日で中には入れなかった。
松花堂は石清水八幡宮の僧・松花堂昭乗が江戸初期に建立したお堂で、
石清水八幡宮のそばにあったが、明治初期に、現在地に移された。
西側に「車塚古墳」と書かれた石碑があったので写真を撮る。
「車塚古墳」と書かれた石碑
東車塚は前方後円墳
後円部は現在、松花堂庭園の築山に利用されているという。
「松花堂庭園」の説明板はあったが、古墳のことは書かれていない。
食いしん坊は「松花堂弁当」のほうがいいかな?
東車塚古墳は 全長94m(?)の前方後円墳。
損傷が激しく詳細は不明。
円筒埴輪あり。葺石あり。
1897年ごろ 後円部の粘土槨を発掘。
鏡3・勾玉・鉄刀・鉄剣・素環頭太刀・鉄鏃・甲冑・鉄斧などが出土した。
5世紀後半の築造と推定されている。
八角院と西車塚古墳 ハッカクイン ニシクルマヅカ |
京都府八幡市八幡 |
松花堂の西に八角院がある。 古墳の墳丘に八角院が建つ。
東側から見る西車塚後円部
住宅の間から高い墳丘と
八角院の屋根の先端が見える。
階段を上り八角院に行く
八角院
鎌倉時代の健保年間(1213〜19)、石清水八幡宮そばに創建されたが、
明治の神仏分離令で、現在地の西車塚古墳の後円部頂に移された。
「隅切り八角形」という形
古代中世にさかのぼる石清水八幡宮固有の特殊な伝統を具現した唯一の建物。
西車塚全景
西のさくら公園付近から見る。
八角院があるところが後円部
その左が前方部
西車塚古墳は 全長115mの前方後円墳。
後円部径70m・高さ5.5m 前方部幅32m
盾形の周堀跡が残る
1902(明治35)年土取りで石室が露出し、調査。
長さ2.7m・幅0/6m・高さ0.9mの竪穴式石室内から
銅鏡、車輪石、石釧、鍬形石、石製合子、勾玉、管玉、ガラス玉、刀残片などが出土。
銅鏡には三角縁神獣鏡を含み9面の同笵鏡が確認されている。
竪穴式石室で、鏡5・車輪石10・石釧3・勾玉管玉などが出土。
5世紀前半の築造と推定されている。
西車塚・東車塚の北の石不動山の電波塔の下に、
石不動古墳(全長70mの前方後円墳・2基の粘土槨)があるというが、
電波塔を眺めて思い描くだけとする。
石不動古墳の南南西700mの丘陵には、
茶臼山古墳(全長50mの前方後方墳・舟形石棺の竪穴式石室)があったというが、
宅地開発で消滅したという。
東車塚の南東、国道1号線のあたりに、
ヒル塚(一辺45mの方墳・2基の粘土槨・5C前半)があったが、
今は上に建物が建つという。
さらに南東、南八幡高校の南に狐谷横穴群(府史跡)がある。
調査された後埋め戻されたという。
その南、宝珠院の奥の竹林の中に、
美濃山王塚古墳(径60mの円墳・埴輪あり・葺石あり・粘土槨)があるという。