北村さんちの遺跡めぐり
宇治市 京都府南部の地図g
二子塚古墳 |
京都府宇治市五ヶ庄 |
宇治歴史資料館の職員の方に「宇治で見られる古墳はありますか」と尋ねたときに、
「宇治市で見れる古墳はあまりない。二子塚古墳は前方部しか残っていないし・・・」
と言われたことが印象的だった。
全長110mの前方後円墳で、宇治市内最大の古墳だが、前方部と一部周濠しか残っていない。
前方部の西南の周濠だけは形良く残っていてその周りが公園となる。
二子塚古墳
前方部周濠側から
二子塚古墳を東側から見る
右側(北)後円部
二子塚古墳実測図(説明板から)
前方部南西側の周濠だけが目立つ。
全長110mの前方後円墳
後円部径60m、前方部幅85m
三段築成
葺石あり 埴輪あり
二重の馬蹄形の周濠があった。
大正時代初めごろ、調査もされないまま、後円部が破壊された。
この時、巨石数個が残され、横穴式石室があったのではないかと思われていた。
1987(昭和62)年の後円部の調査から、横穴式石室があったことが確認された。
副葬品として金環とホ具のみが出土。
埴輪は円筒埴輪・朝顔形埴輪・動物・盾などの形象埴輪が出土した。
6世紀初頭の築造と推定されている。
平等院鳳凰堂 | 京都府宇治市蓮華116 (撮影日2007/11/27) |
南門から入場
平等院山内寺院の浄土院羅漢堂
内部の鑑天井に描かれた龍の彩色画が素晴らしいが、
撮影禁止となっている。
平等院山内寺院の最勝院にある源頼政の供養塔
源頼政は平家との戦いに敗れこの地で自殺した。
観音堂と藤棚
観音堂は鎌倉時代の創建で国重文。
観音堂内に安置された木造十一面観音立像
木造十一面観音立像は平安時代の作で国重文。
平等院鳳凰堂
国宝
1053年完成。
中堂に木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
平等院鳳凰堂はやはり素晴らしい建物。圧巻!
紅葉も最高の季節。
鳳翔館と呼ばれる宝物館に展示されていた雲中供養菩薩像も素晴らしかった。
兎道西隼上り古墳群 2号墳・3号墳 移築石室 |
京都府宇治市折居台1 |
2号墳石室
兎道西隼上り古墳群京都府宇治市兎道
(撮影日2008/11/27)
宇治東インターのすぐそばに石室が保存されている。
宇治市兎道西隼上り古墳群の1基
隼上り2号墳全景
石室だけが保存されている。
1984(昭和59)年、京滋バイパス建設に伴い発掘調査され、この場所に移築復元した。
調査時、墳丘はすでになかったが、直径30mの円墳と推定されている。
隼上り2号墳石室全景
石室は片袖式の横穴式石室で全長9.15m、
玄室長さ3.65m・幅1.95m
羨道長さ5.5m・幅1.6m。
玄室床面には拳大の丸石を敷き、3石を並べて羨道と区別している。
石室内から須恵器や鉄鏃・鉄刀・馬具などの鉄製品が出土した。
6世紀後半の築造と推定されている。
3号墳・移築石室
兎道西隼上り古墳群京都府宇治市折居台1
撮影日2007/11/27)
宇治市隼上り古墳群3号墳の石室が、宇治市折居台1丁目の歴史資料館の庭に移築保存されている。
1983(昭和58)年、京滋バイパス建設時に新たに発見された古墳群。
発掘調査後、3号墳の横穴式石室が歴史資料館の庭に移築復元された。
6世紀終わりごろの築造と考えられている。
隼上り古墳群3号墳移築石室全景
隼上り古墳群3号墳移築石室
須恵器などが出土した。
宇治墓 (兎道雅郎子墓) ウジノワキイラツコノハカ |
京都府宇治市兎道 |
兎道雅郎子は応神天皇の皇子。
応神天皇から次期天皇に指名されたが、辞退し、兄の仁徳天皇が即位した。
宇治墓正面
1889(明治22)年宮内庁によって兎道雅郎子の墓と治定された。
前方後円形に整備されている。
兎道雅郎子墓近くの民家の庭先に「宇治墓陪豕」発見!
宇治墓陪豕
案内板には
「みだりに域内に立ち入らぬこと
魚鳥を取らぬこと
竹木を切らぬこと
宮内庁」
と書かれている。
兎道雅郎子墓の横では乙方遺跡発掘調査(宇治市槇島町)が大々的に行われている。
乙方遺跡全景
石垣みたいなものが見えるけれど、何の発掘だろうか?
宇治墓は大きな前方後円墳かなと思いながら、
たくさんの写真を撮り、宇治市で初めて出会った古墳だと感動した。
が・・・・・
折居台1丁目にある宇治市歴史資料館の職員の方から、
これは「遺跡」とは認められていないことをきいた。
「兎道雅郎子墓は遺跡ではない。
元あった小さな古墳らしきものを明治時代に整備して大古墳らしくしたものである。」