北村さんちの遺跡めぐり

向日市     京都府南部の地図g

 物集女車塚古墳
モヅメクルマヅカ
(向日丘陵古墳群)

京都府向日市物集女町
 (撮影日2008/11/25)

向日市で一番有名な古墳

物集女車塚全景
大通り側から

右 前方部
左 後円部
後円部左端に石室入口がある。

江戸時代淳和天皇の陵墓候補となるが、 その後淳和天皇の霊柩車を埋めた塚と言い伝えられるようになる。
1983年 保存・修景のための学術調査が行われた。


後円部より前方部を見る

 前方部より後円部を見る

造出し様の施設があるそうだが、見ただけでは確認できない。



後円部にある石室入口


階段を上ったところに石室への扉があるが、鍵がかかっている。
石室の下の石垣のところには排水溝がある。
石室は公開されることがある。
  oobutaさん情報・・・石室公開日は毎年5月末の週の月〜金曜日。
      事前に申し込み(電話するだけでok)
      向日市のHPにも近くなると掲載される。 

石室と排水溝の実測図
(排水溝部の説明板から)


石室内には入念に作られた排水溝がある。



排水溝の出口に大きな説明板がある。

物集女車塚実測図
(説明板から)


物集女車塚
長さ43〜48m・高さ7〜9mの前方後円墳
2段築成
下半分に葺石 
テラスには小型の円筒埴輪が並ぶ
北西側には溝がある。(周溝といえるほどではない)
南側のくびれ部に埴輪が並んでいたと推定される方形の造り出し様の施設がある。
埋葬施設は横穴式石室(全長11m・玄室長5.1m・幅2.8m・高さ3.1m)で
凝灰岩の板石の組み合わされた家形石棺(縄掛突起がある 内面にはベンガラが塗られている)が置かれ、3、4回の埋葬が認められる。
石棺内から、金銅製冠・銀製耳環・金銅製三輪玉・青銅製鈴・銀製空玉・ガラス製玉など
棺外から、鉄刀・環頭太刀・鉄鉾・鉄鏃・鉄製馬具など
が出土した。
玄室の前壁外側に、長持ち型石棺の一部(古墳時代中期のもの)が転用材として使われていたことも注目されている。
6世紀前半(古墳時代後期中葉)の築造と推定されている。

  淳和天皇火葬塚
ジュンナテンノウカソウヅカ

京都府向日市物集女町
 (撮影日2008/11/25)

物集女車塚の北西にある。住宅地の一角。
物集女車塚から直線距離ではすぐなのだが、道がいりくんでいて分かりにくい。

淳和天皇火葬塚

桓武天皇の第3皇子の淳和天皇は、承和7年(840年)に55歳で死去、
遺言により火葬して京都市大原野の西山に散骨。
ここは、天皇を火葬した場所とされる。


案内板がない。

  寺戸大塚古墳
テラドオオツカ
(向日丘陵古墳群)

京都府向日市寺戸町芝山
 (撮影日2008/11/25)

物集女車塚から西に、交差も出来ないような薄暗い竹林の中の道をすすみ、向日丘陵を越えると、
寺戸大塚の案内板がある。



寺戸大塚全景
左奥前方部
中央が後円部

全長98mの前方後円墳


寺戸大塚 前方部
現在前方部の大半が失われている。
近くには「竹林公園」というのもあるが、向日丘陵は竹だらけだ。

寺戸大塚 後円部頂の方形区画
礫が散乱
穴があいている!
中は空洞!


寺戸大塚古墳
全長98mの古墳時代前期の前方後円墳

後円部径57m・高さ9.8m、前方部幅45m
葺石あり、円筒埴輪あり

前方部は戦前調査 
前方部中央の長さ5.2m・高さ1.3m幅0.9〜1mの竪穴式石室に割竹形木棺があったと推定されている。
和製銅鏡・銅鏃・紡錘車・琴柱形石製品などが出土

後円部は1967・68(S42・43)年調査
三段築成
墳頂には一辺8mの埴輪をめぐらした方形区画がある。
その下に竪穴式石室があり、長さ6.5m・幅0.85〜0.76m。
石室内から中国製三角縁神獣鏡・合子・勾玉・石釧・管玉・鎌・鉄斧・鉄剣・鉄刀などが出土
三角縁神獣鏡は椿井大塚山と同氾関係にある。
現在前方部の大半が失われている。
4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定されている。

寺戸大塚古墳の南には全長100mの前方後円墳である妙見山古墳があったが、竹林として開発され消滅
(埴輪あり、後円部に竪穴式石室、前方部に粘土槨、三角縁神獣鏡も出土)
 妙見山古墳には二重構造の竪穴式石室があったそうだが、見たかった!

五塚原古墳
イツカハラコフン
(向日丘陵古墳群)

京都府向日市寺戸町
 (撮影日2008/11/25)

はりこ池西側の山の頂上にある。
地元の集会所の広場前に説明板。
集会所には人が集まっている。
広場奥から山に登る。といってもすぐ山頂。
散歩している男性と共に登る。

五塚原古墳
前方部から後円部



典型的な古墳時代前期の形をしている。

後円部から前方部を望む




後円部頂のへこみ
盗掘坑か?

五塚原古墳実測図(説明板から)

五塚原古墳
全長94mの前方後円墳(1977測量調査)
後円部径54m・高さ8.5m、
前方部幅36m・高さ4m、くびれ部の幅18m
葺石あり 裾部に埴輪
レーダー調査で、後円部・前方部共に埋葬施設があると推定されている。
向日丘陵では唯一完存の古墳で詳しい調査はなされていない。

駐車場がない!

元稲荷古墳
モトイナリコフン
(向日丘陵古墳群)

向日市向日町北山 勝山公園内
 (撮影日2008/11/25)



向日神社本殿

延喜式内社で718(養老2)年の創祀と伝えられる。
本殿は1422(応永29)年の建築で国重文

向日神社の社殿の奥の勝山公園で古墳を探す。
公園の一角に元稲荷古墳が保存されている。

 元稲荷古墳全景

後方部は木に隠れてほとんど見えないが、
右側に長い前方部が見えている。

元稲荷古墳前方部



元稲荷古墳後方部

墳頂は丸い塀で囲まれた中に小屋がある。
何だろう?
oobutaさん情報・・・ただの水槽。)
元稲荷古墳
向日丘陵南側先端部の尾根上に築かれた
全長94mの前方後方墳
 後方部一辺52m・高さ7m 、前方部幅46m・高さ3m
(1960・1970に調査)
 二段築成
斜面にタイル状の葺石がある( 弥生終末の貼り石に近いもの)
前方部の墳丘中央に2m×4mの範囲で埴輪が樹立していた。円筒埴輪・壺形埴輪(古い形の埴輪)など
後方部中央に竪穴式石室がある。
大半が盗掘されていたが
 鉄製武器(銅鏃・刀・剣・鏃・槍・矛・石突)や鉄製工具(斧・錐)、土師器の壺が出土。
4世紀初頭の築造と推定され、乙訓地方で最も古い古墳とされている。

 (oobutaさん情報・・・元稲荷古墳の石室の天井石が資料館前に置かれている。 )      

寺戸大塚・五塚原などと大きさがほぼ同じでこの時代の古墳を築くのに何らかの規制や約束事があったと推定されている。

 長岡宮跡
(国史跡)

向日市鶏冠井(カイデ)町
 (撮影日2008/11/25)

大極殿公園となる。
長岡京は桓武天皇が784年(延暦3)に奈良・平城京から遷した都で約10年間政治・経済文化の中心となった。、
792(延暦11)年の大洪水や桓武天皇の弟早良親王の死、その怨霊などで794(延暦13)年平安京へ都が遷された。
長岡京は東西4.3km南北5.3kmで現在の向日市・長岡京市・大山崎町・京都市にまたがる。


史跡長岡宮跡
(大極殿公園)
1959・61年の調査で大極殿が確認され史跡公園となる。



      

長岡京市

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