北村さんちの遺跡めぐり
城陽市 京都府南部の地図g
城陽市の古墳について |
京都府城陽市 |
久津川車塚周辺の古墳(久津川車塚前の説明板から)
説明板から
久津川車塚古墳は大谷川で形成された扇状地のほぼ中央に位置している。
大谷川の扇状地には、古くから「七ツ塚」と呼ばれる7基の古墳があり、
久津川車塚古墳、梶塚古墳、芭蕉塚古墳、青塚古墳、箱塚古墳、指月塚古墳、丸塚古墳がそれにあたる。
宇治市南部から城陽市にかけて存在する古墳を久津川古墳群と呼んでいる。
京都府内の最大級の古墳群。
久津川車塚 (久津川古墳群) 国史跡 |
京都府城陽市平川 |
1894(明治27)にJR奈良線建設時に長持型石棺や鏡・玉・武器などが出土して古墳と分かった。
久津川車塚全景
手前 後円部
右奥 前方部
墳丘の東側にJRの線路が通っているので
墳丘は崩れている。
林にしか見えない。
柵があるが、墳丘の中に入れる。
後円部に登ってみたら、石棺のあったあたりの墳丘はざっくりと削り取られていた。
残っている周提にも登ってみた。
現状保存。
JRの線路に分断されているので、線路の両側に墳丘が残る。
久津川車塚実測図(説明板から)
青色のところはJRの線路
南北に主軸を持つ全長180mの前方後円墳。
周囲には盾形の周濠が二重にめぐる。
周濠を含めた全長は272m。
墳丘には葺石があり、墳頂部とテラス面には埴輪列がめぐる。
埴輪は円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪(家形・蓋形・盾形)
埋葬施設は
大型の長持型石棺の両小口に板石積みの小石室を付設したもの。
石棺内や小石室内から銅鏃・玉類・石製品類・武具類など多くの副葬品が出土した。
5世紀前半の築造と推定された、南山城地域では最大級の前方後円墳。
出土した石棺は、京都大学文学部博物館に、そのレプリカが京都府山城郷土資料館に展示されている。
久津川車塚の北端に重なるように梶塚古墳があるはずだが、見当たらない。
青塚 (久津川古墳群) |
京都府城陽市平川 |
スーパー「イズミヤ」の建物の南西に隣接して竹林がある。
青塚の竹林
塀に囲まれていてこちらからは中には入れない。
34.6m×34m・高さ5.3mの方墳。
1963(昭和38)年発掘調査。
二段築成。
部分的葺石・円筒埴輪列がある。
埋葬部は2基の粘土槨。
西槨から鏡・短甲・冑・刀子・鉄刀・鉄鏃などが出土。
東槨から鉄斧・ヤリガンナ・刀子・鉄鏃などが出土。
槨外から鏡・玉類一括などが出土。
鏡・玉類などが出土。
墳丘はほとんど削られているが、濠と古墳の一部が残っている。
築造年代は芭蕉塚古墳と同じ時期に築造されたと推定されている。
芭蕉塚 (久津川古墳群) |
京都府城陽市平川 |
イズミヤの東駐車場に大きな墳丘!
大きな芭蕉塚を取り囲むようにしてイズミヤの東駐車場がある。
芭蕉塚全景
左 前方部 右後円部
全長110mの前方後円墳。
後円部径59m・高さ6.5m
前方部幅67m・高さ5.5m葺石・埴輪あり。周濠と外提を持つ。
久津川車塚の後の時期に築造されたと推定されている。
芭蕉塚後円部
説明板は見あたらない。
丸塚 (久津川古墳群) 国史跡 |
京都府城陽市平川 |
久津川車塚から東に少し行ったところにある森が丸塚古墳。
住宅に囲まれ墳丘が削られながらも公園として残る。
丸塚古墳全景
前方部は削平?
1985年発掘調査。
全長80mの帆立貝形前方後円墳。
後円部径63m・高さ9.6m 前方部幅32m・高さ不明
葺石あり、埴輪列あり、周濠あり。
西側クビレ部付近から出土した家形埴輪は、高さが約1mもある大型のものだった。
出土した埴輪から、久津川車塚古墳より先に築造されたと推定されている。
上大谷古墳群 (久津川古墳群) |
京都府城陽市上大谷 |
芝ヶ原古墳を探して、脇道に入ったところで、「上大谷4号墳のコナラ」という案内板を発見。
案内板横の階段を上がったところに、上大谷古墳群の1〜4号墳があった。
古墳公園になっている。 樹木が茂り、暗い。
上大谷1号墳
円墳のように見えたが、前方後方墳だという。
上大谷2号墳
上大谷3号墳
上大谷4号墳
上大谷4号墳のコナラとその案内板
樹高11m 幹周り1.5mのコナラ
里山の代表である樹木で、
上大谷古墳群のシンボル木
上大谷古墳群 住宅地開発に伴い調査された20基の古墳からなる。 前方後方墳2・方墳8・円墳9他 弥生時代後期から古墳時代後期まで続く古墳群。 1・8号墳は全長30mほどの前方後方墳。 9・10・15号墳は一辺10mほどの方墳、割竹形木棺直葬。 9号墳から、鏡・鉄斧・円筒埴輪・家形埴輪が出土 10号墳から、鉄剣・鉄鎌が出土。 15号墳から、鏡・勾玉・管玉・算盤玉・ガラス玉・刀子が出土。 13号墳は墳形不明、2基の粘土槨から鏡・刀・鉄釘などが出土。 他の円墳や方墳は横穴式石室を持つ。 12号墳から、金環・トンボ玉・丸玉・鉄釘・土師器・須恵器などが出土。 古墳時代前期から終末期にかけて(3〜7世紀)の築造。 6号墳は、一辺15mの方形墳丘墓(弥生時代終末期の築造)で、 組合式木棺から鏡・鉄斧・ヤリガンナなどが出土。 約半数の古墳が、4ヶ所の緑地公園として保存されている。 |
今回行かなかったが下大谷古墳群も公園として残っているという。
下大谷古墳群 宇治市との境にある方墳2基からなる古墳群。 城陽市北部丘陵の西端の尾根上に位置。 1号墳あたりが下大谷古墳公園となっている。 4世紀末から5世紀初頭に築造と推定されている。 1号墳・・・一辺18メートルの方墳。 埴輪円筒棺の埋葬施設。 棺内からは15歳位の少年の人骨一体が見つかる。 2号墳(1号墳の東20m)・・・一辺約16メートルの方墳。 2基の組合式木棺が直葬。 |
芝ヶ原古墳 国史跡 |
京都府城陽市寺田大谷 |
芝ヶ原古墳は以前2回探している。 (2007年11月と2008年11月)
住宅地なので道が一筋違うと分からない。
通りがかりの人も知らなかったりする。
今回は絶対探し当てるぞと、気合いを入れて・・・・・見つかりました!
芝ヶ原古墳
住宅に囲まれている。
芝ヶ原古墳の発掘時実測図 (説明板から)
芝ヶ原古墳(芝ヶ原12号墳)は標高50〜52mの丘陵北縁部に立地
南南西に方形の突出部がつく前方後方形
後方部は東西19m南北21m・高さは北で1.4m
前方部は、大部分が削平されていてよくわかっていないが、
外に開く形をしていたと推定されている。
墳丘の東側には丘陵から切り離すための溝がある。
葺石なし。
埋葬施設は、後方部の中央部分にあり、長さ2.3m・幅0.7mの組合式木棺直葬。
墓壙上には礫が敷かれ弥生時代末期から古墳時代初頭の庄内式土器が置かれていた。
木棺内から銅鏡1・車輪石形銅釧2・勾玉8・管玉187・ガラス製小玉1300個以上・鉄製ヤリガンナなどが出土した。
出土した土器から3世紀後半の築造と推定されている。
出土品は重要文化財に指定され、城陽市歴史民俗資料館で展示。 (1986年に発掘調査)
この芝ヶ原古墳が属する芝ヶ原古墳群は、13基確認されている。
芝ヶ原古墳の墳丘
正道官衙遺跡 ショウドウカンガイセキ (国史跡) |
京都府城陽市寺田 |
1965(昭和40)年、瓦片や土器片が見つかり、古代寺院があったと推定されて、「正道廃寺跡」と名づけられた。
1973(昭和48)年の発掘調査で、寺院というより奈良時代の郡衙(郡の役所)中心部分と推定される建物群が確認され、
1974年、名称が正道官衙遺跡と改められた。
発掘調査後、埋め戻されて広場になっていたが、1992(平成4)年、史跡公園となった。
正道官衙遺跡