北村さんちの遺跡めぐり

亀岡市     亀岡市・京丹波町・南丹市の地図g

馬場ヶ崎古墳群

亀岡市大井町小金岐
 (撮影日2010/11/21)

 墓地の中に墳丘。

馬場ヶ崎古墳群1号墳
一辺12mの方墳
裾が少し削られている。
未調査のため詳細は不明

右端奥の木立のあたりが2号墳?
北西100mに2号墳がある。(確認してこなかった)
2号墳一辺21mの方墳で、主体部は横穴式石室、、石材が一部露出している。
(確認してこなかった。)

保津車塚古墳
(案察使1号墳)
亀岡市保津町案察使
(撮影日2010/11/21)

農地にかなり削られた墳丘が残る。
以前は30mほどの円墳と考えられていたが、発掘調査の結果、前方部が確認された。

保津車塚古墳
後円部は残るが前方部は削平されている。
1997・2001年発掘調査
全長34mの帆立貝形前方後円墳
後円部径26.6m・高さ2m 前方部幅20m・高0.5m
葺石あり 埴輪なし
木製埴輪が立てられていた。
周囲に二重周濠が巡り、東側には陸橋もあった。
周壕も含めると全長は52.7mとなる。
説明板はない。

保津車塚古墳
右側(南側) 前方部

土製埴輪は出土していないが、
石見形盾の木製品(木製埴輪)が出土している。

   

丹波国分寺跡附八幡神社跡
国史跡
亀岡市千歳町
(撮影日2010/11/21)

農地の中に崩れかけたような国分寺がある。
そこにいくには砂利道しかない。
時代劇のロケに使われるというが、それがよくわかる景色だ。

史跡丹波国分寺跡
「延喜式」に記録があるが、詳細は不明
明智光秀の亀岡城築城の時に焼失したと伝えられている。

丹波国分寺跡の説明板は字が薄くなっていて理解するのは困難。

史跡丹波国分寺跡
表門の右(東)に土壇と17個の礎石が並ぶ
五重塔か七重塔跡とみられている。
西方の田んぼの中に同形の
土壇が残っていて
東塔と西塔があったと考えられている。
金堂・中門などの遺構も確認されている。
この丹波国分寺跡には「亀岡市の名木」といわれる木がある。
イヌマキ(樹高8m・幹周2.2m)
オハツキイチョウ(樹高22m・幹周4.3m)
カゴノキ(樹高13m・幹周3.3m)
ムクノキ(樹高25m・幹周6.36m)

国分古墳群 亀岡市千歳町国分
(撮影日2010/11/21)

史跡丹波国分寺跡から東の方を見ると、古墳らしき小さな高まりが見える。それが国分1号墳。

国分1号墳
小さな祠がある。
大事にされていたとわかる。

国分1号墳
墳丘が流出し、
天井石がずらりと露出している。

国分1号墳 
墳頂から見た石室石材
国分古墳群は、
史跡丹波国分寺跡の東400mに国分1号墳、その東側の山林内に22基が確認されている。
また、国営農地再編整備事業に伴う調査で、1号墳周辺の農地下から埋もれた古墳37基が発見された。
横穴式石室が中心で、八角形の墳丘(国分45号墳)を持つものもある。

1号墳そばから発見された61号墳は横穴式石室を持ち、須恵器や馬具、耳環が出土、
6世紀後半の築造で、7世紀前半まで追葬されていたと考えられている。
すぐそばの62号墳は小石室に棺台が残っていた。

千歳車塚古墳
国史跡
亀岡市千歳町千歳車塚
(撮影日2010/11/21)


出雲大神宮の西600mの水田の中にある。

千歳車塚古墳

前方部角から
右奥 後円部
千歳車塚古墳は   全長80mの前方後円墳
 後円部径41m・高さ7.5m   前方部幅45.5m・高さ6m
 三段築成   くびれ部に造出しがある。
 周囲の農地に周濠の痕跡が残る。
 古墳の外形と出土した埴輪などから5世紀代の築造と推定されている。
2003年の調査で、
二重周濠の一部が確認され、埴輪、葺石も確認されたが、詳細は不明。

千歳車塚古墳
手前 後円部
右奥 前方部



周壕跡がきれいに残っている。  
   

出雲大神宮 亀亀岡市千歳町出雲
(撮影日2010/11/21)


亀岡市に出雲があるとは・・・・

出雲大神宮

紅葉がまぶしいくらいに美しい。
観光客がいっぱい。
石川県からの観光バスもみかける。
出雲大神宮は、丹波国総社一宮で、元出雲と称せられる。
大国主命と妃三穂津姫命を主祭神として祀る。
社伝によれば、709年の創祀という。
背後の御影山は神体山として古くから崇められている。
境内神社は上の社・黒太夫社・笑殿社・稲荷社・弁財天社・崇神天皇社・春日社。

正面の山は
出雲大神宮の神体山・御影山


左は
出雲大神宮本殿
ちょうど結婚式が執り行われている。
出雲大神宮の本殿裏の斜面に古墳があり、横穴式石室が開口している。
古墳のそばには、磐座もある

出雲大神宮 磐座

祀られている。

出雲2号墳墳丘

径11mの円墳

出雲2号墳石室内部

横穴式石室は、全長5m以上、
玄室は長さ4m・幅1.2m・高さ2mの無袖式
羨道は半壊

須恵器、土師器、鉄釘、刀子、木炭などが出土

       

坊主塚古墳 亀岡市馬路町池尻
(撮影日2010/11/21)


坊主塚古墳全景
 南から


南の墳裾に石仏が並べられている。
左(西)奥の木立は天神塚古墳

古墳のそばに牛舎がある。
説明板の文字は薄くなって読みづらい。

坊主塚古墳 
南側の方形の造出し
説明板の右側部分


そう言われれば出っ張りがある感じ。
坊主塚古墳は  56、99年発掘調査
一辺34mの方墳  二段築成
南側に方形の造出しがある
周囲に二重の周溝が巡り、全体の規模は67m×65m
墳丘には葺石があり 円筒・象形埴輪が並び、外周溝の外には木製埴輪が並ぶ。
主体部は組合せ式木棺と考えられていて、
四神四獣鏡、甲冑、鉄製武器(刀、剣、鏃など)、埴輪(馬、鶏、きぬがさ)、須恵器が出土
5世紀後半の築造と推定されている。
背後の丘陵上には池尻古墳群が分布する。

天神塚古墳 亀岡市旭町市場
(撮影日2010/11/21)


坊主塚古墳のすぐ西にある。竹林となっている。

天神塚古墳

一辺30mの方墳
二段築成、葺石あり
未調査のため詳細は不明
坊主塚古墳との強い関係がありそう。
中期の築造と推定されている。

糠塚古墳 亀岡市旭町印地
(撮影日2010/11/21)


糠塚古墳全景
離れてみた方が古墳らしい。
糠塚古墳は全長65mの帆立貝形前方後円墳 
 後円部径45m 前方部幅25m
三俣川北岸の平地に築かれている。
5世紀の築造と推定されている。

くびれ部に糠塚稲荷神社がある
鳥居のそばに立ち入り禁止と書かれた立て札がある。
私有地なのかな?

鳥居の奥に小さな祠がある。
朽ち果てている鳥居も




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