北村さんちの遺跡めぐり
京都市西京区 京都府中西部の地図g
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天皇の杜古墳 国史跡 |
京都市西京区御陵塚ノ越町 |
史跡公園になっている。
ちょうど、天皇の杜古墳を守る会の方たちの掃除の日で、にぎわっている。
天皇の杜古墳
後円部を斜め後ろから見る
周壕跡のような平坦部の中に墳丘がある。
保存整備の一環として墳丘部と周壕部の部分的な発掘調査の結果、
周壕部と理解されてきた平坦部は、
周壕としての掘り込みはなく、墳墓の区域として他の部分と区別した部分であると考えられている。
天皇の杜古墳
前方部斜め前から
くびれ部が見えている。
天皇の杜古墳
前方部から後円部を見る
葺石が見られる場所もある。
天皇の杜古墳
前方部側から後円部頂を見る。
天皇の杜古墳実測図
全長83mの前方後円墳 後円部径50.5m
2段築成 柄鏡式の形態
平坦面には円筒埴輪が樹立 斜面には葺石
主体部は未調査。
古墳時代前期の4世紀代の築造と推定されている。
この古墳はかつて 文徳天皇(平安時代)の御陵であるとされていたことが、古墳名の由来となる。
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福西古墳群 |
京都市西京区大枝北福西町他 |
京都市西京区大枝東長町、中山町、東新林町、北福西町にある古墳時代後期の群集墳で20数基が確認されている。
洛西ニュータウンの造成を機に11基を発掘調査
現在9基が保存され、うち3基が整備保存されている。
北福西町の福西遺跡公園には7、10号墳が現地保存。
大枝東長町のコープ洛西の敷地内には4号墳が保存。
そのほか、現状のまま数基が保存されているようだ。
4号墳の北方には雑木林が残っているから、そのあたりかな。
福西7号墳・10号墳 福西史跡公園 |
福西古墳群
左(西)・7号墳 右・10号墳
柵や植え込みがジャマ
福西古墳群7号墳 (奥は10号墳)
7号墳は 径15m・高さ1.6mの円墳
墳丘はかなり破壊されていた
主体部は木棺直葬で、
東南と西北の隅に排水溝が設けられていた。
石室内から須恵器が出土
6世紀末〜7世紀初めの築造で
10号墳より先につくられていると推定されている。
福西古墳群10号墳
(奥は7号墳)
10号墳は、径12mの円墳
横穴式石室の下半分が残存している。
福西古墳群10号墳の石室
全長6.2m、幅1.4mの無袖式
縄紋時代の遺物包含層に築かれている。
羨道部がない。
石材は自然石の砂岩で中から須恵器が出土
7世紀初めの築造と推定されている。
福西4号墳
大枝東長町のコープ洛西の駐車場横に保存されている。
福西古墳群4号墳 古墳群中最大の大きさ
径23mの円墳
横穴式石室は(埋め戻し)
全長10.2m・幅2m
玄室長4.5m・幅2.1m・羨道長5.6m・幅1.1mの両袖式
玄室床面には礫が敷かれていた。
福西古墳群4号墳
墳丘の真ん中がへこんでいる。
ここに石室があるのか?
石室から
須恵器、鉄刀、鉄釘、馬具の飾り金具などが出土