北村さんちの遺跡めぐり

京都市右京区     京都市内の地図g

天塚古墳
国史跡

京都市右京区太秦松本町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図56・遺跡番号886

三菱自動車工場北隣りにある。



天塚古墳全景


天塚古墳上り口

古墳自体が伯清稲荷大神の境内となる。



天塚古墳墳丘測量図
 (京都市考古資料館文化財講座資料から)


全長70m、後円部径40mの二段築成の前方後円墳。
周濠が巡っていた。
6世紀前半の築造と推定されている。
現在、後円部とくびれ部の二ヶ所に横穴式石室が開口している。

後円部石室 くびれ部石室

後円部石室は社の中から入る
  西向きに開口
推定全長10m、幅1.1〜2m、高さ2.2mの無袖式
  入口は下りになっている

びれ部石室は社の陰に隠れるように開口
  推定全長7.7m、
  推定玄室長4.7m、幅1.7m、高さ2m、
  羨道長3m、幅1.2m、高さ1.5mの左片袖式

後円部石室 石室内部
   奥壁は社で隠されている

くびれ部石室 石室内部
  奥壁は社で隠されている

 後円部石室 石室内部から開口部を見る。
 
くびれ部石室 石室内部から開口部を見る。

住宅に囲まれていて墳丘を周囲から見ることは難しいが、墳丘もほぼ残っている。

天塚古墳前方部



天塚古墳 後円部


天塚古墳
墳丘(東側くびれ部あたり)にくぼみがある。


ここにも石室があったのか?

全部で4つの石室があったという言い伝えもあるという。

天塚古墳の北東には、清水山古墳があったが、昭和48年に消滅。
  清水山古墳全長60mの前方後円墳(後円部径31m・高さ4m、前方部幅27.3m・高さ3m)

蛇塚古墳
国史跡

京都市右京区太秦面影町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図56・遺跡番号881

住宅が建てこんでいて、なかなかたどり着けなかった。
蛇塚古墳のそばに住んでいる史跡保存会の方に資料を頂き、鍵を借りて見学。
蛇塚古墳を囲んで丸く道路が造られている。

蛇塚古墳
元は全長75m、後円部径43mの前方後円墳で西南に前方部があった
 周濠、外堤が巡っていた

早くから墳丘封土が失われ、後円部中央の横穴式石室が露出している。
周囲の輪郭をたどると現在でも前方後円墳の形をとどめている。
遺物はない。
6世紀後半〜末の築造と推定されている。

蛇塚古墳石室入口
後円部東南に開口

大小30数個の石を積み重ねて構築されている。
石室全長17.8m
 玄室長さ6.8m・幅3.9m(玄室幅は全国第2位)・高さ5.3m
 玄室床面積25.8u(床面積は全国第4位)
 羨道長11m・幅2.5m・高さ3.4m
 両袖式

蛇塚古墳玄室の奥壁
上半分は無くなっている。


奥壁下段の石材は4m×3m×2.3mの巨石



蛇塚古墳玄室側壁




蛇塚古墳玄室から羨道部を見る

まぐさ石もすごく大きい。




蛇塚古墳のまぐさ石の
大きさに感動!



全ての石に感動

千代ノ道古墳

京都市右京区嵯峨野千代ノ道町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図56・遺跡番号880

蛇塚古墳から直線で西南西に200m、フレスコというスーパーの西に保存されている。

千代ノ道古墳 
径16m・高2.5mの円墳。(方墳の可能性もある。)
内部主体は横穴式石室
古墳時代後期の築造と推定されている。
ほぼ完存。
内部主体の横穴式石室の石材が南側の裾部に露出しているということだが、雑草で見えない。
周りを建物と駐車場に囲まれ、きゅうくつそうだ。

垂箕山古墳
(仲野親王墓)

京都市右京区太秦垂箕山町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図47・遺跡番号879

蛇塚古墳から北に約400mのところに前方後円墳がある。
JR山陰本線の太秦駅の南側。

垂箕山古墳

恒武天皇の皇子・仲野親王高畠墓として、宮内庁が管理している。
前方部側に礼拝所がある。

垂箕山古墳実測図
 (京都市考古資料館文化財講座資料から)

全長75mの前方後円墳
前方部の幅が極端に広がる。
6世紀中葉の築造
と推定されている。
宮内庁が管理しているので、みだりに入ることはできないが、
 前方後円墳の形がはっきりしていて、周壕や周堤帯が残るきれいな古墳だ。

垂箕山大明神

垂箕山古墳の後円部の周壕外にある小さな社。
     

甲塚古墳

京都市右京区嵯峨甲塚町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図46・遺跡番号855

垂箕山古墳から西北西に約400m、造園会社の敷地内にある。

甲塚古墳 東から

墳丘は全壊という扱いになっていて、石室辺りが残っている。

径38m・高5.5mの円墳
嵯峨野一帯の古墳時代後期の円墳では丸山古墳に次ぐ大きさ。

横穴式石室が開口している。
墳丘に小さな社があり、その西側に石室が開口している。

甲塚古墳 石室入口

主体部は大型の横穴式石室が完存。
石室全長14.4m、
玄室長5.2m・幅2.6m・高さ3.2m、
羨道長9.2m・幅1.5m・高さ1.7m
両袖式

甲塚古墳 羨道から玄室を見る

かなり大きい石を使っている。

真っ暗でよく見えない。

懐中電灯必携。

甲塚古墳玄室内部

祠が安置されている

甲塚古墳 玄室から入口を見る

     

稲荷古墳

京都市右京区嵯峨広沢西裏町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図46・遺跡番号851

甲塚古墳から北へ約400m、編照寺の北隣にある。
編照寺の管理地らしい。標高40mの台地にある。

廣澤山編照寺

右奥に見える木立が稲荷古墳



稲荷古墳
墳頂には稲荷社がある


径20m・高さ5mの円墳
横穴式石室と考えられている。

    

広沢古墳群

京都市右京区嵯峨広沢池下町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図46・遺跡番号852

広沢古墳群は、広沢池の南側に3基確認されているが、2基がかろうじて残っている。
主体部は、全て横穴式石室となっている。
1号墳は堀川高校グラウンド内にあったらしいが消滅。

広沢古墳群2号墳  北側から

堀川高校グラウンド内の北東隅に横穴式石室が露出している。
巨石だ!

柵があって近付けない。

広沢古墳群3号墳

2号墳の東約100mの広沢公園内にある。

少し高まりがある程度。
横穴式石室が残っているようには見えない。


 (広沢古墳群の配置図については、京都市遺跡地図 図表46・遺跡番号852をご覧ください)

嵯峨七ツ塚古墳群

京都市右京区北嵯峨洞ノ内町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図38・遺跡番号842

広沢池北西の台地から平地にかけて円墳(径20〜30m・高0.8〜5m)7基が点在している。
北嵯峨高校北東の農地一帯に分布する。

嵯峨七ツ塚古墳群
 左奥 6号墳、右 5号墳




嵯峨七ツ塚古墳群
 左手前 3号墳、右 4号墳




 嵯峨七ツ塚古墳群  (配置については、京都市遺跡地図 図表38・遺跡番号842をご覧ください)
   1号墳  1号墳のあるはずのあたりには家が建っている。 
   2号墳

径15mの円墳

市道沿いにある

石材が1個露出
   3号墳

径13mの円墳
 
   4号墳(狐塚)

径25mの円墳

赤いヒガンバナがきれい!

両袖式の横穴式石室の天井石が一部露出
   5号墳

径17mの円墳

削られて方墳のように見える

扁平な墳丘
   6号墳

径25mの円墳

墳頂はへこんでいる 
   7号墳(八条塚)

径11mの円墳

扁平な墳丘 

横穴式石室の天井石が露出

 

嵯峨山大覚寺

京都市右京区嵯峨大沢町
 (撮影日2011/9/29)

真言宗大覚寺派大本山の寺院。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。
嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。
後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。
嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。

大沢池

嵯峨天皇が弘仁年間(810〜824)に造営された
 離宮「嵯峨院」の苑地の一部で、
中国の洞庭湖になぞらえて「庭湖」ともいう。




大覚寺 心経宝塔

昭和42年に嵯峨帝心経写経1150年を記念して建てられた鉄筋コンクリート製。

(そうだったのか・・・・・)

大覚寺 勅使門


幕末の再建。
四脚門を持つ切妻造

      

大覚寺古墳群

京都市右京区嵯峨大沢町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図46・遺跡番号849

大覚寺古墳群は、大覚寺南東の台地上、北嵯峨高校周辺に分布する4基からなる。
内部主体はすべて横穴式石室だ。
 (大覚寺古墳群の配置については、京都市遺跡地図 図表46・遺跡番号849をご覧ください)
3号墳(南天塚古墳)墳形不明の南北8m・東西13mの墓域を持つ古墳だが、
北嵯峨高校グラウンドの地下に埋められいる。雨が降ると、古墳の形が浮かび上がるという。

1号墳(円山古墳)
陵墓参考地
大覚寺古墳群 
 京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町

北嵯峨高校のグラウンドの北に接して丸い墳丘がある。
円山陵墓参考地として、宮内庁が管理。

大覚寺古墳群1号墳の墳丘

周濠をめぐらした径50m・高さ9.1mの大型円墳

大型横穴式石室が完存しているという。
でも埋められている。

大覚寺古墳群1号墳 石室実測図
 (京都市考古資料館文化財講座資料から)
全長15.5m、
玄室長5.5m・幅3.2m・高さ4.2m
羨道長10m・幅2m・高さ2.2mの両袖式
大型の家形石棺2基の破片が見つかっている。


2号墳(入道塚古墳)
陵墓参考地
大覚寺古墳群
 京都市右京区嵯峨大沢柳井手町

北嵯峨高校の校舎の東、校庭に接して石材が露出している。
入道塚陵墓参考地として宮内庁が管理している。

大覚寺古墳群2号墳

横穴式石室が露出している

元は、30m×25mの方墳

修理中の北嵯峨高校のビニールシートが背景となっている。

大覚寺古墳群2号墳 大きな石材

石室内部は埋まっているが、
全長12m
玄室長約4.6m・幅2.5m、
羨道長7.4m・幅1.6m
の両袖式
家形石棺の蓋石の破片が見つかっている。
広沢古墳群の2号墳と雰囲気がおんなじだ!

4号墳(狐塚古墳)
大覚寺古墳群
京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町

北嵯峨高校の南200mの竹林の中にある。

4号墳 (狐塚古墳)

径28m・高さ4.5mの円墳

きれいな墳丘が残る

4号墳 横穴式石室開口部

玄室長3.8m・幅2.3m、高さ2m、
羨道長1.5m以上・幅1.3m
の両袖式
石室には入れそうもないので、カメラを突っ込んで内部を撮影

4号墳 石室内部

暗くてよく見えない・・・・・

大沢池の東にある音戸山には、
径30mの円墳で横穴式石室がある
御堂ヶ池1号墳   
(京都市登録史跡  遺跡地図39・遺跡番号C824)、

双ヶ岡古墳群

京都市右京区御室双岡町
 (撮影日2011/9/29)
遺跡地図39・47 遺跡番号876

宇多野駅から、雙ヶ岡に登る。雙ヶ岡は国指定名勝となっている。
南北に長い独立丘陵に、円墳19基が点在している。
 (古墳群の配置については、京都市遺跡地図39・47 遺跡番号876をご覧ください)

双ヶ岡1号墳

北端の一ノ丘頂上にある。標高115.8m。

単独で存在する径44m・高さ7.75mの円墳

巨石を使用した大型の横穴式石室がある。

双ヶ岡1号墳石室実測図
 (京都市考古資料館文化財講座資料から)
全長14.6m、
玄室長6.1m・幅3.6m・高さ5m、
羨道長8.5m・幅2.4m・高さ2.3m
の両袖式
一辺3mを超える巨石が使われているが、
埋め戻され、現在は羨道先端の天井石だけが露出。

須恵器・土師器・金環・鉄製品・石棺の破片(凝灰岩製)などが出土。
6世紀末頃、蛇塚の次に築かれた嵯峨野最後の首長墓と推定されている。

双ヶ岡1号墳
墳丘斜面に露出した羨道先端の天井石
昭和55年の発掘調査の結果、
 玄室の右壁、羨道先端部などの石積みが崩壊する危険があったので、
 石室内に土砂を土嚢に詰め、埋め戻したという。

とても大きな石材だ。
蛇塚古墳くらいの大きな石室を見たかった!
一ノ丘から南へ下ると、二ノ丘との鞍部に9基が密集しているという。
二ノ丘に登る。

双ヶ岡24号墳

二ノ丘の頂上にある。
 低い円墳 
二ノ丘から南、 三ノ丘には13基の古墳がある。群集墳。
三の丘群集墳の説明板があるが、配置図は判読不能。

三ノ丘の古墳

その1

その2

その3

その4



JR花園駅から見た雙ヶ岡





      


京都市中京区


京都府のトップ


トップページ