北村さんちの遺跡めぐり
更新日2019/11/3
近江の古墳・遺跡2019
その8 大津市3・長浜市2
2019/5/5・6
ゴールデンウイークの10連休の最後の2日間で、滋賀県へ。
2日目午後に入ります。
木の岡古墳群 | 大津市木の岡町 (撮影日2019/5/5) |
2006年に茶臼山古墳と丸山古墳を見学している。 前回の旅行記
当時は、周りは畑が多かったが、現在は住宅が増えている。
下坂本陵墓参考地(本塚古墳)と、その陪塚とされているので、立ち入ることは、原則禁止である。
木の岡古墳群 | |||||||||||||||||||||
滋賀県南部、湖西南半において琵琶湖を望む木の岡丘陵に営造された古墳群。 丘陵上に、前方後円墳1基・帆立貝形古墳1基・円墳3基の計5基があり、 大宮川下流域の平地に円墳2基(車塚・鹿道:厳密には車塚古墳群)がある。 木の岡本塚古墳(木の岡丸山古墳)が宮内庁により 「下坂本陵墓参考地」(被葬候補者:第38代天智天皇皇后倭姫)として 陵墓参考地に治定されているほか、5基がその陪冢(陪塚)に治定されている。 木の岡古墳群は、古墳時代中期の5世紀代の築造と推定されている。 周辺では終末期古墳の平石古墳などがある。 |
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平地にあるのは、車塚古墳。
車塚古墳 (下坂本陵墓参考地飛地に号) 木の岡古墳群の支群・車塚古墳群の1基 |
大津市比叡辻 |
直径25mの円墳 高さ3.3m 墳頂部径22m 周堀なし 埴輪なし 葺石なし |
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資材置き場の奥に墳丘 北東から見る |
西から見た墳丘 |
墳丘上に陵墓参考地の立札が見える! |
車塚古墳の北の丘陵上に茶臼山古墳。
車塚古墳のそばから見あげると・・・
左の森が、本塚古墳
右の森が、茶臼山古墳
茶臼山古墳には説明板がある。
茶臼山古墳 (下坂本陵墓参考地飛地は号) |
大津市木の岡町 |
墳丘長83mの前方後円墳 後円部径39m 前方部長さ48m・幅23.5m 高さ3.6m 段築なし 空堀と葺石あり 少量の埴輪がある。 埋葬施設は木棺直葬か粘土槨と推定されている。 1978年(昭和53年)の前方部北側における発掘調査では 幅5m・深さ1mの周濠が検出され、多量の壺形土器が出土している。 5世紀の築造と推定されている。 この茶臼山古墳の前方部側には、 かつて別の前方後円墳(墳丘長40m程度か)が存在したとされている。 |
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後円部先端 |
「下坂本陵墓参考地飛地は号」の立札 |
本塚古墳の東に接してあるのは、首塚古墳。
最近調査されたのか、林の中にきれいな墳丘が残っている。
首塚古墳 (下坂本陵墓参考地飛地ろ号) |
大津市木の岡町 |
円墳 | |
藪の中に墳丘がある。 |
「下坂本陵墓参考地飛地ろ号」の立札 |
墳丘 墳頂は平らだ |
墳丘斜面 |
首塚古墳の北東に、丸く残っているのが、新塚古墳
新塚古墳 (下坂本陵墓参考地飛地ほ号) |
大津市木の岡町 |
円墳 | |
墳丘の周りを道路が丸く囲んでいる。 |
墳丘はよく分からない。 |
「下坂本陵墓参考地飛地ほ号」の立札 |
新塚古墳のすぐ西の、木の岡第3児童遊園地の奥に保存されているのが、御前塚古墳。
御前塚古墳 「下坂本陵墓参考地飛地い号」 |
大津市木の岡町 |
円墳 | |
公園の奥に墳丘 |
「下坂本陵墓参考地飛地い号」の立札 |
墳丘はきれいになっているようだが、立入禁止 |
天智天皇皇后倭姫に治定されているのは、本塚古墳。
本塚古墳 (丸山古墳) (下坂本陵墓参考地) |
大津市木の岡町 |
墳丘長73mの帆立貝形古墳 高さ10m 前方部長さ18m 幅38m 高さ1.5m 丘陵頂部に作られている(標高162.5m) 2段築成 葺石あり 埴輪なし 東側の円墳3基(御前塚・首塚・新塚)はこの古墳の陪冢とする説がある 被葬者に関しては、時期は異なるが倭姫(第38代天智天皇皇后)とする伝承があり、 宮内庁により陵墓参考地に治定されている。 |
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参道入口 この先右に直角に曲がる |
参道 |
御拝所 |
御拝所から覗き見た墳丘 |
もう一基、鹿道古墳があるそうだが、どこにあるのかわからない。
衣川廃寺 国指定史跡 |
大津市衣川2丁目 (撮影日2019/5/5) |
入口の狭いスペースに無理やり駐車。
衣川廃寺は、7世紀に建立された古代寺院。 堅田丘陵の東端、琵琶湖から西へ約900m、標高106mの所にあり、 琵琶湖水面との比高差は約20mを測る。 昭和50年に最初の発掘調査、昭和52年に国史跡となる。 史跡整備は平成6年から行われ、その際にも発掘調査が行われた。 史跡地のほぼ中央西よりと南半部東寄りに、 版築によって築かれた2つの建物基壇は、金堂と塔の基壇に推定されている。 金堂基壇の下からは寺院造営に関係する工房と考えられる竪穴遺構が見つかっている。 建物の屋根に必要となる瓦を焼いた瓦窯も見つかっている。 衣川廃寺から出土した軒丸瓦の文様には、 単弁蓮華文や複弁蓮華文、忍冬文などいろいろな種類のものが認められ、 衣川廃寺の特徴の一つとなっている。 その他には、塔のミニチュアである瓦塔も出土している。 衣川廃寺 地図 |
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入口 |
塔基壇 |
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金堂基壇 |
展示施設(左端)の右後方には瓦窯跡がある。 |
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展示施設の展示から
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西羅古墳群 1号墳は市指定史跡 |
大津市衣川 (撮影日2019/5/5) |
衣川廃寺から西に50mのところに西羅古墳1号墳がある。
衣川廃寺に駐車したまま、徒歩で行く。
南西の角から、森の中に入り、1号墳を見学。
西羅古墳群は、衣川の集落の背後にある。 1号墳・2号墳がある。 |
1号墳は 全長46m・高さ7mの帆立貝式古墳 市指定史跡 葺石あり 5世紀代の築造と推定されている。 西羅古墳群1号墳 墳丘 1号墳は、 古墳頂部までのぼれるようになっているはずだが、ジャングルに近い状態だ。 |
2号墳は 一辺30mの方墳 2号墳は、1号墳の東側、衣川自治会館横に復元されていたはずだが……(!!)。 西羅古墳群2号墳跡地 なんと!墳丘が無い! 左の車庫の壁に墳丘の痕跡が残る! 奥の建物は衣川自治会館。 |
午後2時近くなってようやく「セブンイレブン堅田5丁目店」で昼食調達。
その後、近江八幡市に住む孫たちの顔を見に行く。
ゴールデンウイークの10連休最後の日で、渋滞もあり、なかなか近江八幡に着かなかった・・・
雨が降りそうだが、長浜市の古墳を見学しながら、帰り道。
地図g
三川丸山古墳跡 | 長浜市三川 (撮影日2019/5/5) |
虎御前山の南端そばの独立丘陵にあった古墳。
削平されて、墓地になったようだが、すぐ横に復元墳丘がある。
三川丸山古墳は 虎御前山の最南端、通称「丸山」に作られていた。 円墳と考えられている。 埴輪なし 葺石なし 内部は粘土槨で、木棺のまわりを粘土と朱で固めたられたものと推定されている。 多数の土器片のほか、 青銅製の「唐草紋様細線式獣帯鏡(カラクサモンヨウサイセンシキジュウタイキョウ)」が出土。 (中国から渡ったとされる鏡) 県下でもっとも古い時代、弥生末期から古墳時代初頭(3世紀後葉)の築造と推定されている。 昭和53年、虎姫町三川の造成工事中に発見されたが、大半が破壊されていた。 (発掘物は町の公民館に展示) |
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三川丸山古墳跡 右には虎姫時遊館がある。 |
復元墳丘と「丸山古墳跡」の碑 |
雨です……
飯喰山古墳(群) イタベヤマコフングン |
長浜市湖北町河毛 (撮影日2019/5/5) |
虎御前山の西に飯喰山(イタベヤマ)という小さな独立丘陵がある。
この山に前方後円墳があるという。
ふもとには薬師如来堂がある。
薬師如来堂 | |
雨の中、静かな薬師如来堂 |
薬師如来堂 お堂 |
薬師如来堂の奥から山に登る。
頂上には、前方後円墳1基と、他に円墳がいくつかあるようだ。
神社の社殿もあるが、神社の名称はわからない。
飯喰山古墳は 全長31mの前方後円墳 後円部径19m・高さ3.5m 前方部先端幅10m・高さ1.2m |
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飯喰山古墳 左が後円部 飯喰山古墳の前方部を削って 社殿が建っている。 |
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前方部にある神社社殿 とその覆い屋 |
前方部脇から見た墳丘 |
前方部から見た後円部 |
後円部から見た前方部 |
ほかに円墳らしき墳丘がいくつか…
(仮)2号墳 1号墳そばにある。
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(仮)3号墳? 参道にも、墳丘らしい高まりがある。
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(仮)4号墳? 円墳の真ん中を山道(参道)が通るのか? |
高月町の小さな古墳 | 長浜市高月町 (撮影日2019/5/5) |
長浜市高月町には、物部古墳群と呼ばれている古墳群がある。
2007年に、横山神社古墳、兵主神社古墳、父塚古墳などを見学した。
ほかにも、小さく残った古墳がある。
瓢塚古墳は、横山神社古墳の東500mくらいの高速道路の東側側道がふくらんでいるあたり。
瓢塚古墳 地図番号20 | 高月町東物部 |
現状は 墓地。 詳細は不明。 |
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瓢塚古墳跡地は 丸い墓地 奥は高速道路 |
名前からすると前方後円墳? |
横山神社古墳の南300mほどの農地の中に、2基の古墳が残っている。
物部大将軍塚古墳 地図番号18 | 高月町東物部 |
円墳と考えられているが、詳細は不明 別名を下生塚古墳という。 |
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物部大将軍塚古墳 農地に残された小さな墳丘 とても「大将軍」の塚には見えない |
大将軍塚からすぐ東に、上生塚古墳。
上生塚古墳 地図番号19 | 高月町東物部 |
詳細は不明。 | |
生塚古墳 大将軍塚より少し大きい… 「文化財を大切に保存しましょう」 という標柱があるので古墳と分かる。 |
横山神社古墳から北東約2.5kmの洞戸集落の南端に墓地があるが、ここに瓢箪塚古墳があった。
説明板がある。
瓢箪塚古墳 地図番号12 | 長浜市高月町洞戸 |
30m以上の前方後円墳 1984年にこの古墳の東側くびれ部と前方部の裾が発掘調査され、 須恵器杯・杯蓋・器台・壺・甕・ハソウ・土師器壺等があり、 墳丘より転落あるいは放棄された状況で検出された。 これらの土器の時期は6世紀中葉で、瓢箪塚古墳の築造もこのころと考えられている。 付近にはかつて 鉄刀・ガラス玉等が出土した円墳と考えられる饅頭塚古墳、 背後の山頂部には瓢箪塚古墳に先行すると推定される前方後円墳尾山(姫塚)古墳等 が知られている。 また、周辺に大海道遺跡、井口遺跡、雨森遺跡といった同時期の集落跡が存在する。 |
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瓢箪塚古墳 跡地 |
現在墳丘の一部が洞戸地区墓地となっている。 |
午後6時半を過ぎ、道の駅「あぢかまのさと」(長浜市西浅井町塩津浜)に寄り
(もう営業は終わっていた)
敦賀ICから北陸自動車道に入り、南条SAで夕食。
午後9時に帰宅。