北村さんちの遺跡めぐり
更新日2019/7/19

近江の見学・2019
その4 東近江市2・米原市・長浜市
2019/2/24・25・26

近江八幡市に住む孫のピアノの発表会に合わせて、滋賀県湖東の古墳めぐり。
冬の時期だが、晴天に恵まれていい写真が撮れた。その4です。
2度目の勝堂古墳公園から

地図g

「近江の見学・2019」は野洲市あたりを行ったり来たりしたので、時系列での紹介はしていないが、
今回のページは、最終日2月26日の午後3時~6時の見学です。    

勝堂古墳公園
東近江市勝堂
(撮影日2019/2/26)

勝堂古墳公園は、2003年に見学している。なんと16年前!
改めて写真を撮る。

横穴式石室が開口しているのが、赤塚古墳。

 赤塚古墳

赤塚古墳 墳丘

開口部付近

開口部

奥壁

石室内部から外を見る

赤塚古墳の北西側には、弁天塚古墳。

弁天塚古墳

弁天塚古墳 墳丘
周りには濠が巡り、外提がある。

墳頂には小祠がある。

詳しくはこちらをご覧ください!   勝堂古墳群のページ

小八木古墳群・小八木東古墳 東近江市小八木
 (撮影日2019/2/26)

勝堂町の東側にある小八木町にも古墳がある。小八木町は東近江市の北端に位置している。

 小八木古墳群
 横穴式石室を埋葬主体とする円墳3基からなり、かつて太刀が出土。
 集落の東側に1基の円墳が残る。
 墳丘の一部は畑として利用され、南東側が削られている。

西から見た墳丘 比較的原形を保つ
農道を曲げて保存されている。

墳頂には、二つの天井石が見えている。
中に落ち込んでいる。

南から見た墳丘

南側には羨道が開口している!!
土砂が流入している。

この八木古墳群の東、工場が立ち並ぶ地域に小八木東古墳がある。

 小八木東古墳
 円墳と考えられているが、
 北側の削平地に前方部があったとして、前方後円墳という説もある。
 詳細不明

西から見た墳丘
墳丘は竹林になっている。
左奥に前方部か

墳丘内部

小八木集落のなかにある春日神社には、
本殿(重要文化財)・神門(県指定)・拝殿(町指定)・大般若波羅蜜多経600巻(町指定)等の文化財が伝えられている。
 また、春日神社境内の北側には、小八木廃寺があったとされ、布目瓦や鬼板(通称「あかんべ瓦」)が出土している。
小八木廃寺は白鳳期の寺院とされている。

等倫寺古墳 米原市一色
 (撮影日2019/2/26)

等倫寺古墳は、旧米原町一色の等倫寺境内にある。

等倫寺
お寺の方に挨拶して見学。
古墳は、建物の後ろにある。

 等倫寺古墳
 径20mほどの円墳が残る。
 横穴式石室の天井石が露出している。  石室の推定長7mほど。

墳丘

墳頂の小祠

石材露出

内部は埋まっている。


「一里塚の跡」という石碑

等倫寺のそばにある。

後ろは名神高速道路。

塚の越古墳 米原市新庄(旧近江町)
 (撮影日2019/2/26)

米原市近江はにわ館のすぐ東、北陸自動車の西脇にある。
土取りで、墳丘はほとんどなくなっている。

 塚の越古墳は 全長約40.4mの前方後円墳。  平野に立地する。
  後円部径約26.7m・前方部幅約24.5m
 幅7~9mの周濠がめぐっている。
 葺石あり
  後円部基底部て発掘された葺石は、角ばった山石を雑然と葺いたものである。
 埴輪あり
  円筒埴輪・朝顔形埴輪・石見型埴輪・家形埴輪・人物埴輪・鶏形埴輪・馬形埴輪などが出土。
 後円部に横穴式石室があったと考えられているが、破壊されている。
 早くに金環・勾玉ほか玉類や、馬具か甲冑の破片と思われるものが出土しているほか、
  画文帯神獣鏡が1面出土したと伝えられている。
 6世紀初頭の築造と推定されている。

石見型埴輪 (説明板から)
玉杖の頭飾りを模したものと考えられている。

塚の越古墳から見つかった石見型埴輪は、
全国では50前後の出土例があるが、
北近江では、
塚の越古墳と山津照神社古墳でしか
出土していない。
 1885年(明治18)主体部が掘られて、その後土取りで封土を失い、
  石室の石材を抜き取られるなどして墳丘が破壊されている。
 1989年(平成元)に発掘調査。

 横山丘陵の南端から天野川にかけてひろがる息長古墳群の一基
 同じく息長古墳群を構成する山津照神社古墳より一時期古い古墳と考えられている。 



土取りされて
 墳丘はほとんどない!!


背後には高速道路

東から見る

墳丘内

えぐれた墳丘に、小祠

どこが後円部か分からない…。

新庄の薬師堂に、出土した画文帯神獣鏡が保存されていると、説明板には書かれている。

四ツ塚古墳 長浜市四ツ塚町
 (撮影日2019/2/26)

長浜市の市街地、六荘さざなみ通り沿いにある。前にしばらくなら駐車できる。
平成18年に「長浜市四ツ塚町まちづくり委員会」が立てた説明板がある。

 四ツ塚古墳(松ノ木塚古墳)
 古来よりこの付近に四つの塚があったらしくそのうちの1基である。
 現在は、墳丘も削られて規模も形状も判然としないが、直径10m程度の円墳だったらしい。
 横穴式石室があったらしく、石材が残存している。
 6世紀後半~7世紀前半の築造と推定されている。
 平野部につくられている
 継体天皇の時代に、6万の衆を率いて任那復興に赴いた近江毛野臣位の墳墓との説もある
   (長浜市四ツ塚町まちづくり委員会の説明板から)

少し高まりがあるかな
径10mよりは大きく感じられる…。

説明板の下に石材!?

  

岡の腰古墳
市指定史跡
長浜市八島町
 (撮影日2019/2/26)

県道365号線沿いに、墓地になった小山がある。岡の腰古墳だ。
古墳辞典には、八島古墳群として掲載されている。

 八島古墳群は 長浜市八島(旧浅井郡浅井町)にある。
  田川の左岸に近い草野川との間の平地につくられた古墳群。
 岡の腰古墳亀塚古墳狐塚古墳平塚七ツ塚などがある。
 古墳時代中期から後期の築造と推定されている。
 岡の腰古墳は 径63m・高さ7.6mの円墳 
 裾部の北北西に低い壇状施設がある
 幅20m・深さ63cmの周堀がめぐる
 墳丘上には近世の墓標が林立するが、墳頂の平坦部は現状で径20m
 葺石はあるが、埴輪はない。

岡の腰古墳 北西から見た墳丘
左側手前が壇状施設か

岡の腰古墳 南から見た墳丘

南東200mほどにある亀塚古墳は、壬申の乱にこの地で没した中臣金連の墓として整備されている。
 径30m・高さ4mの円墳で、長さ10m・幅4m・高さ1mの前方部がつく。が整備の際に付設されたと考えられている。
機会があれば、見学したい。

最終日午後6時となり、帰路に着く。
木之本ICから北陸自動車道に入り、杉津PAにてラーメンの夕食
午後8時30分に帰宅した。

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