北村さんちの遺跡めぐり
東近江市1 湖東地区 愛東地区 能登川地区 五個荘地区
祇園古墳群・ 祇園東古墳群 |
滋賀県東近江市祇園町 |
依智秦氏の里古墳公園のすぐ南に宇曽川がながれている。
宇曽川を渡ったところが祇園町。祇園古墳群がある。
八坂神社
祇園町の東の高速道路をくぐったところに八坂神社があり、
その境内に1基の古墳が残っている。
名神高速道路建設工事の時(1962年)に「祗園西塚古墳」として調査が行われた。 石室は、渡来人の古墳に多く見られる 「階段状石室(羨道と玄室との間に段差を設ける)」という構造。 出土した須恵器から6世紀後半の築造と推定されている。 |
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祗園西塚古墳 直径約8m・高さ1m余りの円墳 |
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かつて祗園町には集落内に6基(祗園古墳群)、
八坂神社境内に3基(祗園東古墳群)の古墳があった。
石材を抜き取られたり、ほ場整備事業や、名神高速道路の工事によって削り取られて、
今は八坂神社境内に1基の円墳が残るだけ。
平柳古墳 |
滋賀県東近江市平柳町 |
祇園古墳の南に見える森が平柳古墳のある天満宮だ。
天満宮
昔は天神社といった。
古墳の霊を祭祀して天ツ神の天神社とあがめていたが、
明治維新に祭神を菅原道真として天満宮となった。
左側(東側)の森の中に古墳が群れを成して残る。
平柳古墳は本来、17基の古墳から構成される古墳群だった。 現在は天満宮の境内に半壊も含め十基確認されるだけ。 墳丘の残存状態がよい。 大小の古墳がくっついて存在し、群集墳の様子がよくわかる。 |
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平柳古墳群・1番目 |
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平柳古墳群・2番目 |
平柳古墳群・2番目 石室があったと思われる部分は埋められている。 |
平柳古墳群・3番目 石室らしいところが陥没している。 |
平柳古墳群・4番目 |
他にも古墳らしい高まりがある。
山面古墳群(猪子山古墳群) 市指定史跡 |
東近江市猪子町 (撮影日2019/2/26) |
旧能登川町、能登川病院の南の山の斜面に古墳がある。
東近江市のリーフレットでは「山面古墳群」として紹介されているが、
現地説明板では、「猪子山古墳群(山面古墳群)」となっている。
東近江市の北東に位置する、湖東平野に特徴的な独立山塊のひとつである「きぬがさ山」には、 6世紀後半につくられたと考えられる古墳が180基以上確認されている。 「きぬがさ」という字は「糸」へんに「散」という字だ。 きぬがさ山の古墳群 配置図 分布状況から複数のグループに分けられている。
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山面古墳群 現在の猪子山公園から北向岩屋十一面観音周辺の33基からなる古墳群を、山面古墳群と呼んでいる。 それぞれの古墳は直径20mくらいの円墳で、横穴式石室がある。 きぬがさ山は湖東流紋岩という岩石でできた山で、この湖東流紋岩が石室石材として使われている。 山面古墳群の周辺には、岩船神社や磐座、山頂には北向岩屋十一面観音などがあり、 古くから信仰の対象としても大切にされてきた場所でもある。 |
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山面古墳群配置図
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山面古墳群上り口
「上山天満天神社」の鳥居
鳥居そばに駐車場スペースがある。
猪子山公園の東隣り
登り始めると、すぐ道沿いに23号墳がある。
23号墳の前に、「猪子山23号墳」の説明板がある。
猪子山23号墳(山面古墳群) | |
径14mの円墳 東に開口する横穴式石室がある。群中では最大の玄室。 石室実測図 (説明板から) 石室全長9m 玄室の長さ4.4m・幅2m・高さ2.3m 羨道の長さ4.6m・幅1.4mの左片袖式 床面には石が敷き詰められている。 左袖石を兼ねた羨道の左側壁は自然石に近い巨石だ。 明治41・42年猪子山古墳群出土遺物 (説明板から) 昭和3年に発行された「近江神崎郡志稿」には、 明治41・42年に23号墳から 「祝部土器提瓶1、蓋附坏2、高坏破片2、 金環1、鉄錆の断片数ケを発掘し保存されてある。」 と記載されている。 |
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墳丘 |
羨道は半壊 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
23号墳の南側に岩船神社がある。
岩船と岩船神社 | |
神亀5年(728)5月朔日、高島比良の山から湖上をこの地に渡った比良大神(白髭明神)が 御来船されたものと伝えられている。 横の社は、岩船社と称し渡湖の際、岩船を先導した津速霊大神が祀られている。 古代の住民は、奇石、怪石に対する崇拝が盛んで、 この岩船も頂上の磐座と共に巨石崇拝信仰の遺品と考えられている。 (説明板から) |
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神様が乗ってきたといわれる岩船 |
岩船神社 |
山道を進むと、三叉路の山側に15号墳。
説明板はない。
猪子山15号墳 | |
東向きに開口している横穴式石室は全長8m 玄室は長さ4.8m・幅1.6m・高さ2m以上、羨道は長さ2.5m・幅1m・高さ1.7mの両袖式 |
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手前の道路で墳丘が削られている 左側の斜面に石室が開口している。 |
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石室開口部 |
羨道から玄室を見る |
玄室奥壁は、一部破壊されている。 |
石室内部から外を見る |
15号墳から東へ緩やかな上り道を約100m、道沿いに14号墳。
14号墳前には、説明板がある。
猪子山14号墳 | |
径16〜17m・高さ8.5mの円墳 西に開口する横穴式石室がある。 盗掘されていたので、遺物の出土は少なく、 玄室内から金環1点と棺に使用されたと考えられる鉄製品(釘・鎹)数点、 羨道の中央から須恵器の壷1点が出土した。 6世紀後半の築造と推定されている。 石室実測図 (説明板から) 玄室長さ3.4m・幅2.8m・高さ2.6m 羨道長さ5.5m・幅1.4m・高さ1.6mの両袖式 羨道の入り口部分には閉塞石が残っていた。 平成14・15年に発掘調査 |
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墳丘と石室開口部 |
石室内部 |
奥壁 |
石室内部から外を見る |
14号墳の北から、麓の墓地までの急斜面に14基の古墳がある。
調査が行われたころは、木も切られて見学しやすかったのだろうが、現在はジャングル!
ジャングルをかき分けて斜面を下り、何基か見つける。
猪子山30号墳 | |
径14mの円墳 西向きに開口する横穴式石室は、全長10.5m、 玄室は長さ3.2m・幅2.4m・高さ2.8m 羨道は長さ7.3m・幅1.5m・高さ1.8mの両袖式 6世紀末の築造と推定されている。 2003年度に調査。 |
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石室入口 高さがある。 |
羨道部から玄室を見る |
玄室奥壁 |
玄室から外を見る |
猪子山52号墳 | |
径13mの円墳 横穴式石室は、東向きに開口している。 52号墳石室実測図 (リーフレットから) 石室全長7.5m 玄室:長さ3.5m・幅1.8m・高さ2.2m 羨道:長さ4m・幅1.2〜1.3m・高さ1.2m 床面には敷石がある。 石室床面の石の隙間から、 金環、メノウ製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製管玉、ガラス製小玉、メノウ製丸玉が出土 ガラス玉は中国大陸、朝鮮半島を経由して輸入された貴重なもの 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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発掘時の石室床面の状況 (リーフレットから) |
出土した装身具 (リーフレットから) |
茂みの中に石室入口が隠れている |
羨道部から玄室を見る |
玄室奥壁 |
玄室から外を見る |
猪子山36号墳 | |
墳丘が完存している。 詳細不明 |
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墳丘 ジャングルだ…。 |
石材露出 |
14号墳から、斜面を下りながら、ジャングルの中の古墳を見学し、ふもとの墓地におりる。
今度は車に乗って、北向岩屋十一面観音の駐車場まで上る。
その少し手前の道路脇に7号墳がある。
猪子山7号墳 | |
横穴式石室がある。 詳細不明 | |
石室辺りの墳丘が残っている。 |
石材露出 |
石室内部 すき間からカメラを突っ込んで撮影 |
立派な横穴式石室に、感動です!
北向岩屋十一面観音 上り口
正瑞寺古墳群 | 東近江市五個荘日吉 (撮影日2019/2/26) |
以前、いつだったか探しに来たが、見つからなかった古墳。見つかりました!
きぬがさ山の古墳群の一つで、山面古墳群が北の麓、この正瑞寺は、山を越えた南東の麓にある。
お寺の写真を写すの忘れたのだが、本堂は新しい建物だ。
古墳群は、本堂の裏の擁壁の上の斜面にある。
この裏山は、山崩れか土石流でもあったのか、倒木やら土石などで、歩くのも大変!
ようやく3基の古墳を見つけた。
説明板は見あたらない。
正瑞寺古墳群1号墳 | |
径18mの円墳 滋賀県最大といわれる横穴式石室は全長13.4m、 玄室長4.7m・幅2.6m・高さ2.5m以上、羨道長8.4m・幅1.4m・高さ1.3m以上の両袖式 玄室天井石は二石で、手前の石材は長さ4.5m。 |
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墳丘 一番墳丘らしく見える1枚 写真中央あたりが落ち込んでいて 開口部がある。 |
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手前の石が傾いているが、石室は完存! |
石室内部 |
奥壁 天井石は巨大 |
石室内部から外を見る |
1号墳より下の崖っぷちに開口しているのは2号墳。
正瑞寺古墳群2号墳 | |
墳丘 向こう側の斜面に開口部 |
天井石が見えている |
開口部 |
カメラを突っ込んで撮影 |
1号墳・2号墳より上に3号墳がある。
開口しているが、入るのは困難!
正瑞寺古墳群3号墳 | |
墳丘 |
石室の天井石が露出している。 |
石室内部 カメラを突っ込んで撮影 |
奥壁が見えた! |
勝堂古墳群 | 東近江市勝堂町 撮影日2003/4/29 2018/4/30 2019/2/26 |
東近江市のHP「東近江市の遺跡紹介」のリーフレット「勝堂古墳群」を参考にさせていただいた。
東近江市勝堂町には、『淡海記などの江戸時代の文献に48基の古墳があったと記録されている。 現在は、6基の古墳が残っている。 愛知川中流域の右岸で 最 も規模の大きな古墳群。県下でも有数の規模を誇る古墳群。 古墳時代後期(6世紀後半)の大型群集墳。 特に赤塚・弁天塚の2基は最も東側の緩傾斜の最高位に位置することから、 当時強い権力をもっていたものの墓と考えられている。 |
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勝堂古墳群分布図 |
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赤塚古墳(県史跡) | 直径32m・高さ5.2mの円墳 | 6世紀後半 |
弁天塚古墳(県史跡) | 直径20m・高さ4.3mの円墳 | 6世紀後半 |
行者塚古墳(県史跡) | 現在一辺23m・高さ5.3mの方墳状(円墳かも?) | 6世紀末 |
朝日塚古墳 (出土物は市有形文化財) |
直径20mの円墳(推定) | 6世紀後半 |
おから山古墳(県史跡) | 直径30mの円墳(元は直径40m?) | 7世紀前半 |
骨塚古墳 | 直径20mの円墳(推定) | |
正眼寺石棺(県史跡) | 石棺石材(底石と蓋石) |
勝堂古墳公園には、赤塚古墳と弁天塚古墳が保存されている。
古墳公園
赤塚古墳と弁天塚古墳の配置図
(リーフレットから)
石室が露出しているのが赤塚古墳。
赤塚古墳 県指定史跡 | 撮影日2003/4/29・2019/2/26 | ||||||||||
直径32m・高さ5.2mの円墳 両袖式横穴式石室があり、羨道の長さは 2.4m 以上・幅0.9m。 玄室の長さは4m・幅2m・高さ1.6m以上。。 墳丘の形状などから、6世紀後半頃の築造と推定されている。 横穴式石室 実測図 (リーフレットから) |
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2003/4/29の赤塚古墳
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2019/2/26の赤塚古墳
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赤塚古墳の北西約40mには、弁天塚古墳。
弁天塚古墳 県指定史跡 | 撮影日2003/4/29・2019/2/26 | ||||||
直径20m・高さ4.3mの円墳。 内部主体の構造は未調査のため不明。 古墳の周囲には濠がめぐり、さらにその外周に堤がめぐる。 墳丘の形状などから、6世紀後半頃の築造と推定されている。 |
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2003/4/29の弁天塚古墳
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2019/2/26の弁天塚古墳
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集落の南端の公園に残された墳丘がおから山古墳。
おから山古墳 県指定史跡 | 撮影日2018/4/30 |
径30mの円墳と推定されるが、裾部が削られており、 築造当初は40m級の円墳であったと考えられている。 主体部は両袖式横穴式石室で、『湖東町史』によると、 玄室は、奥行き4.4m・幅2.06m・高さ2.76mで 羨道は、長さ3.9m・幅1.3m 玄室は、天井石3枚、側壁4段、奥壁は 1 枚石。 玄門部天井は羨道部天井より1段下がっている。 これらの特徴から、行者塚古墳の後(7世紀前半頃)の築造と推定されている。 |
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東から見るおから山古墳 公園になっている。 |
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階段があるが、立ち入り禁止 左側斜面にあやしい穴が見えるような気がする |
埋め戻されていたものが露出しているのかも? |
おから山古墳の北約200mの集落内にあるのが、行者塚古墳。
行者塚古墳 ギョウジャヅカコフン 県指定史跡 | 撮影日2018/4/30 |
現在は一辺23m・高さ5.3mの方墳状だが、後世に道路などで削られているので、 もとは30m以上の円墳の可能性もある。 墳頂部に行者堂が建造されたことが、名前の由来となっている。 片袖式横穴式石室があり、 玄室は奥行き6m・幅2mで 天井石5枚、側壁4段、奥壁は 1 枚石 玄門部の天井は羨道部の天井より1段下がっている。 これらの特徴から、6世紀末の築造と推定されている。 横穴式石室 実測図 (リーフレットから) 現在石室は見ることができない。 県内でも最大規模の横穴式石室をもつ古墳。 |
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東から見た行者塚古墳 ここも階段があるが、 縄がはられていて入れない… |
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中腹に石碑。土台は天井石?! |
北側の墳丘斜面には、ブルーシート…。 |
行者塚古墳の北約150mには、朝日塚古墳。
朝日塚(山上塚)古墳 アサヒヅカ(ヤマガミヅカ)コフン 出土物は市有形文化財 |
撮影日2018/4/30 |
直径20m級の円墳と推定されている。 朱彩された横穴式石室があり、床面には礫が敷いてあったと考えられている。 出土した土 器から、6世紀後半頃の築造と推定されている。 昭和 29 年の道路建設時に土取りがされ、その時に土器が出土し、 高杯や壺、ハソウなど、現在15点が伝わっていて、 6世紀中ごろ以降の製作のものと考えられている。 |
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小公園になっている。 |
墳丘 |
集落の西にある天日神社の西側にあるのが、骨塚古墳。
骨塚(北浦)古墳 コツヅカ(キタウラ)コフン | 撮影日2018/4/30 | ||||
径20mの円墳と推定されている。 近くの天日(テンニチ)神社前に石棺材と思われる 凝灰岩の石材が置かれており、 勝堂古墳群のなかで一番古い首長墓の可能性が高い。 |
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北から見る 史跡指定されていないせいなのか、 ジャングルで中がどうなっているのか分からない。 |
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天日神社には、石棺石材が残っているそうだが、どれかはわからない
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ほかにも、正眼寺と瑞正寺にも石棺石材が残るそうだ。
正眼寺の石棺石材は、県史跡になっている。
ここまでが、勝堂古墳群の紹介です。
小八木古墳群・小八木東古墳 | 東近江市小八木 (撮影日2019/2/26) |
勝堂町の東側にある小八木町にも古墳がある。小八木町は東近江市の北端に位置している。
小八木古墳群 | |
横穴式石室を埋葬主体とする円墳3基からなり、かつて太刀が出土。 集落の東側に1基の円墳が残る。 墳丘の一部は畑として利用され、南東側が削られている。 |
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西から見た墳丘 比較的原形を保つ 農道を曲げて保存されている。 |
墳頂には、二つの天井石が見えている。 中に落ち込んでいる。 |
南から見た墳丘 |
南側には羨道が開口している!! 土砂が流入している。 |
この八木古墳群の東、工場が立ち並ぶ地域に小八木東古墳がある。
小八木東古墳 | |
円墳と考えられているが、 北側の削平地に前方部があったとして、前方後円墳という説もある。 詳細不明 |
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西から見た墳丘 墳丘は竹林になっている。 左奥に前方部か |
墳丘内部 |
小八木集落のなかにある春日神社には、
本殿(重要文化財)・神門(県指定)・拝殿(町指定)・大般若波羅蜜多経600巻(町指定)等の文化財が伝えられている。
また、春日神社境内の北側には、小八木廃寺があったとされ、布目瓦や鬼板(通称「あかんべ瓦」)が出土している。
小八木廃寺は白鳳期の寺院とされている。
八之塚古墳群 |
東近江市池乃尻・南花沢町 |
平柳古墳群から国道307号線を南にいったところに説明板があるのは、八之塚古墳群だ。
八之塚古墳群配置図
八之塚古墳群は8基の円墳からなる7世紀代の群集墳。
愛知川の河岸段丘の上段に位置する。
八之塚古墳群の埋葬主体は横穴式石室で、
羨道から玄室に至る間には階段がある可能性がある。
発掘調査の結果、7世紀の須恵器が出土。
古墳群の立地が、 愛知川を見下ろす墳丘上にあること、
古墳群の所在する地名が「池之尻」ということ、
すぐ北に恵美須池(エビスイケ)と呼ばれる古い溜池があり、この地域の水源となっていること
等を考えると、水利を掌握した一族の墓群であった可能性も考えられる。
5号墳のはげた看板 群中最大で 高さが3.4mある。 5号墳を中心に他の古墳が配置されている。 |
5号墳の墳丘 |
5号墳実測図(説明板から) |
3号墳石室 (説明板から) |
4号墳実測図 (説明板から) |
現在確認できるのは、7基というが、確認できたのは5号墳だけだった。
神郷亀塚古墳 |
滋賀県東近江市神郷 |
能登川病院近くの神郷町にある。神郷亀塚古墳は、鎮守の森の北側、乎加神社の社地にある。
乎加(おか)神社 延喜式内社。 滋賀県神崎郡で最も古い記録の残る神社 本殿、幣殿、祝詞殿、玉垣、・拝殿、手水舎 からなり、明治期の建物は国有形文化財。 |
乎加神社本殿 本殿は明治22年の伊勢神宮遷宮時に譲り受けたもので、 同25年に移築されたと伝えられる。 両側の地面から直立した柱によって 屋根が支えられている。 |
神郷亀塚古墳は、 全長36.5m・高さ4m(現在3.6m)の前方後方墳 前方部14.5m・後方部22m 周囲に幅2〜12mの濠をめぐらせていた。 後方部に二つの埋葬主体部(木槨墓)がある。 木槨墓とは朝鮮半島から伝わった埋葬法で、板囲いの四角い部屋の中に棺を納める墓。 第1主体部(東側)の木槨墓・・・・幅1.3m・長さ4.6m・深さ1.2m 第2主体部(西側)の木槨墓・・・・幅1.15m・長さ3.5m・深さ1.1m 古墳の盛り土と二つの墓穴からは、きわめて小さく砕かれた土器の破片が数百点出土。 (土器破砕祭祀の跡か) 以前は前方後円墳とされていたが、2000年の範囲確認調査で、前方後方墳と確認された。 周壕の形態的特徴が愛知県尾西市の上免遺跡の前方後方周溝墓とよく似ていることや、 出土した土器から、 3世紀前半の築造とされている。 |
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神郷亀塚古墳 前方部は削られて、 細長い土手のようになっている。 |
最古級の前方後方墳がこの地で見つかったことで、
邪馬台国が大和にあったという証拠だという説もあるそうだが、果たして真相は???
狐塚古墳群 | 東近江市五個荘町川並 (撮影日2014/9/21) |
きぬがさ山トンネル東側、湖東物流センター南側の田んぼの中に三基の墳丘が見える。
狐塚古墳群は、現状3基で石室石材が露出しているが、内部はすべて埋まっている。 石室が露出した1号墳は玄室長5m、幅1.8m、 2号墳は玄室長3.5m、幅1.7m。 |
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南から見た狐塚古墳群 中央奥・2号墳 左3号墳 右・1号墳 |
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北側から見た1号墳 |
西から見た3号墳 奥に1号墳 |
北から見た2号墳 左奥に1号墳 |
西から見た2号墳 奥に1号墳 3号墳 |
百々矢1号墳 |
滋賀県東近江市山本 |
きぬがさ山の東出口の南の百々矢神社にある。
百々矢神社 祭神は応神天皇。弓矢の神様だそうな。 鳥居の左側にかなり変形した1号墳がある。 |
百々矢1号墳 周りは削られ、噴水なども作られている。 保存ということからいうと、×。 |
墳丘上に露出した天井石 石室が開口している。 |
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古墳の説明は全く無い。
付近に住んでいる人も、ここが古墳だとは思わないのではないか。
山の神古墳 |
滋賀県東近江市五個荘伊野部町 |
午後3時45分 着
田んぼの中に石室が露出している。
山の神古墳
五個荘町の石舞台と
言われているとか??
「山の神古墳」と刻まれた石碑がある。説明板はない。
山の神古墳石室の天井石は残っているが・・・・・・。
玄室は奥行き3mくらいか
地元では大事にされているようだ。