北村さんちの遺跡めぐり
更新日2019/5/17

近江の古墳・遺跡(2019)
その1 竜王町・草津市・守山市・栗東市
2019/2/24・25・26

近江八幡市に住む孫のピアノの発表会に合わせて、滋賀県湖東の古墳めぐり。
冬の時期だが、晴天に恵まれていい写真が撮れた。

地図g

自宅を6時15分出発、8時50分に竜王IC。

オウゴ古墳 竜王町薬師
 (撮影日2019/2/24)

不動岩屋古墳の東約500mだが、まっすぐは行けない。
時計の反対回りに迂回して、東側の道からしか行けない。

四国八十八箇所霊場
第29番 国分寺


オウゴ古墳のある小道は、
四国八十八箇所霊場となっていて小さな祠が並ぶ。

 オウゴ古墳は 一辺20mの方墳  高さは南側5m・北側2m。
 南に開口する横穴式石室は全長10.5m
  玄室の長さ5.7m・幅2.14m・高さ3.27m
  羨道部長さ4.8m・玄門幅1.45m・左袖幅0.65m・右袖幅0.4m、高さ0.9m
 石室の構造は、近隣の、
  天神山古墳群4号墳、5号墳、龍王寺北古墳群4号墳(いずれも竜王町) 
   などの石室とほぼ同じ構造である
 未調査なので、明確な築造年代は不明だか、
  横穴式石室の構造から、6世紀後半の築造と推定されている。
 500m西にある岩屋古墳(6世紀中頃の前方後円墳)に続く時期に築造されたと考えられている。

東から見た墳丘

西から見た墳丘

石室入口

石室内部

石室内部から外を見る

ずっと前から見学したかった古墳。ようやく願いが叶う!

南田山古墳 草津市野路町南田山
 (撮影日2019/2/24)

南田山(ナンダヤマ)稲荷神社境内に、古墳がある。


稲荷神社参道

祭神は 宇迦御魂命 (ウカノミタマノミコト)

 この地は古代の官道「東山道」の道端に位置していて、
  榊差古墳群、南田山古墳群、南笠古墳群など、100基を超える古墳があったとされている。
 ほとんどの古墳が開発によって姿を消したが、円墳1基が残っている。
 摂社の大己貴命(オオナムチノミコト)神社は古墳の上にある。
 南田山古墳と呼ばれている。
 南田山古墳は  径13mの円墳
 墳頂に祠があり、その足元に横穴式石室が開口している。

摂社・大己貴命神社の足元に石室!

横穴式石室の天井石が露出し、奥壁部が開口

入口付近は完全に埋まっている。幅は1.2mくらい

内部から外を見る

 草津市・守山市の地図g  

鞭崎神社古墳群
草津市矢橋町1462
 (撮影日2019/2/24)

鞭崎神社古墳群は、鞭崎八幡宮境内にある。

 重要文化財 鞭崎神社表門
 明治4年の廃藩置県に際して、膳所城より移築されたもので、
  昭和52年の屋根葺き替え工事によって、元は膳所城大手門であったことが明らかになった。
 門右手には潜戸を設け、控柱は外八双に開く。
 屋根は本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い切妻屋根をのせる。
 そして屋根には膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦や鬼瓦を飾るほか、
  柱、扉等の要所に鉄板を鋲打するなど重厚堅固な意匠となっている。(説明板から)

外側から見た表門

境内側から見た表門

鞭崎神社 社殿

祭神は  聖母大神 住吉大神
  高良大神 応神天皇
白鳳4年(676)の創建で、矢橋八幡宮と称したが、
源頼朝が、平氏を滅ぼして鎌倉幕府を創立し、
 建久元年(1190)上洛するとき、当地を通過して
 馬上から鞭のサキを八幡宮に向けて
 村人にたずねたので
 鞭崎八幡宮というようになった

南側の林の中にある1号墳
径10mの円墳 横穴式石室の石材が露出

北側の林にある2号墳 円墳
表門の横にある。


大宮若松神社古墳
草津市矢橋町1462
 (撮影日2019/2/24)

大宮若松神社の後ろに古墳がある。

 大宮若松神社古墳は 径40mの大きな円墳で、南側は社殿で削られている。
 5世紀後半の築造と推定されている。 

大宮若松神社境内 背後の木立に墳丘がある。

大宮若松神社古墳

ほかにも、墳丘があるようだが、特定に至らない…。

五条古墳群 草津市北山田町
 (撮影日2019/2/24)

山田正八幡宮の境内には、円墳がある。


山田正八幡宮 北側鳥居

山田正八幡宮 南東側 参道

    

 五条古墳群は 山田正八幡宮の境内に、径5~10mの円墳が4基残っている
 一部に石材の抜かれた跡があり、主体部は横穴式石室と考えられている

墳丘その1

墳丘その2

墳丘その3
もう一つは特定に至らない…

古墳みたいなマウンドがいくつかあるが、特定できない。

庭塚古墳 守山市金森町
 (撮影日2019/2/24)

守山市立図書館の西側の水田の中に、後円部だけ残っている。

 庭塚古墳は 本来は全長74mの前方後円墳
 現在は墳丘がかなり削られている。
 埴輪片が出土している。
 古墳時代中期前半の築造と推定されている。

周りは削られていて、円墳に見える。
周囲の水田の調査で前方後円墳とわかった。

墳丘上

  

寺山古墳群
市史跡
守山市岡町
 (撮影日2019/2/24)

庭塚古墳の南東約2.5kmの住宅街の中に古墳が残っている。

 寺山古墳群は、2基の古墳が残されていて、ともに径15m・高さ2m程度の低平な円墳
 1号墳は大正6年に調査され、横穴式石室・埴輪・須恵器・土師器が出土している。
 南50mにある2号墳は未調査のため詳細は不明
 もとは多くの古墳があったようだ。
 周辺には、古墳時代中期から後期にかけての集落跡である岡遺跡があることから、
  5世紀~6世紀の築造と推定されている。。

寺山1号墳

寺山2号墳

 

伊勢遺跡
国史跡
守山市岡町
 (撮影日2019/2/24)

2019年2月、NHK歴史秘話ヒストリアで紹介されたばかりで、そばの皇大神社にパンフレットが置かれていた。
居合わせた地元の男性たちに教えて頂いた。

 伊勢遺跡は、昭和55年に発見された遺跡で、
  平成23年度末までに110箇所余の地点で発掘調査や確認調査が行われた。
 守山市伊勢町、阿村町から栗東市にまたがって広がる弥生時代から室町時代にかけての巨大な集落跡
 東西700m、南北450mに達し、30万㎡の広さとなる。
 平成4年の発掘調査によって、弥生後期としては国内最大の大型建物跡が見つかった。
 その後の調査で、柵で四角く囲まれた中に大型建物が計画的に配置されていたことや、
 東へ約30m離れた地点に楼観と呼ばれる高い建物があったことが分かった。
 さらにこれらの大型建物群を円周状に取り囲むように、
  祭殿とみられる大型建物跡が次々と発見された

 祭殿は、伊勢神宮の正殿に似た建物形式と考えられている。
 また床面積が185㎡もある大形竪穴建物も発見され、
  王が住まいした建物ではないかと考えられている。
 伊勢遺跡では、これまでに13棟を数える大型建物が見つかっていて、
  計画的に配置されていることなどから、
 この地が近江南部地域に形成された国の政治や祭祀を執り行う中心であったと考えられている。


伊勢遺跡 全体図
 (現地説明板から)

平成24年国史跡となる。

まだ、なんにもない

竪穴住居があるが、復元されているわけではない。

どう活用していくかが課題だ。

妙光寺古墳群(野洲市)につづく

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