北村さんちの遺跡めぐり
更新日2008/4/14
晩秋の旅 京都・山城地方と滋賀・湖東 その3 滋賀県・竜王町 |
撮影日2007/11/28 |
栗東市を大急ぎでまわって、お昼を過ぎた。
午後からは、竜王町に行く。
地図g
竜王町のホームページには『竜王町遺跡リーフレット』がある。
古墳については
星ヶ崎古墳・広谷池古墳・三ツ山古墳群・岩屋古墳・オウゴ古墳が
掲載されている。
滋賀県教育委員会からは『滋賀県文化財学習シート』というホームページがある。
雨宮古墳・岩屋古墳が掲載されている。
地図も掲載されているので、竜王町の古墳は簡単に見つかるはずだ。
山の中にあるらしき星ヶ崎古墳以外の5つの古墳を探してみる。
その前に、お昼ごはんを調達。
時間がもったいなくて、
「道の駅 竜王かがみの里」のパン屋さんでパンを買う。780円。
次の見学地・広谷池古墳で食べる。
広谷池古墳 |
滋賀県竜王町鏡 |
竜王町遺跡リーフレットの地図を見ながら探す。
大きな工場の手前の細い道に入った突き当りがよどんだ池(広谷池?)
その前に円い古墳。
広谷池古墳全景
道の向こうは、池。
右横(北)は町内のゴミ集積所の広場となる。
鏡山から派生する丘陵上に位置しているという。
現在は周りが開発されているので、丘陵上とは思えない。
広谷池古墳実測図
(竜王町遺跡リーフレットより)
石室入口
奥壁側も開口している。
石室内部は、2室に分かれているように見える。
石室内部 |
石室内部 反対側から |
広谷池古墳は、全長12m・高さ3mの円墳(現状)
横穴式石室は、石室全長5.6m
玄室長さ3.2m・幅1.4m・高さ3m
羨道部長さ2.4m・幅1.05m・高さ0.7m
5世紀後半の築造と推定されている。(周辺で見つかった遺物から)
以前はこの周辺に数基の古墳が分布する群集墳だったというが
現在は広谷池しか残っていない。
三ッ山古墳群 |
滋賀県竜王町山面 |
広谷池から工場を過ぎたところの住宅地の端に三ッ山古墳群の説明板があった。
説明板の横にある家の1年生の男の子が
「ぼくの秘密基地だから、案内してあげる」と言って連れて行ってくれた。
彼の家からほんの少し山に入ったところに、くずれかけた大きな石室。
秘密基地にしては大きすぎる。
1年生の彼は「地震が来たら崩れてしまう」と心配していた。
三ッ山古墳全景
封土が流れ去り
大きな石室が露出している。
三ッ山古墳群は (説明板より)
鏡山から派生する丘陵先端部に位置。
10数基から構成された古墳群だったが現在は1基しか残っていない。
三ッ山古墳石室正面
天井石の大きさにびっくり!
玄室の長さ5.4m・幅1.8m・高さ2.1m
墳丘の大部分が消失、太刀の環頭が出土したといわれている。
不動岩屋古墳 |
滋賀県竜王町薬師 |
三ッ山古墳群の東にある山の山裾にある。
江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されている。
この日もお参りがあったらしく椅子が並べられていた。
不動岩屋古墳
建物の向こうに石室がある。
不動岩屋古墳石室
岩屋不動明王が祀られている。
滋賀県文化財学習シートには覆い屋がない明るい岩屋古墳石室が掲載されているが、
現在は覆い屋のために、暗くて、石積みもよく見えない写真しか撮れなくなってしまった。
不動岩屋古墳後円部
写真中央奥の石の下が石室
不動岩屋古墳前方部
不動岩屋古墳実測図(滋賀県文化財学習シートより)
不動岩屋古墳は
全長42mの前方後円墳。
後円部径25m・高さ5m
前方部先端幅20m・高さ6m
後円部より前方部のほうが高い。
段築・埴輪・葺石・周濠はなし
玄室長5.4m・高さ2.4m(復原3m)
奥壁幅1.95m・玄門幅2.5m
石室内に不動明王を祀る
6世紀の築造と推定されている。
オウゴ古墳を探す。地図上では場所が分かっている。
小口町の新しい住宅地の北端の川の向こうにある。
が、川を渡る橋がない!
大回りをして川の向こう側に行ったが、車が入るような道がない!
あきらめて、次に向かう。
雨宮古墳 |
滋賀県竜王町岡屋 |
丘陵の先端に築かれている。大きくて山と区別がつかない。
雨宮古墳登り口
周提帯が残る。
雨宮古墳墳頂部
小さな祠がある。
雨宮古墳実測図(説明板より)
雨宮古墳は
竜王町の平野部に前方部を向けた帆立貝形古墳
全長82m
後円部径67m高さ9m
前方部の長さ22m幅35m高さ1.9m
外提と一重の周濠
葺石あり。
滑石製の勾玉が出土
墳頂から家形埴輪・円筒埴輪が出土
5世紀の中ごろの築造と考えられている。
時刻は 14:45
竜王町の古墳を見終えた。
あと、どこに行こうか?
雪野山のふもとの古墳に行ってみよう!
C 晩秋の雪野山周辺につづく