北村さんちの遺跡めぐり 
更新日2008/5/14

晩秋の旅
  京都・山城地方と滋賀・湖東

       その4 雪野山のふもとの古墳
撮影日2007/11/28

晩秋の旅、最後は雪野山のふもとの古墳めぐり。
竜王町の雨宮古墳を出発したのが午後2時40分。今日中に家に帰らねば。
大急ぎでまわるぞ!
また高速道路をくぐり、雪野山へ。

地図g

雪野山の頂上には有名な「雪野山古墳」があるそうだ。
見学に行きたいが、滋賀県文化財学習シートに「きつい登山あり」と書かれているので、
あきらめて、東麓の平石古墳・八幡社古墳を探す。

雪野山古墳
標高308mの雪野山山頂にある。
全長70mの前方後円墳
後円部径40m・前方部長30m
2段築成
1989年に竪穴式石室が未盗掘の状態で発見された。
竪穴式石室の長さ6.1m・幅1.5m・高さ1.6m
墓域の底に粘土床を敷いて刳り抜き式の船形木棺が安置されていた。
木棺の長さ5.2m・幅0.9m(粘土床に残った痕跡や木棺の破片から)
石室から三角縁神獣鏡ほか刀剣・武具類など豊富な副葬品が出土した。

平石古墳を探して、集落の中を探すが見つからず。
少し南の大きな工場のうしろあたりでようやく発見。

 平石古墳

滋賀県東近江市上羽田町
 (撮影日2007/11/28)

山すその農道脇に石碑がある。

平石古墳の石室を見る私
「史跡 平石古墳群」と書かれた石碑が立つ。

径15mの円墳



平石古墳石室入口




入口から石室内部を見る

全長10.2m
羨道長5.7mm・幅1.5m・高さ1.6m
玄室長4.7m・幅2.5m・高さ3.1m
両袖式



石室の奥壁





玄室から外を見る

調査がなされていないのか、説明板がない。
参考文献も見当たらない。
古墳のそばで農作業をしているご夫婦は、
  以前はいくつか古墳があったが、今はこの1基しか残っていないと話してくれた。

平石古墳から少し北にある八幡社古墳群へ。

 八幡社古墳群
県指定史跡

滋賀県東近江市中羽田町
 (撮影日2007/11/28)

八幡社古墳群は 雪野山東側のほぼ中央に位置する。
前方後円墳1基・円墳18基からなる古墳群。

八幡社古墳群配置図(説明板から)なぜか前方後円墳形の休憩所がある。

山の上から山すそにかけての谷あいに位置し、山すその12基が県指定史跡となる。
7世紀前半の築造と推定されている。
横穴式石室を持つ。
前方後円墳1基以外は、径6〜15mの円墳

八幡社古墳群46号墳

八幡社古墳群の盟主墳
全長21mの前方後円墳
後円部11m・高さ3.5m

横穴式石室を3つ持つ

46号墳全景
石室は右から
A室・B室・C室
と名づけられている。
小さい前方後円墳なのに3つの横穴式石室を持つとは驚きだ。

八幡社古墳群46号墳実測図
(説明板から)




 46号墳石室 A・B・C室の比較  平面形 玄室 羨道
長さ  幅 高さ 長さ  幅 高さ
A室 両袖式 4.2m 1.5〜2.2m 2.0m 3.0m 1.1〜1.2m 1.2m
B室 片袖式 3.15m 1.1m 1.8m 2.9m 0.8m 1.2m
C室
L字形両袖式 4.8m 1.6m 2.3m 2.8m 1.2〜1.6m 1.2m
副室 1.8m 1.6m 1.2m

石室の構造から
まずA室が築かれ、後の時代にC室・B室が築かれていったと考えられている。

八幡社古墳群41号墳

林道によって天井石が除かれ、羨道部が少しずつ削られる状態だったので、平成2年発掘調査された。



41号墳の石室




両袖式の横穴式石室を持つ直径11mの円墳
玄室の長さ2.9m・幅1.3m
羨道の長さ2.3m・幅0.9m

八幡社41号墳遺物出土状況 
  (説明板から)

玄室内の床から
須恵器の杯身2・杯蓋2・短頸壺1・提瓶1・土師器の小型壺1・鉄釘1・鉄製品1
が出土
7世紀前半の築造と推定されている。

八幡社古墳群・そのほかの古墳

2基ずつ向かい合うように造られている。


47号墳

45号墳


44号墳


42号墳


48号墳

高速道路をくぐり、南へ。あかね古墳公園に行く。

 あかね古墳公園
木村古墳群

滋賀県東近江市川合・木村
 (撮影日2007/11/28)

高速道路から、整備された古墳が2つ見える。
いつか行きたいと思っていた。

以前は七つ塚と呼ばれて9基以上の古墳があったらしいが、
   現在は久保田山古墳・天乞山しか残っていない

あかね古墳公園は蒲生町のシンボルとして平成9年に完成した。
2つの古墳は、検出された遺構を地下にそのまま保存し土で覆って復元した。

あかね古墳公園
左 久保田山古墳
右 天乞山古墳
向こうに見える山は
雪野山古墳がある雪野山

木村古墳群と雪野山古墳は同じ氏族の墓と推定されている。

木村古墳群配置図(説明板から)



説明板が作られた後、
神輿塚は方墳
ケンサイ塚も方墳
と確認されている。



     消滅した古墳のデータ
神輿塚古墳
ミコシヅカ
方墳  天乞山古墳と同程度の大きさと推定されている。
西側に幅10m・長さ20.5mの造出しがある。葺石あり。
周溝から円筒埴輪・朝顔形埴輪が出土。

5世紀前半の築造と推定されている。
ケンサイ塚
古墳
  ケンサイ塚古墳(説明板から)
1960(S35)年の調査では
直径70〜80m・高さ10mの円墳と推定されたが、
2000(H12)年の調査で天乞山古墳と同程度の方墳と確認された。
二段築成。
西側に幅10m・長さ20.5mの造出しがある。
葺石あり。埴輪あり。
周溝から円筒埴輪・朝顔形埴輪が出土。
墳頂から石室の残穴や粘土槨などの複数の埋葬施設が確認され
粘土槨から剣・太刀・鉄鏃・小刀・刀子・やりがんな・手斧・鎌・鍬などのミニチュアの鉄製品や
  木製櫛などの副葬品が出土
墳頂部から多数の家形埴輪などの形象埴輪や円筒埴輪が出土
    (説明板から)
石塚古墳 全長54mの帆立貝形前方後円墳
 後円部直径40m 前方部は幅18m・長さ14m

周濠は馬蹄形幅15m  周濠から円筒埴輪が出土
5世紀末の築造と推定されている。
入刀塚古墳 ケンサイ塚に隣接して造られている。
1辺20mの方墳
数十本の太刀が出土したことから名が付いたといわれる。

  

天乞山古墳

木村古墳の中で一番東に位置する。滋賀県の方墳では最大
全国的に見ても
 奈良県枡山古墳(墳丘長98m・橿原市鳥屋町)
 千葉県竜角寺岩屋古墳(墳丘長86m・印旛郡栄町)
 大阪府浄元寺山古墳(墳丘長70m・藤井寺市)
 に次ぐ規模。
墳丘に2つの作り出しを持つのは
 三重県明合(アケアイ)古墳(墳丘長60m・安芸郡安濃町)など数例。


調査時の天乞山古墳
(説明板から)



現在の天乞山古墳


一辺65mの方墳
南北両側に造出しがある。墳丘は2段築成
高さは調査時9m
4重の周濠があり、幅は20〜4m。
墳裾には葺石がある(雪野山や布施山から運ばれたもの)。

天乞山古墳造出しの部分
造出し部分は
南側幅8.7m長さ6.8m
北側幅15.5m・長さ11m


造出し付近から円筒埴輪・朝顔形埴輪が少し出土。

調査時の石室天井石
(説明板から)
埋葬施設は盗掘を受けていて、
 幅1m・長さ2m以上の3個の天井石が落ち、
 側壁の石も散乱していた。

天乞山古墳の埋葬施設復原
東西方向に長さ6〜8mの竪穴式石室があったと推定された。
古墳群中最初に築かれたもので、5世紀前半の築造と推定されている。

久保田山古墳

南北2方向に造出しを持つ県下でも最大級の円墳。


調査時の久保田山古墳
(説明板から)



現在の久保田山古墳
天乞山墳頂から見る。

直径57mの円墳(最大長75.8m)・高さ5m
南北2方向に造り出しを持つ  
2段築成  全面に葺石あり(雪野山か布施山産の湖東流紋岩)
最大幅14mの周濠がめぐる

調査時の造り出しと葺石の様子
(説明板から)

造出しは
南側幅15.4m・長さ12.5m
北側は幅13.4m・長さ8.2m


調査時の埴輪の様子
(説明板から)


下部テラスには円筒埴輪が並ぶ
南側の造り出しにも形象埴輪が出土

築造当時のままに復元された
久保田山古墳








墳丘の北半分と造出しが破壊されていたので、埋葬施設は不明。
5世紀前半の築造と推定されている。

高速道路から見えるあかね古墳公園には以前からいきたいと思っていた。
夢がかなった。満足です。

午後4時20分 薄暗くなってきた。
秋は古墳めぐりには最適だけれど、暗くなるのが早くて困る。

家路につく。
5時30分、米原付近通過
6時ごろ 湖北町のスーパー「フレンドマート」で夕食ゲット 二人で618円(なんと安い夕食か!)
6時30分ごろ、スーパー出発。 
9時40分 自宅到着。
たくさんの古墳を見たので、頭の中がごちゃごちゃ。
今回の旅では、高速道路付近の古墳をいっぱい見た。
高速道路を何回くぐったのだろう。
・・・・・・・
とりあえず、寝よう!

晩秋の旅 おわり

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