北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/4/6

2023三重県へ その3
明和町2・松阪市2・津市2
撮影日2023/11/23〜26

2023/11/25日 三重県の旅3日目の後半です。
明星古墳群を見学して、斎宮跡へ来ました。

明和町の地図g

 いつきのみや歴史公園
国史跡斎宮跡
明和町斎宮
撮影日2023/11/25 12:10

広い駐車場を真ん中にして、東側には「さいぐう平安の杜(斎宮正殿復原建物)」、
  西側には「斎宮歴史ロマン広場」がある。
真ん中には「、いつきのみや歴史体験館」と「いつき茶屋」もある。

お昼になったので、
 いつき茶屋(休憩所)で、
 中華飯の昼食



   

 斎宮跡
 古代から中世にかけての約660年間、
  天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇女「斎宮」の宮殿があった場所

 東西約2km、南北約0.7km、総面積137haと広大で、甲子園球場35個分の広さがある。

 斎宮の歴史で、最盛期と考えられている
  平安時代前期(9世紀前半)の3棟の建物や区画道路が、
   発掘調査の成果をもとに再現されている



大きな案内板

斎宮復元建物 左から西脇殿、正殿、東脇殿

西脇殿

正殿

東脇殿

いつきのみや歴史体験館

斎宮跡顕彰碑「御舘の碑」
明治36年建立 
斎宮跡を復興しようという機運が
  高まり立てられた。

  

 斎宮跡歴史ロマン広場
 かつての斎宮の住型とその規模を感じるために、
 奈良時代末期から平安時代初期にかけて造営された基盤目状の官衙のうち、
 北西端の区画をヤナギ並木の園路として実地に示されている。
 また、史跡地の全体を1/10に縮小した模型では、復元した建物群がみられる。

史跡全体模型

1/10の建物模型  空は本物

内院再現
方格地割の中央部は二重の塀で囲まれていて、
斎王の日常的な住まいであったと推定されている。

人々も再現されている(人形)

神殿再現 内院の北側

寮庫(倉庫) 再現
火災の延焼を防ぐために
建物の間を広くとっていると推定されている。

  

坂本古墳群
県史跡
明和町坂本
撮影日2023/11/25 13:08

斎宮跡の北約1.5kmの県道707号線沿いにある。 古墳公園として整備されている。
インターネット上に「坂本古墳群パンフレット」が公開されているので、参考にさせてもらった。

 坂本古墳群「坂本百八塚」とも呼ばれ、150基以上の古墳があった大古墳群だったが、
    開墾によりほとんどが破壊された。
 現存6基

配置図  説明板から
1号墳 前方後方墳 全長38m 木棺直葬
2号墳 方墳 16×15.7m 木棺直葬
3号墳 方墳 15.4×13.2m 木棺直葬
4号墳 方墳 小方墳か? 未調査
5号墳 前方後円墳か? 不明 半壊7
6号墳 方墳 未調査
8号墳 方墳 墳丘削平
周溝確認
未調査

調査2004〜2001年(平成7〜13)
  2012年(平成24) 
 1・2・3号墳は墳丘と周溝が復元されている。8号墳は周溝が復元されている。
 4・5・6号墳は現状保存。

   

 坂本1号墳

墳丘測量図    (バンフレットから)

全長38mの前方後方墳
前方部長11m・高さ2.6m  後方部幅19m・高さ4.6m
 前方部高さ2.6m 後方部高さ4.2m
周溝がある
墓坑に木棺が納められ、
 金銅装頭椎太刀(コンドウソウカブツチノタチ)、
  鉄刀、須恵器が  出土した。



1号墳 左奥に前方部

前方部手前から後方部を見る

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る
 説明板から

   

 2号墳・3号墳・8号墳 その他の古墳
 2号墳は 16×15.7mの方墳 高さ2.0m  金環、須恵器が出土
 3号墳は 15.4×13.2mの方墳 高さ1.5m  鉄刀、須恵器が出土した
 4号墳・5号墳・6号墳は、現状保存
 4号墳・6号墳は 方墳
 5号墳は 半壊だが、前方後円墳だと考えられている。
 8号墳は、発掘調査で新たに見つかった方墳で墳丘は削平されていて、周溝のみが確認された。

手前2号墳 後ろ3号墳

2号墳  右奥3号墳

3号墳

4号墳 墳丘はほぼ無い

5号墳 半壊

6号墳

2号墳から見た8号墳跡
周溝が表示されている

8号墳跡 
奥に2号墳、3号墳
 説明板から

   

 隆子王女の墓(寺山1号墳)
陵墓参考地
明和町馬之上
撮影日2023/11/25 13:26

坂本古墳群の北東約1kmの所にある。古墳名は「寺山1号墳」。

 隆子王女の墓(寺山1号墳)は 隆子女王墓として宮内庁が管理している。
 径12m、高さ2mの円墳。 周溝がある。
 隆子女王は、 醍醐天皇の孫で、第四十三代斎王として伊勢に遣わされたが、
   天延二年(974年)にわずか3年の在位で病死、この地に葬られた。

墓地の奥の森に墳丘がある。

近づいてみる

正面

見えないな




松阪市の農業研究所敷地内の「西山古墳」という前方後方墳を目指して、北上。

地図g

 須賀城跡 松阪市嬉野須賀町
撮影日2023/11/25 14:10

農業研究所の南、1km位のところに、古墳のような高まりを見つける。
なんと!これは須賀城跡の土塁だ。

 積善寺(シャクゼンジ)そばの須賀集会所横に、長さ50m・高さ3mほどの土塁が残る。
 東側にも低土塁が10mほど残る。
 その外側にも、集落の北側に土塁と用水路になっている堀跡や、
  集落西側には土塁痕が残る。
 築城者、築城時期は不明。室町時代か

左の建物は集会所

長い土塁

土塁端には祠が建てられている。

西の道路から見る

  

 八幡古墳 松阪市嬉野川北町
撮影日2023/11/25 14:18

積善寺の北東約500mのクリーンセンター北の小さな森は古墳だ。
説明板がある。前方後方墳

 八幡古墳は 前方後方墳の形式を残しながら、四隅突出墳である。
  葺石あり


墳丘図

(説明板から)

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る

後方部墳頂

後方部から前方部を見下ろす

説明板から

小さな説明板で、大きさが書かれていない

  

 西山古墳 松阪市嬉野川北町
撮影日2023/11/25 14:30

須賀城跡や八幡古墳の北に、農業大学校や農業研究所があり、その北の山の中に、西山古墳がある。
農業研究所の駐車場に駐車して山に入ってみる。

 西山古墳は 全長43.6mの前方後方墳
   後方部一辺長24m・高さ4m、 前方部先端幅11.4m・高さ2.5m 
 前方部を北西方向に向けている。
 墳丘南側に周濠がある。
 後方部西側には造り出し状の突起がある。
 墳丘外に別区が存在する可能性がある。
 葺石なし 埴輪の出土なし。
 4世紀前半頃の築造と推定されている。
 盗掘(昭和39年)や土取りのため一部削平されたが、その後復元された。
 平成13年には範囲確認調査 

西山頂上は
西山古墳の東にあり、広場となる

西山頂上にはあずまやと三角点がある。
 西山頂上から西に一旦下りて、上ったところに、西山古墳がある。

西側(前方部側)から
  西山古墳を見上げる



古墳の周りには遊歩道が作られているが、
古墳自体は笹薮で見えない……

西から見た西山古墳遠景 手前のピークにある

  

 鳥居古墳 津市一身田上津部田
県立博物館庭
撮影日2023/11/25 15:15

三重県総合博物館の敷地内に石室が保存されているという。

地図g

 鳥居古墳
 鳥居町にあったが、昭和38年の調査後、県立博物館の中庭に移築された。
 横穴式石室の残存長6.77mの両袖式
   玄室長4.30m・玄室幅1.6〜2.2m    羨道長2.47m・羨道幅1.2m
 玄室の中に納められている石棺
  棺蓋 長辺2.86m・ 短辺0.85〜1.04m  高さ0.3m
 棺身  長辺2.6m・短辺0.9m 高さ0.67m
 6世紀後半の築造と推定されている。

石室だけが移設保存

入口側から奥を見る

玄室には石棺が安置されている。

方向を変えて石棺を見る

側壁手前から見た石室

鳥居古墳横には、
説明のない石棺蓋が置かれている
 説明板から

鳥居古墳位置図
現在の津市鳥居町の「しあわせの森公園」の南側あたりにあったと考えられている。
国鉄参宮線の敷設(大正6年)時に、墳丘の一部が破壊され、
その後は石材が露出したまま放置されていたと考えられている。
  押出仏とは、銅製の仏像を浮き彫りにした銅製の型に薄い銅版をあて、
  鎚(ツチ)や鏨(タガネ)で叩いて仏の姿をかたどり渡金(ときん)を行ったレリーフ
 出土した押出仏には、一光三尊仏といって、舟形の光背に天蓋を頂く如来立像、
   その左右に 菩薩立像、上部4体の化仏を配する

他にも石碑がある

 「道標」

   


岡南4号墳 を探して安濃町川西付近をうろうろするが、見つからず……
後で調べたら、勘違いして、藤ケ森城跡のあたりを探していたらしい。
岡南4号墳は、藤ケ森城跡の北西300mほどの墓地の中だった……

 岡南4号墳(松阪市安濃町川西・市史跡)は 全長33m・後円部径24mの前方後円墳 
 6世紀前半の築造と推定されている。
 すぐそばに5号墳(玄蕃塚)がある。

   

 大名塚1号墳
市史跡
津市安濃町草生
撮影日2023/11/25 14:30

 津市安濃庁舎から西へ2km、道路から説明板が見える。

 大名塚1号墳は  径23m・高さ4mの円墳
 横穴式石室は全長8.95mの両袖式
  玄室長4.55m・幅1.9m・高さ2.9m  羨道長4.2m・幅1.4m・高さ1.7m
 明治時代に発掘調査が行われ、鏡や武器、装身具、須恵器が出土したという。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 北隣に2号墳が現存、3号墳は消滅。

説明板の後ろに石室が開口している。

注意書きは読まなかったということで……

石室内部

石室内部から入口側を見る


石室の後ろ側から見た墳丘
 説明板から

  

 4時半だけど暗くなった……
 オーシーエム東海轄v尾SS(津市高野尾町)で、ガソリン給油。
今夜の宿スーパーホテル鈴鹿をめざす。約17km。

ナビを信じたら、県道650号線という真っ暗な山道を案内されて、こりゃだめだとやり直し……
もたもたしたが、5時半にはイオンモールに到着。
お土産探しと夕食のためにイオンモール鈴鹿に寄ったが、お土産はなかなか売ってなくて……
「イオンモール鈴鹿内 花あかりにて豪華な(?)夕食!

その後「スーパーホテル鈴鹿」へ (鈴鹿市算所1丁目)
  
      

王塚古墳(西ノ野1号墳(鈴鹿市)  につづく

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