北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/3/16
2023三重県へ その5 松阪市2・明和町1・玉城町・伊勢市 |
撮影日2023/11/23〜26 |
2023/11/25日 三重県の旅3日目の朝です。
宿泊した「ビジネスホテルマルヤマ」の喫茶室で朝食。
喫茶店の元マスター然とした男性が
作ってくれた朝食
今日は伊勢市まで行ってから北上する。 ホテルを8時に出発、気温は8度で、とても寒い。
深長古墳 |
松阪市深長町 撮影日2023/11/25 8:16 |
ホテルの西約4kmの農地の中にある古墳。
説明板はなさそうだ。
深長古墳(フコサコフン)は、標高20mの扇状地末端にある狐山とよばれる小山。
|
|||
農地の中に小山 |
元の大きさよりずいぶん小さくなっている |
||
墳丘に上がれる |
墳頂 |
八重田古墳群10号墳 市史跡 |
松阪市八重田町 撮影日2023/11/25 8:25 |
2010年に、八重田11号墳を見学したが、
日丘団地内の擁壁の上のフェンスの中に保存されていてよく見えなかった。
八重田10号墳は、11号墳の北500mの農地の中にある。
八重田10号墳(大塚)は 丘陵先端にある42.5m×38mの円墳。 2段築成 葺石あり 埴輪列あり 発掘調査されていないので、詳細不明。 |
|||||
全景 |
|||||
墳丘 |
墳頂には石祠? |
||||
説明板から
|
高地蔵1号墳 |
松阪市岡本町 撮影日2023/11/25 8:42 |
八重田10号墳の南約1.5kmの丘陵先端に高地蔵1号墳がある。
宝塚古墳と八重田10号墳の中間あたりにある古墳群。
高地蔵古墳群は、 集落の北のはずれに突出した標高20mあまりの岡本台地端部に築造された10基の古墳群。 前方後円墳1基と円墳9基(ほとんどが径10mほど) 計10基からなる 高地蔵1号墳は、全長58mの帆立貝式前方後円墳 後円部径48m・高さ8m 前方部先端幅20m・高さ1.75m。 川原石の葺石あり 円筒埴輪列をめぐらしている。 後円部頂は径12mほどが平坦で、その中央は大正時代の盗掘で大きく空いている。 粘土槨があったともいわれているが、詳細不明。 副葬品も不明。 墳丘で、古式の須恵器広口壺の破片が採取されている。 5世紀後半頃の築造と推定されている。 高地蔵1号墳 測量図 (古墳辞典から) 他の2〜10号墳は小規模な円墳で、 大きいもので径15m、ほとんどは径10m前後で、築造時期は不明。 1号墳前方部のある丘陵端部に密集分布している。 |
|
全景 |
|
古墳への入口 |
1号墳 段築のテラスの石祠 |
墳丘 |
1号墳 墳頂の大きな陥没抗 盗掘抗? |
宝塚古墳群 国史跡 |
松阪市宝塚町 撮影日2023/11/25 9:10 |
2010年にも見学したが、雨が激しくてゆっくり見学していない……
宝塚古墳公園として整備公開されている。
宝塚古墳群 |
宝塚古墳は、松阪の市街地から南に2kmほど離れた丘陵上にある。 宝塚古墳群位置平面図 (松阪市HPから) 1号墳と2号墳からなる古墳群 昭和7(1932)年に国史跡に指定された。 かつて周囲には、 88基の古墳が存在したといわれるが、 開発により、そのほとんどが姿を消している。 |
宝塚1号墳 | |||||
全長111mの前方後円墳 後円部直径75m・高さ10m 前方部幅66m・高さ7m 3段築成 葺石が3段に覆い、埴輪列が2段にめぐる 埴輪列には、円筒・壺・盾形などがある。 前方部のくびれ部寄りの北裾に造出しがある。 造出しは、 墳丘本体と長さ5m・上面幅2.5〜3m・基底幅5mの土橋でつながり、 2段に築成され、さまざまな埴輪が出土した。 埋葬部は、未調査だが、粘土槨の存在が考えられている。 5世紀初頭の築造と推定されている。 |
|||||
1号墳への坂道 |
1号墳全景 |
||||
くびれ部に造出しがある |
前方部から後円部を見る |
||||
後円部から前方部を見る |
後円部から造出しを見る |
||||
造出しは、上段上面で東西幅13m・南北幅10m 下段基底面で東西幅18m・南北幅16m 高さ1.6m 上下2段に葺石がある。 船形埴輪・囲形埴輪・家形埴輪や柱状埴輪など140点もの埴輪が 当時置かれた位置を保った状態で発見された。 埴輪群の配列など、古墳でおこなわれたマツリのようすを研究する上で 大変重要な資料となった。
|
1号墳の北に2号墳がある。
宝塚2号墳 | |
宝塚2号墳は 全長89mの帆立貝形古墳 後円部83m・高さ10.5m 前方部幅38m・高さ3m 墳頂部の平坦面には南北12.5m・東西7mの墓域が検出されている。 前方部2段、後円部3段築成 斜面に葺石がある。 後円部2段目テラス部分の前方部側に円筒埴輪列がある。 5世紀前半の築造と推定されている。 2号墳では1号墳にあった壺形埴輪が姿を消し、朝顔形埴輪が見つかっている。 朝顔形埴輪は壺形と円筒埴輪が一つになったもので、壺形埴輪に続く時代のものだ。 1号墳の後継者の墓と考えられている。 |
|
前方部から後円部を見る 前方部は、道路で切断されているが、 道路の手前で、 前方部の隅が確認されている。 |
|
後円部から前方部を見る |
2号墳から1号墳方向を見る |
残念なことに、説明板が汚れていたので載せないこととする。
2024/3/15 宝塚1号墳出土の埴輪が国宝になるというニュースが出てきた。
ヤフーニュースから 文化審議会は15日、三重県宝塚1号墳出土埴輪(松阪市文化財センター)や 宮城県多賀城市の多賀城碑(文化庁)、 藤原道長らが自筆した写経の金峯山(キンプゼン)経塚出土の 紺紙金字経(奈良・金峯山寺と金峯神社)など 計6件を国宝に指定するよう、文部科学相に答申した。 宝塚1号墳(5世紀初め)の埴輪は船や家などをかたどった8点。 特に大型の埴輪船(全長140cm、高さ94cm)は、 船上に大刀や蓋(キヌガサ)を立てるなど造形が精巧だ。 「古墳時代の葬送祭祀を考える上で他に例がない」と評価された。 埴輪としての国宝指定は「埴輪武装男子立像」(東京国立博物館)に次ぎ、2例目となる。 多賀城碑は高さ1.96mの石碑で、天平宝字6(762)年の建立と刻まれる。 141字で京など各地からの距離、多賀城の創建や修理について記す。 数少ない奈良時代の石碑として非常に価値が高いという。石碑の指定は3例目。 |
久保古墳 県史跡 |
松阪市久保町草山 撮影日2023/11/25 9:40 |
2010年に見学しているが、雨のため説明板と1枚の写真しかない。
パークタウン団地の中に、史跡公園として保存されている。
パークタウン1号公園の北の角隅に駐車して急いで見学。
除草の日らしく、作業をしている人がいる。
久保古墳は 径52.5m・高さ6mの円墳 二段築成 明治45年に盗掘を受け、 漢式鏡2、車輪石3、鍬形石2、勾玉5、管玉多数が出土したと伝えられている。 五島美術館所蔵の三角縁神獣鏡2面以外は定かでない。 4世紀後半頃の築造と推定されている。 三角縁神獣鏡の内1面は、面径23.1cmの舶載鏡で 岡山県湯迫車塚(ユバクルマヅカ)古墳・京都府椿井大塚山古墳 ・静岡県上平川大塚(カミヒラカワオオツカ)古墳のものと同笵である。 伊勢地方最古級の首長墓と考えられている。 |
|||
北から見た久保古墳 |
「久保古墳」の石柱 |
||
西には神社(秋葉山大権現)の鳥居がある。 一の鳥居 |
二の鳥居前から墳丘を見上げる |
||
墳丘 |
墳頂部 |
||
墳頂から裾を見下ろす |
公園には、「大型水平式日時計」がある。 古墳かと思った……。 |
||
説明板から |
見学を終えて車に戻る時に、通りかかった女性に柿を頂いた。
帰宅しておいしく食べました。ありがとうございました。
かまくら1号墳 町史跡 |
明和町上村 撮影日2023/11/25 10:10 |
明和町に入る。上村集落センターの広場には、かまくら1号墳がある。
かまくら1号墳は 径27mの大きな円墳 上部は平らに削られて、墳丘上に神社(八柱神社)が建っているい かつて出土した遺物から 5世紀後半の築造と推定されている。 |
|
かまくら1号墳全景 |
墳丘 |
神社への階段 |
墳頂の小社 |
説明板と 「かまくら1号墳」の標柱 |
小金3号墳 町史跡 |
明和町池村 撮影日2023/11/25 10:25 |
かまくら1号墳から南約2km、ビーフロードといわれる道路沿いの「斎宮きららの森」という公園に
小金3号墳が保存されている。駐車場完備。トイレ完備。
小金3号墳は 径19mの円墳 高さ2.6m 横穴式石室があり、全長7.3m 玄室長4.3m・幅1.4m・高さ1.8mの両袖式 6世紀後半〜7世紀初め頃の築造と推定されている。 2008年に宮川用水第二期土地改良事業にともなう調査 |
|||||||||
東から見あげた墳丘 大きな説明板が2枚 古墳自体はほぼ調査時のままで、 石室は埋め戻されている。 |
|||||||||
方向を変えて見あげる |
墳丘 周溝の跡? |
||||||||
墳丘上の石 |
墳丘上の石 |
||||||||
説明板から
|
塚田古墳 | 玉城町妙法寺 撮影日2023/11/25 10:50 |
小金3号墳から東南東約5kmの玉城町の農地の中にある。
説明板はない。
塚田古墳は、元は径20mの円墳で、周濠があった。削られて小さくなっている。 すぐ南には円墳が確認されたが、削平されている。 2010年に発掘調査。 |
|
農地の中に目立つ墳丘 |
かわいい墳丘 |
葺石?! |
茶臼塚古墳群 | 玉城町妙法寺 撮影日2023/11/25 10:58 |
塚田古墳の東に赤い鳥居が見えるが、これも古墳だ。
茶臼塚古墳は 現状径10m位。 東方の住宅地の中にも古墳があったが、すべて消滅しているらしい。 |
|
赤い鳥居が印象的 |
墳丘 |
丁塚古墳 | 伊勢市西豊浜町 撮影日2023/11/25 11:25 |
伊勢市に入る。西豊浜町の西豊浜団地にある。
丁塚古墳は 後円部径29mの前方後円墳。前方部は削平されている。 器台、小型甕、杯身などの須恵器が出土。 6世紀の築造と推定されている。 周辺には、カンジョ塚、中塚、中塚南、東、下稲葉などの古墳が明治初期まで散在したが 全て消滅した。 平安末期に経塚として二次利用されている。 |
|
全景 どこに前方部があったのか? |
方向を変えて見る |
墳丘上には石? |
江戸時代の古い墓石が集められている。 |
説明板から |
墳頂のすぐ下に巨石が埋まっているとの言い伝えがあるそうだ。
明星古墳群 | 明和町明星 撮影日2023/11/25 11:50 |
近鉄山田線明星駅のそばの明星苑団地内に古墳公園がある。
明星古墳公園には、東から11号墳、2号墳、3号墳が保存整備されている。 西端の3号墳は径10mの円墳、中央の2号墳は径5mの円墳で、 ともに周りを植栽で囲われている。 東端の11号墳(狐塚)は径20mの大きな円墳で、 元の雑木の状態をそのまま残して保存されている。 明星古墳群は、かつて12基の古墳があり、 ほとんどは直径や一辺が10mほどの円墳や方墳だが 7号墳は前方後円墳で鉄刀や鉄鏃が出土。 |
|
西から見る 手前から奥へ3号墳、2号墳、11号墳が並ぶ。 |
東から見た3号墳 |
3号墳から見た2号墳 奥11号墳 「明星古墳公園」と刻まれた石碑が 置かれている。 |
11号墳から見た2号墳 奥は3号墳 |
2号墳から見た11号墳 地元では伐採が禁じられた場所であったそうで 木はそのままで保存されている。 |
東の道路から見た11号墳 |
説明板から |
いつきのみや歴史公園 (明和町) につづく
トップページ