北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/1/16

2023三重県へ
その2
伊賀市2・名張市1
撮影日2023/11/23〜26

2023/11/23 後半です。伊賀市の続きです。

付近の地図g

中切古墳 伊賀市喰代
撮影日2023/11/23 13:29

辻堂古墳の南約2kmの農地の中。

 中切古墳は  墳丘がかなり削られているが、径15mほどの円墳と考えられている。
 横穴式石室は、壊れて石材が露出している。

石室のあたりだけが残る

墳丘上

横穴式石室の石材か

そばにある石仏。石室石材の利用?

     

王塚古墳 伊賀市比自岐
撮影日2023/11/23 13:43

4世紀代の前方後円墳として代表的な古墳・石山古墳の南の農地の中にある。
雑草に覆われていて、さっぱりわからない……
インターネット上に「上野市岡波王塚古墳(1979)」が公開されているので、参考にさせてもらった。

 王塚古墳は 比自岐盆地の農地の中にある。
 全長48mの前方後円墳と推定されている。

南から見た
  王塚古墳


右が後円部

西から見た王塚古墳

前方部側
 1979年に調査された時の報告書「上野市岡波王塚古墳(1979)」を読んでみたが、
 調査してもよくわからなかった部分が多く、ほとんど推定の域を出ていない

墳丘実測図および推定復元図

全長48m、後円部径28m 
 濠を含めた全長は60m
 と推定されている。

前方部を西に向けた前方後円墳に復元したが、
前方後円墳と決まったわけではない
 僅かな古式土師器や須恵器、 瓦器等の細片のほか 埴輪が出土。
  円筒埴輪、朝顔形埴輪
 埋葬施設も不明というしかない。
 6世紀初頭を中心に、 5世紀後葉から6世紀前葉の幅の中の築造と推定されている。

  

王塚古墳の北の山には「石山古墳」がある。見学できないという。

 石山古墳 伊賀市才良
 全長120mの前方後円墳 後円部を東北東に向ける。
  後円部径70m・後円部高さ9m  前方部幅40m・高さ5m
 後円部は2段築成 
 前方部は一部、平野部に臨む東南側でもう1段下が整形され、3段築成
 さらに、この延長上に幅19m×13mの造出状の遺構(「東方外区」)がある。
 後円部に3基の粘土槨があり、多量の副葬品が出土。
 後円部頂の方形埴輪列や、外区・墳丘各部の埴輪列も確認された。
  鰭付円筒埴輪の使用も確認されている
 4世紀後葉の築造と推定されている。
 昭和23年(1948)〜26年(1951)に発掘調査。1995年測量調査。

王塚古墳と石山古墳の位置

石山古墳のある山

 

猪田神社(下郡) 伊賀市下郡
撮影日2023/11/23 14:07

猪田神社古墳があると思って行ったが、無かった。違った……

 下郡の猪田神社は 
 主祭神が猪田神(イダノカミ)・別名 武伊賀津別命(タケイガツワケノミコト)
 平安時代には延喜式神名帳(927年完成)の伊賀国25座の式内小社に列せられている


下郡にある猪田神社

探したが古墳はない。

鳥居は厳島神社の鳥居と同じ型式 
日本中でも他に類をみないと言われている。

猪田神社(下郡)本殿は県重文

伊賀市では、二つの猪田神社が近接して鎮座する。
同じ丘陵(神奈備山)の麓にあり、元は同じ丘陵を崇めていたのが、
 集落ごとで祭祀が分化したと考えられている。
一つは、伊賀市下郡に鎮座する猪田神社。東麓にある。
もう一つは、伊賀市猪田に鎮座する猪田神社。北東麓にある。
どちらも『延喜式』神名帳の猪田神社の論社となっている。

猪田神社(猪田)古墳
県史跡「猪田神社古墳附古井」
伊賀市下郡
撮影日2023/11/23 1427

猪田にある猪田神社には、古墳がある。
北から南の神社に向かう長い参道がある。
10台以上駐車できる駐車場がいっぱいで何事だろうと思ったら、祭礼の真っ最中だった。
迷惑にならないように、そっと見学する。

 猪田神社(猪田)は 主祭神は 伊賀津彦神(イガツヒコノカミ)
 神奈備山の北東麓にある。

手水舎の前に
 「史跡猪田神社古墳附古井」
 と刻まれた石碑
がある

左奥は社務所

社殿

 国重文の本殿 

古墳は、本殿東側の奥にある。

 猪田神社古墳(1号墳)  県史跡
 本殿東側の社殿地にある大型の円墳
 直径24m・高さ4mの円墳  横穴式石室がある。
 矢田川左岸の丘陵上に築かれた3基からなる猪田神社古墳群の1号墳
 かつて墳頂から天文3年(1534)銘のある石灯籠(市指定文化財)が出土している。

立派な墳丘

神域として石柵で囲われている

石室は埋まっているようだ。

方向を変えて見る

古井戸は古墳のさらに東側の坂の下にある。

 古井戸 「天真名井」  県史跡
 古井は約1.2m四方の方形石組を持ち、俗に「天真名井」と呼ばれている。
 この井戸と伊勢神宮外宮の忍穂井とが通じているとの伝説もある。

社務所の向こうに天真名井の鳥居がある。
鳥居の向こうから100mほど坂を下りる

鳥居の縣額には「天真名井」とある。

覆い屋の中に井戸

古井戸

  

名張市に入る。

美旗古墳群について
国史跡
名張市美旗地区
撮影日2023/11/23 15:04

名張市の最初は美旗古墳群!

美旗古墳群の地図g

 美旗古墳群は 名張市東部に位置する美旗地区にある古墳群で
  古墳時代の前期から後期にかけて、築造されたと推定されていて、
 伊賀地方で最大規模の古墳群である
 前方後円墳5基、円墳1基、方墳1基が国史跡に指定されている。
 主な古墳リスト
 殿塚古墳 
 (トノヅカコフン)
全長約92mの前方後円墳。
後円部直径56m・高さ7.2m、前方部幅40m、高さ6.2m
美旗古墳群で最初に築造された。4世紀末の築造
4世紀末
 ワキ塚古墳群 殿塚古墳の外堤上にある 陪塚3基
 女良塚古墳 
 (ジョロウヅカコフン)
全長約100mの帆立貝式古墳。
後円部直径約73m・高さ9m、
前方部幅40m、長さ約30m、高さ約3m
5世紀前半
 毘沙門塚古墳 
 (ビシャモンヅカコフン)
全長約65mの前方後円墳(帆立貝式古墳)。
後円部直径約44m・高さ7m、
前方先端部幅20m、高さ3m。
5世紀中
 馬塚古墳 
 (ウマヅカコフン)
全長142mの前方後円墳。
後円部は直径98m・高さ14m、
前方先端部幅100m・高さ6m。
5世紀後半
 小塚古墳 1辺約15mの方墳。馬塚古墳の陪塚と考えられている。
 貴人塚古墳 
 (キジカヅカコフン)、
全長約55mの前方後円墳。
後円部直径35m・高さ4.5m、
前方先端部幅35m、高さ4m。
6世紀初頭
 赤井塚古墳 
 (アカイヅカコフン)
現存直径22m・高さ8.5mの円墳(元は直径30m前後)
南側に開口する両袖型の横穴式石室がある。
6世紀後半
 馬塚古墳の入口にある美旗古墳群説明板

石に刻まれている。
左半分は配置図。



読みにくいので、解読してみる

 「史跡 美旗古墳群 昭和53年10月17日 文部省指定」
 美旗古墳群は、名張盆地頭部の台地に築かれた前方後円墳を中心とする
    伊賀地方で最も大規模な古墳群。
 本古墳群の最初の築造は、北東の台地縁にみられる殿塚古墳で、全長88mの前方後円墳。
 次に築かれた女郎塚古墳は全長100mの帆立貝式古墳で整った周濠を見せている。
 次は、毘沙門塚古墳で全長65mの前方後円墳で造り出しをもった墳形と、
  これをとりまく整美な周濠をみせている。
 次は馬塚古墳で、この古墳群のうち最大規模ををもつ全長142mの前方後円墳で、
  造り出しをもった整った墳形と周濠を見せている。
 馬塚古墳東部の陪塚的位置にある小塚古墳は一辺15mの方墳である。
 次は貴人塚古墳で、全長55mの前方後円墳で、
   出土品から6世紀初頭の築造と考えられている。
 次は、に貴人塚古墳から南方1.5kmの小波田川右岸に位置する赤井塚古墳は、
    横穴式石室をもつ直径22mの円墳
 この美旗古墳群は、
  前方後円墳を主体とする三重県下最も顕著な古墳群で、各種の形態を示し、
   しかも首長層の墓として系譜的に継続して形成される重要なものである。

   

殿塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市新田
撮影日2023/11/23 15:07

最も北にある前方後円墳。
整備は特にされていない。四阿があるので一度は公園のようになっていたのか?

 殿塚古墳は 全長92mの前方後円墳
   後円部直径56m・高さ7.2m、前方部幅40m・高さ6.2m。
 北西の後円部側に丘尾切断の痕跡がある。
 二段築成 周溝(空堀)がある。
 4世紀末前後の築造と推定されている。美旗古墳群で最初に築造されたと考えられている。
 外堤上に倍塚のワキ塚古墳群3基があり、甲冑や鉄斧などが出土。

雑木が茂っていて、全体を見通せない
手前には、杭が立っているが、土葬の墓地だったという。

後円部

後円部の大穴
説明板から

    

女良塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市新田
撮影日2023/11/23 15:29

殿塚古墳の南にある。
殿塚古墳の南に下った道から女良塚古墳の前方部側に行けるかと思い、脇道に入るが、
 道が狭くて進めず、バッグで元の道に戻らなくてはならない羽目に陥った。
東の道路そばの空き地に駐車して、徒歩で女良塚古墳前方部側に行ってみる。
前方部側に説明板がある。
整備はされていないので、形はよく分からない。

 女良塚古墳は  全長100mの帆立貝式古墳
  後円部直径73m・高さ9m、前方部幅40m・長さ約30m・高さ約3m 
 周囲に幅12mの周溝(空堀)は、ほぼ完璧に残る。
 三段築成
 葺石、円筒埴輪、墳頂からは家形埴輪が出土。
 5世紀前半の築造と推定されている。。

前方部側には、説明板がある。

小山にしか見えない 手前の枯れ草は周溝
説明板から

航空写真で見ると、帆立貝の形がくっきり見える!

毘沙門塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市新田
撮影日2023/11/23 15:29

女良塚古墳の西300mにあるが、車道がないので、南に迂回して、 美波多神社側から東に入る。
あたりは「みはたメイハンランド」という公園になっていて、トイレ完備。



公園にある案内板

「美旗古墳群ハイキングマップ」



みはたメイハンランドに取り込まれて、毘沙門塚古墳がある。墳丘はジャングル!

 毘沙門塚古墳は  全長65mの帆立貝式古墳
  後円部直径44m・高さ7m、前方先端部幅20m・高さ3m
 両側のくびれ部に造出しがある。 周囲には幅6mの周濠(水がある)が完周
 三段築成  葺石、円筒埴輪が確認されている。
 後円部には破壊された竪穴式石室の跡が残る。
 5世紀中頃の築造と推定されていて、女良塚に続く古墳と見られる。

墳丘が見通せない。
毘沙門天の祠があったという。

竪穴式石室の残骸と天井石が残るという
木棺の破片が出土している

毘沙門塚古墳の
   水を湛えた周濠


 前方部側
説明板から

すぐ東に矢羽塚古墳の残骸がある。

馬塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市美旗町中
撮影日2023/11/23 16:05

毘沙門塚古墳の南約800m、近鉄大阪線美旗駅のすぐ東にある。
整備されていて、駐車場もある。

 馬塚古墳は  全長142mの前方後円墳
  後円部直径98m・高さ14m、前方先端部幅100m・高さ6m。
  御墓山に次ぐ県内二位の大型前方後円墳。
 両側くびれ部には造出し、葺石あり 埴輪あり  後円部は3段築成、前方部2段築成
 周囲を幅12mの周溝が完周。
 5世紀後半の築造と推定されている。

美旗古墳群の案内石碑
後ろが馬塚古墳

前方部から後円部を見る
前方部は幅広い

後円部の大穴

後円部から前方部を見る

後円部から見た東側造り出し

後円部から見た西側造り出し

馬塚古墳全景  (パノラマ写真)
後円部径98mに対して、前方部幅が100mある。
説明板から

東100mに一辺15mの方墳である小塚古墳。
馬塚古墳の墳丘上から見えないかと探すが、住宅に阻まれて見えない。

貴人塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市下小波田
撮影日2023/11/23 17:00

馬塚古墳南東500mの水田中にある。

 貴人塚古墳は 全長55mの前方後円墳
  後円部直径35m・高さ4.5m、前方先端部幅35m、高さ4m。
 後円部に南に開口する横穴式石室がある。
 開墾で墳丘はかなり削られているが、かつては浅い周溝(空堀)が巡る。
 須恵質の埴輪が出土。
 6世紀初頭の築造と推定されている。。

北から見た墳丘  左が後円部
墳丘は除草のために焼かれたようだ。はっきり形が分かる。

後円部脇から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

後円部の大穴
説明板から

  

赤井塚古墳
美旗古墳群として国史跡
名張市上小波田
撮影日2023/11/23 17:00

貴人塚古墳の南1.5km、国道422号線を越えて、上小波田集落の立派な民家の横にある。
ちょっとわかりにくかった。

 赤井塚古墳は 現存直径22m・高さ8.5mの円墳
 元は直径30m前後あったと考えられている。
 南側に開口する両袖型の横穴式石室は、
  全長11.8m、玄室長5.7m、幅2.4m、高さ3.6m、羨道長6.2mの両袖式、がある。
  伊賀地方では最大の規模。
 6世紀後半の築造と推定されている。。

墳丘

前にフェンスがあって石室に入れない

石室前に説明板
石室内部が見えない。

玄室が高く、奥壁と前壁の上部の石材が
窮隆状に迫り出している
 という
説明板から


午後5時、暗くなってしまった……
10分で、宿泊予定の「HOTEL AZ」三重名張店(名張市希央台1-10)に着いてしまう。
少し部屋で休んで、隣のココスで夕食と思って行ってみると、なんと1時間待ち!
休日ということを忘れていた……
1時間は待てないので、「ファミリーマート名張希央台店」で夕食を調達
部屋で食事……

 大屋戸古墳群 につづく

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