北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/12/26

2023三重県その1
伊賀市1
撮影日2023/11/23〜26

2023/11/23 予定より10分遅れて 午前5時10分、自宅出発!
徳光IC - 神田PA(7.02-11) - 米原JCT(7.14) 
- 多賀SA 長男一家と朝食を共にして、近況報告。(7.24-8.13) 
- 蒲生IC(8.30)
高速道路を離れて南下。 
 貴生川駅付近(8:56)を通過し、775号線を南下。
あやま道の駅(9:18-30)でトイレ休憩。 
やぶた神社 到着(9:30)

付近の地図g

宮山古墳群
陽夫多神社
伊賀市馬場
撮影日2023/11/23 9:34

最初の見学は宮山古墳群!
陽夫多(ヤブタ)神社の裏山にある古墳群。


宮山古墳群のある山

手前は陽夫多神社

社殿の横から、
 古墳を見学するための遊歩道が
 整備されている。


案内図があるが、見にくいので
案内図を参考にして配置図を作成した。
 

宮山古墳群 配置図
案内図は見えにくいので、
図を参考にして、配置図を作成

1号墳 全長42mの前方後円墳

2号墳 径20mの円墳

3号墳 径20mの円墳


城跡遺跡もある。
 案内図の中の説明文  陽夫多神社宮山周辺の古墳と中世の城跡
  陽夫多神社の宮山の森とその周辺には、古墳11基と中世の城跡3城が確認されている
  宮山頂上にある宮山1号墳は、
   全長42mの前方後円墳で、6世紀の前半築造
がうかがえ
   被葬者は、当時この地域を支配し陽夫多神社の創始に関係した有力者と思われる。
  平地に築かれたお旅所古墳は、大きな横穴式石室を有し墳形については
   地籍図等から前方後円墳の可能性
もあり、宮山1号墳に続く首長墓といえる
 円墳は、9基が確認され6世紀後半の横穴式石室のものが3基ある。
 中世の城跡では、宮山1号〜3号城跡がある
  天正年間の織田信長による伊賀侵攻の際の築造がうかがえ、
  2号城跡は、急造のためか東側の空堀や土塁は未完成である。
  3号城跡は、全体に規模が小さく織田軍が築いた陣城の可能性もある

陽夫多神社の社殿横から裏山に登る。
2号墳から見学。
古墳の説明板があるが、短い説明なので載せない。

 宮山2号墳
 直径20mの円墳
 横穴式石室が開口。羨道は完全に埋まるが、玄室長3m、幅1.5m、高さ1.8mくらい
 6世紀後半の築造と推定されている。
 石室の羨道部が壊れており、石室内が見える   (説明板から)

2号墳 遊歩道から見た墳丘
 

2号墳 方向を変えて見る
 

2号墳 石室が見える

2号墳 
羨道の天井が壊れていて、開口している。
 
 
 

2号墳 奥壁

2号墳 玄室から羨道を見る
 天井が一部、開口している。
羨道部はほとんど埋まっている。
 宮山1号墳
 全長42mの前方後円墳
 横穴式石室の石材が一部露出
 内部主体や埴輪の有無は不明。
 陽夫多神社の創始に関係する人物が、葬られている可能性がある。  (説明板から)

1号墳 後円部

1号墳 後円部石室の石材 
ほぼ埋まっている開口部

1号墳 後円部から前方部を見る

1号墳 前方部から後円部を見る
1号墳
 前方部裾から後円部を見る
  宮山3号城跡
 古墳かもしれない…その1

 3号城跡と2号城跡の間にある石材
 宮山2号城跡


2号城跡の空堀は未完成だという


 古墳かもしれない…その2

石材が集中しているが?
 宮山3号墳
 直径20mの円墳。   横穴式石室がある。
 6世紀後半の築造と推定されている。    (説明板から)

3号墳 墳丘

3号墳 開口部

3号墳 玄室

3号墳 玄室から羨道を見る
3号墳
  羨道から開口部を見る
 古墳かもしれない…その3   石室なのは間違いない
  3号墳に行く枝道から戻って、ちょっと先に行ったところにある。

石室の石?

すき間から撮影すると石室が見える。

3号墳の向こうにも、確認されている古墳がいくつもあるようだが、先を急ぐのでここまでとする。
配置図には書かれていないが、墳丘?石室?と思われるところがある。
城跡の遺構かもしれない。

お旅所古墳
市史跡
伊賀市馬場
撮影日2023/11/23 10:45

陽夫多神社の拝殿の南約200mに横穴式石室が露出している。
神輿のお旅所にあるので、この名で呼ばれている。

 お旅所古墳は  陽夫多神社の南約200mにある。
 巨大な石室石材が露出「伊賀の石舞台」と呼ばれている。
 墳形は不明、前方後円墳の可能性もある。
 石室は、玄室長4.5m、奥壁幅2.5m、高さ2.2mの両袖式、
 羨道長4.8m以上あるが、下部は埋まる。
 6世紀後半の築造と推定されている。。
 丘陵から平地に墓域を移した宮山古墳群と考えられている。

北から見る
手前に前方部があったのではないか?

説明板の後ろに大きな石材 
奥壁側

石室の奥壁にすき間がある。
すき間からカメラを突っ込んでみると→

石室内部が見れた 下部は埋まっている
羨道側が見える

羨道側(南)から見る

天井石は4石残存、それぞれ幅3m程度の巨石
説明板から

  

勘定塚古墳 伊賀市外山
撮影日2010/7/2 11:2

関西線佐那具駅の北の山麓の民家の横に巨大な石室が露出している。
石室しか残っていない。


民家に挟まれた石垣土台の上の
  木立の中に石室が隠れている。

  

 勘定塚古墳は 伊賀最大の巨石墳。伊賀市北東部の外山集落の北東端に立地する。
 墳丘の大半が失われていて、石室の奥壁および側壁の一部が残存している。

勘定塚測量図
  (伊賀市デジタルミュージアムから)

南方向に開口する石室は、
  玄室現存長4.7m、奥壁幅3.6m、高さ2m

 石室の平面的な規模に比して天井石までの高さが低い特徴がある。
 残存する天井石は一辺4m程度を測る巨石
 玄室が同程度の天井石2石で構成されたとすると、
   玄室長7〜8mを測る巨大な横穴式石室を有することとなる。
 7世紀前半の築造と推定されている。
 背後の山稜上には、4基の前方後円墳を含む外山・鷺棚古墳群があり、
  集落南側には5世紀後半から7世紀代の
    住居跡・大型建物跡が検出された外山遺跡群(大坪・追越遺跡)がある。
 丘陵上の墓域から離れて丘陵裾に下った箇所に築造され、
  巨大な横穴式石室を埋葬施設とすることから、   
  外山・鷺棚古墳群に続く当地の首長墓と考えられている。
     (伊賀市デジタルミュージアム ほか から)

暗い中に石室

「御勘定塚」と刻まれた石

大きな天井石が乗った石室

石室の高さは、2mほど

天井石は4m四方くらい

西側から見た墳丘 側壁がむき出し

外山・鷺棚古墳群分布図  (伊賀市デジタルミュージアムから)
勘定塚古墳の北の山には、前方後円墳4基を含む大きな古墳群がある。

元はどんな墳丘だったのだろうか…

御墓山古墳
国史跡
伊賀市佐那具町
撮影日2023/11/23 11:20

佐那具の国道25号線南側にある三重県最大の前方後円墳
前回(2010年7月)、雨の中見学に来ている。
墳丘北側に駐車場があり、大きな説明板があるはずだが・・・


前回(2010年7月)の説明板

今回、左の塀から落下して
橋の欄干に立てかけられている

右半分はすっかり消えている…
 御墓山古墳は、伊賀市北東部に所在する県内で最大規模を有する。
  全長180mの前方後円墳   前方部を北方に向ける。
   後円部径100m・高さ14m  、前方部幅80m・高さ10m  


御墓山古墳墳丘図  (古墳辞典から)

墳丘南側は馬蹄状の周壕により丘陵を切断し、
  後円部を形作っている。
 墳丘は2段に築成だが、
  墳裾より下方にも葺石を伴う高低差のある段築が見られ
  見かけは3段に見えるように工夫されている。
 後円部西側には、墳丘に取り付く造り出しがある。
 墳丘からは円筒埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪が出土
  円筒埴輪の基底部径は37pの、 古墳の規模に相応しい大型のもの
 5世紀前半の築造と推定されている。

 御墓山古墳の西北西1.4qには、 国史跡伊賀国庁跡がある。 

前方部登り口 右下は古い説明板

葺石

前方部から後円部を見る

後円部墳頂の大穴

後円部から前方部を見る

造り出し

墳裾から後円部を見る
周濠
  説明板から
 古い説明板の説明文
 御墓山古墳
 丘陵に営まれた前方後円墳で、北方に向かって前方部があり
  主軸の長さは約188m、幅は前方部において約67m、後円部で約100mで
  高さは前方部で約9m、後円部で約14mの壮大な古墳である。
 この古墳は後円部に濠の跡をとどめ封土の全面に葺石が存在している。
 また後円部東南の濠の外側に接して陪塚とみなされる2基の円墳がある。
 御墓山古墳は規模その他の点から
  この地方の古代史を研究する上において貴重な学術的価値を有するものである。
 大正10年3月国史跡に指定された。

   

中ノ瀬古墳群 伊賀市荒木字中ノ瀬
撮影日2023/11/23 11:20

御墓山古墳から直線で南約3kmの中ノ瀬の小さな集落の南にある山の斜面に古墳群がある。
集落の東側50mほどのゴミ集積所前に駐車させてもらって、山を目指す。
東端の住宅のお庭みたいなところを通って山裾の獣除けフェンスの扉を開閉して山に入る。



中ノ瀬古墳群遠景


 

 中ノ瀬古墳群5基確認されている
 中ノ瀬3号墳
 径16m以上の円墳。  横穴式石室が南に開口
 横穴式石室は全長6.1m、玄室長4.95m・幅1.8m・高さ2.1mの両袖式。

背の高い墳丘

南東に開口する石室

石室内部

石室から開口部を見る

3号墳側から見た
  中ノ瀬4号墳 奥に5号墳

 中ノ瀬4号墳  3号墳の15mほど上にある。
 径12mの円墳、半分削られて石材が一部露出

削られた墳丘

石材散乱
 中ノ瀬5号墳  4号墳のさらに上にある。
 径13mの円墳、墳丘の隙間から石材が少し見える。

墳丘

開口部は埋まっている
 中ノ瀬1号墳  4号墳の北西にある。
 径20mの円墳、横穴式石室が完存。
  石室全長7.55m、玄室長4.5m、幅2.3m、高さ2.3mの両袖式

墳丘

右下に開口部が見える

開口部は狭い

カメラを突っ込んでみるが、よく見えない。
 中ノ瀬2号墳   1号墳の20mほど上にある。
 径15mの円墳で、墳頂が陥没。

1号墳から見上げる2号墳

2号墳の墳頂部はへこんでいる

石材が散乱している

 2号墳から見おろす1号墳

墳丘配置は「OSAKA−TOM’s diary」様をはじめ、いろいろな方の情報を参考にさせていただきました。

中ノ瀬古墳群のある山の、標高320m付近には、「荒木車塚古墳」(県史跡)があるという。

 荒木車塚古墳は、全長96mの前方後円墳で、後円部の高さは8m
  葺石あり
  墳丘から、円筒埴輪、家形埴輪、盾形埴輪、朝顔形埴輪の破片が採取されている。
  埋葬施設は、盗掘されていて、不明。  副葬品も不明。
  5世紀初めの築造と推定されている。

中ノ瀬古墳群は、荒木車塚古墳のある山の北東麓にあるが、
  西麓から車塚古墳に登るというブログを見つけた。
時間に余裕があれば、見学したかった……



ミニストップ伊賀畑村店(伊賀市畑村)にて 昼食休憩。

辻堂古墳
市史跡
伊賀市中村
撮影日2023/11/23 13:05

伊賀市東部の山田盆地東縁にある古墳で、横穴式石室が天井石を失って露出している。

 辻堂古墳は  径20m程度の円墳であったとされている。
 ほぼ南北方向に主軸を向け、南方向に開口する両袖型の横穴式石室は長さ9.8m
  玄室部長さ4.95〜5.2m・幅1.9m、 羨道部長さ4.5m・幅1.2〜1.6m
 床面全体に敷石が並べられ、羨道部には排水溝を備える
 玄室内に組合せ式石棺2基が残存していた。
  玄室中央やや奥壁よりに置かれた箱式石棺は、長さ1.8mで、
   須恵器・土師器・鉄製品・玉類が多量に出土したほか、馬具も出土した。
 6世紀後半の築造と推定されている。
  玄室内西側の袖部に造りつけられた箱式石棺は、長さ1.35m
   土師器・須恵器が出土したが、こちらは7世紀後半の時期と考えられている。(追葬)
 昭和47年(1972)に発掘調査

辻堂古墳 測量図
  (伊賀市デジタルミュージアムから)

副葬品は豊富な内容を持ち、
追葬時に副葬された土師器も
丁寧にミガキが施された
畿内産土師器の特徴を有する

大きな案内板がある

道路を挟んで向かいにお堂がある、
これが辻堂?

羨道手前から石室全体を見る

羨道から玄室を見る

玄室中央やや奥壁よりの箱式石棺
天井板石は2枚

追葬の箱式石棺は造り付けのもの

奥壁側から羨道を見る

玄室から羨道を見る
説明板から




地図を見ていると、伊賀市東部の山田盆地周辺には、古墳が多い。
中ノ瀬古墳群、寺音寺古墳、鳴塚古墳(鳳凰寺古墳群)、辻堂古墳などなど……
寺音寺古墳と鳴塚古墳は前回見学したので、南下。 
山田盆地から比自岐盆地へ ……

中切古墳 につづく

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