北村さんちの遺跡めぐり
更新日2025/4/4

2024年尾張国の遺跡めぐり
その4
 名古屋市守山区 尾張旭市 瀬戸市2
撮影日2024/11/23〜26

2024/11/24 二日目 午後。
今回の旅は、整備された志段味古墳群を見るのが大きな目的だ。
2010年に来たときは、未整備だった。

志段味古墳群付近の地図g  

志段味古墳群 名古屋市守山区志段味
撮影日2024/11/24

あまりにもきれいになっていて、びっくりです!
案内板や説明板がたくさんある。

 志段味古墳群は 濃尾平野の東端に位置し、
 庄内川が山地を抜け濃尾平野へと流れ出る部分にある
  名古屋市内の最高峰、標高198.3mの東谷山の山頂から
  山裾およびその西麓の河岸段丘上の東西1.7km、南北1kmの範囲には、
  現在までに確認された古墳は66基そのうち墳丘が現存するのは33基が確認されている。
 前方後円墳2基、帆立貝式5基、円墳50基、方墳1基、墳形不明8基
 4世紀前半から7世紀末(古墳時代前期から終末期)の築造と推定されている。

白鳥塚古墳前の案内板
下の方に見える「石ひろい池」そばの駐車場に駐車して、散策路入口から南社古墳を目指した。
 国史跡の古墳 (7基)
白鳥塚古墳 前方後円墳 全長115m 4世紀前半
中社古墳 前方後円墳 全長63.5m 4世紀中ごろ
南社古墳 円墳 径30m 4世紀中ごろ
尾張戸神社古墳 円墳 径27.5m 4世紀後半
志段味大塚古墳
(大塚1号墳)
帆立貝式 全長51m 粘土槨 
  ・木棺直葬
5世紀後半
勝手塚古墳 帆立貝式 全長55m 6世紀初め
東谷山白鳥古墳
(白鳥1号墳)
円墳 径17m 横穴式石室 6世紀末〜7世紀初め
 そのほかの見学した古墳
東谷山27号墳 円墳 横穴式石室 6世紀後半〜7世紀
白鳥5号墳 円墳 径10m 横穴式石室
白鳥8号墳 円墳 横穴式石室
大塚2号墳 小円墳 木棺直葬 6世紀初め
大塚3号墳 円墳 径19m 5世紀後半
東大久手古墳
(大久手1号墳
帆立貝式 全長39m 5世紀末
西大久手古墳
(大久手2号墳)
帆立貝式 全長37m 5世紀中ごろ
大久手3号墳 方墳 一辺.14m 5世紀後半
大久手4号墳
大久手5号墳 帆立貝式 全長38m 5世紀後半

まず東谷山へ。
2010年に東谷山の尾張戸神社古墳と中社古墳を見学したが、もう一つの南社古墳は見学できていないので、
 フルーツパーク第一駐車場に駐車して、南西麓から南社古墳に登る。

散策路入口


山に入ると古墳らしい高まりが見える。東谷山27号墳には、説明板がある。

 東谷山27号墳
 横穴式石室の石材が露出している。

南から見る

巨石が並んでいる


北から見る
墳丘の上を散策路が通っているようだ

27号墳から急いで登って12、3分、標高150m付近に南社古墳がある。
立派な説明板があるが、陰影か強くて読みにくいので、載せない。

 南社古墳     国史跡     名古屋市守山区大字志段味字東谷
 直径30mの円墳 
 南西側に方形状の張り出しがある。
 東谷山の南側の峰の頂部に立地
 2段築成  葺石がある
  1段目斜面に東谷山の角礫、
  2段目斜面に
   東谷山麓の段丘で採られた円礫
 出土した埴輪は
  中社古墳のものと
  同時に製作されていて、
  東海地方では最古級の埴輪。
 4世紀中ごろの築造と推定されている。
  (説明板から)

古墳復元図
「瀬戸の古墳」資料から

墳丘と葺石
(説明板から)

南から見た墳丘

一部埴輪が復元されている

方向を変えて見る

急いで下山して、東谷山の西麓、愛知県立大学守山キャンパスの北西の道路沿いにある白鳥塚古墳へ。
駐車場完備。
この古墳は、2010年の時と大きな違いはないが、葺石の復元や、説明板が整備されている。

 白鳥塚古墳  国史跡    名古屋市守山区大字志段味字東谷
 全長115mの前方後円墳  後円部径75m、前方部幅40m
 前方部二段、後円部三段
 周溝あり 葺石あり
 埴輪はない
 葺石の一部に白色石英が使用されている。
 後円部には渡り土手があろ。
 4世紀前半の築造と推定されている。





墳丘復元図 (説明板から)


南から後円部を見る
木がかなりあるので、
  全体はなかなか見通せない。

前方部から後円部を見る

後円部への階段
    葺石

くびれ部の葺石 
白い石英が散りばめられている
 白鳥塚古墳墳頂部

発掘調査で出土した石英の転落石を使って
  石英の敷石を復元している。

説明板から
昭和初めの後円部墳頂中央部の発掘では
  埋葬施設は見つからなかった。
 2006年に実施した
  物理探査レーダー探査では、
  南北方向を主軸とする二つの埋葬施設が
  東西に並んで存在する
  可能性が指摘されている。
 後円部墳頂の平坦面には、
 石英の小礫が敷き詰められていたと
 考えられている。
  渡土手

白鳥塚古墳 後円部西側の渡土手

白鳥塚古墳の北約300mの庄内川の南側段丘にも白鳥古墳がある。
こちらは「東谷山白鳥古墳群1号墳(東谷白鳥古墳)」といわれている。   

 白鳥8号墳 名古屋市守山区大字志段味字東谷
 東谷山白鳥古墳への上り口と思ったが、実は白鳥8号墳!
 東谷山白鳥古墳(1号墳)の西隣にある。
 周溝から須恵器が出土
 6世紀後半から7世紀の築造と推定されている。

石室跡が階段になっていて
白鳥古墳(1号墳)の説明板がある。

この奥に東谷山白鳥古墳がある。

石室石材で階段?!

東谷白鳥古墳(1号墳)側から 8号墳を見る

     

 東谷山白鳥古墳(1号墳)   国史跡  名古屋市守山区大字志段味字東谷
 径17mの円墳 周溝がある。
 東谷山西麓の低位段丘の縁辺部に立地。
 墳丘の周囲には周濠がある。
 無袖式の横穴式石室がある。
 羨道の前方には側壁がある前庭部がある。
 石室内から馬具・刀・鉄鏃・須恵器などが出土
 6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。


西から見た墳丘

西北西に開口する横穴式石室には扉がある

石室内には?ライトが点灯する

南から見た墳丘

8号墳の南西約50mに小さな高まりが見える。

 東谷山白鳥5号墳
  詳細不明

小さな墳丘

近づいて見る

石材が露出している。

志段味古墳群の大塚古墳や大久手古墳のあたり(西地区)は、整備されている。
2010年に来たときは、整備前で、古墳は現状保存だった。
「しだみ古墳群ミュージアム」ができて、駐車場があるので駐車して
  ミュージアムでパンフレットをもらって、徒歩で周辺を散策する。

     公園化された志段味古墳群 (現地案内板から)
    2019年に西地区が史跡公園として整備された。

 東大久手古墳 (大久手1号墳)
 墳丘長39mの帆立貝式古墳
 後円部2段築成  周溝あり 埴輪列がある。
 5世紀末の築造と推定されている

        説明板から

墳丘復元図

埴輪と須恵器

北から見る

南から見る


 西大久手古墳  (大久手2号墳)
 全長37mの帆立貝式古墳 後円部径26mの
  後円部2段築成
  周濠あり 葺石あり 埴輪あり
  5世紀中頃の築造と推定されている。

説明板から

墳丘復元図

女形埴輪が出土

西大久手古墳 右奥に前方部

  

 大久手3号墳
 一辺14mの方墳
 周溝あり 葺石なし 埴輪なし
 5世紀後半の築造と推定されている
 2007年に調査


墳丘復元図

須恵器が出土

墳丘が復元されている

   

 大久手4号墳

2007年に調査

4号墳墳丘

4号墳墳頂部 謎の石材と祭祀

大久手4号墳傍の謎の配石 奥が4号墳

  

 大久手5号墳
 墳丘長38mの帆立貝式古墳
 後円部2段築成 周溝あり 埴輪列あり 須恵器あり
 5世紀後半の築造と推定されている。
 大久手池の北端の土手に取り込まれている。
 半分しか残っていない  2006年に調査
 鹿垣 (シシガ)キ

前方部後ろから後円部を見る

後円部後ろから前方部を見る

横から見る  左に後円部   残っていた北側の墳丘が復元された

大久手5号墳の北側に大塚2、3号墳の円墳2基が並んでいる。

 大塚3号墳
 径19mの円墳  かなり削られている。
 周溝り 葺石なし 埴輪なし
 5世紀後半の築造と推定れている。

    

 大塚2号墳
 小円墳 主体部は木棺直葬
 5世紀末から6世紀初めの築造と推定されている

土手に取り込まれている

半分だけだがきれいに復元されている

志段味古墳群の目玉「志段味大塚古墳」の見学へ。

 志段味大塚古墳 国史跡     守山区上志段味
 墳長約51mの帆立貝式古墳 東谷山西麓の中位段丘に立地  
 北西側のくびれ部の平面三角形状の造出しがある。
 馬蹄形の周濠がめぐる
 葺石あり(円礫)  馬蹄形周濠
 粘土槨・木棺直葬
 出土品 五鈴鏡、馬具、甲片、帯金具、大刀、鉄鏃、革盾片、埴輪、土器
 5世紀後半の築造と推定されている。
 1923年に梅原末治氏が当古墳において、
   東海地方で初めて学術的な古墳の発掘調査を行った。

前方部手前から全体を見る  葺石・埴輪列が復元されている

右端が造出し

墳丘斜面の葺石は、
 隣り合う石と石との間に
 隙間が目立つ貼り石風の葺石
 埴輪列の説明


後円部から前方部を見る
くびれ部右に造り出しがある。
 造り出しの説明
 埋葬施設

後円部頂
第2埋葬施設の木棺の復元展示
  埋葬施設の説明

ミュージアム駐車場に戻り、勝手塚古墳へ。
勝手塚古墳はとても賑わっていると思ったら、
  境内にある志段味公民館で選挙の投票が行われている。

 勝手塚古墳   国史跡   守山区上志段味中屋敷
 
 全長55mの帆立貝式古墳
 後円部径40m
 東谷山西麓の低位段丘の縁辺部に位置する

 墳丘の周囲には、馬蹄形の周濠と周堤がめぐる。
 後円部は2段築成
 後円部平坦面には埴輪列がある
 6世紀前葉の築造と推定されている。

 墳丘が勝手神社となっている。
   

左に前方部

左に前方部

勝手塚古墳 前方部上の境内社

前方部から後円部を見る

 後円部段築に復元された円筒埴輪

後円部にある勝手神社社殿

 後円部から前方部を見る

裾から後円部を見上げる

西側と北側に周濠と堤が良好に残る。

志段味古墳群の見学を終える。

長坂遺跡
白山第一号墳
天狗岩古墳移築保存
尾張旭市226長坂町南山
撮影日2024/11/24

もう少し時間があったので、尾張旭市へ。
勝手塚古墳の南約5km、
長坂町南山の団地に長坂遺跡公園があり、天狗岩古墳の石室が移築保存されている。
白山第一号墳は、現地保存。

 長坂遺跡
 矢田川南部にある丘陵地帯には、
  弥生時代から奈良時代にかけての集落遺跡と古墳群があった。
 長坂遺跡では、弥生時代と奈良時代の竪穴住居と土器などが発見され、
  尾張旭の最初のムラがあったことが分かっている。
 長坂遺跡は、尾張旭市内で見つかっている中で、最も古い遺跡。
 現在は長坂遺跡公園内に、弥生時代の第18号竪穴住居跡が埋め戻されて保存されている。
 また、弥生時代・奈良時代の集落あとに、古墳時代になると、白山一号墳が作られた
 この白山一号墳も長坂遺跡公園内で保存されている。
      (尾張旭市HPから)
 説明板から
 住居跡は埋め戻されているので、見ることはできない。

   

 白山第一号墳
 直径11m・高さ1mの円墳
 大人のこぶし大の葺石がある。周溝がある。
 木棺直葬と考えられている。
 2振りの鉄剣が出土
 5世紀の築造と推定されている。

墳丘と説明板

墳丘上には何にもない

天狗岩古墳の石室も移築保存されている。

 天狗岩古墳
 径10mの円墳
 全長6.3m・幅1.6mの横穴式石室が開口している。
 3体が埋葬されていたと考えられている。
 7世紀の築造と推定されている。
 長坂遺跡公園の近くにあったが、現在は公園内に移築保存されている。
 天狗岩古墳は、尾張旭市内で見つかった古墳の中では、唯一横穴式石室をもつ。

移築復元された石室

石室背後から見る

天井石が観察できる
石室内には入れない

石室内部

奥壁

 

本地大塚古墳
市史跡
瀬戸市西本地町
撮影日2024/11/24

瀬戸市の南西端にある古墳。幡山西保育園南側にある。

 本地大塚古墳は  全長33mの「帆立貝式」前方後円墳 
  後円部径22.5m 前方部幅11.7m  
  墳丘の下部が残っている。
 瀬戸市内では唯一確認されている前方後円墳
  須恵器をはじめ、円筒形埴輪や鳥や人物の形を模した形象埴輪が出土
 6世紀初め頃の築造と推定されている。

後円部側

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る くびれ部がある

  

藤一番ラーメン印場店(尾張旭市印場元町)で夕食、
LOWSON尾張旭市印場駅前店で、明朝食を準備して

「ビジネスホテル九番館」(瀬戸市北脇町)にチェックイン

オセンゲ古墳(春日井市) へつづく

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