北村さんちの遺跡めぐり
更新日2025/3/13

2024年尾張国の遺跡めぐり
その3 日進市 長久手市 瀬戸市
撮影日2017/3/29〜4/1

2024/11/24 二日目 

7時半過ぎに、「ビジネスホテル サカイ」をチェックアウト、
  高速道路を利用して、日進市の岩崎城まで約30分!

付近の地図g

岩崎城古墳 日進市230岩崎町市場
撮影日2024/11/24

駐車場は南と北にあるが、開館前なので、歴史記念館そばまで、強行突破、古墳だけ見て下城。

 岩崎城は  室町時代末に築かれたとされている
 享禄2年(1529年)に織田信長の父である信秀の属将荒川頼宗(アラカワヨリムネ)が守っていたが、
  松平清康(マツダイラキヨヤス・徳川家康の祖父)方に奪われる。
 後に、本郷城(日進市)の丹羽氏清が同城に移り住み、
   以後、丹羽氏が4代にわたって岩崎城主となる。
 天正12年(1584年)の豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、
  丹羽氏は徳川方に属し、犬山方面から岡崎を目指した羽柴方の行軍を阻止しようとして落城、
 慶長5年(1600)以降は廃城となる。
 昭和62年に住民からの寄付により、整備されることとなり、現在に至る。
昭和62年(1987年)
 本丸跡に五重構造の模擬天守が建てられ、
 「岩崎城址公園」として整備された。

岩崎城歴史記念館
  この建物の西に古墳がある。
 岩崎城古墳
 径12mの円墳
 横穴式石室がある。
 岩崎城発掘調査の際、土塁下で偶然発見された。
 石材は北方の岩崎御嶽山近辺に産する変成岩に類似している
 副葬品は、小刀・土師器の壺、須恵器の杯等がある。
 調査の結果、遺存状態が、必ずしも良好でなかったため、
  周辺地域の後期群集墳を参考にして模式的に横穴式石室を復元した。
 出土品の特徴等から 6世紀前葉の築造と推定されている。   (説明板から)

岩崎城古墳

石室は天井石がなくなっている。

石室入口から石室内を見る

羨道部から玄室を見る
玄門の石が黒っぽいのだが、本物なのか?




石室内から入口方向を見る

8時半にもなっていなくて、記念館はまだ開館していない・・・。

白山古墳
市史跡
日進市本郷町宮下 白山宮
撮影日2024/11/24

岩崎城の南約1kmの白山神社に古墳がある。神社駐車場がある。

 白山神社


神社の南側駐車場に
「白山第一号墳」の案内板がある。


神社正面

境内

古墳は白山神社の鳥居右手の林の中にある。独立丘陵の南斜面

 白山古墳は  径14mの円墳
 上部を失った横穴式石室は全長7m、幅2m  構造が岩崎城古墳とよく似ている。
 金環や直刀、装飾須恵器などが出土
 6世紀の築造と推定されている。
 壊滅状態だった横穴式石室が、周辺に分布する古墳のものを参考に復元されている。

古墳への上がり口

古墳が見えてくる

墳丘

方向を変えて見る

石室入口はハの字に広がり、
そのまま外護列石に繋がる

石室奥から入口方向を見る
 

岩崎城古墳、白山古墳はどちらも参考復元ということだ。

神明社古墳群
2号墳が市史跡
長久手市神門前
撮影日2024/11/24

南側にはジブリパーク、西側にはIKEA長久手店という絶好の立地(?)にある古墳。、
古墳の石室は道路沿いに見えている。
市史跡となっている2号墳の説明板がある。

 神明社古墳群は、4基確認されている。神明社境内にある。
  1号墳は2号墳の西側にあり、直径16m
  2号墳は直径20m 市指定文化財
  3号墳は1号墳の西側にあり、直径20m
  4号墳は本殿北東側にあったが消失。
 道路沿いに、 1・2号墳が並ぶ。
 左側に1号墳   30m東に2号墳(町史跡)
 1号墳は 径16mの円墳   墳頂が大きくえぐれている。

2号墳側(東)から見た1号墳

方向を変えて見る
 2号墳
  直径20m・高さ1.5mの円墳
  南西に開口する横穴式石室は、長さ5.4m・幅]1.96m
   側壁は割石を小口積みにして、床面は割石を敷いている。
1号墳側(西)から見た2号墳


右奥はモノレール東部丘陵線
その向こうにはジブリパーク!

石室入口から奥を見る

奥壁側から入口を見る
 「神明社第2号墳」説明板

9時過ぎたばかりで、ジブリパークもIKEA長久手店も開店前で入れない……

吉田2号墳
市史跡
瀬戸市上乃山町
撮影日2024/11/24

神明社古墳群の東北東約3kmの瀬戸市上乃山団地の西側にある「やすらぎ公園」に移築された古墳。
このやすらぎ公園の斜面下には宮地古墳群がある。
吉田2号墳の大きな説明板がある。

 吉田2号墳は 移築保存
  径12mの円墳
 上部を失った竪穴系横口式石室は 全長3.7m・幅1.45mの左片袖式
  羨道から一段下がった玄室の床面には円礫が敷かれている
  管玉、ガラス小玉、鉄鏃、鉄斧、須恵器、土師器が出土。
  6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。

墳丘復元 右奥は公衆トイレ

石室入口から奥を見る

羨道部上から玄室を見る

玄室から入口方向を見る
 説明板から
 吉田2号墳は、6世紀末〜7世紀初頭に築かれた直径12mの円墳である。
 片袖式の竪穴系横口式石室がある。
 竪穴系横口式石室とは、初期の横穴式石室の一形態で、
  この古墳では石室の天井は低く入口部分に階段状の構造を持っている。
 竪穴系横口式石室は、西三河を介して九州北部に系譜の起源が求められる石室である。
 この古墳は、昭和61年にサンヒル上之山団地造成に伴う発掘調査で、
  標高152mの丘陵頂部に、入口を西南西向きに検出された。
 石室は、花崗岩が長方形に積み上げられ、
  奥行3m、幅1.6mの床面には拳大の円礫が敷き詰められている。
 石室手前では石を積み重ねて入口通路を塞いでいた。
 石室から、装身具の碧玉製管玉・ガラス製小玉、武器の鉄鏃、工具の鉄手斧、
  供献された須恵器坩・同はそう・土師器甕などが出土し、
  これらは瀬戸蔵ミュージアムで展示されている。
 開発に伴い元の位置に保存できないため、平成元年に180m南西の現在地に、
  入口を南向きにして移築保存された。

石室実測図

出土遺物

   

宮地古墳群
市史跡
瀬戸市上乃山町
撮影日2024/11/24

吉田2号墳が移築されたやすらぎ公園敷地内には、西の斜面を降りた所に、
  市指定史跡の宮地古墳群がある。

 宮地古墳群は 2基の円墳と1基の前方後円墳から構成されている。
 吉田2号墳とほぼ同時期(6世紀末〜7世紀初頭)の築造と推定されている。
 宮地3号墳   径12mの円墳    未調査のため、詳細不明

墳丘
 宮地2号墳  径12mの円墳    未調査のため、詳細不明

墳丘

墳丘上に露出した石材
 宮地1号墳
   全長約18.5mの前方後円墳  前方部幅約6.0m、後円部直径約10.5m

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

東から見る 右に前方部

西から見る 左に前方部
 説明板から
宮地古墳群配置図
(剥げていたので修正)
左から
3号墳 (円墳)
2号墳 (円墳)
1号墳 (前方後円墳)

 市内の古墳は、現在、確認済みのものが100余基あり、
  ほとんどが円墳で、
  前方後円墳は、本地大塚古墳(市指定史跡)と宮地第1号墳の2基のみである。
 この地区の遺跡は、住宅団地造成に伴い滅失したが、
  この3古墳は、愛知県住宅供給公社の協力により現状のまま保存され
  「ふれあいの森公園」として整備された。
 また、昭和62年に発掘調査した吉田第2号墳(円墳)を
  本公園東側の団地外周部分に移築復元している。

 宮地第1号墳(前方後円墳) 1基 
           (全長 約18.5m、前方部幅 約6.0m、後円部直径 約10.5m)
 宮地第2号墳       1基
 宮地第3号墳      1基
     (平成5年2月19日  市指定史跡に指定 瀬戸市教育委員会)

    

山口八幡社古墳群 瀬戸市八幡町
撮影日2024/11/24

宮地古墳群の北約1.5kmの山口八幡社に古墳がある。神社に駐車場あり。

 山口八幡社
  祭神は神功皇后、応神天皇 ほかに3神
  境内社は  21座

鳥居の右側の柵の中に石室が保存されている
(1号墳)

市指定有形文化財「石造鳥居」(1677年製)
市内最古の鳥居

境内社の稲荷社は石の中に祀られている(右側)

小社の土台の石は石室の石材に見えるが…?
 山口八幡社古墳群は 山口八幡社境内と裏山に分布、3基からなる
  1号墳は鳥居脇の柵の内側にある。
  2・3号墳は、裏山にある。
 1号墳 鳥居脇の柵の内側にある。
 石室の天井石はなく、東西側壁の一部が残っている
 須恵器・金環・鉄製品が出土した。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 昭和58年に偶然見つかる。
 2号墳   本殿左側の小祠から裏山を50mほど登ったところにある。
 径15mほどの円墳
 3号墳  2号墳のすぐ上にある
 径10mほどの円墳  

  

山口堰堤3号墳 瀬戸市若宮町一丁目
撮影日2024/11/24

以前は聖霊高校側の市道から東へ行ったところにあったが、
瀬戸東バイパス道路(248号線)ができて、このバイパス道路の高架の下をくぐらないと行けなくなった。
バイパスのすぐ東に保存されている。
横には塚原1号墳が移築保存されて、駐車場もできた。
インターネット上に
 「瀬戸の古墳T塚原古墳群を歩く」(H31/1/19)の見学会資料
 が公開されていたので参考にさせてもらった。

 山口堰堤3号墳は  推定で径15mの円墳
 下部しか残っていない横穴式石室は全長5m、玄室長3.5m、幅2mの綺麗な胴張り
 袖部は柱石を立てた両袖式
 6世紀末の築造と推定されている。

バイパス道路の高架に隣接して保存されている。

雑草がいっぱいで全然見えない
 説明板から

古墳測量図




石室実測図
石室の天井石・奥壁は無くなっている

玄室は胴張の長方形

    

塚原1号墳 瀬戸市若宮町一丁目
撮影日2024/11/24

山口堰堤3号墳の北側に、バイパス道路建設に先立って調査された塚原1号墳が移築保存されている。
駐車場完備!
平成25年に「塚原第1号墳歴史広場」として公開されている。

 塚原古墳群
  
塚原古墳群配置図
 (「瀬戸の古墳T塚原古墳群を歩く」見学会資料から)
瀬戸市南部の幡山地区の東部、
標高150m前後の丘陵に立地していた。

塚原古墳群の中で最も北に位置していた第1号噴から
最も南にある第8号噴までの350mの範囲に、
12 基の古墳がみつかっている。

 塚原第1号噴
 直径18m・高さ2.3mの円墳  標高が最も高い丘陵頂部に造られている。
 両袖式横穴式石室は全長7.3m、玄室長4.9m・最大幅2.3m・高さ1.7m 羨道幅1.5m
 石室からは鉄刀、須恵器の蓋杯、高杯などが出土
 墳丘南側から須恵器の器台、脚付坩などが出土
 6世紀後半の築造と推定されている。
 昭和41年、平成18年調査。

バイパス道路の高架そばに移築されている

墳丘上から石室を見る 天井石はなくなっている

奥壁上から入口方向を見る

入口から奥壁を見る


奥壁
陰影が強すぎて、よく見えない……
 説明板から


     瀬戸市の古墳(見学した所を中心に表示)  見学会資料から 
   

高塚山古墳群 瀬戸市若宮町一丁目
撮影日2024/11/24

山口堰堤3号墳のすぐ南の高塚山に高塚山古墳群がある。
HP「大和國古墳墓取調室」様の記述を読んで、古墳を探してみた。
塚原1号墳の駐車場に駐車して徒歩で高塚山に登る。

 高塚山1号墳  山頂にある
  径10m弱の円墳
  横穴式石室の一部が露出。 奥壁と側壁の基底部だけが残る。
墳丘

石室奥壁部分が露出

奥壁側上から入口方向を見る
 高塚山2号墳  送電塔の南側にある。
  低い墳丘が残る

2号墳 墳丘

墳頂の石
 高塚山3号墳  1号墳の北西尾根端にある
 上部を失った石室が露出  玄室長4m、幅2mの両袖式

3号墳 墳丘

石材が散らばっている

横穴式石室入り口から奥壁を見る

奥壁側から入口方向を見る


セブンイレブン瀬戸北松山店にて昼食

荏坪古墳 瀬戸市内田町一丁目
撮影日2024/11/24

尾張戸神社鳥居の東約1kmの内田町の斜面、住宅街に横穴式石室がある古墳が保存されている。
駐車スペースも確保されている。
インターネット上に
 「瀬戸の古墳U 東谷山と水野の古墳を歩く」(H31/3/9)の資料が
 公開されていたので参考にさせてもらった。

 荏坪古墳は   径17mの円墳 高さ4m  標高89〜93mの丘陵斜面中腹にある
 横穴式石室は全長11.2m、玄室長4m、幅2.3m、高さ2.6mの両袖式
 平成25年に瀬戸市に寄贈された。
 未発掘なので詳細は不明
 6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。

北東から見た墳丘 手前が駐車スペース

山寄せの古墳 左下(南)に石室開口

石室には扉がある

上の隙間から見る

奥壁までなんとか見えるかな

扉前から入口を見る
 説明板・「瀬戸の古墳」資料から

墳丘図  (資料から)  

石室実測図

石室奥壁

   

志段味古墳群(名古屋市守山区) へつづく

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