北村さんちの遺跡めぐり
更新日2017/9/29
2017年・静岡県西部と愛知県東部 その10 愛知県西尾市・安城市1 |
撮影日2017/3/29〜4/1 |
蒲郡市の三月田古墳を見学して、次はどこへ行こうかなと考えた時、
たまたま「吉良殺人事件」を読んでいたので、吉良の古墳の見学へ。
吉良町は現在、西尾市吉良町となっている。
正法寺古墳 国史跡 |
西尾市吉良町乙川西大山 正法寺古墳公園内 撮影日2017/4/1 |
正法寺の上り口(東側にある)から入り、正法寺の前を通り過ぎていくと、「正法寺古墳公園」がある。
正法寺
暦応2年(1339)
足利氏が鳳来寺の僧玉林坊を招いて再建したと伝えられている。
本尊は、鳳来寺から移された薬師如来像で、
眼病にご利益があると信仰が厚い。
境内に上る石段のふもとには、
明治22年と、昭和28年(13号台風)の高潮被害
水面を記した標柱がある。
(説明板から)
公園の東屋では、おじ様たちが宴会を開いている。
正法寺古墳は 全長94mの前方後円墳 3段築成 各段には円筒埴輪が並べられていて、 古墳の頂上には家形や蓋形などの形象埴輪が建てられていたと考えられている。 斜面には葺石がある。 南側のくびれ部には、「島状遺構」がある。 埋葬施設は未調査で不明。 4世紀後半の築造と推定されている。 正法寺古墳測量図 (説明板から) 平成13・14年度に発掘調査 この古墳は矢作川と三河湾を結ぶ水上交通の要所に築かれている。 |
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正法寺古墳 右が後円部 |
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くびれ部の島状遺構 |
後円部頂 |
後円部から前方部を見る1 |
後円部から前方部を見る2 |
前方部から後円部を見る |
前方部脇から後円部を見る 後円部の手前に島状遺構 |
陣屋稲荷 (吉良町指定文化財) 現在は正法寺古墳のふもとに移されている。 陣屋稲荷 この祠は、かつて吉良家姫山陣屋の鎮守であった。 元禄事件で吉良家が断絶した後、旗本津田家が受け継ぎ、幕末まで続いた。 明治初め、陣屋稲荷は、有縁の人々によって、新田の見える正法寺古墳の中腹に移された。 (説明板から) |
「正法寺古墳は全長94mで、三河最大の前方後円墳だ」と説明板に書かれているが、
平成27年の調査で、豊川市の船山第1号墳が全長95mと発表があった・・・。
吉良八幡山古墳 県指定史跡 |
西尾市吉良町岡山八幡山 岡山八幡社境内 撮影日2017/4/1 |
吉良町岡山の、工場地帯の背後にある岡山八幡社の社殿裏にある。
鳥居の前には、駐車場がある。そばには岡山グラウンドという運動場がある。
岡山八幡社 |
社殿裏の林が古墳 |
社殿東側に説明板がある。
吉良八幡山古墳は 全長66mの前方後円墳。 前方部が低く、自然地形にあまり手を加えていない墳形。 葺石がある 埴輪はない。 未調査のため詳細は不明、出土品もしられていない。 古墳時代前期の築造と推定されている。 1993年(平成5)に、前方後円墳だと確認されたばかりである。 岡山の丘陵には、このほかに若宮第1号古墳、善光寺沢南古墳が本古墳に引き続き築かれている。 |
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墳丘図 (説明板から) |
社殿の後ろに墳丘 左奥が後円部 |
くびれ部から後円部を見る |
後円部頂に三角点(58.8m)がある。 |
くびれ部から前方部を見る |
くびれ部から前方部を見る |
安城市へ向かう。
安城市の桜井古墳群が、今回最後の古墳見学となる。
安城市・桜井古墳群について | 安城市古井町・桜井町・姫小川町ほか 撮影日2017/4/1 |
安城市のホームページには、桜井古墳群のページがある。
桜井古墳群の保存整備に向けて、調査が随時行われているようだ。
このページを作るにあたり、安城市のホームページを大いに参考にさせていただいた。
桜井古墳群は、矢作川流域の古墳時代前期を代表する古墳群。 碧海台地の東縁部を中心に、大小20基ほどの古墳が確認されている。 代表的な古墳は、二子古墳(全長68mの前方後方墳)と姫小川古墳(全長65m以上の前方後円墳) |
桜井古墳群の特徴 古墳時代前期を中心とする古墳群。 前方後円墳と前方後方墳が同時に存在している古墳群。 墳丘には、葺石がない。 古墳周辺には、その時代の遺跡も多く確認されていて、その時代の社会のありかたがわかる。 矢作川流域における最古級の古墳が存在する。 |
安城市桜井古墳群配置図
いろいろなデータをもとに作成した。
古墳番号は、安城市のホームページに合わせた。
名前 | 墳形 | 大きさ | |
1 | 塚越古墳 | 前方後円(方)墳 | 墳丘長42m |
2 | 愛染古墳 | 円墳 | 推定径24m |
4 | 東川古墳 | 不明 | |
5 | 印内北分1号墳 ・2号墳 |
不明 | |
6 | 二子古墳 | 前方後方墳 | 全長68.2m |
7 | 碧海山古墳 | 円墳か | |
8 | 堀内古墳 | 円墳か | 復元径23m |
9 | 比蘇山古墳 | 前方後円(方)墳か | |
10 | 山伏塚古墳 | 円墳か | |
11 | もも塚古墳 | 円墳か | 現状20m四方 |
12 | 獅子塚古墳 | 前方後円(方)墳 | |
13 | 姫塚古墳 | 方墳か円墳 | 現状20m×18m |
14 | 八ツ塚古墳 | 円墳か | 消滅 詳細不明 |
15 | 姫小川古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長65m以上 |
16 | 王塚古墳 | 円墳か | 現状14m×22m |
17 | 加美古墳 | 円墳か | 不明 |
20 | 崖古墳 | 古墳ではない可能性 | 不明 |
21 | 姫古墳 | 古墳ではない可能性 | 不明 |
22 | 姫地下坑 | 盛り土のないくぼみ 平安時代の貯蔵庫とする説もある |
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23 | 亀塚古墳 | 消滅 |
22番・23番は安城市のホームページにはないが、追加した。
桜井町の古墳を、北部の桜井古墳群(二 子古墳、印内北分1号墳、比蘇山古墳、碧海山古墳、堀内古墳、もも塚古墳ほか)と
南部の姫小川古墳群(獅子塚古墳、八ッ塚古墳、姫塚古墳、崖古墳、姫小川古墳、王塚古墳ほか)に分けて紹介する。
南の支群(姫小川古墳群)から、見学。
姫小川古墳 (15番) 国指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市姫小川町 撮影日2017/4/1 |
浅間神社となっている。後円部頂に社殿がある。
姫小川古墳は 全長65m以上の前方後円墳 後円部径38m・高さ6〜7m 前方部長さ27m・高さ3〜4m・前方部前端幅19m くびれ部幅15.5m 後円部に浅間神社の社殿が建っている 前方部は低く長い 後円部の北東側から南西側にかけて幅10m・深さ2mの周溝がめぐっていた。 葺石はない 埋葬施設は不明 刀剣類、土器片が出土したと伝えられているが、所在不明 4世紀中葉の築造と推定されている。 平成4年・13年・19年・21年に調査が行われている。 |
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墳丘図 (説明板から) |
南から見た後円部 墳頂に社殿 右側に前方部 |
西から見た後円部 背後に前方部がある。 墳丘の流出防止のために土嚢が積まれている。 |
後円部墳頂には、 天明の浅間山噴火の噴出石が置かれている。 |
後円部から前方部を見る1 |
後円部から前方部を見る2 |
前方部から後円部を見る |
東裾から見あげる前方部 右奥に後円部。 |
加美古墳 (17番) (桜井古墳群) |
安城市小川町 撮影日2017/4/1 |
姫小川古墳から台地縁辺にそって南に約600m、加美地蔵尊の祀られている祠の小高いところとされる。
東側は段丘崖が比較的よく残っている。現在の水田との比高差は2m以上ある。
西側の民家の方にも挨拶をして、写真を撮らせていただいた。
加美古墳は 円墳か? 詳細不明 最も高い部分に地蔵堂があり、その周囲が一辺7〜8mの石垣で囲まれている。 |
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南東から見た加美古墳 |
墳頂に祀られている加美地蔵尊 |
北西から見た墳丘 |
南西から見た墳丘 |
崖古墳 (20番) (桜井古墳群) |
安城市姫小川町 撮影日2017/4/1 |
姫小川古墳のすぐ北、姫塚古墳のすぐ南にある。
崖古墳は 道路と住宅に削られていて、古墳かどうかは確認されていないそうだが、 姫塚古墳を後円部、この崖古墳が前方部の一部だという説がある。 詳細不明 |
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南東から見た崖古墳 奥に少し見える林は姫塚古墳 |
北から見た崖古墳 |
崖古墳と姫塚古墳 右奥の小山が姫塚古墳 |
姫塚古墳 (13番) 市指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市姫小川町姫 撮影日2017/4/1 |
姫小川古墳から北に約100m。
姫塚古墳は 現状東西18m・南北20m ほどの方形、高さ3.7m 周囲が削られているので、方墳か円墳かは不明だが 方墳として復元した場合、南北28m東西25mほどと考えられている。 埴輪なし 葺石なし 埋葬施設は不明 出土物も不明 姫塚古墳墳丘測量図 (安城市ホームページに加筆) 姫塚古墳を後円部として、 南側の崖古墳とされる小さな高まりが 前方後円墳の前方部の一部であるという説もある。 地元では、都から流れついた孝徳天皇皇女綾姫の墓 と言い伝えられているので、姫塚と呼ばれている。 墳頂の宝篋印塔は中世以降のもので、綾姫伝説にちなんで建てられたもの |
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崖古墳の北端(南)から見た姫塚古墳 |
東から見た姫塚古墳 |
墳頂の宝篋印塔 |
西から見た姫塚古墳 |
姫塚古墳と崖古墳をセットにして見ると、 確かに前方後円墳に見える!! 右が姫塚古墳 左奥に崖古墳 |
姫地下坑 (22番) 市指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市姫小川町 撮影日2017/4/1 |
説明板では、「姫地下坑」の「坑」は、「土」偏に「広」という字なのだが、ないので「坑」を充てている。
姫塚古墳のずぐ西側に、民家の庭先みたいなところにある。
説明板から 古墳時代後期の墳墓とみられる地下坑のくぼみがある。 1940年ごろまで、地表から3m下で、二方向へ広がり2室になっていた。 一方は、南北に長さ4m・高さ1.5m腰を曲げて歩くことができ、他方は長さ2m。 桜井古墳群では、このようなものが、他に5基発見されている。 この地方は石材を産出しない所であるため、石室をもった古墳を作らず、地下坑が多いとされている。 また別に、平安時代の貯蔵庫とする説もある。 |
姫地下坑 花壇にしか見えない・・・ 背後は、姫塚古墳 |
獅子塚古墳 (12番) 市指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市東町 撮影日2017/4/1 |
秋葉神社の本殿が建てられている。
現在は円墳に見えるが、実は前方後円(方)墳。
獅子塚古墳は 全長55m前後の前方後円(方)墳 洪積台地の端に位置し、前方部を南南西に向ける。 明治年間に鹿乗川の堤防工事のため前方部の封土を削り取り、後円(方)部だけが残っている。 後円(方)部は、現状では東西26m・南北28m 、後円部高さは、4.6mで頂上に秋葉神社がある。 破壊された前方部の長さは、28mほどと考えられている。 周溝があった可能性がある。 壺形埴輪らしき埴輪片が出土している。 埋葬施設は不明 埴輪から、4世紀後葉〜5世紀初頭の築造と推定されている。 獅子塚古墳墳丘平面図 古くから獅子が北を向いて伏しているように 見えることから、獅子塚といわれている。 |
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南西から見た獅子塚古墳 左に削平された前方部 右が後円(方)部 |
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秋葉神社鳥居 南から見る |
西から見た獅子塚古墳 |
後円(方)部頂の社殿 |
後円(方)部から前方部を見下ろす |
以前は6世紀前半の築造と推定されていた・・・。
もも塚古墳(安城市・桜井古墳群)へ つづく