北村さんちの遺跡めぐり
更新日2017/10/14
2017年・静岡県西部と愛知県東部 その11 愛知県安城市2 |
撮影日2017/3/29〜4/1 |
安城市桜井古墳群の見学その2・・・。
まず、桜井古墳群の概要から・・・。
安城市・桜井古墳群について | 安城市古井町・桜井町・姫小川町ほか 撮影日2017/4/1 |
安城市のホームページには、桜井古墳群のページがある。
桜井古墳群の保存整備に向けて、調査が随時行われているようだ。
このページを作るにあたり、安城市のホームページを大いに参考にさせていただいた。
桜井古墳群は、矢作川流域の古墳時代前期を代表する古墳群。 碧海台地の東縁部を中心に、大小20基ほどの古墳が確認されている。 代表的な古墳は、二子古墳(全長68mの前方後方墳)と姫小川古墳(全長65m以上の前方後円墳) |
桜井古墳群の特徴 古墳時代前期を中心とする古墳群。 前方後円墳と前方後方墳が同時に存在している古墳群。 墳丘には、葺石がない。 古墳周辺には、その時代の遺跡も多く確認されていて、その時代の社会のありかたがわかる。 矢作川流域における最古級の古墳が存在する。 |
安城市桜井古墳群配置図
いろいろなデータをもとに作成した。
古墳番号は、安城市のホームページに合わせた。
名前 | 墳形 | 大きさ | |
1 | 塚越古墳 | 前方後円(方)墳 | 墳丘長42m |
2 | 愛染古墳 | 円墳 | 推定径24m |
4 | 東川古墳 | 不明 | |
5 | 印内北分1号墳 ・2号墳 |
不明 | |
6 | 二子古墳 | 前方後方墳 | 全長68.2m |
7 | 碧海山古墳 | 円墳か | |
8 | 堀内古墳 | 円墳か | 復元径23m |
9 | 比蘇山古墳 | 前方後円(方)墳か | |
10 | 山伏塚古墳 | 円墳か | |
11 | もも塚古墳 | 円墳か | 現状20m四方 |
12 | 獅子塚古墳 | 前方後円(方)墳 | |
13 | 姫塚古墳 | 方墳か円墳 | 現状20m×18m |
14 | 八ツ塚古墳 | 円墳か | 消滅 詳細不明 |
15 | 姫小川古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長65m以上 |
16 | 王塚古墳 | 円墳か | 現状14m×22m |
17 | 加美古墳 | 円墳か | 不明 |
20 | 崖古墳 | 古墳ではない可能性 | 不明 |
21 | 姫古墳 | 古墳ではない可能性 | 不明 |
22 | 姫地下坑 | 盛り土のないくぼみ 平安時代の貯蔵庫とする説もある |
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23 | 亀塚古墳 | 消滅 |
22番・23番は安城市のホームページにはないが、追加した。
桜井町の古墳を、北部の桜井古墳群(二 子古墳、印内北分1号墳、比蘇山古墳、碧海山古墳、堀内古墳、もも塚古墳ほか)と
南部の姫小川古墳群(獅子塚古墳、八ッ塚古墳、姫塚古墳、崖古墳、姫小川古墳、王塚古墳ほか)に分けて紹介する。
前回は安城市桜井古墳群の南部を見学、今回は北部の見学です!
もも塚古墳 (11番) (桜井古墳群) |
安城市桜井町 撮影日2017/4/1 |
墳丘上に八幡社の社殿がある。
八幡宮の説明板があるが、古墳の説明はない。
グーグルマップでは「下谷八幡神社」となっている。
八幡宮は 祭神は応神天皇 桜井城初代城主松平内膳正信定公が大永年間(1521〜)居城のとき城の鎮守として勧請され、 城八幡宮と申し伝えられて、6代目城主松平家廣が遠州国へ移封にあたり菩提寺に寄進された。 (八幡宮社誌の説明板から) もも塚古墳は 現状は、約20m四方の石垣に囲まれ、墳丘の大きさや形は不明。 |
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南から見たもも塚古墳 |
石柱には八幡社と刻まれている。 |
墳丘上の社殿 拝殿 この後ろに本殿がある。 |
北東から見たもも塚古墳 |
堀内古墳 (8番) 市指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市堀内町 撮影日2017/4/1 |
この堀内古墳のすぐ北には、子供薬師や堀内貝塚がある。
説明板がある。
堀内古墳は 墳頂に天満社の社殿が建てられていることから、天満山古墳とも呼ばれている。 現状では、南北24m・東西21m。 発掘調査の結果、径23mの円墳に復元され、高さ4.5m 墳頂部は径12mほどの平坦地になっているが、天満社造営のために改変されたと考えられている。 墳丘の周囲には周溝の可能性がある溝がある。 墳丘図 (平成22年の範囲確認調査時・(安城市ホームページから) 前方部が南に延びる前方後円(方)墳という説もあったが、 調査の結果、 前方部の痕跡は確認されず、円墳と判断された。 |
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ふもとにも小社がある立派な神社だ |
南西から見ると 台の上に墳丘が乗っているように見える |
南から見た古墳墳丘 左の石碑には「天満山古墳」、右の石碑には「天神社」 と刻まれている。 |
墳丘上の社殿 右の鳥居の幟には「稲荷大明神」とある。 |
碧海山古墳 (7番) 市指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市桜井町 撮影日2017/4/1 |
堀内古墳から東に約200m。説明板がある。
碧海山古墳は 一部破壊されているが、径25m・高さ4mの円墳に推定復元される。 墳頂は6×10m前後の平坦面がある。 古墳時代前半の築造と推定されている。 四方を道路や宅地で削り取られている。 この地は碧海郡の郷名の発祥の地と伝えられていて、 倭姫命の神霊を祈りて社を建て、碧海大明神と称し、里人の崇敬を受けていた。 (説明板から) |
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西から見た碧海山古墳 |
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南西から見た墳丘 |
墳丘頂 |
桜井神社 市指定史跡 比蘇山古墳 (9番) (桜井古墳群) |
安城市桜井町 撮影日2017/4/1 |
桜井神社のあるところは、比蘇山古墳だそうだ。
立派な神社で、駐車場・トイレ完備だ。
市指定建造物の桜井神社本殿、 市指定史跡の桜井神社の説明板があるが、
比蘇山古墳の説明板はない。
「市指定史跡 三河三白山・桜井神社」 三河三白山とは 上条白山媛神社、大岡白山神社、桜井神社の総称 徳川家康の祖父松平清康は出陣に当たり、これらの神社に武運長久を祈願したという。 家康もそれにならってこれらの三社に社領を寄進した。 由来は平安時代以前にさかのぼる。 「桜井天神」「神明社」「白山社」などと名乗った時期もあり、 江戸時代には、「桜井権現」と呼ばれ、現在は「桜井神社」と改称されている。 「桜井神社本殿」 桜井神社は、平安時代の「神名帳」に従五位桜井天神と記載されている古社。 棟板から、1527年(大永7年)に桜井城主松平親房が社殿(当時は神明社)を造営し、 1610年(慶長15)に米津清右衛門親勝が修業し、白山社としたことがわかる。 本殿は流造で、切妻造、平入りの屋根に向拝をつけ一流れにしたもの。 随所に室町時代の神社建築の様式をとどめる貴重な建造物
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比蘇山古墳は 前方後円(方)墳か。 時期不明 全長60mほどか 「資料編 桜井町の古墳」では桜井神社本殿に後円部、拝殿に前方部があったと伝わる。 その中で古老の話として、本殿改築時に後円部を平坦にしたという。 (安城市ホームページから)
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二子古墳 国指定史跡 (桜井古墳群) |
安城市桜井町 撮影日2017/4/1 |
桜井神社の北、新幹線の西側にある。
二子古墳 国指定史跡 | |
全長68.2mの前方後円墳 前方部幅29.6m・前方部高さ4.3m、後方部幅36.2m後方部高さ7.0m 矢作川流域では吉良町の正法寺古墳に次ぐ大きさ 低い前方部と比較して後方部を高く盛り上げ、墳丘を大きく見せている。 葺石なし 発掘はしていないので、埋葬施設は不明 3世紀後半〜4世紀初頭の築造と推定されている。 二子古墳墳丘図 (説明板から) 200(平成15年)3年に範囲確認調査 ほかに周辺の調査が数回行われている。 (桜林遺跡・二夕子遺跡など) |
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南西から見た二子古墳 |
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二子古墳 前方部側 登り口 |
前方部から後方部を見る |
前方部裾から後方部を見る |
後方部頂 「桜井天神社古趾」と刻まれた石柱が立つ。 |
後方部から前方部を見る |
前方部斜め後ろから見る二子古墳 |
二子古墳の東側は二夕子遺跡。説明板がある。
二夕子遺跡 市指定史跡 |
主に弥生時代後期〜古墳時代前期の遺跡 二子古墳の東側一帯の低地に広がり、鹿乗川流域遺跡群の中の一つ 1961年(昭和36)に、東海道新幹線建設に伴い、発掘調査 八角形の木を柱とする竪穴住居跡をはじめ壺、甕、高杯などの土器が多数出土 各種の木製品や銅鏃1も見つかっている。 他に、古墳〜平安時代の溝などもが見つかっている。 (説明板・安城市ホームページから) |
二子古墳から見た二夕子遺跡 新幹線の高架の手前に 遺跡が広がっている。 |
二子古墳の南側は桜林遺跡である。
桜林遺跡 |
碧海台地の東の端から南に向かって広がる沖積地に立地してい.る。 すぐ北側に二子古墳があり、その前方部と接している。 1994(平成6)年〜1995(平成7)年に発掘調査。 調査の結果、古墳に沿うように南北に走る溝と、 南に向かって落ちていく湿地状の地形、それに伴う多量の土器が見つかった。 古墳時代から平安時代にかけての遺跡と考えられている。 (安城市ホームページから) |
桜林遺跡から見た二子古墳 桜林遺跡は 二子古墳の南側、 現在、駐車場になっているあたりだ。 |
印内北分1号古墳 インナイキタワケ (桜井古墳群) |
安城市桜井町 撮影日2017/4/1 |
桜井神社境内の「歴史の散歩道」という案内板(地図)に印内北分1号墳が掲載されていたので、
見学に行くが、道がせまい・・・。
「安城 歴史の散歩道」の案内板
この案内板は桜井神社前にあるもの
この形式の案内板が、要所要所に立てられている。
この地図を見ながら、史跡を見学する。
印内北分1号古墳は 墳形は不明、時期も特定できない。 現状で南北10m東西10m高さ1.7mの古墳とされている。 墳頂部中央に花崗岩が一枚露出していたとされていて、現在も石が見える。 墳頂部は少しくぼんでいるので、横穴式石室の可能性があるが、詳細不明。 明治時代に盗掘されて、刀剣・玉類が出土したと伝えられているが、所在不明。 2010(平成22)年に1号墳南側の個人住宅建設時に確認調査。 そばには2号古墳があったらしいが、消滅か? (安城市ホームページから) |
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南から見た印内北分1号古墳 墓地になっている。 |
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手前の民家建築の際に調査が行われたという。 |
墳丘には石材がいくつか見えている。 |
普通車でギリギリの道幅で、抜け出せるか心配だった・・・。
愛染古墳 (2番) (桜井古墳群) |
安城市古井町 撮影日2017/4/1 |
桜井古墳群は、碧海台地の東端にあるものが多いが、この古墳は奥まったところにある。
愛染古墳は 径24m・高さ6mほどの円墳と想定されている。 現在は南北24m、東西15m、高さ2m 墳頂部はかなり削られている 埋葬施設は不明 由緒書によると、 濃尾地震(明治24年)の時、墳頂にあった堂が全壊したため、 墳丘を4mほど掘り再建した。 その際に太刀、刀剣類が出土したため、本堂下に埋納したと伝えられている。 北から入り込む谷の最奥部に位置していると考えられている。 2000(平成12年)に墳丘測量調査。 (安城市ホームページから) |
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東南から見た墳丘 |
西から見た墳丘 |
南から見た墳丘 |
墳頂の明王堂は、 老朽化で鉄製支柱で支えられている。 |
愛染古墳の南側には、薬師堂がある。
午後5時ころ、家路につく。
5時40分に、岡崎IC
午後7時半ころ、賤ヶ岳SAで夕食
9時40分、自宅着
帰ってから安城市桜井古墳群の「塚越古墳」の見学を忘れていたことに気が付いたが、あとのまつり・・・・。
静岡県西部と愛知県東部の旅 終わり