北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2017/8/31

静岡県西部と愛知県東部
 
その8 愛知県豊橋市
撮影日2017/3/29〜4/1

静岡県の見学を終え、三日目、3月31日午前11時過ぎに、愛知県豊橋市に入る。

周辺の地図g

萬福寺古墳
市指定史跡
奈木古墳群
豊橋市嵩山町奈木2 萬福寺
撮影日2017/3/31

萬福寺周辺には10基以上の古墳があるが、市指定史跡となっている萬福寺古墳を含めて奈木古墳群と呼ばれている。
豊橋市美術博物館に、出土品が展示されている。

 萬福寺
  萬福寺には、県指定文化財の「木造阿弥陀如来坐像」が保存されている。

萬福寺境内

元本堂の鬼瓦

萬福寺の手前の道路沿いに、萬福寺古墳の説明板がある。
説明板の後ろ(北)の林の中に13号墳、12号墳が南北に並んでいる。

 奈木13号墳  径8.3mの円墳
  墳丘上に道がある。

説明板の後ろの13号墳

北から見た13号墳
 奈木12号墳  径13mの円墳  石材が一部露出している。
       13号墳の北にある。  墳丘上に道がある

南から見た12号墳

北から見た12号墳

さらに北に行くと萬福寺古墳(11号墳・市史跡)がある。本堂後ろあたりか。

 萬福寺古墳(奈木11号墳) 市指定史跡
 径12mの円墳
 境内の北側にあたる山の斜面に築かれている。
 墳丘には二重の石列がめぐっている。
 横穴式石室は、奥行8.3m以上、幅1.7m、高さ2m
   側壁の平面形が穏やかに弧状を描く無袖式
 石室内から須恵器、太刀、鉄製柄頭、鉄鏃、弓飾り金具、耳環、玉類などが出土
   とくに鳥紐蓋付脚付壺は鳥形の装飾が特徴的で、東三河地域を代表する須恵器のひとつ
 昭和37年(1962)に発掘調査         
                           (説明板から)

萬福寺古墳 墳丘 南から見る
中央左よりに石室開口部

横穴式石室 入れない

石室内部  鉄骨で補強されている
奥壁は三段積み。側壁は台形状に持ち送っている。

東から見た墳丘

13号墳の南東50mほどの道路脇、民家の敷地内に、横穴式石室がある。
民家の方に挨拶をして、見学させていただいた。

 奈木1号墳
  直径11.2mの円墳
  石室全長7.7m 玄室長さ4mほど


南から見た墳丘

石室入口

石室内部

石室内部から外を見る

北東から見た墳丘


ファミリーマート豊橋石巻本町東店にて昼食後、石巻地区の古墳群の見学。

上地1号墳(久太夫古墳)
(石巻の古墳)
豊橋市石巻西川町上地
撮影日2017/3/31

上地の県道沿いに墳丘が見えていて、その向こう側に横穴式石室が開口している。

 上地1号墳(九太夫古墳)は  円墳
  南側に開口している横穴式石室は 玄室長4mほど 幅・高さとも2m

県道から見た墳丘

回り込んだ右下に石室がある。

開口部

玄室内部

天井石

内部から外を見る、外に傘・・・

案内板・説明板が整備されていて、見学しやすい。

段塚古墳・姫塚古墳
(石巻の古墳)
豊橋市石巻西川町上地
撮影日2017/3/31

東名高速道路のすぐ南にある北之谷霊園近くの民家に2基の古墳がある。
どちらにも横穴式石室がある。
塀越しに撮影。

 段塚古墳

塀越しに見る段塚古墳 石室が見える

北から見た段塚古墳 墳丘
 姫塚古墳

大きな樽の後ろに横穴式石室があるという・・


塀越しに撮影

グーグルのストリートビューでは、段塚古墳がはっきりと確認できる。
ご覧になってみてください。

宮西古墳
市指定史跡
馬越北山古墳群
(石巻の古墳)
豊橋市石巻本町宮前
撮影日2017/3/31

馬越長火塚古墳を目指していたら、先に案内板が目に入ったので、見学。

 宮西古墳  馬越北山古墳群の中の1基。
 直径12m・高さ2mの円墳
 墳丘南側に両袖型の横穴式石室が開口している。
 古墳時代後期の築造と推定されている。
 石室内は昭和54年発掘調査
  ガラス製勾玉・琥珀製棗玉・ガラス製丸玉・耳環などの装身具、
  太刀・鍔・刀子・鏃などの鉄製品、甕などの須恵器が出土している。
 下水道工事にともない道路の中央を発掘調査したところ、
  かつて失われた横穴式石室や墳丘の一部見つかった。
   古墳は3m以上削られているとわかった。

宮西古墳 墳丘

墳丘南側は道路で削られていて、
横穴式石室は南側が途中で途切れている。

入口

石室内部

内部から外を見る

山側から見た宮西古墳

馬越地区とその周辺の古墳   (宮西古墳そばの案内板に加筆)

1.5km四方のコンパクトな範囲で
  さまざまな古墳を見ることができる。

この案内図の北方に、
 先に紹介した上地1号墳・段塚古墳・姫塚古墳などがある。
これらも石巻の古墳群に含まれる。


宮西古墳の西に素戔嗚神社があり、その背後にも11基の円墳が確認されている。

 馬越北山古墳群
 宮西古墳の背後にある山の斜面と尾根の上には、10〜20mほどの11基の円墳が密集している。
 6〜7世紀の築造と推定されている。後期群集墳
 馬越北山古墳群 その1

墳丘

墳頂 石材露出
 馬越北山古墳群 その2

墳丘

左奥は墳丘その5
 馬越北山古墳群  その3

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その4

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その5

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その6

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その7

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その8

墳丘

墳頂
 馬越北山古墳群  その9

墳丘

墳頂

馬越北山古墳群は、詳しい配置図もなく、古墳番号もわからない。
ほとんどの墳頂は、くぼみとなっている。元は石室があったのだろう。

HP「大和國古墳墓取調室」には、馬越北山11号墳の横穴式石室が紹介されているが、見つからなかった・・・。

勝山1号墳
(石巻の古墳)
豊橋市石巻本町紺屋谷
撮影日2017/3/31

白山神社前に駐車できるという情報があったが、どう考えても無理だったので、近くの空き地に止めて見学。

白山神社

白山神社境内の右側の斜面に墳丘が浮かぶように見える。

雨が降っていて、霞んでいたせいか幻想的な姿だった。


見学のための鉄階段がある。

 勝山1号墳は、全長44mの前方後方墳
  後方部に比べて前方部がずいぶん低いため、この付近では最古の古墳の一つと考えられている。

左に前方部 右が後方部

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る



前方部脇から後方部を見る

  

権現山古墳群
愛知県指定史跡
(石巻の古墳)
豊橋市石巻本町字別所
撮影日2017/3/31

勝山1号墳の南西約400m、権現山の水道タンクのそばに権現山古墳群がある。

写真中央に見える小さな案内板が「権現山古墳群」のもの

道路脇の山道を降りて、また登ったところに、
  2基の前方後円墳がある。
正面奥は水道タンク。

右手前は駐車場


豊川下流域を広く臨む標高68.5mの権現山の尾根線に、90mほど離れて、2基の前方後円墳がある。
まず見えるのが2号墳。2号墳前に説明板がある。

 権現山2号墳

2号墳は、全長33.0mの前方後円墳
 後円部径24.6m 前方部長10.2m
葺石なし 埴輪なし
埋葬施設も不明
墳丘裾から3世紀後半頃の土器が出土しているので、
  3世紀後半頃の築造と推定されている。
2号墳の前方部は後円部にくらべてかなり小さく、
   墳丘の立ち上がりもわかりにくい。
1号墳の前方部より未発達な印象をうける。
1号墳より古い可能性をしめすもの
1号墳より高所にある。

2号墳後円部 向こう側に前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

右が後円部 左に前方部


1号墳と2号墳の案内板





2号墳から南に下ったところに1号墳がある。

 権現山1号墳

1号墳は、全長38.4mの前方後円墳
   後円部径23.0m 前方部長15.4m
後円部や前方部の斜面には葺石がある。
墳丘上から、
 底に穴が空いた多数の壺形埴輪(二重口縁壺)の破片が
 出土しているので、
 築造当時は、 
 古墳の上に壺が立ち並んでいたと考えられている。
後円部の中心に竪穴式石槨があり、
 天井石は石灰岩が使われていた。
4世紀後半の築造と推定されている。

後円部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

くびれ部脇から後円部を見る

前方部手前の広場

平坦に加工されている。
前方部の葺石は基本的に角礫が使用されているが、
広場に面したところは丸い河原石が使われている。

この広場が特別の場所であったと考えられている。


砲台跡

権現山には、第二次世界大戦中に、
豊川海軍工廠を防衛する目的で砲台の建設が進められていた。
未完成のまま、終戦を迎える。
説明板の後ろの池は砲台跡の一つ。
ほかに、権現山には、道路跡や兵舎予定地跡など 戦時中の遺構がいくつか残されている。

馬越長火塚古墳群
国指定史跡
(石巻の古墳)
豊橋市石巻本町紺屋谷
撮影日2017/3/31

果樹園の中の、車幅ギリギリの道を進むと到着。駐車スペースあり。

馬越長火塚(マゴシナガヒヅカ)古墳、大塚南(オオツカミナミ)古墳、口明塚南(クチアケヅカミナミ)古墳を
  まとめて馬越長火塚古墳群と呼ぶ



馬越長火塚古墳群 配置図

馬越長火塚古墳は全長70mの前方後円墳

口明塚南古墳 径23mの円墳 

大塚南古墳 直径19mの円墳


平成28年3月に国指定史跡となったばかり。

 馬越長火塚古墳
 全長70mの前方後円墳
  後円部径32m・高さ5.5m、前方部幅26m・高さ2m、
 平坦な下段と盛り土で築かれた上段からなる2段築成
  全体が葺石で覆われている
  後円部南側に開口する横穴式石室は、全長17.5m   県内最大規模を誇る。
  前庭、羨道、前後2室に分かれた玄室で構成された複室構造で、
    それぞれが立柱とよばれる石材で分けられている。
  玄室は平面形が胴張り形で、天井石の縦断面形は連続する弧状を呈していて、
    奥壁には一枚石が使用されている。
 床面にはこぶし大の石が敷かれているが、現在は保護のため砂で覆ってある。
  典型的な三河型横穴式石室の特徴を持つ
 玄室から、棘葉形杏葉(キョクヨウガタギョウヨウ)を含む豪華な金銅装馬具や、トンボ玉などの玉類
 前庭から、墓前の祭祀に使用された大量の須恵器が出土し、
  これらは一括して国の重要文化財に指定されている。
 6世紀末葉の築造と推定されている。

墳丘図

横穴式石室 図

馬越長火塚古墳出土の馬具

前方部南西コーナーから見た墳丘
右奥に後円部

柿畑として利用されていたほか、
 道路によって削平されているが、
 コーナーの葺石が
 見つかっている。
前方部が低平なのに対して
 後円部はドームのように
 傾斜角が強くて高い。

前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る
後円部右側に石室が開口している。

横穴式石室
手前の立柱の向こう側が羨道部
手前は埋蔵保存されている前庭か

羨道から前室・後室を見る
床にはこぶし大の石が敷かれているが、
埋蔵保存。

前室から後室を見る

奥壁

後室から入口を見る

前室から入口を見る

石室脇から前方部を見る

後円部手前   向こう側に前方部

 南側くびれ部には張り出した高まりがあるが、
発掘調査の結果、後世の盛土と分かった…
盛り土の下に葺石が見つかり、戦時中には
石室から運び出された副葬品の馬具が出土。

後円部北側脇から前方部を見る
北側くびれ部は、葺石があるが、
南側に比べておかれている範囲が狭く、
古墳の裏側という印象を受ける。

古墳の北側は、柿畑や道路によって改変されている。
前方部の中央は、戦時中に陸軍の土取りで大きな穴が掘られ、西側は柿畑に改変されていたが、
発掘調査では、前方部の下半部がよく残っていたという・・・。

馬越長火塚古墳の北西に口明塚南古墳、南に大塚南古墳がある。

 口明塚南古墳は 径23mの円墳
 南に開口する横穴式石室がある。現在は埋められている。
 7世紀前葉の築造と推定されている。
 馬越長火塚古墳に続く首長の墓と考えられる。


口明塚南古墳
 



 平成21年に調査され、横穴式石室や葺石が発見された。
 横穴式石室入口部分を調査したところ、
  たくさんの須恵器に混ざって金銅製の空玉や毛彫りの馬具の破片が出土した。
 大塚南古墳は 直径19mの円墳
  7世紀初頭の築造と推定されている。

大塚南古墳


 平成20年の調査で石室に続き通路の一部が発見され、
 石室からかき出して捨てられたと見られる、副葬品の金銅装馬具が出土している。

  

観音山古墳に つづく

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