更新日2018/7/1
2018春・静岡東部・神奈川県西部 その6 三島市・函南町・伊豆の国市 |
2018/3/21〜25 |
2018/3/24 旅行3日目、沼津市の古墳を見学して、三島市に入る。
剱刀石床別命神社 ツルギタチイワトコワケノミコトジンジャ |
三島市谷田 撮影日2018/3/23 |
三島市の井之森神社古墳へ向かう途中、古墳のような神社を発見!
神社の説明板がある。
剱刀石床別命神社は 祭神は剱刀石床別命・日本武尊 延喜式(915)所載の古社で、元亀(1570)天正の棟札を蔵し、明和(1764)の鳥居扁額を掲げる。 祭祀の起源は一の瀧、二の瀧、三の瀧の磐座、剱刀石床からの湧水の恵みを崇め、 神格化し神名となると伝わる。 また御嶽神社とも称せられた。 社地の後方台地には古墳群があり、古代の聖地を思わせる。 鉄道敷設、団地造成、道路拡張等で、地形が大方変貌した。 (説明板から) |
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神社は周りより 高い所にある |
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剱刀石床別命神社 正面 |
社殿 |
説明板にあるように、地形が変わり、神社の部分だけ、山が削られずに残ったのかもしれない・・・
後方の古墳群というのは、この後見学する井之森神社古墳、夏梅木古墳群や向山古墳群のことだろう。
井之森神社古墳 | 三島市谷田 撮影日2018/3/23 |
駐車スペースはある。
神社の由緒の説明板に、古墳だと書かれている。
井之森神社は 祭神は 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)で、五穀豊穣・商売?盛・交通路の神様 古墳石室遺跡(5世紀)で古墳祭祀遺跡と神霊祭祀が複合した神聖な聖地である。 (神社由緒説明板から) |
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井之森神社古墳は 現状で、径20mほどの円墳 墳丘上に井之森神社社殿がある。 横穴式石室の天井石と思われる石材が露出している。 |
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井之森神社古墳 墳丘 |
墳丘上から裾をみる |
墳丘上 |
墳丘上には石材露出 |
井之森稲荷神社社殿 郵便受けが賽銭箱になっている 住宅の玄関そのものだ |
古墳の説明板はないので、詳細不明…。
夏梅木第6号墳 夏梅木古墳公園 ナツメギコフンコウエン |
三島市谷田 撮影日2018/3/23 |
錦が丘団地の片隅に夏梅木第6号墳が復元され、夏梅木古墳公園となっている。
発見された所と同じ位置に、一部新しい石材を使って復元された。
駐車場なし。説明板あり。
夏梅木第6号墳は 径14mの円墳 幅1.5mの周溝がめぐる 横穴式石室は全長6m、幅1.5m、高さ2mの無袖式で、 長さ2m・幅0.6mの箱式石棺が納められていた。 石室から、太刀や鏃などの武器、馬具、勾玉などの装飾品、飲食器など、 100点をこえる副葬品が出土。 とくに飾太刀は、畿内政権との密接な関係を示していると考えられている。 錦が丘団地造成に伴う発掘調査によって19基発見された古墳の中の一つである。 |
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南から見る |
横穴式石室がある。 |
開口部 入れない・・ |
石室内部 |
墳丘上から 石室開口部を見る |
麓にある源平入道墓 |
路駐で見学したが、横が共同の農地となっていて、人の出入りが多く、ちょっと迷惑だったかもしれない。
向山古墳群公園 県指定史跡 |
三島市谷田 撮影日2018/3/23 |
夏梅木古墳群や井之森神社古墳の南の高台に向山古墳群が整備されている。
A,B,Cの3つのエリアに分かれていて、全体説明板はC地区にある。
A地区に駐車スペースがある。
現地には説明板が多数ある。
インターネット上に「リーフレット 向山古墳群公園」が公開されていたので、参考にさせていただいた。
向山古墳群
C地区の14号墳から見る
奥にB地区・A地区が見える。
向山古墳群は 向山小学校東側の尾根上に直線的に分布する。 円墳14基 前方後円墳2基の合計16基からなる。 4世紀中ごろ〜6世紀前半の築造と推定されている。 昭和50年(1975)の向山小学校建設工事で偶然発見された。 この時1・2号墳が発掘調査されて、木棺直葬で鉄剣、鉄刀、鉄鏃が出土したが、消滅。 昭和57年(1982)、平成3年(1991)の調査で、新たに13基の古墳が発見されて、平成11年県史跡に指定された。 平成23・24年度に古墳公園として整備 平成16年度には、16号墳が発見された。 向山古墳群配置イメージ図 (資料から作成) A地区は 3〜6号墳 B地区は 7〜11号墳 C地区は 12〜15号墳 1・2号墳は、向山小学校建設で消滅
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A地区の駐車スペースに駐車、徒歩で見学。
向山古墳群公園A地区 | |
前方後円墳1基・円墳3基 A地区全景 南側から見る 左 6号墳 |
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向山3号墳 長さ21.7mの前方後円墳 後円部の中央には長さ2.1m・幅0.6mの木棺直葬の跡が見つかる。 長さ1m以上の鉄剣が出土した。 6世紀中ごろの築造と推定されている。(古墳群の中では最も新しい時期) 発掘調査時点の3号墳 上空から見る (説明板から) 上空から見ると前方後円の形がよくわかる。 現在は、古墳の保護のため盛り土をして芝を張り、 墳丘上には、穴の跡が実物大の陶板に写真を焼き付けて展示されている。 |
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3号墳 墳丘 |
3号墳 前方部から後円部を見る |
3号墳 後円部の埋葬部を陶板で表示 |
3号墳 後円部から前方部を見る 右奥は5号墳 |
向山4号墳 直径11.5m・高さ1.8mの円墳 周溝がある。 はっきりしたことは分かっていないので復元表示されていない。 現在は、古墳の保護のために盛り土をして芝がはられている。 4号墳 斜面にあるので、背が高く見える |
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向山5号墳 直径14.4m・高さ2.4mの円墳 幅1.8m〜3mの周溝がある。 北側を道路で削られている。 現在は、古墳の保護のために盛り土をして、コクマザサが植えられている。 5号墳 |
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向山6号墳 推定最大径17.3m・高さ0.8mの楕円形墳 盛り土も周溝もはっきりしたことは分からないので復元表示されていない。 |
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6号墳 右奥は4号墳 |
5号墳から見た6号墳 |
B地区は、散策路の整備だけをして、復元前の古墳が並ぶところ。
B地区は 円墳5基 | |
向山7号墳 径18mの円墳 高さ2.4m |
向山8号墳 径14mの楕円形墳 高さ1.2m |
向山9号墳 径13mの円墳(パンフではD形?) 高さ0.5m 墳丘は、ほとんどない?! |
向山10号墳 19×13mの楕円形墳 |
向山11号墳 は 長径15.3mの楕円形墳 高さ2.2m | |
11号墳 右手前に高まりがあるので、 前方後円墳のように見える |
11号墳を横から見る |
C地区には、「向山古墳群公園」の説明板、あずまや、トイレがある。
C地区は 円墳4基 C地区が、 向山古墳群公園の入口! 奥は13号墳 |
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向山12号墳 直径13m・高さ2.6mの円墳 発掘調査で、ローム層の赤土と黒褐色土を交互に積んで墳丘をつくっているとわかった。 埋葬施設は見つからなかった。 周溝は幅2m・深さ0.6mの規模て、東側半分に見つかっている。 6世紀前半の築造と推定されている。 |
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発掘調査時点の12号墳と15号墳(奥) 12号墳は古墳本来の姿がよく残っていた。 (説明板から) |
現在の12号墳 古墳の保護のため、 盛り土をして表面に芝が張られている。 |
向山15号墳は 12号墳と13号墳の間にある。 (発見された順に番号がつけられている。) 最大径14.6mの円墳 高さは不明 盛り土は全く残っていないが、発掘調査で最大幅2m・深さ0.5mの円形の溝が発見された。 6世紀の築造と推定されている。 |
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発掘調査時点の15号墳 (説明板から) |
現在の15号墳は溝だけが表現されている。 手前が12号墳。 奥に13号墳・14号墳 |
向山13号墳は 直径15mの円墳 周溝がある。 墳丘中央に長さ3m・幅1.7mの木棺直葬の跡が見つかる。 須恵器が出土 6世紀中ごろの築造と推定されている。 発掘調査時点の13号墳 半分以上が破壊されていた。 (説明板から) 現在は、 古墳の保護のため、盛り土をして芝がはられ、墳丘上には、穴の跡が石で表示されている。 |
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現在の13号墳 |
13号墳 墳丘上の埋葬施設表示 |
向山14号墳は 最大径28mの円墳 高さ2.9m 群中最も大型の円墳 自然の地形を削って墳丘をつくっている。 周溝はない。 墳頂中央に長さ6.8m・幅2.8mのに箱形木棺直葬の跡が見つかっている。 4世紀中ごろの築造と推定されている。 発掘調査時点の14号墳 古墳の上から富士山や市街地の 素晴らしい眺めを楽しむことができる。 (説明板から) 古墳の保護のために、盛り土をして芝が張られ、埋葬部が石で表示されている。 |
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現在の14号墳 天気が良いと墳頂から富士山が 見えるはずだが、雲隠れ・・・。 |
14号墳 墳丘上の埋葬部を石で表示 |
C地区の西方、向山小学校の北側の尾根に、平成16年に16号墳が発見された。
公園ではないが、公園化しようとしているようだ。
向山16号墳 | |
全長68.2mの前方後円墳 後円部径40.7m 昔から「山の神さま」として、地元の人達に大切にされてきた場所で、守護石を埋設しようとして、 竪穴式石室が見つかり、古墳と確認された。 平成16年に新発見。 土師器壺が出土 3世紀の築造か? 古墳についての説明板はまだない。 |
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16号墳 前方部から後円部を見る |
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16号墳後円部 発掘されたのかな? |
16号墳 後円部から前方部を見る |
16号墳発見のきっかけを作った 守護石と説明板 16号墳そばにある。 |
実生のエドヒガンザクラが満開 桜の由来のりっぱな説明板がある。 16号墳そばにある。 |
柏谷横穴群 国指定史跡 |
函南町柏谷 撮影日2018/3/23 |
整備されて粕谷公園となっている。多くの家族連れでにぎわっている。
駐車場あります。
柏谷横穴群は 東西600m、南北250mの範囲に、141基確認されているが、 全体で300基以上の横穴墓がつくられていると考えられている。 6世紀末ごろ〜8世紀末ごろ、お墓として利用されていたと推定されている。 後半期には新たな横穴墓はつくられず、今まであった横穴墓に追葬が行われ、 最後のころには火葬骨を納めた例もみられる。 地質は、箱根火山の噴火の時に流れ出た「箱根火山新期軽石流」と呼ばれる軽石を 主体としたもので、加工がしやすい反面壊れやすいという特徴がある。 昭和51年に、国史跡となる。 国指定史跡「粕谷横穴群」案内図 (説明板から) |
上の案内図の中央あたりの横穴群 |
最初につくられた2基 (125号と127号)が 含まれたグループ 案内図では、右上の横穴群 平成10年に 追加で国史跡になったところ |
埋めて保存したグループもある。 (1〜6号横穴) 上の案内図では、右下端部 |
横穴の番号を把握していないので、
特徴的な形態を持つという12号横穴だけ紹介する。
12号横穴 | 上の案内図では 右下あたりにある。 |
奥壁中央から奥に棺を納める納棺施設(室)がつくられている。 この施設は幅95cm・高さ1m・奥行2.15mで入口側に溝がある。 溝は閉塞用の木の蓋をはめ込むためのものと考えられている。 |
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一番大きな穴が12号 |
12号横穴実測図 (説明板から) |
横穴内部 奥壁に納棺施設 |
納棺施設の内部 |
韮山反射炉 世界遺産 国指定史跡 |
伊豆の国市中 撮影日2018/3/23 |
平成27年7月に、韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産 」の構成遺産として、世界文化遺産に登録された。
りっぱなガイダンス施設ができて、入場料を払わないと近付くことができない。
ガイダンス施設
たまたま誰もいない時に撮った写真だが、
実は多くの人が見学に来ている。
韮山反射炉 幕末、欧米諸国の植民地化や開国要請に対抗して日本(江戸)を守るために 韮山代官江川太郎左衛門が幕府に進言して築いた大砲鋳造炉。 品川沖に作られたお台場(砲台)に据えるための大砲を鋳造。 安政元年(1854)建設開始。安政4年(1857)完成。 元治元年(1864)の使用中止までに大小の大砲数百門を鋳造。 炉体と煙突が完全な形で現存している世界唯一の産業遺産。 反射炉とは、銑鉄(砂鉄や鉄鉱石から作った粗製の鉄で、 不純物を多く含む)を溶かして優良な鉄を生産するための炉。 銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となるが、 反射炉内部の溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており、 そこに炎や熱を「反射」させ、銑鉄に集中させることで高温を実現する構造。 この反射させる仕組みから反射炉と呼ばれた。 |
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韮山反射炉 |
韮山反射炉の足元に展示された大砲 |
物産館やレストランも完備の観光地だ。
白石の石棺 市指定史跡 |
伊豆の国市長岡 撮影日2018/3/23 |
韮山反射炉から、西に約3km、
伊豆長岡温泉街の長岡リハビリテーション病院の北西100mの山裾の覆い屋の中に保存されている。
道沿いに案内板が出ている。
駐車スペースあり。説明板あり。
道路から2、3m高い所の覆い屋の下に
保存されている。
白石の石棺は 「長岡洞の古塚」や「川西村長岡露出石棺」といわれて、古くから著名なものだ。 刳り抜き式石棺で棺の箱の部分は、全長2.3m・幅1.5m・高さ1mの直方体に近く、 厚さは20〜30cmあり、 正面には横70cm・高さ60cmの穴があり、 これが築造当時のものとすれば横口式という珍しい形式である。 かまぼこ型の蓋の高さは、88cmで縦横はほぼ同じ 全体の形は家形だが、高さが1.9mと大きい。 加工しやすい伊豆石とよばれる良質の凝灰岩の豊富な産地である。 周囲は、昭和20年代までは雑木林で、石棺の位置はわずかにくぼみとなり、 その中に棺の大部分が露出していたが、旅館建設の時前面の土は削り取られ、 三方土でおおい、土止めの石が積まれた状態となっていた。 保護保存のため平成2年に移転復元された。 旧地形から推定すると、 最初は山麓の緩傾斜面を利用してつくられた円墳?中に埋蔵された石棺と考えられている。 (説明板から) |
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蓋に穴 身にも穴 横口式? |
横から見る |
後から見る |
反対側から見る |
蓋の穴から見た石棺内部 |
身の穴から見た石棺内部 |
大きい!!
石棺に開けられた穴が最初からのものなのどうかは、定かではないようだ。
セブンイレブン長岡北店で 昼ご飯を準備したが、どこで食べようかな…。
平石4号墳 市指定史跡 |
伊豆の国市立花3丁目 撮影日2018/3/23 |
立花3丁目の住宅団地の南側斜面にある。
消火栓の設備横の空き地に駐車、
すぐそばの道路脇に「平石古墳入口」の案内板があり、斜面を少し下る。
斜面を下りたところにも
案内板がある。
4号墳だけが、調査後整備公開されている。
平石古墳群は、6基の円墳からなり、4号墳が最大規模のものである。 昭和40年代の前半までは、ほかにも数基の古墳が存在していたようだ。 |
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平石4号墳は、径14m・高さ3mの円墳 横穴式石室の中には、変形の家形石棺とも呼ぶべき組合せ式石棺が置かれていたとわかった。 7世紀中ごろの築造と推定されている。 大正5年、道路修復工事の際に発見された。 一部が発掘されて、羨道部から須恵器、石棺内から刀身が出土したといわれている。 それらの遺物は、東京国立博物館と随応寺(守木)に保管されている。 昭和47年(1972)に本格的な発掘調査。 |
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墳丘向こう側に石室開口 |
石室天井石 |
石室前面の石材は そのまま外護列石につながっている。 |
よく見ると石室入口に 石棺が埋もれている!! |
石室内部 |
内部から外を見る 入口に石棺が挟まっている!! |
4号墳以外の古墳(?)。
4号墳の東に天井石が露出している |
住宅街の空き地の巨石?!(古墳かは不明) |
北江間横穴群大北支群 国指定史跡 |
伊豆の国市北江間 撮影日2018/3/23 |
北江間横穴群は、大師山支群もあるが、駐車場があるという大北支群へ行く。
伊豆中央道のトンネル出口の東側にある。
説明板が2枚ある。
駐車場にて、昼食後、見学。
北江間横穴群大北支群は 凝灰岩の山につくられた40基以上の横穴群 横穴の形、構造、工法、埋蔵物が、群や位置によって個性が見られる。 最上部(西側)には特に巨大なものがあり、奥行6.7mあるもの(3号) 奥壁に接し高さ1mに近い作り付け石棺があるもの(2号) そのほか、入口の前方に掘り広げられた見事な床があるものが多く、(特に32号) 7世紀後半〜8世紀中ごろの築造と推定されている。 土葬から火葬に移る時代の姿をよくあらわしている。 火葬骨を納めた石櫃も各種形式のものが多数出土している。 特に24号のものは前面に「若舎人」の文字が刻まれていて、これは全国でただ一つのもので 金石文(石や金属に字を刻んだもの)としては静岡県内最古のもの 火葬骨専用と思われるきわめて小型の横穴(縦横10cm・奥行30cm内外)もめずらしい。 (説明板から) |
北江間横穴群をはじめとする狩野川左岸側の横穴墓の多くは、 数100万年前、伊豆が本州に衝突する前に 海底に積もった火山灰や軽石の地層の中につくられていて、 壁面には海底に積もった際の縞模様などがそのまま残っている。 このような掘削しやすい地層は石材として用いられてきた。 伊豆石と呼ばれるこの石材は、韮山反射炉などあちこちで使われている。 一方粕谷横穴群など、狩野川の右岸側に分布する横穴墓は、 箱根火山(数10万年以降)の火砕流堆積物などの中に多く作られている。 (説明板・伊豆半島ジオパーク「横穴群にみる海底火山のなごり」から) |
大北支群はA・B・Cの小支群に分かれている。
A小支群 | |||||
西側のA小支群全体 |
最上部の大きな横穴が多いところ |
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32号墓は 墓道がりっぱで、入口には扉をはめる溝が残る。
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小型の横穴が多いのは北側のB支群。火葬専用の横穴も多い。
石櫃がある横穴を紹介する。
B支群 | |||
24号横穴 入口に柵があり、ケースの中に石櫃 |
24号横穴の石櫃には 「若舎人」の文字が刻まれているという。 |
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蓋が開いた石櫃がある横穴 HP「大和國古墳墓取調室」様の写真では、 蓋が閉まっているのに・・・。 誰が開けたの? |
横穴の番号を把握してないので、わかる部分だけの紹介となる。
午後1時を過ぎた。
熱海に住むおばさんに会い、横浜に住むいとこに会い・・・・。
日暮れから雨。
午後8時半、横須賀市の京急EXインYRP(横須賀リサーチパーク)に宿泊。
ホテルの駐車場が予約できなくて、かなりの雨の中どうなるのかと思ったが、
ちょうどキャンセルがあり、ホテル横に駐車できた!
次回からは、神奈川県!!
かろうと山古墳から始まる!!
神奈川県 かろうと山古墳につづく