更新日 2018/7/15

2018春・静岡東部・神奈川県西部
その7 三浦半島 
(横須賀市・逗子市)
2018/3/21〜25

静岡県から神奈川県に入る。 初めての神奈川県。
車での見学は無理だろうと思い、なかなか行けなかった神奈川県・・・
横浜に住むいとこに会いに行く機会を得て、ようやく見学できた。
2018/3/24 旅行4日目です。
横須賀市の京急EXインYRP(横須賀リサーチパーク)で朝食を終えて、出発、
  1分(約300m東)で、かろうと山古墳のふもとに着く。
昨晩からの雨は止んだ!

地図g

神奈川県埋蔵文化財センター第4回考古学講座(2014.9.20)の
  「かながわの前期古墳〜長柄桜山古墳群を中心に〜」の資料が
  インターネット上で公開されているので、参考にさせていただいた。

かろうと山古墳
市指定史跡(平成20年)
横須賀市光の丘
撮影日2018/3/24

かろうと山古墳を保存するために、トンネルができた。
トンネル近くの空き地に駐車。

トンネル左側脇に、説明板と登り口があり、
斜面を上ると墳丘がある。



墳丘そばにも、大きな説明板。

 かろうと山古墳は  長径14m・短径13mの楕円形墳 高さ3m
  周溝はない  埴輪なし 葺石なし
  周囲の土を削り取って墳丘がつくられたと考えられている。
  主体部は、複数の切石を組み合わせた箱式石棺で、内法で長さ2.5m・幅.95m・高さ0.66m
     (県内屈指の規模)
  盗掘を受けていたが、
   金銅製刀装具・弓弭(ユハズ)金具・金銅装鑿状鉄製品・銅製薄版・直刀・刀子・鉄鏃などが出土
  中でも金銅装鑿状鉄製品は、
   岡山県に2例・長崎県に1例あるのみで、国内でも出土例が少なく、東日本では唯一
  7世紀中ごろの築造と推定されている。

  切石組箱式石棺は、墳丘の流出や石材の風化による劣化から保護するために埋め戻している。
  7世紀前葉以降の三浦半島では古墳に代わり横穴墓が盛行するが、
    この時期の単独の高塚墳として築造されたきわめて特異な存在。
  1952年(昭和27年)の発掘調査で切石組箱式石棺と豊富な副葬品が発見された。
  1983年(昭和58年)、1990年(平成2年)、2004年(平成16年)にも調査が行われている。


かろうと山古墳測量図
(説明板から)

切石積み箱式石棺 北から見る
南北妻壁は切石の2段積み、
側壁は東側が3枚、西側が2枚、床石は4枚
蓋石は南東隅を除く大半が失われている。
(説明板から)

金銅装鑿状鉄製品(左)・金銅製弓弭金具
(説明板から)

かろうと山古墳の現状

墳頂部

墳裾部か

かろうと山古墳は、標高100m付近にあるので、 「尻こすり坂」というすごい名前のついたところを下って、次へ!

大塚復元古墳
大塚古墳群
横須賀市池田町
撮影日2018/3/24

古墳は開発で跡形もなくなってしまったが、
   新興住宅地の一角、大塚台小学校の隣に再現古墳のある公園が造られた。
1号墳が、ほぼ当初の規模・形態で復元されている。

 大塚古墳群前方後円墳3基・円墳3基が確認されている。
 1号墳全長31.3mの前方後円墳 
  後円部径18.8m、 前方部長さ12.2m・前方部前幅9.8m、くびれ部幅9.8m 
  西側に前方部がある。
  木棺直葬
  棺内から、直刀・刀子・鉄鏃・耳環・ガラス小玉・須恵器などが出土
  古墳時代後期の築造と推定されている。
 大塚古墳群は大正13年(1924)に発見され、1号墳は 昭和27年・平成4年に調査されている。
 ほかに縄文時代早期の集落跡や太平洋戦争中の高射砲陣地跡があった。

調査後の大塚古墳 (説明板から)

主体部の解説図 (説明板から)

大塚復元古墳

南から

後円部側   右奥に前方部

後円部から前方部を見る

後円部頂の主体部表示

前方部から後円部を見る

横浜横須賀道路から逗葉新道を通り、逗子市へ
今回の大きな目的の一つである長柄桜山古墳群へ。

長柄桜山古墳群 逗子市桜山・葉山町長柄
撮影日2018/3/24

平成11年(1999)に、前方後円墳の長柄桜山1号墳・2号墳が発見された。
どちらも逗子市と葉山町の境界線上にある。
北から、西から、東からといくつも登り道があるようだが、東の葉山桜山団地西端の登り口から上る。
駐車場はない。


葉山桜山団地西端の登り口

25mほどのぼると1号墳。整備途中だ。

 長柄桜山古墳群第1号墳  墳頂部の標高は127m
 全長91.3mの前方後円墳  県内最大の前方後円墳
 後円部径52.4m 前方部長さ38.9m 前方部幅33.0m
 葺石はない
 後円部3段、前方部2段築成
 後円部と前方部の比高差が大きい前期古墳の特徴がある。
 丘陵の岩盤を削り出した後、その上に最大1.5mの盛土をしている。


墳丘図
(かながわの前期古墳資料から)

後円部墳丘は左右非対称
 現在の逗子市市街地が広がる田超川流域や
  逗子湾から望むことができる西側を
    整った形に作りだしている。
 後円部の中央やや東よりに、幅1.6m・長さ7mの陥没坑があり、
    その1.5m下に粘土槨が1基確認されているが、内部は未調査
 埋葬施設を囲むように埴輪が並んでいた(円筒埴輪・壺形埴輪)
 埋葬施設陥没坑の脇からは、祭祀に使われたと考えられている土器が見つかっている。
 4世紀後半の築造と推定されている。

後円部側

後円部頂

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部側

くびれ部を横から見る


前方部斜め後ろから後円部を見る



長柄桜山1号墳前方部裾にある
  2号墳への案内板


第2号墳は、第1号墳から尾根筋の遊歩道を西へ500mほど向かったところにある。

 長柄桜山古墳群第2号墳  標高100m
 全長88mの前方後円墳    後円部径54m 前方部長34m 前方部幅45m
 葺石あり (砂岩や丘陵岩盤の泥石)
 墳丘には、円筒埴輪と壺型埴輪が並んでいたと考えられている。
 4世紀後半の築造と推定されている。

墳丘図
(かながわの前期古墳資料から)

後円部と前方部の比高差があまりなく、
前方部は第1号墳とを比べると幅広になっている。

前方部から西側には、
 相模湾に浮かぶ江の島や
  大山・富士山を一望することができる。

 発掘調査はごく一部しか行われていない。

後円部側

後円部の円形土壇

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

2号墳からの眺め
遠くに江の島が見える。富士山は雲隠れ・・・

逗子市から茅ヶ崎市へ向かう。

堤貝塚へつづく

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