更新日 2018/6/17

2018春・静岡東部・神奈川県西部
その5 沼津市・長泉町
2018/3/21〜25

二日目午後、富士市を見学してから沼津市に入る。

「平成23年度 市民文化財めぐり〜富士・愛鷹山麓の古墳を訪ねて〜」のパンフレットが
  インターネット上で公開されているので、参考にさせていただいた。
      (長塚古墳・原分古墳・清水柳北遺跡1号墳)

地図g

神明塚古墳
市史跡
沼津市松長
撮影日2018/3/22

東海道本線の片浜駅の東約300m、線路のすぐ南にある。
沼津市には3基の前方後円墳があるが、その3基の中でも古いと考えられている。

 神明塚古墳は、全長53mの前方後円墳 後円部径37m
  後円部に比べて前方部が短いという特徴から、比較的古いと考えられている。
 5世紀後半の築造と推定されている。
 後円部頂で、粘土槨の一部が確認されていて、箱形木棺が使用されていたと想定されている。
 戦後発見されて、昭和23年に前方後円墳と確認された。
 後円部頂に神明社があるので、神明塚古墳とよばれるようになった。
 昭和56年保存整備にむけた測量調査と発掘調査
 平成15年には、沼津市史編纂にともなう発掘調査

神明塚古墳
   北から見る


左(東) 後円部

後円部側

後円部頂の伊勢神明宮の社殿

くびれ部に立つ石碑

前方部から後円部を見る

後円部脇から前方部を見る

前方部脇から後円部を見る
南側の道路から


子ノ神古墳
ネノカミコフン
市史跡
沼津市西沢田
撮影日2018/3/22

東海道新幹線の線路近くにある。
沼津市にある3基の前方後円墳のひとつで、その中では最も新しいと考えられている。

 子ノ神古墳は  全長48mの前方後円墳
  前方部に子ノ神神社、後円部には盗掘坑があるので、形はかなり崩れている。
  未発掘なので、詳細不明だが、
   第二次大戦中に防空壕が掘られたときに副葬品と石室の一部が発見されたといわれている。
 古墳時代後期初頭の築造と推定されている。
 昭和31年、長塚古墳の発掘調査のときに測量調査
 愛鷹山の麓、沼津市西沢田の集落奥にあり、子ノ神神社が祭られています

北から見た
   子ノ神古墳

前方部の子ノ神神社 右奥が後円部

後円部  左手前が前方部(神社)

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

愛鷹山の南麓には、古墳が集中しているようだ。

長塚古墳
市史跡
沼津市東沢田
撮影日2018/3/22

沼津市にある3基の前方後円墳のひとつで、なかでは最も原形をとどめている。
駐車場はない。
「平成23年度 市民文化財めぐり〜富士・愛鷹山麓の古墳を訪ねて〜」のパンフレットが
  インターネット上で公開されていて、
その中に沼津市の長塚古墳の資料があったので、参考にさせていただいた。

 長塚古墳は 全長54mの前方後円墳
      後円部径32m・高さ5m 前方部前幅17m・前方部高さ3.5m
  周溝幅9〜10m・深さ0.8m
  葺石はない
  墳丘と中腹部に2段の円筒埴輪列がある。
  朝顔形円筒埴輪や普通円筒埴輪、人物埴輪が見つかっている。
  後円部の埋葬部は盗掘されていて、鉄製の鉾身の残片と複数の板石片がみつかっただけだが、
    箱式石棺が埋設されていた可能性がある。。
  くびれ部付近では、側の周溝から多くの土師器や須恵器が出土していて、
    墳丘上で祭祀を行ったと考えられている。。
  6世紀前半の築造と推定されている。
  1956年、1998〜1999年に発掘調査


長塚古墳 平面図
(「市民文化財めぐり」パンフから)
愛鷹山の山麓から延びる尾根の
  緩やかな斜面にある。

北から見た長塚古墳

前方部から後円部を見る

後円部頂

後円部裾から前方部を見る

前方部前面 右奥に後円部

 

高尾山古墳 沼津市東熊堂・西熊堂
撮影日2018/3/22

駐車場がなくて、じっくり見られない…。
保存されると決まったが、どのように保存するかがなかなか決まらないようだ。
工事中の状態だ。

 高尾山古墳は 全長62mの前方後方墳
   後方部長さ31m高さ後方部5m 前方部長さ30m前方部高さ1m
  周溝幅8m
  木棺直葬で、鏡・槍・鉄鏃・ヤリガンナ・勾玉などが出土している。
  3世紀の築造と推定されている。
  以前は墳頂に、熊野神社があったが、隣接地に移築されている。

高尾山古墳の立て看板

北から見た後方部 向こう側に前方部

片隅には熊野神社の定礎が置かれたまま…。

隣りには新築の熊野神社

場所も間違えたため、なかなか着かなかった・・・。
高尾山古墳を見学したこの日、沼津市長が、急死されたというニュースが流れた…。
衝撃的なニュースだった・・・

原分古墳

下土狩西1号古墳石棺
長泉町342下戸狩
撮影日2018/3/22

夕暮れてからの見学となる。
東海道新幹線と御殿場線の交差するところにあり、行き止まりの場所なので、しばらくの間の駐車は可能。
古墳公園となっている。
同じ敷地内に、下土狩西1号古墳石棺があり、原分古墳の上にあったという山神社も祀られている。


山神社 鳥居   小さな社殿
奥に下土狩西1号古墳石棺と
原分古墳墳丘がある。

下土狩西1号古墳石棺と原分古墳墳丘

原分古墳は、道路建設にともない、移築復元。

 原分古墳
 径17mの円墳
 周溝がある
 石室入口から裾にかけて石が巡る。
    墳丘の土の崩落防止と入口部分を豪華に見せる工夫
 無袖式横穴式石室は石室全長10.4m.玄室長7.6m、幅1.7m、高さ2m、
  入口には閉塞石が積み上げられている。
  入口の床には大きな石が据えられていて、床が一段下がった構造
  石室内には、家形石棺(江浦産の白色凝灰岩)のほか、木棺があったと考えられている。
  石棺は盗掘によりほとんど破壊されていた。
  蓋の破片から、縄掛け突起があると判明 (伊豆産の凝灰岩)
  人骨と金銅装や鉄製の武器や馬具、多量の土器が出土。
 7世紀前半の築造と推定されている。
 黄瀬川の扇状地につくられている。
 道路工事の計画に対応し、平成15・16年(2003・2004)に発掘調査・解体調査

原分古墳調査前平面図
(説明板から)
調査前は墳丘の上に山ノ神神社がまつられ、
墳丘の周りには二重の石垣がつくられていたが、
これらの石垣は後世のものと考えられている。
この時点では径12mの墳丘だった。
2003(平成15)年度に発掘調査
原分古墳石室展開図 (説明板から)
家族墓である。
最初に葬られた人は家形石棺に納められたと考えられているが、
石室内には、枕石や棺台が残されているので、
木棺も使用されていたと考えられている。
周辺から、人骨が出土していて、
  熟年男性1人・成人女性1人・成人男性1人・子供1人が
   葬られていたと考えられている。

壁石材は、玄室で93石、前庭で43石、合計136石
壁石と壁石の間の隙間を埋める詰石は、
玄室で231石、前庭で25石、合計256石

原分古墳の天井石
壁石材と同じ多孔質玄武岩
奥壁から2番目の天井石は、
   中でも最大で96tある。
奥壁に使われている石は60t
壁石で最も重い石は4.7t

原分古墳

墳丘と前庭


横穴式石室入口

閉塞石もそばに置かれている。

石室入口に大きな石

内部はセンサーライトがついて、明るい

天井石 左が入口側

天井石 右が入口側

原分古墳の横に石棺が置かれている。

 下土狩西1号古墳石棺 
 家形石棺
 原分古墳の横穴式石室に置かれていた石棺と同じようなもの。
 白色凝灰岩製の刳り抜き式家形石棺
 通称「伊豆石」と呼ばれ、沼津市静洞山系の海岸部から採取されたものと推定されている。

原分古墳の標柱そばに保存されている

いろいろな方向からその1

いろいろな方向からその2

いろいろな方向からその3

下土狩西1号古墳はどこにあったのか・・・?

午後6時を過ぎ、ホテルセレクトイン沼津にチェックイン。
近くのギョーザの王将で夕食
明日のためにガソリン給油  自宅を出てから580km

2018/3/23、3日目に入る。ホテルで朝食を済ませ、7時10分、出発
北約500mにある清水柳北遺跡へ。

清水柳北遺跡1号墳 沼津市足高
撮影日2018/3/23

新東名高速道路のすぐ南、沼津工業団地内の遺跡公園に移築保存されている。
駐車場あります。
平成23年度 市民文化財めぐり〜富士・愛鷹山麓の古墳を訪ねて〜」のパンフレットが
  インターネット上で公開されていて、
その中に沼津市の清水柳北遺跡1号墳の資料があったので、参考にさせていただいた。

 清水柳北遺跡は、
  愛鷹山の山腹の沼津工業団地一帯に所在していた旧石器時代から古墳時代にかけての大規模な遺跡
  北から南に延びる、渡戸川と芹沢川によって挟まれた2つの尾根に広がり、
   東側の尾根に3基、西側の尾根に1基の墳墓群も分布している。
 沼津工業団地の造成に先立ち、昭和61年〜62年に発掘調査が行われ、1号墳は上円下方墳と判明した。
 清水柳北遺跡1号墳は  一辺12mの上円下方墳 (復原)
  周囲を方形の溝に囲まれた、一辺12m、高さ1mの方形下段の上に、直径9mの円形の上段が乗っている。
  周溝は一辺20mほどの正方形
  埋葬施設は江浦産の白色凝灰岩を加工した石櫃であり、火葬墓だったとみられている。
 8世紀初めの奈良時代の築造と推定されている。

清水柳北遺跡1号墳 平面図
(市民文化財めぐりパンフから)

上から見た全景
(説明板から)
 発掘時、1号墳は芹沢川に沿った東側尾根の中央部の谷の始まる浅い窪地につくられていて、
    開墾により南側半分が大き削られていた。
 上段は開墾により形が変わっているためはっきりしないが、
    おわん形に土が盛り上げられていたと考えられている。
 上段部の中央には埋葬施設があったはずだが、、すでに掘り出されていて残っていなかった。
 東側の溝の中にその一部が残されていたので、復元したところ、
    静浦地区などで産出する江浦凝灰岩を切り出して作った石櫃(火葬骨を納める容器)だとわかった。
 周辺からは墳墓に供えられた須恵器の壺や杯などが発見された。
 平成2年に元の位置から西北へ200m移動して復原
    墳墓に使われていた石をそのまま利用し、ほぼ同じ大きさに復原した

清水柳北遺跡1号墳 全景

南から見る   背後は新東名高速道路

東から見る

墳頂の石櫃 復元

出土した石櫃片実測図 → 石櫃復元図
(市民文化財めぐりパンフから)

市民文化財めぐりパンフレットには
  「明確な上円下方墳は、全国でも4例しか確認されていない。」と書かれているが、
  現在は、6例が確認されている。
北から
@野地久保古墳(福島県白河市) A山王塚古墳(埼玉県川越市) B天文台構内古墳(東京都三鷹市)
C武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市) D清水柳北1号墳(静岡県沼津市)
E石のカラト古墳(奈良県奈良市と京都府木津川市の境)
私達は、「石のカラト古墳」と「野地久保古墳」を見学している。

北小林古墳群 沼津市北小林
撮影日2018/3/23

HP「埼群古墳館」様の情報で、見学した古墳群。
門池公園の北の道路沿いに残る細長い林の中に墳丘らしきものがある。
愛鷹山森林組合の建物の北にある細長い林にあるのが、山神社。

 山神社境内の古墳(北小林山の神古墳群)
 山神社の小社は、古墳の上にある。詳細不明。

山神社鳥居

山神社小社 古墳の上にある

山神社境内にある別の墳丘

反対側はえぐれている・・・

愛鷹山森林組合の建物の南にある細長い林にも、墳丘らしいものがある。

 北小林古墳

大きな墳丘

こちらも、神社がある。 巨石も露出?

道路沿いに、墳丘らしきものがいくつか並ぶ。どれが、古墳か定かではない…。

沼津市西椎路の、山の神神社境内にも古墳があって、東西2基の円墳が並ぶという。
名前がよく似ているので、間違えそうになった…。

天神洞古墳 沼津市中瀬町
撮影日2018/3/23

沼津市斎場のすぐ北にある児童公園・天神公園内に移築保存されている。
駐車場はないので、路駐にて見学。

 天神洞古墳は  径12mの円墳 高さ2.3m
  横穴式石室は全長4m、幅1m、高さ1.2mの小型のもので、天井石は復元です。
  玉類・刀身・須恵器など数多くの副葬品が出土した。
  6世紀の築造と推定されている。
  昭和44年に区画整理事業で調査され、移設復元された。
 天神洞古墳群の中の1基で、比較的規模の大きなものを保存した (説明板から)

天神公園に移築保存された
   天神洞古墳


萬霊供養塔


古墳そばにある

天神堂古墳について書かれた石碑は、3体ある!!
地元で大切にされていると感じられる。

三島市に向かう。

剱刀石床別命神社へつづく

トップページ