更新日 2018/5/10
2018春・静岡東部・神奈川県西部 その2 静岡市1 |
2018/3/21〜25 |
2018/3/21
1日目午後、静岡市に入る。
牧ヶ谷古墳群 2号墳・5号墳 |
静岡市葵区牧ヶ谷 撮影日2018/3/21 |
石棺が見たくて、耕雲寺へ。
牧谷山耕雲禅寺 本堂には「牧谷山」という懸額がある。 |
鐘楼のそばにはかわいいお地蔵様 左上の高台に2号墳が保存されている。 |
墓地の脇から裏山に登る。
耕雲寺の裏山には、5基の古墳が確認されていて、牧ヶ谷古墳群と呼ばれている。 昭和44年のミカン畑開墾の際に発見され、そのうち4基については発掘調査が行われた。 牧ヶ谷古墳群の位置 (説明板から) いずれも横穴式石室があり、 幅1.2m〜1.5m、長さ5〜7m、 高さ2m程度の小規模なもの。 石室内には、石棺が置かれていた。 土器・耳飾り・太刀・馬具などが 副葬品として出土している。 |
どの古墳とも、崩壊や破壊が進んでいたが、
最も残りの良かった2号墳を、消失した天井石の代わりにコンクリート製の蓋が載せられて保存されている。
斜面を登ったところ。
牧ヶ谷2号墳 | |
牧ヶ谷2号墳実測図・発掘報告書から (説明板から) |
耕雲寺の裏山 左上に2号墳の石室が見える。 |
2号墳 山寄せの墳丘 墳形は不明 |
石室入口 |
石室内部には 組合式石棺が3基置かれている。 |
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奥壁手前の石棺は、かなり破壊されている。 |
石室内から外を見る |
5号墳は墓地の後ろの擁壁の上に残骸が残っている。
牧ヶ谷5号墳 | |
擁壁の上に石が見える |
どこの部分の石だろうか? |
瓢箪塚古墳(西ノ原1号墳) | 静岡市清水区草薙字西の原 撮影日2018/3/21 |
「草薙」という地名の場所にあるひょうたん塚公園内に保存されている。
すぐ北にあるコンビニで、ちょっと買い物をして駐車させてもらう。
次に紹介する谷田古墳群(駿河区)に含まれるという説もあるが、
瓢箪塚古墳は清水区になるので、別の古墳群としておこう。
西ノ原古墳群は、前方後円墳1基と円墳4基で構成されている。 1号墳が瓢箪塚古墳 2〜5号墳は開発により消滅した。 |
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瓢箪塚古墳は全長63mの前方後円墳、 後円部径30.2m・同高4.0m、前方部幅20.4m・同高2.5m 周溝あり 前方後円墳 墳長約63m、 清水区谷田 丘陵裾 現地案内板・静岡県の前方後円墳 6世紀初頭と推定されている。 昭和52年に調査、周溝の存在が確認される。 この辺りには、古墳が点在していたが、開発が進み、他に1基を残すのみとなっている。 |
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瓢箪塚古墳 後円部側に説明板がある。 だいぶ削られているんだろうな |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
前方部脇から後円部を見る |
後円部脇から前方部を見る |
瓢箪塚古墳の説明板は、古いものらしく、
瓢箪塚古墳は全長40mで、瓢箪塚古墳の北東に1基残っていると書かれている。
伝承されている物語が書かれているので、紹介する。
この辺りは古代、盧原(イオハラ)国といわれ、大和朝廷の勢力下に組み入れられていた時、 日本武尊が草薙剣を振って、土地の人々と戦ったことが、古事記・日本書紀に記されており、 その後日本武尊に副将軍として従った吉備武彦の子孫・意加部彦が イオハラ国の国造となりこの地を支配したといわれている。 この瓢箪塚古墳はその子孫の墓ではないかと推定されている。 |
草薙という地名の由来であるということだろう。
谷田古墳群 | 静岡市静岡市駿河区谷田 撮影日2018/3/21 |
ひょうたん塚公園の南西約500m、熊野三柱神社のとなりの宮ノ後公園内にあるのは、谷田1・52・53号墳、
その南東の県立美術館に行く途中にある17号墳、
美術館後の散策路にある54・55・56号墳を見学した。
美術館の駐車場がある。
横穴式石室があるというが、見ることができない・・・
谷田古墳群は、有度丘陵の谷田原に築かれた大規模な古墳群。
江戸時代から盗掘され、太刀・勾玉・土器などが出土したという記録が残っている。
多くの古墳が開発によって消滅した。
熊野三柱神社のとなりの宮の後公園は、谷田1・52・53号墳がある。美術館第2駐車場から近い。
谷田1号墳(宮の後古墳) | |
6世紀後半の築造と推定されている。 横穴式石室があり、直刀、須恵器、土師器などが出土。 |
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石室は埋め戻しか |
方向を変えて見る |
1号墳のすぐそばに、52・53号墳。
谷田52・53号墳は、どちらも小さな円墳と考えられているが、詳細不明 | |
谷田52号墳 |
谷田53号墳 |
宮の後公園のそばに、「やぶきた原樹」というお茶の木がある。
静岡県指定天然記念物
「茶樹やぶきた母樹」
茶の有料品種「やぶきた」の母樹
安政4年、この地有度村に生まれた杉山彦三郎さんが、品種改良したもので、
現在各地の茶産地には、この木の分身が植え付けられている。
第3駐車場に移動。
この駐車場の西側の奥に保存されているのが17号墳だが、道路からは見えない。
谷田17号墳 | |
径13mの円墳 横穴式石室があるが、見ることはできない | |
県立美術館背後の森の中の散策路沿いには、54・55・56号墳がある。
谷田54・55・56号墳 | |
いずれも小円墳で、主体部は横穴式石室。終末期の古墳と推定されている。 | |
左奥・56号墳、右奥・55号墳、手前・54号墳 |
谷田54号墳 |
谷田55号墳 |
谷田56号墳、左手前は54号墳 |
南斜面の中程には25号墳があり、急斜面に、支群唯一横穴式石室が露出しているというが、
見つけられなかった・・・。
3時過ぎなのに、雨がずっと降っていて、夕暮れのような写真だ・・・。
静岡に来たら、登呂遺跡をと思い、登呂遺跡をめざすが、
登呂博物館の駐車場に着いたら、あと10分で、博物館は閉館と言われ、
雨もかなり降っていて、外の展示を見るのもつらい、あきらめる・・・・。
賤機山古墳群 国史跡 シズハタヤマコフン と 静岡浅間神社 |
静岡市葵区宮ヶ崎町 撮影日2018/3/21 |
午後5時近くなって、浅間神社に到着。駐車場あり。
神部神社・浅間神社(二社同殿)と大歳御祖神社の三社を総称して静岡浅間神社という。 神部神社は、約2100年前に駿河の国魂の大神として鎮座 浅間神社は、延喜元年(901)富士山本宮より分祀 大歳御祖神社は、1700年ほど前に、 この地の商業の中心地「安倍の市」の守護神として創始された静岡市の地主神 |
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総門と鳥居 楼門は平成の大改修工事中で 見ることができない |
大拝殿(国重文) 文化11年(1814)竣工 高さ25m 神部浅間両神社の拝殿 右側は 舞殿 文政3年(1820)竣工 |
少彦名神社は3日後の遷座祭に向けて修理中 県内唯一の医薬の神様 御酒の神、芸能の神としても信仰されている。 |
八千戈神社 本社の左側に鎮座 主祭神は八千戈 開運の神、必勝の守護神 |
賤機山古墳を見学する。
八千戈神社の横の石段を上がったところに
賤機山古墳がある。
賤機山古墳の前には、詳細内容の説明板や、製作過程を説明した復元模型もある。
賤機山古墳 (賤機山3号墳) 静岡平野の中心部に突き出た賎機山南端にある。 |
国指定史跡 |
径32m、高さ7mの円墳 横穴式石室があり、家形石棺が置かれている。 南に開口した両袖式横穴式石室は 玄室長6.5m、幅2.6m、高さ3.8m、羨道(前庭含む)長11.7m、幅1.8m、高さ1.9m 床面には拳大の川原石が敷き詰められている。 伊豆半島産の凝灰岩製石棺は 長さ2.9m・幅1.1m 石棺身高さ0.65m・石棺蓋高さ0.48m 蓋には、左右に3対(6個)、前後に1対(2個)の計8個の縄掛け突起がある。 蓋と身との合わせ目には、ベンガラが塗られていた。 石室内は盗掘されていて、石棺は横に穴があけられて内部が荒らされて、 冠帽の破片やガラス玉などがわずかに残っていただけだったが、 石棺外には遺物が数多く残されていた。 土器や装身具、武器、武具、馬具、銅鏡、銅椀などが出土 6世紀後半の築造と推定されていて、7世紀前半まで複数回の追葬が行われたと考えられている。 |
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石室・石棺 実測図 (説明板から) |
昭和24年 古墳測量図 (説明板から) |
出土物 (説明板から) 上段左から 六鈴鏡 装身具(玉、金環) 馬具(鐙) 下段左から 馬具(鞍金具) 馬具(馬鈴、杏葉、辻金具) 馬具(歩揺付飾金具) |
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墳丘 実際は、 西側がかなり削られていた。 平成8年度までに整備完了! |
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墳裾下から見た墳丘 |
石室には入れないが、照明付 |
石室内部 |
石棺 |
出土した副葬品は、神社内にある文化財資料館に展示されている。
麓山神社 賤機山古墳のすぐ北にある。 賤機山上に鎮座 天保5年竣工1834年 大山祇命を主神とし、日本武尊を祀る。 衣食住全般の守護神 |
1号墳(一本松古墳) 賤機山古墳から北に約300mの山道を進む。 一本松が生えている。 円墳で、変形獣紋鏡が出土したそうだ。 |
2号墳 1号墳から北約100m、山道を進むと2号墳 墳丘上には大きな石碑がある。 |
2号墳 方向を変えて見る 直刀、石枕が見つかったそうだ。 |
1号墳と2号墳の間にある、
2号墳そっくりの高まり
石碑がないから
2号墳ではない・・・・。
上から見たら、古墳じゃないな、やはり。
浅間神社の駐車場に戻ったのは午後5時半ごろ。
時間が遅いので、境内はすいていたが、雨も降り暗くなって、閉まってしまうかとヒヤヒヤするくらいだ。
近くの ガスト静岡安西店で夕食を済ませ、ロイヤルメイフラワーホテルに宿泊。
ここまで 走行距離476km
実は、谷津山古墳を見学したかったのだか、雨が降るので、あきらめた・・・
明日晴れたら、まず谷津山古墳の見学だ・・・・
牛王堂山古墳群へつづく