更新日 2018/4/20
2018春 静岡東部・神奈川県西部 その1 島田市・藤枝市 |
2018/3/21〜25 |
2018年3月21日 早朝4時17分 自宅出発
北陸自動車道ー名神高速ー東名高速ー伊勢湾岸自動車道ー新東名高速
で、島田金谷ICまで。
9時半過ぎ、島田市の宮の段古墳から見学開始!
あいにくの雨模様・・・。
(横岡)宮の段古墳 市指定史跡 |
島田市横岡 撮影日2018/3/21 |
新東名高速道路の島田金谷ICの北約500mの茶畑の一角にある。
駐車場がないので、東側ふもとの空き地に駐車、徒歩で古墳のある斜面を登る。
墳丘は、石室があるあたりしか残っていない。
宮の段古墳は 径10mの円墳 横穴式石室は 玄室長5.05m・最大幅1.5m・高さ2.3m 割石積の石室で、羨道と玄室は小突起状の羨門で区分されている。 明治33年に発掘 金環・銀環・銅環などの耳飾り6、刀身の残片2、須恵器5種類10、琥珀玉の破片などが出土、 全て国立博物館に保管されている。 平成9年に再調査、羨道の一部分がはっきり確認され、勾玉1・銅環1が出土した。 |
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墳丘と石室 |
墳丘 |
玄室 |
玄室から外を見る |
石室前に置かれた巨石は、どこの部分なのだろうか?
別のルートで行くと、自動車でそばまで行けるのかな?
愛宕塚古墳 市指定史跡 |
島田市阪本 撮影日2018/3/21 |
大井川の谷口橋の南岸にあるが、橋の方からは入れなくて、西の敬満神社の横から細い道を行く。
古墳前に、ギリギリ一台分の駐車スペースがある。茶畑の一角にある。
小さな前方後円墳だが魅力的!
愛宕塚古墳は 墳長21.5mの前方後円墳 、高さ2.75m 昭和34年、盗掘古墳の学術調査の際に発見され、 多数の玉類、須恵器、土師器、鉄製品が出土 南向きに横穴式石室が開口 9個の天井石を用いた玄室は、全長8.53m・高さは1.5mほど 家族墳として使用されたと考えられている。 6世紀後半の築造と推定されている。 谷口原には20数基からなる古墳群があるが、愛宕塚古墳はその中で最大のもの。 |
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前方部手前から見た墳丘 |
墳丘上から横穴式石室を見る 羨道部の天井石がなくなっている。 |
羨道手前から玄室の穴を見る。 |
玄室の穴 ちょっと不気味・・・ |
玄室内部 奥壁は積石積 |
玄室から外を見る |
後円部 奥に前方部 |
後円部から前方部を見る |
愛宕塚古墳の上から北を見ると、小さな墳丘らしきものが見える。近づいてみると、やはり古墳だ。
小さな古墳 陪塚か?
右側の石碑には「古墳」と刻まれている
左の石碑は「□魂碑」と刻まれている。
北から見た愛宕塚古墳
右(西)が前方部
小さな古墳から見た愛宕塚古墳
前方部が短いのか、削られているのかと思ったが、しっかり前方部があるように見える。
私は、実はこの島田市に住んでいたことがあって、島田第四小学校に入学、2年の途中まで通学していた。
当時は、木造校舎だったが、現在は・・・
現在の島田第四小学校
当時の担任は「柴田先生」という
おばあちゃん先生でした。
駒形古墳 市指定史跡 |
島田市横岡 撮影日2018/3/21 |
島田市民病院東の個人宅に案内板が出ている。
駒形さんのお宅に
「駒形古墳」の案内板がある。
お留守だったので、古墳の見学はできなかった。
庭の奥の山を登ると駒形2号墳、
その奥に1号墳があるという。
庭から2号墳の説明板が見えている。
左上の白い四角いのが説明板
1号墳と2号墳があり、横穴式石室が見学できるようだ。
このお宅の庭には「神楽井戸と駒形石」という説明板がある。
神楽井戸と駒形石 |
井戸はいまだに水をたたえている。 |
説明板の内容 ここに現存している古井戸は、古来、神楽井戸と呼ばれた。 昔、八幡宮が二俣山頂に祀られていた当時、この井戸は、八幡宮の北側参道の登り口にあたり、 ここに住む里見与七なる者の宅地内にあって、八幡宮の御供所として使われていた。 500年以上も昔からあった古い井戸である。 ここの上段の平地は神楽台といわれ、神楽を安置した場所と思われる。 さらにその上段に駒形古墳がある。 与七の先祖は建武中興(1333)の落人駒形六郎兵衛という武人であった。 現在の駒形家の発祥といわれている。 また古井戸に使われている大石は、馬のひつめのかけ穴が残っている。 駒形石の所以である。 |
古墳は見学できなかったが、データだけ紹介。
駒形1号墳・2号墳について (インターネットで検索) | |
駒形1号墳 | 5.4m×9.1mの楕円形墳で、横穴式石室が完存している。 横穴式石室は 全長7.6m、玄室長5.5m、幅1.6m、高さ2mの両袖式 天井石は6枚 東北壁を利用して2.12m×1.05m×0.48mの組合せ式箱式石棺が造られていたが、 現在は破壊されて、その破片らしい石材が散乱している。 昭和3年に、刀子・大刀子・金環・鏃・須恵器などが出土している。 |
駒形2号墳 | 1号墳より下にある 東西11.7m・南北12mの方墳 横穴式石室は 玄室長さ4.9m・高さ1.9m 須恵器・太刀・刀子・鉄斧・馬具・耳環などが出土している。 昭和53年に調査 |
田ノ谷古墳 | 島田市野田 撮影日2018/3/21 |
島田金谷バイパス沿いの島田市中央公園にあり、駐車場完備となっていたので行ってみたが・・・・
中央公園内の後古代の丘のなかにある。
縄文〜古墳時代の複合遺跡である田ノ谷遺跡の分布域で、竪穴式住居が復元されている。
田ノ谷古墳は 墳丘を持たない横穴式石室墳と考えられている。 横穴式石室は全長2.34m・奥幅0.6m・中央幅1.2mと小型。 7世紀前半の築造と推定されている。 大井川左岸丘陵上にあり、中央公園建設に伴い発掘調査が行われ、 その後古代の丘として整備されている。 |
田ノ谷古墳の石室 草が生え放題でよくわからない |
スポーツセンターの建物の前にあるのは
古墳ではないのか?
上に小さな祠がある。
わからない・・・・・
宮の段古墳・田ノ谷古墳・愛宕塚古墳は、すべて大井川の段丘上にあるということになる。
島田市中央公園すぐの藤枝バイパス野田ICから谷稲葉ICへ。
藤枝市に入る。
九景寺古墳 | 藤枝市志太 撮影日2018/3/21 |
金比羅山緑地の東側にある天満宮の参道階段途中に石室が開口している。
ふもとの薬師堂の前に駐車。
九景寺古墳は 江戸時代から「九景寺の岩屋」と呼ばれて有名な古墳。 径20mの円墳 九景寺古墳群の1基で、墳丘は天満宮参道階段で分断されている。 横穴式石室側壁の一部が崩れて開口している。 石室最大幅1.95m・最高高さ1.95mで、石室全長は約8mと推定されている。 6世紀の築造と推定されている |
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階段上部脇に石室開口 |
石室と石段の関係 (説明板から) |
石室の途中の側壁が開口 入れないので、カメラを突っ込んで撮影 |
左手前・玄室閉塞部 右奥・側壁部 |
側壁部 右側に奥壁 |
奥壁部分 |
うまく撮影できた!
九景寺古墳の近くには、若王子古墳群がある。
見学したいところだが、あいにくの雨で、蓮華寺公園駐車場からかなりの距離を歩かなければならないらしいので、断念・・・。
若王子(ニャクオウジ)古墳群について (インターネットで検索) |
若王子古墳群は、旧益津郡の大半を見渡せる見はらしの良い場所にある。 海抜110m程の尾根上の平坦地を中心に28基の古墳が密集して分布している。 古墳は一辺10〜18mの円墳または方墳で、5世紀から6世紀にかけてつくられたもの。 古い時期の古墳は、木棺直葬だが、 6世紀の中頃からは、石を積み上げて石室をつくり、その中に遺体を葬るようになった。 木棺や遺体は残っていないが、銅鏡や首飾り、鉄剣や土器などの副葬品が多数発見されている。 12号墳から出土した車輪石は、大和地方を中心に分布するもの。 昭和57年に発掘調査。出土品は郷土博物館に展示。 |
「なか卯」藤枝大手店にて、昼食。
静岡市へ向かう。
牧ヶ谷古墳群につづく