更新日 2017/7/30

2017春・静岡西部・愛知県東部
その5 浜松市2
2017・3/29〜4/1

二日目午後。
天竜区に大きな前方後円墳があるというので、ちょっと離れているが見学に行く。
二本ヶ谷積石塚から北に自動車で約30分。

静岡県の地図g

光明山古墳
県指定史跡
浜松市天竜区山東
撮影日2017/3/30

光明山古墳は光明寺の所有である。
光明寺は由緒あるお寺らしいが、昭和初期に火災で焼失。
その後、現在の場所に再建されたそうだ。


石段を上がり・・・光明寺境内へ

光明寺境内

光明山古墳は、光明寺の南側にある。
墳丘にも上がったが、藪の中だ。

 光明山古墳は 全長83.4mの前方後円墳   浜松市最大の前方後円墳
  後円部径45.6m・後円部高さ7.5m 前方部幅53.0m・前方部高さ8.0m
  未調査のため内部構造は不明
  採集された埴輪片から、5世紀後半の築造と推定されている。。

後円部側にある石碑と説明板

後円部にある小社



前方部前面

前方部幅は、後円部径より大きい

手前の空き地には、
  光明山2号墳があったが、消滅した。

北東から見る墳丘 (後円部脇からくびれ部を見る)

南東から見る墳丘  左・前方部 右奥に後円部

後円部の墳頂には、石仏が立っている。

北西から見る墳丘   右奥に前方部

しっかりと墳丘が見られると思ったが、雑木が生い茂っていて、よくわからなかった。

前方部の南は現在、空き地となっているが、ここにかつて光明山2号墳があった。
老人ホーム建設で削平、消滅だ。
光明山2号墳は、全長39mの造出し付円墳  円丘部径33m・復元高さ3.5m 造出し長さ6m・造出し幅10m・造出し高さ0.8m
発掘調査されたが、埋葬部は発見されなかった。
周溝から、須恵器の壺・無蓋高杯が出土。
6世紀前半の築造と推定されている。

向野古墳
市指定史跡
浜松市浜北区136根堅
撮影日2017/3/30

林業技術センター構内にある。
センター駐車場に案内があり、南の斜面を降りたところにある。

 向野古墳は 径18m・高さ3mの円墳
  巨石を使った横穴式石室が、南向きに開口している。
    玄室長さ5.5m・幅1.6m  大型の割石を丁寧に積んでいる。
    玄室のみ残存しているが、羨道部もあったものと考えられている。
  古くから開口し副葬品などは不明。7世紀後半の築造と推定されている。

 付近にはかつてススミノ御所古墳があり、
  冠の一部と考えられる鈴の付いた金銅製の透かし掘りのある金具が発見されている。
             (説明板から)



向野古墳 墳丘

開口部

玄室内部

玄室の奥壁から天井部

玄室から外を見る

巨石の石室は見事だ。

将軍塚古墳
市指定史跡
浜松市浜北区根堅
撮影日2017/3/30

向野古墳の西、田村神社の旧参道そばにあるという。
岩水寺からぐるーっと迂回して田村神社まで自動車で行ける。
田村神社から、参道を降り、東へ行ったところに墳丘。
以前は岩水寺から、地安坊大権現堂を通って、田村神社に登る参道があったが、
     現在そのルートは危険なため閉鎖されているらしい。

 将軍塚古墳(泉A1号墳)は  径14mの円墳で、丘陵斜面にある。
  石室の形状から6世紀後半の築造と推定されている。
  横穴式石室は 長さ5m・幅1.6m・高さ1.5m

 将軍塚古墳の北部の山上に100基以上の古墳(後期群集墳)があり、泉古墳群と呼ばれている。
 将軍塚古墳は、泉古墳群の1基。

田村神社

村神社参道を降りて、東に将軍塚古墳がある。

はげた説明板

将軍塚古墳 墳丘

開口部

石室内部

天井は中央が高い。

石室内部から外を見る


根堅総本社、地安坊大権現堂(護摩堂)

将軍塚古墳から参道を東に行ったところにある。

本来ふもとの岩水寺から登るのだろうが、
その道は封鎖されている。

岩水寺にある鳥居前で手を合わせるようにと、
岩水寺のホームページに書かれている。

将軍塚というので、どんなに立派なのだろうと期待したが、普通の横穴式石室だった。
坂上田村麻呂を祀る神社のそばにあるから、「将軍塚」なんだねー。
岩水寺には、
美しい女性に変身した天竜川の龍神様が坂上田村麻呂と恋に落ち、子どもが生まれたという伝説が残っている。

於呂神社内古墳 浜松市浜北区於呂
撮影日2017/3/30

浜北区於呂の於呂神社境内にある。鳥居の東横ににある。

 於呂神社内古墳は  径23.8m・高さ3.9mの円墳   墳裾に幅2mの葺石帯がある。
  主体部は木棺直葬と考えられている。
  直刀や勾玉などの玉類、須恵器が出土した。
  古墳時代中期の築造と推定されている。

於呂神社 南から続く長い参道

境内(西)から見た墳丘

北西から見た墳丘

南から見た墳丘

境内にあるというので、探したが、境内の外みたいなところにあった。

高根山古墳 浜松市浜北区尾野
撮影日2017/3/30

将軍塚古墳の南西、新東名高速のすぐ南の高根山山頂に古墳がある。
東麓の金比羅神社に駐車して、高根神社までの遊歩道を行き、その次は山頂まで、山登り・・・。


金刀比羅神社(コトヒラジンジャ)

江戸時代の神社建築がまとまって残っている。
  祓殿(1842)  神楽殿(1857)
  拝殿(1863)  多賀神社(1864)

巫女神楽は安政3年(1856)から続いている。
金刀比羅神社から遊歩道(山道?)を歩くと高根神社に着く。



高根神社拝殿
文亀2年(1502年)の造営といわれている。
   (改修はされている。)

式内社である。
  祭神は保食神(ウケモチノカミ)


ここから山登り・・・。


高根山古墳への登り道の途中に祭られている小社

高根神社から15mほど登った所にある岩の上。

右が、高根神社本殿、左が岩本神社だそうだが、あまりにも小さい。
実は、岩自体が守護神だそうだ。

巨石信仰の名残りと考えられている。



 高根山古墳 (高根山B5号墳)  
 15mの円墳
  両袖式横穴式石室がある。幅2.1m・高さ1.8m・玄室長さ3m
 高根山山頂付近に位置し、高根山古墳群の1基

墳丘が見えてきた!

横穴式石室開口

石室内部

天井石はすき間だらけ

石室内部から外を見る 

墳丘上に露出した天井石

石室上に木が倒れていて、石室がちょっとかわいそうだった。

興覚寺後古墳
浜松市指定史跡
浜松市浜北区宮口136
撮影日2017/3/30

六所神社の横にある。六所神社に駐車スペースがある。
高根山古墳から行くと、東から六所神社に入るが、実は西から参道が続いている。

 六所神社
  祭神は  底津綿津見神  底筒之男命
         中津綿津見神  中筒之男命
         上津綿津見神  上筒之男命
 この六柱の大神は、神代七代伊邪那岐が、
   中つ瀬に降り禊ぎ給わりてなりませる神々で、国造りなされた御祭神である。
                                             (現地由緒から)

六所神社境内

六所神社参道西から東に長い参道
式内郷社六所神社と刻まれた石碑の右に興覚寺。




六所神社参道から見た興覚寺
 この左(東)に墳丘




 興覚寺後古墳
 全長33mの前方後円墳   後円部径18m・高さ2.8m 前方部先端幅18m・高さ2.3m
 前方部を西に向けている。
 後円部南側に開口している片袖式の横穴式石室は、
    全長8m、羨道長さ2.4m・幅1m 玄室部長さ5.6m・幅・高さとも2.4m。
  遠江における導入期の横穴式石室と考えられている。
 出土遺物は金銅張の馬具、太刀や鉄鏃などの鉄製品、玉類、須恵器など。
 6世紀前半の築造と推定されている。

 昭和61年に発掘調査

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

興覚寺後古墳    右が前方部
くびれ部を横断して小路が通っている

開口部

入口

玄室

奥壁

石室内部から外を見る

墳丘の形は、わかりにくい。

見徳古墳
浜松市指定史跡
浜松市浜松市北区都田町
撮影日2017/3/30

都田総合公園北駐車場に隣接する墓地の最高所にある。
立派な説明板がある。

 見徳古墳は  径12m・高さ2mの円墳
  周濠がめぐる。
  横穴式石室は全長8.3m
    玄室長3.3m・幅1.7m・高さ2m  羨道長2.5m・幅1.3m・高さ1.7mの疑似両袖式
   玄門、羨門には立柱石を立て、羨道の前には前庭がある。
  7世紀前半の築造と推定されている。

古墳全体図 (説明板から)

横穴式石室実測図 (説明板から)


見徳古墳 全景

墳頂

石室入口

羨道から玄室を見る

奥壁

玄室床

玄室から外を見る

保存状態は良好。

郷ヶ平4号墳
浜松市指定史跡
浜松市北区都田町
撮影日2017/3/30

老人ホーム第二九重荘の前にある。

 郷ヶ平4号墳は   墳長26.5mの前方後円墳  後円部径16.5m、前方部幅12m、高さ2m 
  周溝がめぐる  主体部は不明。
  円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪(武人・馬)が出土している。
  出土した埴輪や土器から6世紀前半の築造と推定されている。


郷ヶ平4号墳 墳丘図

     (説明板から)

かつては8基からなる古墳群だが、
   現存するのは4号墳のみ。


2011年度の調査で、2号墳は完全に消滅していが、3号墳は地中に周溝が残っていた。
 3号墳一辺10mほどの方墳
  周溝には須恵器や円筒埴輪のほか、人物埴輪(巫女)、馬形埴輪が
    周溝内に落ち込んだ状態で出土。
   4号墳に先行する6世紀前半の築造と推定されている。


郷ヶ平4号墳墳丘

左奥に前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

26mもあるようには見えない・・・

恩塚山古墳
浜松市指定史跡
浜松市北区都田町
撮影日2017/3/30

常葉大学浜松キャンパスの西へ行くと、恩塚山古墳群の案内があり、案内の通りに進むと着く。
山の中で、道も極狭で心細くなるが、古墳そばは駐車スペースがあるからすごい。

 恩塚山古墳(A-7号墳)は  径11m・高さ3mの円墳
  横穴式石室は 玄室が丁字型の特異な構造
   全長5.6m  玄室長2m・幅3.8m・高さ2m  羨道長3.6m・幅1.7m・高さ1.3mの両袖式

横穴式石室実測図

玄室・羨道部は胴張り状。
両側壁には鏡石が据えられて、2つ奥壁があるようだ。

玄門、羨門には立柱石がある。



フェンスで囲まれた墳丘

石室にいたる道もフェンスで囲まれている。

石室入口

羨道から玄室を見る

左側壁の鏡石

右側壁の鏡石

玄室から外を見る 立派な玄門!

墳丘上には 天井石が露出している

周辺には、いくつかの古墳が確認できるというが、見学していない。

陣内平古墳群
ジンナイビラ
浜松市北区細江町中川
撮影日2017/3/30

恩塚山古墳の西には、大きな住宅団地があるが、元は恩塚山から続く西尾根だった。
この尾根には6基の古墳があったことが知られていて、「陣内平古墳群」と呼ばれていたが、宅地造成のため、全て消滅した。
陣内平古墳公園に復元墳丘と説明板がある。

 陣内平古墳群は 6基確認されている
 1〜4号墳は、昭和48年宅地造成に先立ち発掘調査。

 3号墳全長15.4mの帆立貝前方後円墳
  後円部径12.2m・後円部高さ2.3m 前方部幅6.6m前方部高さ1m
  墳丘裾には、約1m間隔で円筒埴輪が並び、
  人物(力士・女性)、動物(馬・犬・ニワトリ)、器材(盾・家)など多種多様な形象埴輪が出土した。
  木棺を粘土でくるんで埋葬されていた。

 5号墳・6号墳円墳で、横穴式石室があった。              (説明板から)

3号墳
住宅街の中の陣内平古墳公園に復元されている。

出土した人物埴輪
(説明板から)

小さな前方後円墳だ。

陣座ヶ谷古墳
県指定史跡
浜松市浜北区細江町中川
撮影日2017/3/30

陣内平古墳公園から西に約2.5kmの丘陵上にある。 史跡公園になっている。
東麓から、狭い登り道があり、自動車で行けるという情報をもとに登ったが、
    普通車でギリギリの道幅で怖かった・・・・。
古墳そばには説明板と駐車スペースがある。

 陣座ヶ谷古墳(陣座ヶ谷2号墳)は 全長約55mの前方後円墳
  後円部径42m・後円部高さ4.6m    前方部長さ21m・前方部幅20m・前方部高さ2.5m
  大正4年に発掘され、銅鏡や刀の破片が出土したが、祟りを恐れて埋め戻されたという。
  昭和4年に再び発掘され、銅鏡が出土、墳丘からは円筒埴輪が見つかっている。
  5世紀後半の築造と推定されている。

 他にも円墳が1〜2基存在するようだ。
 1号墳は 径15m・高さ4.5mの円墳で、2号墳の東にあったが昭和42年に開墾で消滅。
 3号墳は 径12m・高さ0.6mの円墳で、2号墳の西側にある。

陣座ヶ谷古墳

前方部手前から後円部を見る

左手前に3号墳がある。

陣座ヶ谷古墳
前方部から後円部を見る

陣座ヶ谷古墳墳頂には石碑がある。
「三界萬霊」と「井上勝巳之霊位」
いずれも大正時代に建立されている。

陣座ヶ谷古墳 後円部から前方部を見る
前方部の先に3号墳。

陣座ヶ谷古墳  後円部脇から前方部を見る

3号墳
高さがなく、草が深いので、全くわからない・・・

陣座ヶ谷古墳からの眺め 南方向

帰りの下り道は、もっと怖かった・・・
助手席の私は、怖くて目が開けられなかった・・・・
路肩が崩れつつあるので、軽自動車で行った方がいい・・・

この後、大河ドラマ「井伊直虎」の舞台・引佐町井伊谷の古墳見学に行ったが、
井伊谷は翌日も見学したので、次回にまとめて紹介する。
二日目の最後は、火穴古墳。
午後6時を過ぎて、暗くなってしまったが、横穴式石室なら暗くても見られるだろう。

火穴古墳
市指定史跡
浜松市西区133深萩町
撮影日2017/3/30

大通りから外れているので、探すのに手間取り、ますます暗くなってしまった。
駐車スペースと説明板がある。

 火穴古墳 は  もとは径22m・高さ4mの円墳と考えられているが、
   開墾によって墳丘がかなり削られ、現在では天井石が露出している。
  横穴式石室がほぼ原形のまま残っている。
   両袖式横穴式石室は  全長9.3m 
   玄室長さ4.7m・幅2.1m・高さ2.2m、羨道長さ4.6m・幅1.1m
          (羨道は天井石がないため高さは不明)
   玄室を上から見た形はほぼ長方形
 古くから開口していたため、副葬品は見つかっていない。
 前庭部付近で須恵器がわずかに出土した。
 規模や石室の形から、6世紀後半の築造と推定されている。

 石材として赤色の石を使っているため、この名前がついた。
 根本山古墳群に属する古墳時代後期の古墳で、古墳時代後期としてはかなり大きい

火穴古墳墳丘

火穴古墳 全体図  (説明板から)

墳丘には、赤みを帯びた石がある。

墳丘に露出した天井石

小橋の下に羨道部がある。

羨道から玄室を見る

天井石は奥壁付近の2個しか残っていない。

玄室から外を見る りっぱな玄門

真っ暗の中、火穴古墳を見学
近くの「くれたけイン浜松西インター」に宿泊。夕食はホテル隣の中華料理「香龍」にて。

馬場平古墳へつづく

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