更新日 2017/6/4
2017春・静岡西部・愛知県東部 その2 磐田市1 |
2017/3/29〜4/1 |
2017年春の旅行第一日、午前中に掛川市、袋井市を見学して、新豊院に向かう。
新豊院山古墳群 国指定史跡 |
磐田市向笠竹之内 撮影日2017/3/29 |
新豊院の方に古墳見学と駐車のお願いをする。
新豊院
背後の山に古墳群!
戦国期における中遠の国人衆の1人といわれている向笠(ムカサ)氏の、初代といわれている向笠伯耆守が、
向笠城址山麓にある新豊院の開創者である。
城山の南東麓に居館があったと推測されており、「奥屋敷」、「東門」などの地名が残る。
戦国弱小国の波乱万丈の物語があるけれど、
子孫は縁あって、彦根の井伊家に仕官、大坂夏の陣で戦功をたて、
その後、武笠(向笠から改名)家は井伊家の家臣として続き、明治を迎えた。
(詳しくは、HP「史跡夜話 向笠城」をご覧ください。)
向笠伯耆守の墓といわれている五輪塔が、定福寺というところにあったが廃寺となり、新豊院に移されて残っている。
古墳群は本堂の後ろに登り口がある。
向笠伯耆守の五輪塔は 古墳群へ行く途中にある。 | |
五輪塔 手前は山側、奥は麓となる |
五輪塔 梵字が刻まれている |
ここから5分くらい登れば古墳群。
新豊院山古墳群 弥生時代から古墳時代の墳墓群
西から、弥生時代中期から後期の土坑墓3基、古墳時代初頭の台状墓1基(3号墓)、 古墳時代前期の前方後円墳2基(1・2号墳)などが分布している。 ひとつの尾根上に様々な形式の墳墓かあり、 弥生時代から古墳時代前期にかけての墓制の移り変わりを知ることができる貴重な遺跡として、 国の史跡に指定された。 昭和55〜56年に発掘調査 |
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案内標柱の後は、2号墳と3号墳の間あたりかな |
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新豊院山古墳群3号墓 一辺12mの方形の台状墓 中心の土壙内部に木棺(長さ2.2m・幅0.6m)があったと考えられている。 土器・剣・鉄鏃などが出土している。 弥生期の墓制を残した古墳時代初期の墳墓と考えられている。
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新豊院山土壙墓群 3号墳の南側に 2m×1mほどの長方形の穴に遺体を埋めた墓が3基確認されている。 弥生時代の築造と推定されている。
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新豊院山2号墳 全長28mの前方後円墳 後円部径17m・前方部幅11m 後円部中央に東西8.1m南北5.6mの土坑に 礫と粘土を交互に積んだ中に木棺があったと考えられている。 中国製の鏡(三角縁神獣鏡)、刀・剣・鉄鏃・銅鏃などが出土している。 4世紀前半の築造と推定されている。
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新豊院1号墳 全長33mの前方後円墳 尾根の東端に位置。 部分的な調査しかされていないので、前方後方墳の可能性もある。
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墳丘上で、ピクニック気分で昼食をいただきました。
血松塚古墳 磐田市指定史跡 |
磐田市神増原 撮影日2017/3/29 |
新豊院山古墳群から北北東に直線で約4.5km、磐田原台地の最北端に位置する。
銚子塚古墳と同じ台地上の北約3km。
天竜川の東側の河岸段丘上となるのだろう。
血松塚古墳は 全長48mの前方後円墳 後円部径28m 前方部長18m周溝幅5.7m・周溝深さ1m 後円部頂標高は 124.5m 葺石なし 円筒埴輪、形象埴輪(人物・馬形・家形)、甕形土器が出土している。 5世紀後半の築造と推定されている。 昭和61・62年度に確認調査。 墳丘図 (説明板から) 血松塚古墳と、その北にある円墳も含めて 市指定史跡となっている。 血松塚古墳の名前の由来は、 古墳頂上に生えていた大きな松の木をある人物が切り倒そうとしたところ、 その松から血のようなものが流れ出たとの言い伝えから来ている。 |
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墳丘を東から見る。左・前方部 右・後円部 |
前方部側に説明板がある。奥に後円部。 |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
後円部手前から見る。奥の林が前方部 |
陪塚 小さな円墳 |
説明板には、「市内には、築造時期がほぼ同じと考えられている二子塚古墳がある。」と書かれているが、
二子塚古墳は、結局見忘れてしまったのだった・・・
米塚古墳群 ヨネヅカコフングン 県指定史跡 |
磐田市藤上原・寺谷 撮影日2017/3/29 |
血松塚古墳から南に約2.5km、米塚古墳群がある。
駐車スペースあります。
米塚古墳群 配置図
米塚古墳(1号墳) | 円墳 | 径40m・高さ6m |
米塚 4号墳 | 円墳 | 径12m高さ0.8m |
米塚 5号墳 | 円墳 | 径10m・高さ0.5m |
米塚 6号墳 | 円墳 | 径15m・高さ1m |
米塚 7号墳 | 円墳 | 径15m・高さ1.5m |
米塚 8号墳 | 円墳 | 径12m・高さ1.5m |
米塚 9号墳 | 円墳 | 径8m・高さ0.5m |
米塚10号墳 | 円墳 | 径6m・高さ0.5m |
米塚12号墳 | 円墳 | 径10m・高さ0.5m |
米塚2号墳・3号墳・11号墳はすでに消滅している。 |
米塚古墳(1号墳)を中心として円墳12基で構成されていて、9基が現存している。
米塚古墳(1号墳) | |
径40m、高さ6mの円墳 葺石あり 周囲には幅7mの周堀がある。 |
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米塚古墳(1号墳) 周堀跡も確認できる |
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米塚古墳(1号墳) 方向を変えて見る |
米塚古墳(1号墳) 広い墳頂部 |
米塚古墳(1号墳)の他には、8基残っているが、はっきりしない墳丘が多い。
米塚4号墳 径12m高さ0.8m |
米塚5号墳 径10m・高さ0.5m |
米塚6号墳 径15m・高さ1m |
米塚8号墳 径12m・高さ1.5m |
米塚9号墳 径8m・高さ0.5m |
米塚12号墳 径10m・高さ0.5m |
米塚古墳群は、1号墳が見られれば、あとは見なくてもいいかな・・・・
国指定史跡 銚子塚古墳 附 小銚子塚古墳 |
磐田市寺谷 撮影日2017/3/29 |
米塚古墳群の南約500m。
天竜川東岸の寺谷浄水場北に保存されている。
「銚子塚古墳附小銚子塚古墳」として、国指定史跡となっている。
小銚子塚古墳が1号墳、銚子塚古墳が5号墳となっている。
銚子塚古墳・小銚子塚古墳と周辺古墳
(説明板から)
天竜川を望む磐田原台地の縁部につくられている。
銚子塚古墳 (5号墳) |
全長108mの前方後円墳 |
小銚子塚古墳 (1号墳) |
全長46mの前方後方墳 |
どちらも4世紀の築造と推定されている。
周辺には10基の古墳が点在していて、「銚子塚古墳群」と呼ばれている。
小銚子塚古墳(1号墳) | |
全長46mの前方後方墳 前方部高さ2.7m長さ19m 後方部高さ5m・長さ27m 県下に3例しかない前方後方墳 前方部の北から東側にかけて周堀がある。 未調査で、詳細は不明 4世紀の築造と推定されている。 |
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小銚子塚古墳 前方部手前から見る 左奥に後方部 |
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小銚子塚古墳 前方部脇から後方部を見る |
小銚子塚古墳 後方部脇から前方部を見る |
小銚子塚古墳 前方部から後方部を見る |
小銚子塚古墳 後方部から前方部を見ろ |
「県下に3例しかない前方後方墳」と説明板に書かれているが、あとの2つは 浅間古墳(富士市増川・全長100m)と高尾山古墳(沼津市東熊堂・62m)のことか・・・ |
周堀の一部を共有して、銚子塚古墳がある。
銚子塚古墳(5号墳) | |
全長108mの前方後円墳 前方部高さ4.5m長さ50m 後円部高さ8m径60m 周堀がめぐる 後円部のほぼ中央に河原石積みの竪穴式石室があり、石室底面に敷石があった。 県下3番目の大きさで、後円部の北から東側にかけて周堀がきれいに残っている。 明治時代に後円部の中心が掘られ、地表下3mのところに、 朱が付着した円礫が、3m四方に積まれた場所から、 日月銘三角縁獣文帯三神三獣鏡、巴形銅器、銅鏃2点、切子玉が出土している。 この三角縁神獣鏡は、直径17.0cm、「日」「月」の銘が鋳出されている。(東京国立博物館に所蔵) 同じ文様の鏡が、岐阜県坂尻1号墳と山梨県大丸山古墳から出土している。 4世紀の築造と推定されている。 |
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銚子塚古墳 前方部から後円部を見る 大きすぎて、全体が撮れない・・・ |
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銚子塚古墳 後円部頂 |
銚子塚古墳 後円部から前方部を見る |
銚子塚古墳 くびれ部から前方部を見る |
銚子塚古墳 くびれ部脇の高まり |
銚子塚古墳と小銚子塚古墳の周りには、陪塚のような古墳がある。
2号墳の残骸 |
3号墳の残骸 |
4号墳 銚子塚古墳の 後円部の北の周堤に接してつくられた方墳 |
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「銚子塚古墳は、県下3番目の大きさの前方後円墳」と説明板に書かれている。 1番目は、谷津山(柚木山神)古墳(静岡市) と 堂山古墳 (磐田市)で どちらも全長110m。だが、(堂山古墳は消滅) 3番は、この銚子塚古墳 (磐田市・全長108m) 4番は、松林山古墳 (磐田市・全長107m) |
長者屋敷遺跡 県指定史跡 |
磐田市寺谷 撮影日2017/3/29 |
寺谷浄水場の北側にあるのが銚子塚古墳、東側にあるのは長者屋敷遺跡。
長方形に土塁が残っている。
長者屋敷遺跡は 大型の建物跡や土塁に沿って掘られた溝が発見されている。 土塁は、東西100m・南北80mで、ほぼ長方形にめぐっている。 底幅10m・上部幅3m・高さ3mで、土を盛って造られている。 土塁の内側から大型の建物跡や土器が発見されて、 奈良時代初めの官衙(カンガ・役所)のような遺跡と分かった。 建物群のうち、1棟は16.5m×5.5mと非常に大型で、役所跡の見方が有力 発掘時の図 南側の中央と北東隅が切られていて、 出入口と考えられている。 土塁に沿って内側には濠がめぐっている。 南側の土塁には、 濠をはさんでさらに外側にも土塁の跡がある。 長者屋敷遺跡は、 銚子塚古墳・小銚子塚古墳、米塚古墳群をつくった豪族の力を背景として、 つくられたと考えられている。 昭和44年に寺谷浄水場建設に先立って発掘調査。 |
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南側の土塁 中央が切られている |
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土塁の内側の濠 |
土塁上 |
長者屋敷遺跡内で古墳も見つかっている。
長者屋敷古墳群 長者屋敷遺跡内では、長者屋敷造営の直前の時期の古墳がみつかっていて、 長者屋敷古墳群と呼ばれている。 長者屋敷遺跡の土塁の南西隅に古墳が1基墳丘ごと取りこまれていた。(1号墳) 直径15mの円墳で、横穴式石室があった。 6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。 |
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長者屋敷古墳群1号墳 南西隅の土塁に取り込まれている。 |
長者屋敷古墳群1号墳 西から見る |
付近には、旧石器時代の寺谷遺跡、道東遺跡、池端前遺跡などもある。
静岡県・第一日目、午後2時半、磐田市の市街地にある古墳見学に向かいます。
兜塚古墳へ つづく