更新日 2017/5/20
2017春・静岡西部・愛知県東部 その1 静岡県掛川市・袋井市 |
2017・3/29〜4/1 |
2017年春の旅行は、静岡県西部と愛知県東部。
3/29 朝4時前に、自宅出発、
徳光スマートIC(北陸自動車道) - 神田SA - 米原JCT(名神高速道路) - 小牧JCT(東名高速道路)
- 豊田JCT(伊勢湾岸自動車道) - 豊田東JCT(新東名高速道路) - 長篠設楽原PA
- 遠州森PA - 森掛川IC
午前9時前には、掛川市の長福寺に到着。
長福寺古墳 | 掛川市本郷 撮影日2017/3/29 |
長福寺に駐車場がある。古墳の説明板は見あたらない。
横穴式石室が露出している。
長福寺
本堂左側奥の石段を上った所に墳丘がある。
長福寺古墳は 径20mくらいの円墳。 墳丘は半壊し、石室部分は石材が抜かれている。側壁の一部と玄室奥壁付近が残る。 古墳の横に天井石が並べられていて、元は全長10mくらいの細長い石室と考えられている。 |
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祠の左に横穴式石室が露出。 右には天井石が並べられている。 |
並べられた天井石。 天井石は幅が狭い・・・ |
墳丘は半壊、 石室辺りしか残っていない。 |
ガバーッと露出した石室 石が残っているのは奥壁付近だけ |
奥壁 |
墳丘(奥壁)上から開口部を見る |
石室奥壁の左横の墳丘が削られて、道までできている・・・
国史跡 和田岡古墳群について | 掛川市吉岡 |
和田岡古墳群は、
掛川市の西端、原野谷川が形成した河岸段丘の南北2.5km、東西1kmの狭い範囲に築かれた5世紀後半の40基からなる古墳群
そのうち保存状態が良い前方後円墳4基、円墳1基が国史跡に指定されている。
和田岡古墳群
(東登口古墳群前の説明板より)
各和金塚古墳 | 全長66.4mの前方後円墳 | 国史跡 和田岡古墳群 |
瓢塚古墳 | 全長63mの前方後円墳 | 国史跡 和田岡古墳群 |
吉岡大塚古墳 | 全長55mの帆立貝形古墳 | 国史跡 和田岡古墳群 |
行人塚古墳 | 全長43.7mの前方後円墳 | 国史跡 和田岡古墳群 |
春林院古墳 | 径30mの円墳 | 国史跡 和田岡古墳群 |
東登口古墳群 | 円墳と方墳 計6基 | 5基が掛川市指定史跡 |
築造された順では
瓢塚古墳 → 春林院古墳 → 各和金塚古墳 → 吉岡大塚古墳 → 行人塚古墳 → 石ノ形古墳 となり
古墳時代中期の初め〜終わりまでの間の築造と推定されている。
春林院古墳 国史跡 和田岡古墳群 |
掛川市吉岡 撮影日2017/3/29 |
春林院裏山にある。
春林院 |
春林院古墳登り口 |
春林院古墳は、史跡公園として整備されるそうだ。
春林院古墳は、径30m・高さ5mの円墳。 国史跡和田岡古墳群のうち唯一の円墳。 墳丘図 2段築成 葺石あり 墳頂部には直径約10mの平坦面がある。 中央南寄りにある粘土槨は、幅1.35m・高さ0.95m、 鎌倉時代の墓で壊されているので長さは不明だが、2.84mは残っていた。 粘土槨からは、何も出土しなかったが、その北側から鉄剣1・ヤリガンナ1・針数本が出土した。 墳丘斜面から壺形埴輪の破片が多数出土、墳頂部から直径50cmの穴に入れられた壺が出土。 出土した壺・壺形埴輪から、古墳時代中期の5世紀前半の築造と推定されている。 昭和38年(1963)に発掘調査 (説明板から) |
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墳丘 |
方向を変えて |
墳丘上には三角点(標高57.4m)がある。 |
葺石か |
古墳下の墓地に、芸術的な垣根があったので、写真を撮る
大小の竹と瓦を組み合わせたしゃれたデザイン
吉岡大塚古墳 国史跡 和田岡古墳群 |
掛川市吉岡 撮影日2017/3/29 |
春林院古墳の西の台地上にある。除草の真最中の見学となった。
県道北側の茶畑の真ん中にある。
吉岡大塚古墳は、 全長55mの帆立貝式古墳 前方部を西に向ける。 後円部径41.3m・後円部高さ7.2m、 前方部幅幅27.5m・前方部長さ13.7m・前方部高さ2.5m 11.4mの周濠が巡る 葺石あり 埴輪あり 埋葬施設は未調査 墳丘と立地から 5世紀中頃の築造と推定されている。 (説明板から) |
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吉岡大塚古墳 |
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前方部手前から見る 模型のように見えるが、本物です! |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
後円部の葺石 |
周濠の跡が確認できる |
東登口古墳群 市指定史跡 |
掛川市吉岡 撮影日2017/3/29 |
行人塚古墳のすぐ北にある。6基あり、保存の良い5基が市史跡になっている。
2〜5号墳の4基が並んでいる。
東登口古墳群 原野谷川が形成した河岸段丘の縁に立地する古墳群で、円墳と方墳が計6基ある。 墓地により、原形をとどめていない1基以外は、 墳丘の一部を農道で削られているが、主要な部分は林の中に良好に残っている。 未調査。 5世紀の築造と推定されている。 (説明板から) |
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東登口古墳群 4基の古墳が一直線に並ぶ |
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2号墳 |
3号墳 |
4号墳 |
5号墳 |
5号墳から、薮を挟んで50mほど南に6号墳がある。
2号墳から道路を挟んで北側の林の中に1号墳があり、墓地で墳丘が一部削られている。
行人塚古墳 国史跡 和田岡古墳群 |
掛川市吉岡 撮影日2017/3/29 |
東登口古墳群の南約100m。南東250mには瓢塚古墳がある。
削られて後円部の中央部しか残っていない。
行人塚古墳は 全長43.7mの前方後円墳 西南西に前方部を向ける 後円部径25.4m・高さ不明 前方部幅16.0m・前方部長さ18.3m・高さは不明 幅約10mの周堀がめぐるが、前方部先端では、幅2.2mと狭くなっている。 埴輪なし、 後円部に葺石と思われる礫が確認されている。 5世紀後半の築造と推定されている。 行人塚古墳の推定図 残された後円部は未調査(周辺のみ発掘調査) (説明板から) |
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残った後円部 |
墳丘上の葺石 |
後円部から、前方部のあった方向を見る |
前方部から後円部を見る |
昔、行人(行者)が生きながら埋葬されて入定したという伝承から、名前が付けられたという。
瓢塚古墳 ヒサゴヅカコフン 国史跡 和田岡古墳群 |
掛川市吉岡 撮影日2017/3/29 |
行人塚古墳の南東250mにある。
前方部手前で農作業をしているご夫婦に挨拶して、見学開始。
瓢塚古墳は 全長63.0mの前方後円墳 前方部を南南西にむける 後円部径37.8m・後円部高さ5.0m 前方部幅25.2m・前方部長さ25.2m・前方部高さ3.5m。 後円部の北東側に幅7mの周堀がめぐっているとみられている。 葺石あり 段築なし 埴輪あり 段丘の東縁辺部に位置している。 明治30年代に後円部墳頂が発掘され、埋葬施設は粘土槨であったと伝えられている。 このときに、出土した捩文鏡1、四獣鏡1、勾玉2、管玉2、鉄剣片、鉄鏃片が残っている。 その後の調査で円筒埴輪と壺形埴輪が出土している。 5世紀前半の築造と推定されている。
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前方部脇から後円部を見る |
前方部側 この奥に後円部がある。 |
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前方部から後円部を見る |
墳丘上の葺石 |
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後円部から前方部を見る |
後円部脇から前方部を見る 堀跡 |
各和金塚古墳 カクワカナヅカコフン 国史跡 和田岡古墳群 |
掛川市各和 撮影日2017/3/29 |
原野谷川の西から、林に入り、狭い林道を行くと突然、「各和金塚古墳」の説明板が見える。
春林院古墳の南約2km。
各和金塚古墳は 全長66.4mの前方後円墳 後円部径51.2m・後円部高さ6.5m 前方部幅20.5m・長さ15.2m・高さ4m 段丘東端の高まりを利用して、周りを削ったり盛土したりしてつくられている。 後円部2段築成 葺石あり 後円部墳頂と中腹、前方部墳頂に円筒埴輪列がある。 後円部の中心に、南北方向の円礫積の竪穴式石室(長さ4.75m・幅0.85m・深さ0.6m以上)がある。 昭和49年に盗掘にあって、大量の鉄製品が出土した。 1977年(昭和52)鉄塔架け替え工事に伴う調査 1980年(昭和55年)測量調査と主体部発掘調査 盗掘時と、その後の調査で 武器(鉄刀17以上、鉄剣35以上、鉄鉾2、鉄鏃69以上)、武具(短甲1、衝角付冑1)、工具(刀子7以上、斧4)、 農具(鎌2)、祭祀に使用されたと考えられる石製模造品(刀子4、斧2、鎌1)、勾玉2が出土している。 古墳時代中期・5世紀中葉の築造と推定されている。
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陪塚の1号墳 各和金塚古墳後円部の北東そばにある 径8mほどの円墳 |
各和金塚古墳後円部側 奥に前方部 左側に陪塚の1号墳 |
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後円部から前方部を見る |
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後円部上に露出した天井石 |
後円部上の葺石 |
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くびれ部から後円部を見る |
くびれ部から前方部を見る。鉄塔が立っている。 |
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前方部から後円部を見る |
前方部の先にある 陪塚の2号墳 径12mほどの円墳 |
菅ヶ谷横穴墓群 | 袋井市国本 撮影日2017/3/29 |
各和金塚古墳から、林を西に抜けると、ゴルフ場のそばに出る。ここからは袋井市となる。
この中に「菅ヶ谷横穴」があるが、入口は閉じられている。
中にはゴルフプレーしている姿が見える。
横穴墓の案内板もあるが、入れない。
この柵が開いていれば、見学できるのかな?
宇佐八幡神社内古墳群 | 袋井市国本 撮影日2017/3/29 |
各和金塚古墳から南に約2km、同じく原野谷川の西岸にある宇佐八幡神社。
その境内に前方後円墳がある。
宇佐八幡神社
祭神は 誉田別尊
創立年代は不詳
神社前に駐車。
宇佐八幡神社内古墳群1号墳は、東側の林の中にある 全長30mほどの前方後円墳 5世紀末〜6世紀前半の築造と推定されている。 詳細不明
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宇佐八幡神社内古墳2号墳は、西の高台にある。 2号墳 円墳かな |
宇佐八幡神社内古墳群は5基あるというが、他の3基はどこにあるのか・・・
八幡神社の北はすぐ東名高速道路だ。
石ノ形古墳 | 袋井市国本 撮影日2017/3/29 |
宇佐八幡神宮の南200mの道路脇にある。これも宇佐八幡神社内古墳群に入るのかもしれない。
発掘調査されて、短甲などの遺物が出土した。
石ノ形古墳は、円丘部の径27m・高さ3mの円墳 幅14m・長さ10mの造り出しがある。墳丘全長38m。 墳頂部に円筒埴輪がめぐり、須恵器も据えられている 箱形木棺を直葬した主体部が2基ある。 西主体部の棺内に、 大刀、蛇行剣、鉄鏃、 横矧板鋲留短甲、鉄地金銅製f字鏡板付轡、鉄製楕円鏡板付轡、辻金具、絞具、 棺外に太刀、鉄鉾、絞具、鉄斧、刀子、やりがんななど 棺北側の攪乱坑から乳文鏡、鉄鏃が出土 東主体部からは画像鏡、替玉、銀製空玉、ガラス丸玉、小玉、大刀、刀子などが出土 古墳時代の中期・5世紀後半ごろの築造と推定されている。 1993年に発掘調査 原野谷川右岸の丘陵南東端にあり、吉岡古墳群の南端に位置するといえる。 (古墳辞典から) |
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南東から見た墳丘 墳裾は コンクリートで補強されている。 どの方向に 前方部があるのだろうか・・・ |
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西から |
南から |
静岡県西部の旅・第一日目、もうたくさんの古墳を見たはずだが、まだ午前11時半だ・・・
ローソン袋井国本南店で、昼食を準備、次の見学地・新豊院で食べることとする。
新豊院山古墳群へつづく