北村さんちの遺跡めぐり
掲載日 2014/3/4

岐阜県・飛騨の古墳
日帰り・午前の部
2013/11/9

日帰りで行けるからといって、なかなか行けなかった岐阜県高山周辺の古墳探索へ出発!

6時17分 自宅出発 白山ICから北陸自動車道
6時53分 小矢部砺波JCTから、北陸東海自動車道
7時35分 飛騨河合PA 休憩
7時50分 飛騨清見ICから高山清見道路(自動車専用道路・無料)
8時03分 高山IC

石川県白山市から、岐阜高山までは2時間かからずに行ける。

地図g


風土記の丘史跡公園
学習センター
高山市赤保木町
撮影日2013/11/9


通ってきた高山清見道路のそばにあるが、ぐるっと南に迂回しないといけない。
風土記の丘史跡公園に、赤保木古墳群があると思ったが・・・・


午前8時を過ぎたばかりなのに、公園内の学習センターは、すでに開館していた。
赤保木古墳群はここではないが、周辺の遺跡の出土物が展示されていると聞き、2階の展示室を見学した。
冬頭王塚古墳・赤保木古墳群・桧山横穴などの資料が展示されている。

風土記の丘は、学習センターのほか、
復元住居が建つ古代集落の里(赤保木遺跡)、成田政利(春慶塗師)の墓があり、
東約800mのところにある赤保木古墳群(古墳広場)も含まれている。

周辺にはほかに、瓦窯跡(奈良時代に国分寺の屋根瓦を焼いた窯の跡)などの史跡がある。


古代集落の里(赤保木遺跡)

復元住居は、遺構の上に建てられている。

赤保木遺跡は
縄文時代中期、弥生時代中期、
 古墳時代初頭、古墳時代中期の
 竪穴住居跡32軒などが見つかっている。
 縄文時代の竪穴住居跡の中央には、石囲炉が良好な状態で残っていた。
 この時期の住居跡から、信州、北陸、東海、関西などの影響を受けた
   飛騨独特の土器が多数出土。

熊野神社
本殿は、市指定文化財となっている


熊野神社の社殿は、
1680年に成田正利の寄付によって建てられた。


職員の方に赤保木古墳群と冬頭大塚古墳の場所を聞き、古墳探索開始!
  

赤保木古墳群 高山市赤保木町
風土記の丘史跡公園古墳広場
撮影日2013/11/9

  

学習センターから、約800mほど東にある。
いうなれば、史跡公園の飛地というところか。 8時45分 着
全体の説明板と、5号古墳そばに説明板がある。

赤保木古墳群(正式には赤保木ボタ上古墳群)は川上川の北岸につくられた現存5基の古墳群

赤保木古墳群 配置図 (パンフから)

 赤保木(ボタ上)古墳群の墳丘規模
  東西径 南北径 高さ
1号古墳 17.10m 15.00m 3.30m
2号古墳 12.00m 11.28m 3.11m
3号古墳 3.30m 6.54m 1.28m
4号古墳 5.16m 6.66m 1.58m
5号古墳 11.82m 15.42m 2.92m

 (平成3・4年度調査時)
江戸時代の絵図には、9基の古墳がみられ「九ツ塚」と呼ばれていた。
明治末期に2基が消滅、現在は5基が残っている。


赤保木古墳群
 江戸時代・元禄8年の絵図

    
 (パンフから)

5号墳の位置が、
 上の図と違うような・・・・?
大正2年、5号古墳の東40mにあった6号古墳が土取りのため破壊され、
  環頭太刀1・直刀1・勾玉10・管玉12・小豆玉12・丸玉1・金環7・鉄鏃50
  などが出土した。。
昭和34年、3号古墳の一部が崩壊し、直刀1が出土した。


1号古墳

手前3号古墳 奥2号古墳

東屋の左手前4号古墳 奥5号古墳

4号古墳
 赤保木5号古墳
 平成4年、古墳広場の整備に伴う5号古墳の発掘調査で、
  竪穴式石室と、北側に隣接する箱式石棺が確認されている。
 5世紀の築造と推定されている。
 高山市で最も古い古墳は、冬頭王塚古墳といわれているが、
   この5号古墳との時期比較が課題となっている。


5号古墳


赤保木古墳群 5号古墳の石室
 (パンフから)

上が北側石室 下が南側石室
 南側の石室は、すでに蓋石が抜き取られていたが、
  内法長さ2.78m・幅0.85m・深さ現存0.6mで
  床面から、鉄剣と鉄ヤリ3本が出土した。
 北側の石室は、2〜3cmの薄い板石を組み合わせた箱式石棺で未盗掘。
 石棺の上には、板状の石が二重(一部三重)にかぶせられている。
 すきまから内部をのぞくと壁が赤色に塗られていた。
 北側石室が、南側石室より先につくられていると考えられている。

赤保木古墳群 
 5号古墳の出土品展示

   (学習センター内展示から)


太刀・直刀などの展示

5号古墳の箱式石棺は未調査!! 今後に期待ですね。 

  

千島古墳 高山市千島町
撮影日2013/11/9


高山市を流れる宮川の支流・苔川の両岸に古墳がある。
西側にあるのが岩屋古墳、東側にあるのが、この千島古墳。 9時15分着。




南東側から見た千島古墳
石柱に「千島古墳」とだけ
 刻まれている。

川向こうに岩屋古墳が見える。

千島古墳は、直径15mほどの円墳。詳細不明・・・・。


西の斜面下から見た千島古墳

墳丘には石室石材が露出している
開口部あたりの石材か?


         

岩屋古墳 高山市西ノ一色町
撮影日2013/11/9


9時25分 着。
千島古墳から北西に400mの道路そばにあるが、間に苔川がある。
石碑には「岩屋前古墳」となっているが、「前」の字が消されている。
巨大な石室が露出している。  

 岩屋古墳は 直径20m弱の円墳
  石室全長7.5m  元は10mほどか。
  開口部は高さ約1.5m。
  羨道は羨道長約4.5m・幅約1.5m。 玄室長約2.5m・幅と高さ約2m

東側の道路から見た墳丘 大きな石が見える

から見た岩屋古墳  石室が露出

口部から羨道を見る  奥は玄室
 玄門部分が少し埋まっているようだ

玄室奥壁


奥壁から入口方向を見る
天井石も巨大

開口部から外を見る
巨石が転がっている。



岩屋古墳前の道路から見た
 千島古墳


千島古墳は、
張り出した低い尾根の先端に
つくられているのが分かる。




 

小丸山古墳 高山市三福寺町
撮影日2013/11/9


岩屋古墳から北北東に約3kmの山すその道路わきにある。9時55分 着。
すぐ奥に大きな介護施設があるので、道路も良い。
石柱に、古墳名と簡単な説明文が刻まれているが、読めない部分がある・・・・
  

 小丸山古墳 直径約20mの円墳
  横穴式石室は 長さ4.9m・幅1m・高さ1.5m弱。
 昭和4年に発掘され、耳環などが出土した。板石小口積の側壁が特徴。

西南から見た小丸山古墳

南から見た小丸山古墳 右上に開口部

北から見る 
北からのびる尾根の先端あたりにつくられている。

墳丘中腹にある石室開口部 

丸い奥壁が印象的
側壁は、竪穴式のような板石小口積

石室内部から外を見る

  

  

高山市桐生町のカメラのキタムラでトイレを借りて・・・次へ

   

冬頭王塚古墳
フイトウオオツカコフン
高山市冬頭町
撮影日2013/11/9


赤保木史跡公園学習センターの職員の方から、
「冬頭王塚古墳の辺りは今、新しい道がいろいろできていて、位置の説明がむずかしいが、
国道41号線とJRの交差するあたりにあるのは間違いない」と聞いたので、探してみる。
「JAひだ」から、国道41号(東街道)の高架をくぐったところにある。
確かに、いろいろ新しい道が交差していて、わかりにくい。
移築と聞いていたが、墳丘も復原されている。 10時30分  着。
昭和48年に立てられた石の説明板があるが、移築の説明はない。  


ポケットパークみたいになっている。

石室の蓋石が露出しているというが、
よく分からない
 冬頭王塚古墳は 直径20m・高さ5mの円墳
 2段築成
 東南隅の基底近くに、河原石を積んで側壁を造った竪穴式石室が2基並んでいる。
 東側の石室から、骨片、玉類、素文鏡直弧文鹿角装鉄剣、鉄鉾、鉄鏃
 西側の石室から骨片、歯牙、玉類、直刀、鉄鏃等が発見された。
 5世紀後半の築造と推定されている。

本当の冬頭王塚古墳
(赤保木風土記の丘史跡公園学習センター内)


説明には
石室は埋蔵保存の措置が取られ、
 報告書が発行されたと書かれている。

冬頭大塚古墳出土品展示
(赤保木風土記の丘史跡公園学習センター内)

真ん中あたりの緑色の丸いのは素文鏡
管玉(碧玉製)
丸玉(メノウ製・ガラス製)
朱のかたまり
など
他に直刀なども展示されている。


古墳の横に、何とも言えないお顔の、大きな観音さまが安置されているが・・・。なんなのでしょう?
         

よしま1号墳
高山市上切町
撮影日2013/11/9

  
よしま1号墳は、赤保木古墳群から北西に800mくらいの所にあるが、
 高山清見道路と高山国府バイパスにはさまれて、どのように行けばいいのか分からない。
ナビには高山国府バイパスが載っていない・・・・・
高山国府バイパス高架下のトンネルを東から西へくぐったら、着いた。  10時50分  着。
周りは墓地で、その中に平野史跡公園として、よしま1号墳だけが保存されている。
石柱には、古墳名と、簡単な説明が刻まれている。
     

 よしま1号墳は 直径10m・高さ2.5mの円墳
 南東方向に開口する横穴式石室は、玄室の長さ3.5m 羨道長さ4m
 53年に整備したとき、羨道から須恵器破片5個が出土した。
 7世紀末の築造と推定されている。 
 周辺には5基の古墳が散在する。

古墳名が刻まれた石柱の後方に石室開口。
背の高い木柱に隠れている。

石が転がっているその向こうに石室開口
 

石室開口部

横から見たよしま1号墳

石室内部

内部から外を見る

  


ひらの清水
よしま1号墳そばにある。


谷川と岩ヶ洞谷川と平野谷川の
 3本の谷川の合流によって形成された
 平野湿地帯の地表20m下の
 水源から引いた清水
   (説明板から) 
  

十二相古墳 高山市国府町名張
撮影日2013/11/9


よしま1号墳から北に4km、高山国府バイパスを通り、国府町名張地区へ。
浄覚寺の南の山すそにある。  11時20分  着。
  

 十二相古墳直径約20mの円墳か?  詳細不明・・・。
 墳頂には祠があり、中に「十二相観音が安置されている。
 ちょっと角があって方墳のようにも見える。

北から見た十二相古墳

東から見た十二相古墳 方墳のように見える

墳丘上にある祠
観音様が安置されている

石柱には、古墳名が刻まれているが、
 説明は書かれていない。

  
祠の前で二人のおじいさんが何か相談している。
祠の中に観音様が祀られていると教えてもらったが、私達が古墳を見に来たとは思っていないようだ・・・
   

 

十二相古墳からすぐ東方にあるアピタ飛騨高山店 キッチングルメにて昼食。11時40分ごろ。
ちょっと早いが、朝食も早かったから、まぁいいか・・・・・。
 


飛騨の古墳 午後の部につづく・・・・・。 

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