北村さんちの遺跡めぐり
掲載日 2014/3/12
岐阜県・飛騨の古墳
日帰り・午後の部
2013/11/9


十二相古墳からすぐ東方にあるアピタ飛騨高山店 キッチングルメにて昼食。


地図g 

 
飛騨の古墳 午後の部が始まります。
  

広瀬古墳 高山市国府町桜野団地内
撮影日2013/11/9

  
アピタの北の川向こうに、広瀬古墳とこう峠口古墳がある。  12時15分着 

廣瀬神社  

廣瀬神社の前にあるのが広瀬古墳。
二段築成の円墳のようだが、大きさが分からない。

石柱に古墳名と説明文が刻まれているが、
石室の長さしか描かれていない。


  

広瀬古墳は 横穴式石室のある2段築成の円墳
 石室の全長は9.2m
 玄門立柱の上に、天井石より一段下がってまぐさ石を置く独特の架構技法がみられる。
    (説明文から)



北東から見た広瀬古墳



南東から見た広瀬古墳 右は石橋廃寺塔心礎

石室入口 入れない!!

玄室入口

玄室奥壁を見る

墳丘上に露出した天井石

石橋廃寺塔心礎 明治12年ころ出土


こう峠口古墳
岐阜県指定史跡
高山市国府町桜野団地内
撮影日2013/11/9


広瀬古墳の東100mにある。JR高山本線飛騨国府駅から南東約1km。
説明板がある。


こう峠口古墳平面図
 (平成22年7月ふるさと歴史講座
   国府の文化財めぐり資料から)

 こう峠口古墳は 全長72mの前方後円墳
 南東に開口する横穴式石室は全長13.5m、
  玄室長7.1m・幅2.6m  羨道長6.4m・幅1.8m・高さ1.7mの両袖式
 宮川右岸の段丘上に位置する。


南から見たこう峠口古墳  左前方部 右後円部

東から見たこう峠口古墳後円部
左奥に前方部  石室開口部が見えている。


こう峠口古墳後円部の石室開口部
石材が巨大

こう峠口古墳 開口部から内部を見る

こう峠口古墳 羨道部から玄室を見る

こう峠口古墳  玄室奥壁

こう峠口古墳 玄室床面 
左側が少し高くなっている。


こう峠口古墳 玄室奥壁付近から外を見る

こう峠口古墳 玄門付近から外を見る

こう峠口古墳 後円部から前方部を見る

こう峠口古墳 前方部から後円部を見る 


削られて、くびれ部はとても狭い。前方部は三角形。
  

三日町大塚古墳 高山市国府町三日町
撮影日2013/11/9


広瀬古墳・こう峠口古墳の北900m、間に山があるので西に迂回して行かなければならない。
  13時  着。
ヤフーの航空写真で見ると、西に前方部がある前方後円墳と分かるが、そばに行くと前方部は畑になっている!  


三日町大塚古墳平面図
 (平成22年7月ふるさと歴史講座
   「国府の文化財めぐり」資料から)

三日町大塚古墳は 全長70mの前方後円墳
後円部は2段築成
未発掘だが、
竪穴式石室があると考えられている。
圃場整備のさい、周堀跡が確認された。
5世紀中ごろの築造と推定されている。


北から見た
 三日町大塚古墳

左後円部




東から見た後円部
 向こう側に前方部がある。

三日町大塚古墳 後円部の集石
後円部も農地になっている。

三日町大塚古墳 後円部から前方部を見る
くびれ部がくっきり!

南側の前方部脇から後円部を見る


 
三日町大塚古墳の西1kmにある国府小学校グラウンドに、かつて亀塚古墳があったという。 
亀塚古墳は、径70m以上・高さ9m以上の円墳。2段築築成。
 竪穴式石室が2基あった。
明治28年に小学校建設のため、発掘され、一部削平
その時、西側の石室から 鉄鎧・鉄兜各1、鉄剣、鉄刀各数本、鉄鏃およそ50本、
      北側の石室から 鉾1本、鉄刀1本出土。
大正7年、運動場拡張工事のため、すべて削平された。
    (古墳の所在地:高山市国府町広瀬町字塚腰)
 

三日町大塚古墳、亀塚古墳、広瀬古墳・こう峠口古墳に囲まれた山の中にも古墳群があるらしい。
  

海具江古墳
市指定史跡
高山市国府町宇津江
撮影日2013/11/9

三日町大塚古墳から西へ約2.5km、高山市国分町宇津江の山あいにも古墳がある。
吉城電子工場裏の南の谷間を奥に入ったところにある。
道路わきの石柱に古墳名と簡単な説明文が刻まれている。13時25分 着。


海具江古墳平面図 (HPふるさと飛騨国府から引用)
海具江古墳は、一辺20m・高さ5.5mの方墳
2段築成
周溝は削られていて確認できない
横穴式石室は、玄室奥行き4m・幅2.1m・高さ2.3mで、
 羨道は一部破壊されている。
奥壁や側壁に2mにも及ぶ巨石を用いている。
 玄門立柱に「しきみ石」を架構した構造は、
  大和地方には見られず北陸(福井)から伝わったものと推定されている。
 羨道や玄室内で、高杯12・杯蓋1・杯身3・平瓶1・土師器碗2・土師器皿11点などが出土。
 7世紀中葉〜7世紀終末の築造と推定されている。
 江戸末期から明治初期に盗掘されたと伝えられている。
 平成15年に発掘調査された。  
 飛騨地方で確認されている方墳3基の中の1基である。 (古川町中野に2基)

道路わきの石柱から
北へ約30m入った所に墳丘

北から見た墳丘

南からみる
墳丘中腹に石室開口部が見える 

石室には入れない。 

石室内部

左側壁の石材が大きな豆みたい!

草が繁茂していて、見ただけでは方墳か円墳か分からなかった。
平成15年9月の発掘現説に参加されたというHP「日記こもれび」を読ませていただき、
 参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
 

高野巾ノ上古墳 飛騨市古川町高野
撮影日2013/11/9

海具江古墳から北東に約1km、飛騨古川高野地区の山あいに古墳が数基ある。 13時55分  着。
その1  高野巾ノ上古墳は民家のお庭の築山になっている。

高野巾ノ上古墳 北側から見る

きれいになっている!!
私有地なので、近寄るのは遠慮した。
というか、
道がなくて、なかなか近寄れない・・・。

詳細不明・・・


高野溝添古墳 飛騨市古川町高野
撮影日2013/11/9

高野地区の古墳その2 
 高野巾ノ上古墳から西に200m、高野公民館の西隣に墳丘があるのは高野溝添古墳。

 高野溝添古墳は 全長30mほどの小型の前方後円墳
 墳丘は墓地として利用。詳細不明。

西から見た墳丘  左(南)前方部  右後円部
ちゃんと前方後円墳形をしている。

前方部脇から後円部に上がる道

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

 
    

高野水上古墳
県指定史跡
飛騨市古川町高野
撮影日2013/11/9


高野地区の古墳その3
高野溝添古墳から、川沿いの道を上流に向かって(西方向)に約500m。
三角屋根の家の北側にある。説明板がある。
 


高野水上古墳は 径15m・高さ5mの円墳

南東に開口する横穴式石室は、全長10.51m
 羨道長さ5.2m・幅1.88m・高さ2.58m
 玄室長長さ5.31m・幅2.33m・高さ2.58m
奥壁には巨大な一枚岩が、
 天井には2枚の巨石が使用されている。

 側壁より内側に張り出すように配置された立石で、玄室と羨道部が区画されている。
   (平成18年設置の説明板から)

中央に開口部がある。

開口部

奥壁

玄室内部から外をみる。


高野光専寺古墳
県指定史跡
飛騨市古川町高野
撮影日2013/11/9


高野地区の古墳その4
高野水上古墳から、さらに川沿いの道を上流に向かって(西方向)に約200m。
コンクリートダムをちょっと過ぎたあたりの道路北側。
説明板がある。
  


高野光専寺古墳は、径13mの円墳
南東に開口する横穴式石室
 玄室長さ3.8m・幅2m・高さ2mで
 奥壁は巨石2枚を上下に重ね、
 側壁には巨石を4段に積み上げている。
羨道部現長さ4.2m、
 幅は玄室と同じくらいの2m
 入口付近はかなり破損している。
 7世紀初頭の築造と推定されている。         (説明板から)

開口部

羨道から玄室を見る。

玄室奥壁

玄室から外を見る

  

五阿弥塚古墳
市指定史跡
飛騨市古川町五庵塚
撮影日2013/11/9


高野地区の山あいから戻り、東へ。宮川の東岸、アルプス薬品工業本社工場のそば。
形がくずれた墳丘。説明板がある。 14時40分 着。
  

 五阿弥塚古墳は、墳丘の規模・形不明 平地にある古墳
 明治17年、土砂採取中に石室が発見された。
 石室の全長4.2m・幅1.6m・高さ1.9m
 奥壁は大石2枚 側壁小口積み 天井は大石2枚
 玉類、金環銀環、金銅鈴、馬具鏡板、鉄刀、鉄鏃、鉄釘、須恵器など多数の副葬品が出土した。
  6世紀前半の築造と推定されている。

東から見た墳丘  前方後円墳みたいに見えるが・・・・?

石室跡か?石が見える!

        
   

大洞平1号古墳 飛騨市古川町中野
撮影日2013/11/9


私が持っている中部道路地図(1994年版)には、大洞平古墳群が掲載されているので、
これまで飛騨地方に行くと、ここに寄っていた。 今回3度目の訪問となるが、・・・・・。

手前に、案内板(二ツ塚古墳という名前で)がでているのに、古墳群に入る脇道が通行止め・・・・。
あたりをウロウロ探すが・・・・、
木の世話をしている人に聞いたら、車は入れないけど、徒歩なら入っていいと言われて、
 脇道入り口に駐車、5分ほど歩く。
公園になっていて、トイレや休憩所などもあるのに、なぜ通行止めになっているのか?
説明板がある。15時20分 着。

 大洞平1号古墳は 直径20mの円墳  高さは前面で3.4m 後方で5.7m
  2段築成
  南東に開口する横穴式石室は全長11m
  羨道は先端部を破壊されているが、
   西側壁石末端まで長さ7m、玄室入口付近で幅1.8m
  玄室長さ3.9m・奥壁幅2m、現高2.2m
  玄室壁面が垂直に立ち、羨道の発達が顕著
  7世紀前半の築造と推定されている。     (説明板から)

墳丘

石室内部

奥壁は上下2石

石室内部から外を見る


二つ前に見学した高野光専寺古墳の奥壁とそっくり。
   

大洞平2号古墳
県指定史跡
飛騨市古川町中野
撮影日2013/11/9


大洞平1号古墳の北西すぐにある。 
説明板に、2号古墳は県指定史跡と書かれているけど、1号古墳には書かれていない・・・・。
  

 大洞平2号古墳は 飛騨地方ではめずらしい方墳
  基底部前面長さ23.2m・背面長さ22.8m  東面長さ26.4m・西面長さ22.6m
    前面高さ4.12m・背面6.70m
  石室全長11.92m
  羨道長さ6.58m・幅1.32m・高さ1.64m  玄室長さ4.92m・幅2.00m・高さ1.92m  
       (平成18年設置の説明板から)

墳丘

前に大石が落ちていて、石室には入れない・・・・


そうか…大洞平2号古墳は方墳だから県指定史跡なのか・・・
飛騨地方でみつかった方墳3基とは、先に見学した海具江古墳と、この大洞平2号古墳と、
     あと1基もこの中野にあるという。
  

信包八幡神社跡古墳
県指定史跡
飛騨市古川町信包(ノブカ)
撮影日2013/11/9

  
大洞平古墳群から北東に約2km、森林公園キャンプ場南東にある。元は八幡神社があったのか・・・・
ヤフーの航空写真で見ると、北東に後円部、南西に前方部の盾形の墳形がきれいに見えるが、
草木が繁茂していて、形もよくわからない。
前方部の南角に説明板がある。 15時40分  着。

 信包八幡神社跡古墳は 全長64mの前方後円墳
  後円部径45.2m・高さ9.9m 前方部前端幅39.4m・高さ7.2m
 前方部は南西にある。 前方部縮小化の傾向がみられる。
 周囲には幅5mほどの濠がある。
 2段築成
 石室は、後円部中心から南東に向け、主軸とほぼ直交して構築され、
  長さ5.3m・幅1.8m・高さ1.85m
  両側壁には板石を小口積みにし、奥壁は平滑な切石を上下に2埋重ねている。
  前壁も同様であったという。天井を4枚の切石で蔽っている。
 明治24年、勾玉、管玉等の装身具や金銅製馬具、鉄製利器など豊富な副葬品が出土した。
 6世紀初頭の築造と推定されている。
 1891(明治24)年、発掘。

後円部側

前方部前面 右に説明板が見えている。

墳丘中腹の石室開口部

石室内部  

   
板石を積み上げた側壁は午前中に見た小丸山古墳にそっくり。
竪穴式石室のような側壁だが、奥壁は2枚の切石積だ。

草木をかき分けながら墳丘の周りを歩いたが、歩いた所はテラスの部分か?
周堀の痕跡が残る部分もある。

石室は、草木をかき分けて墳丘を上がり見学。
墳丘上には、大きな石材が露出しているというが、見てこなかった・・・。    

   

丸山古墳
飛騨市古川町下野
撮影日2013/11/9

  
信包神社跡古墳の西約400mの、グラウンド脇に小墳丘。  16時  着。
頂上に古墳か?全体が古墳としたら大きすぎる。 詳細不明。


丸山古墳 南から

丸山古墳 東から

頂上に石碑があるようだが、斜面に「立入禁止」とあったので、眺めるだけにした。

いろいろな方々の情報(とくにHP「古墳とかアレ」様の地図情報)により、
それほど迷うことなく、予定を終える。ありがとうございました。
午後4時10分、家路につく。
  
高山国府バイパスで高山まで戻って、高山清見道路に入り、飛騨清見ICに行こうと思っていたら、
山あいの道だが、飛騨市から「飛騨卯の花街道」に入ると飛騨清見ICが近いそうなので、飛騨卯の花街道を行く。
街道中ほどにある、道の駅「古川いぶし」で、トイレ休憩。16時35分ごろ。

16時48分 飛騨清見ICから東海北陸自動車道へ
17時50分 不動寺PA
17時55分 金沢東ICから一般道へ
18時20分 イオン御経塚店で夕食
19時10分 自宅着       
  今日の走行距離は323kmだった。

飛騨の旅  おわり

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