北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/1/27

岐阜 2019晩秋その4
大野町・本巣市1
・岐阜市1・山県市1
2019/10/30、31
11/1

2019年10月31日、2日目午後に入る。
大野町の古墳見学へ

付近の地図g

滝谷古墳群
1号墳が町史跡
大野町大字野字滝谷
撮影日2019/10/31

国史跡の野古墳群の北約1.5km、
県道266号線(深坂大野線)が山の中へ入っていく手前に、北へ行く林道がある。
その向こうに古墳群があるというが、手前に大きな柵が・・・。
柵の前には、「スズメバチかいる」「クマが出る」「民有地なので、車の乗り入れは禁止」などの
看板がある。
やむを得ず、柵の前に車を駐車して、柵を開けて徒歩で1号墳へ。
駐車したところから、約500m歩かないと1号墳に着かない・・・。

 滝谷1号墳   町指定史跡
 径15mほどの円墳
 横穴式石室は、全長8m 玄室幅1.8m、高さ2mほどの両袖式
  付近で産出する石灰岩の巨石を使用している。

1号墳 全景

大きな横穴式石室がある。

開口部

石室内部

石室内から開口部を見る

他にもいくつも古墳が確認できるようだが、車を道路脇に放置してきたので、急いで戻る。

中平古墳群 大野町古川
撮影日2019/10/31

大野町古川、東海ポリテクカレッジの北に神明神社の鳥居があり、
 そばに「大野町史跡 中平古墳群」の標柱がある。
境内に駐車できる。


神明神社鳥居

神明神社社殿

神明神社の本殿に上がる参道脇に3基の古墳がある。
向って左に1号墳、右に2・3号墳。

 中平1号墳  本殿に向かって参道の左側にある。 
    石室が見られるはずだが・・・確認できず。(向こう側にあったらしい)    

墳丘

方向を変えて見る
 中平2号墳   本殿に向かって参道の右側にある。

墳丘

方向を変えて見る
 中平3号墳   本殿に向かって参道の右側にある。2号墳より本殿側に位置する。

墳丘
 

崩れかけた石室開口部
 
石室内部は埋まっている

     

法林寺此奥古墳群 本巣市法林寺
撮影日2019/10/31

法林寺の集落の奧の山裾道路沿いの公園(駐車場?)の奥に乳薬師堂があり、その下に6号墳が開口。
1号墳、3号墳、4号墳が、その西側の山林の中にある。
乳薬師堂の東にある毘沙門堂の裏山にも多くの古墳が確認されている。
公園の前に説明板がある。(説明板は奈良尾神社鳥居前にもある。)
乳薬師堂の参道入口にむりやり駐車、市指定史跡の古墳を見学する。

 法林寺此奥古墳群配置図 (児童公園前の説明板を見やすいように修正)


掲載画は、
山口城跡がある権現山と
 文殊の森周辺を、
  空から見た鳥瞰図

西側の山の麓の
乳薬師堂そばの公園は、
元の図では、駐車場になっている。
すべり台があり、
 駐車はできなくなっている。


 分布調査で、25基の横穴式石室が確認されている。
 石室内から出土した須恵器などの出土品は、本巣民俗資料館に展示されている。
 古墳時代後期の築造と推定されている。
 この想像図は、今後の調査の成果により改変する可能性がある。
 乳薬師堂側にある1号墳、3号墳、4号墳、6号墳は市指定史跡
  比較的保存状態がよく、案内標識もある。
 毘沙門堂の北の山にある古墳の配置図  (上の図の東側を拡大して表示)
毘沙門天堂の北の山の斜面にも、多くの古墳があるが、
 正式に整備された道はない。
山口城跡(権現山) 標高345m
 濃尾平野、根尾川筋、越前街道を見下ろす
  交通・軍事の要衝となる山城で
  曲輪跡がはっきり残る。
 古田織部が城主だった可能性がある。
中の城跡(展望台)
 山口城の一部で曲輪跡が残る。
 南側に16号墳があるが、砦作りの際に壊されたと思われる。
17号墳から25号墳
 17号墳以外は、草ヤブ・土砂に埋もれて分かりにくい。
 踏み跡もない
毘沙門堂の後ろにある10号墳から、山頂の16号墳は
 正式に整備された道ではない。

 10・5・11・2・7号墳は尾根からはずれている。
 8号墳から上は、ほぼ尾根筋にある。
 9号墳は石は無く、窪地になっている。

市史跡となっている西側の見学。公園の奥の乳薬師堂は6号墳だ。

 法林寺此奥6号墳
 墳丘は乳薬師堂の土台となっている。
 乳薬師堂の下に横穴式石室が開口している。
 石室前に「史跡 法林寺古墳」と刻まれた標柱が立っている。

墳丘上に、乳薬師堂
下に横穴式石室の石が見える

石室天井石が見えるが、
全体に金網がかかっているので入れない

一旦、道路に戻り、迂回して南側の林道から山の中に入り、南側の1号墳から、3号墳、4号墳の順に見学する。
南側から順に見学。

 法林寺此奥1号墳の手前にも墳丘か

破壊された古墳(?)
 法林寺此奥1号墳   径15mほどの円墳


1号墳 墳丘

開口部
  

石室入口から石室内部を見る
  

奥壁

奥壁側から開口部を見る
 法林寺此奥3号墳   1号墳から50mほど斜面を登ったところにある。
  径15mほどの円墳

3号墳 墳丘

石室開口部

石室内部
 法林寺此奥4号墳   3号墳より上の斜面にある。
  径15mほどの円墳

墳丘と開口部
  

石室内部
  

奥壁

奥壁側から開口部を見る

東側の山の麓の毘沙門天堂に登ってみる。


毘沙門天堂登り口

毘沙門天堂


毘沙門天堂の奥にある
 法林寺此奥10号墳

権現山にも行きたいが・・・次!

近くの「道の駅綾部の里もとす」にて  柿ソフト(350円)で休憩。

岐阜市に入る。

石谷1号墳
岐阜市指定史跡
岐阜市石谷
撮影日2019/10/31

岐阜市の谷あいの石谷地区の真ん中に八幡神社があり、参道右側に石谷1号墳がある。

八幡神社

参道の右側に石谷1号墳がある。

境内に駐車。説明板がある。

 岐阜市北東部の山間を流れてきた伊自良川が平野部へ出る手前に、
  東へ入り込む支谷があり、この谷の北側山麓に石谷古墳群がある。
 この辺りは、方県(カタガタ)地域といわれ、
  縄文時代の佐野遺跡、村山遺跡、弥生時代の彦坂遺跡がある。
 古墳では石谷古墳群のほか、
  本郷山古墳群、須山古墳群、彦坂古墳群、安食古墳群があり、いずれも後期の群集墳。
 石谷古墳群は、9基の円墳が確認されている
 1号墳は、径20mの円墳
 ほかの8基の円墳は、直径8〜12m、高さ1.5〜2.8mで、いずれも横穴式石室があり、
 須恵器、直刀、銀環が出土したという記録がある。

 7世紀の築造と推定されている。   (説明板から)
 石谷1号墳は 市指定史跡
 直径20m・高さ2.6mの円墳 群中最も大きい。
 横穴式石室は、全長11.5m
  玄室長さ5.7m・最大幅2.28mの胴張りで、奥壁は1枚岩。
  側壁は持ち送りがある。
  羨道部長さ5.3m・幅1.5m。
  天井石が3枚残存している。  まぐさ石がある。

石谷1号墳 墳丘

墳丘からもぐるように、石室がある。

本来の開口部は狭くて入れない

奥壁側の天井があいている。

奥壁側から入口を見る

石室入口側から奥壁側を見る

説明板には、石室の高さが書かれていないが、2m近くあるのではないか?
石室に入るのはいいけど、脱出はかなり大変・・・。

この後、上城田寺4古墳群というところに行ってみるが、説明板が見つからず、
 細かいことが分からないので、あきらめる。

大門古墳群
山県市指定史跡
山県市大門
撮影日2019/10/31

石谷1号墳から北、伊自良川の上流の山県市伊自良中学校のすぐ北の林の中にある。
簡単な説明板と案内図がある。

 大門古墳群は 18基確認されている 旧伊自良村指定史跡
 南に開口した横穴式石室がある
 その内、8基が原形を保っている。
 6世紀後半から7世紀前半の築造と推定されている。
 戦前には、勾玉や高坏・杯皿・水入れなどの須恵器が出土している。

大門古墳公園入口
 大門1号古墳

墳丘
 

開口部
 

奥壁側 

石室内から開口部を見る 
 大門2号古墳

墳丘
 

開口部
 

石室内部

石室内から開口部を見る

 大門5号古墳

墳丘
 

開口部
 

石室内部
 大門4号古墳

墳丘
 

開口部
 

石室内部

石室内から開口部を見る
 大門3号古墳

墳丘
 

開口部
 

石室内部

石室内から開口部を見る

6号墳・7号墳・8号墳は、道が倒木や雑草でなくなっているのと、日没でもあり、あきらめる。

本日は、大野町黒野のグリーンホテル小松屋で宿泊、一泊二食付きなので、午後6時にチェックイン。
ゆっくり休む。

船来山古墳群につづく

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