北村さんちの遺跡めぐり

本巣市     地図g

法林寺此奥古墳群 本巣市法林寺
撮影日2019/10/31

法林寺の集落の奧の山裾道路沿いの公園(駐車場?)の奥に乳薬師堂があり、その下に6号墳が開口。
1号墳、3号墳、4号墳が、その西側の山林の中にある。
乳薬師堂の東にある毘沙門堂の裏山にも多くの古墳が確認されている。
公園の前に説明板がある。(説明板は奈良尾神社鳥居前にもある。)
乳薬師堂の参道入口にむりやり駐車、市指定史跡の古墳を見学する。

 法林寺此奥古墳群配置図 (児童公園前の説明板を見やすいように修正)


掲載画は、
山口城跡がある権現山と
 文殊の森周辺を、
  空から見た鳥瞰図

西側の山の麓の
乳薬師堂そばの公園は、
元の図では、駐車場になっている。
すべり台があり、
 駐車はできなくなっている。


 分布調査で、25基の横穴式石室が確認されている。
 石室内から出土した須恵器などの出土品は、本巣民俗資料館に展示されている。
 古墳時代後期の築造と推定されている。
 この想像図は、今後の調査の成果により改変する可能性がある。
 乳薬師堂側にある1号墳、3号墳、4号墳、6号墳は市指定史跡
  比較的保存状態がよく、案内標識もある。
 毘沙門堂の北の山にある古墳の配置図  (上の図の東側を拡大して表示)
毘沙門天堂の北の山の斜面にも、多くの古墳があるが、
 正式に整備された道はない。
山口城跡(権現山) 標高345m
 濃尾平野、根尾川筋、越前街道を見下ろす
  交通・軍事の要衝となる山城で
  曲輪跡がはっきり残る。
 古田織部が城主だった可能性がある。
中の城跡(展望台)
 山口城の一部で曲輪跡が残る。
 南側に16号墳があるが、砦作りの際に壊されたと思われる。
17号墳から25号墳
 17号墳以外は、草ヤブ・土砂に埋もれて分かりにくい。
 踏み跡もない
毘沙門堂の後ろにある10号墳から、山頂の16号墳は
 正式に整備された道ではない。

 10・5・11・2・7号墳は尾根からはずれている。
 8号墳から上は、ほぼ尾根筋にある。
 9号墳は石は無く、窪地になっている。

市史跡となっている西側の見学。公園の奥の乳薬師堂は6号墳だ。

 法林寺此奥6号墳
 墳丘は乳薬師堂の土台となっている。
 乳薬師堂の下に横穴式石室が開口している。
 石室前に「史跡 法林寺古墳」と刻まれた標柱が立っている。

墳丘上に、乳薬師堂
下に横穴式石室の石が見える

石室天井石が見えるが、
全体に金網がかかっているので入れない

一旦、道路に戻り、迂回して南側の林道から山の中に入り、南側の1号墳から、3号墳、4号墳の順に見学する。
南側から順に見学。

 法林寺此奥1号墳の手前にも墳丘か

破壊された古墳(?)
 法林寺此奥1号墳   径15mほどの円墳


1号墳 墳丘

開口部
  

石室入口から石室内部を見る
  

奥壁

奥壁側から開口部を見る
 法林寺此奥3号墳   1号墳から50mほど斜面を登ったところにある。
  径15mほどの円墳

3号墳 墳丘

石室開口部

石室内部
 法林寺此奥4号墳   3号墳より上の斜面にある。
  径15mほどの円墳

墳丘と開口部
  

石室内部
  

奥壁

奥壁側から開口部を見る

東側の山の麓の毘沙門天堂に登ってみる。


毘沙門天堂登り口

毘沙門天堂


毘沙門天堂の奥にある
 法林寺此奥10号墳

  

船来山古墳群

本巣市上保
撮影日2010/4/24
2019/11/1

 

2010年の船来山古墳群 撮影日2010/4/24


道の駅「富有柿の里」の北隣に柿センター、その東隣に「古墳と柿の館」があり、
 庭に154号墳と272号墳の石室が移築されている。
「古墳と柿の館」の入口には、「見学の方は柿センターに連絡してください」と書かれた紙が貼られている。
154号墳は自由に見学できるが、272号墳は保護のため閉館している。(公開日があるらしい)

船来山古墳群

真ん中の緑の屋根が154号墳の石室復元
右の建物が古墳と柿の館
左の坂の上の建物が赤彩古墳の館(272号墳)
背後は船来山。
長さ2km・幅0.6kmの独立丘陵の 船来山に280基以上の古墳がある。
山全体の開発計画が持ち上がり、調査が行われ、二つの古墳が移築された。
やはり、元の位置にある古墳を見たい!

154号墳の石室復元
奥壁に接する石棺が移築されている。


154号墳石室実測図(説明板から)

船来山154号墳は船来山の主尾根部(標高65m)に位置していた。
6世紀中ごろの築造と推定されている。
片袖式の横穴式石室を持つ


保存された154号墳の奥壁と石棺

石棺と石室奥壁とのわずかなすきまに
 たくさんの副葬品(土器や鉄器)が
 ぎっしりと詰め込まれていた

チャート質の石材を用いた組合式石棺が
 石室の主軸方向に直交する向きに設置されている。

272号墳が保存されている赤彩古墳の館
見れない!
前に置かれた石はどういう意味があるのかわからない

赤彩古墳の館の説明板には
 船来山272号墳は
 尾根部の南斜面に位置、古墳が最も集中するO支群にある。
 小規模ながら東に幅広い周壕を持つ円墳で南に開口する横穴式石室がある。
 上半分は欠損していたが未盗掘に近い状態で発掘。
 玄室は2m×5mの羽子板形で、片袖方の横穴式石室。
 玄室に向かって入口部分から一段下がる「竪穴系横口式石室」と呼ばれるもの。
 石室内部には前面にベンガラが塗られている。

 272号墳の東西にはほぼ等間隔に存在する2基(19・274号墳)でも赤彩がみられる。
 いずれも6世紀前葉から中葉の築造と推定されている。

 272号墳と19号墳からガラス製トンボ玉と雁木玉が出土  とある。

2019年の船来山古墳群
国史跡
撮影日2019/11/1

2010年4月に「古墳と柿の館」の付近に来ている。
そのときは、「古墳と柿の館」も、そばの「赤彩古墳の館」も閉まっていた。
今回は「古墳と柿の館」は開館していたので見学した。
「赤彩古墳の館」は春と秋の2回だけ公開されるそうだ。

 古墳と柿の館

右端「古墳と柿の館」
左上・赤彩古墳の館
真ん中の東屋の下には、
154号墳の石室が展示されている。

(154号墳については
 前回の見学記をごらんください)
  撮影日2010/4/24

「古墳と柿の館」入館券

館内でパンフレットももらえる。
 古墳と柿の館 展示の様子
 船来山古墳群のほとんどの資料がここで見ることができる。

船来山古墳群配置図
俯瞰図


62号墳は
 公園内にあるので、
 見学できる
272号墳の石室は
 赤彩古墳の館に
 保存されている。
24号墳は消滅。
 船来山は、濃尾平野の縁に位置し、山頂からは濃尾平野を一望できる素晴らしい眺望の山。
 過去の発掘調査によって大変豪華な副葬品が出土した。
 出土品の一部(687点)は、 平成29年10月に岐阜県指定重要文化財に指定された。
 ガイダンス施設「古墳と柿の館」では、これらが全て展示されている。
 3世紀から7世紀末までの古墳290基が確認されている。
 

 平成31年2月に、古墳群のうち約15.6ha(古墳111基)が国史跡となった
   船来山古墳群の支群配置図 北野神社の東約50mのところにある説明板から作成)

 ━線(紫の線)は国指定地の範囲
 国指定地の大半とその他の土地約17haは、昭和産業(株)からの寄付を受け、本巣市の所有となる。
 (が、市有地なので、許可なく立入りを禁止すると書かれている。)

 船来山24号墳 (消滅しているのでパンフレットの情報だけ)
  24号墳は、昭和42(1967)年宅地造成で付近が削られたため、土砂崩れによって壊れ、
   墳丘が半壊状態になって多くの副葬品が出土した。
  直径20m・高さ2.5mの円墳
  中央の竪穴に割竹形木棺が、粘土に包まれて埋められていた。
  4世紀後半の築造と推定されている。

船来山24号墳出土品
 東京国立博物館蔵
  (パンフから)
和製の青銅鏡5・銅鏃32・石釧3
ガラス小玉252・勾玉8・管玉163
刀剣農具類
(鉄剣26・鉄刀8・刀子2・鉄鏃1・
槍1・鎌2・鋸1・鉾1・不明2)
土師器壺その他

富有柿の里の北から山に登って見学する。
一部が国史跡とはいうものの、私有地のところが多く、本来は立入禁止の部分が多い。
そのためか、細かい配置図がない。

富有柿の里公園周辺の船来山古墳群
船来山62号墳ほか

富有柿センターの背後の遊歩道を登っていくと、中腹に62号墳がある。

 船来山62号墳

船来山62号墳実測図
  (説明板から)

62号墳42m以上の前方後円墳
全体が川原石などの葺石に覆われている。
前方部より後円部の標高が高い墳形をしている。
  (比高差4m)。
4世紀代の築造と推定されている。
測量成果から前方後方墳の可能性も指摘されている。

前方部裾から後円部を見る

くびれ部脇から後円部を見る

後円部から前方部を見る

62号墳から上の舂稲神社、さらに上の東屋まで歩く。


舂稲神社奥の院

舂稲神社は、ツキシネジンジャと読む
舂稲神社は
 富有柿センターの南約200mにあるが、
 船来山の中にあるのは奥の院だ
 舂稲神社は
  糸貫川の大洪水で荒れ果てた田畑を、715年(和銅8年)に入植し再開墾したと
  いわれている席田君迩近(ムシロダノキミジキン)の墓だという伝承が残っている。
 現在でも、「おいわ様」とよばれる大きな石(御神体)を祀る祭礼行事が行われている。
 周辺には、船来山2号墳、55号墳がある。

舂稲神社奥の院そばの円墳1?
奥は舂稲神社奥の院

舂稲神社奥の院そばの円墳2 
手前側が舂稲神社奥の院 

四阿への階段

四阿の横にも円墳?

富有柿の里の公園として整備されているのは、四阿までだが、
 もう少し先まで行ってみると、尾根上に3基の円墳が並んでいるように見えるところがある。


円墳その3からその2・その1を見る

円墳その2からその3を見る

尾根上に並ぶ円墳 何号墳なのだろうか?前方部にも見える…。

一旦山を下りる。

弥勒寺付近の船来山古墳群
船来山81・68号墳ほか

「古墳と柿の館」の東約200m、
船来山の南麓に、白鳳期に創建されたといわれている弥勒寺がある。
寺前に駐車。
裏の墓地に81・68号墳があるので、寺の方に挨拶してから見学する。
船来山81号墳の説明板がある。

 船来山81号墳
 標高37mに立地する。
 68号墳は以前から見つかっていたが、
 81号墳は、南側に造出しがある全長20mの円墳の可能性が高い
 81号墳の南側から出土した円筒埴輪の底部片は、淡輪技法とよばれる特徴をもつ
 5世紀後半の築造と推定されている。
 埴輪は尾根上の96号墳からも出土しているが、特徴が違う
 淡輪技法は、県内では大垣市遊塚中央円墳・東山田古墳にのみ確認されている。

船来山68号墳と81号墳
 (説明板から)

上が68号墳 径15mの円墳

下が81号墳

墓地になっているので、
形が崩れている


弥勒寺の後ろの墓地にある81号墳
81号墳の奥に68号墳がある。

 船来山68号墳

68号墳墳丘

墳丘は墓地
 船来山81号墳

68号墳から見た81号墳

墳丘上から張り出し部を見下ろす

山を下りる。

北野神社背後の船来山古墳群
船来山O支群

弥勒寺の南400mの船来山麓に北野神社がある。

北野神社
 八幡神社も合祀されている。

「船来山古墳群と名古屋城石垣石切場」
という説明板
がある。

その背後の山の中に横穴式石室が残っている。
船来山は砂岩質の岩盤からなっていて、古墳時代にはこの石材を利用して古墳がつくられた。
江戸時代には名古屋城の石垣普請のための石切り場となった。


O支群全体図
(説明板から)

横穴式石室の残骸が残っているが、
 名古屋城築城で多くの石材が
 抜き取られてボロボロになっている。

この中の272号墳が
 「古墳と柿の館」のそばの
 「赤彩古墳の館」に移築されている。

79号墳

162号墳 奥壁

149号墳 奥壁

58号墳

152号墳

148号墳

166号墳

271号墳

268号墳

280号墳
 船来山19号墳

19号墳石室

19号墳墳丘からの眺め
 名古屋城の石垣普請のための石切り場
  石を切り出す際に刻まれた刻紋は、
  名古屋城普請にかかわった藩主名やその家臣名を示すものと考えられている。
  現在も山中に多数の刻紋が確認されている。
刻紋が残る石その1 刻紋が残る石その2

このO支群にあった272号墳の石室は、赤彩古墳の館内に移築され保存されている。
本物は見れなかったが、赤彩古墳の館の前の説明板とパンフレットの写真を参考に紹介する。

 船来山272号墳
 船来山古墳群を代表する272号墳は、
  広大な濃尾平野を望む尾根部の南斜面に位置し、古墳が最も密集するO支群にある。
 小規模ながら東に幅広い周濠をもつ円墳と推定されている。
 南に開口した横穴式石室は、
  上半分が欠損していたが、未盗掘に近い状態で発掘された。
 玄室の平面形は、
  2m×5mの片袖式で玄室に向かって入口部分から一段下がる特徴がある。
 石室内部の全面に赤色顔料(ベンガラ)が塗られている。
 272号墳の東西には、
 ほぼ等間隔に存在する2基(19・274号墳)でも赤彩が見られ、
  同族系の古墳と推測されている。
 いずれも6世紀前葉から中葉の築造と推定されている。
 このうち272号墳と19号墳では、
  ガラス製トンボ玉と雁木玉(ガンギダマ)が出土して大変注目された。

272号墳出土当時の様子

272号出土当時の様子

左・19号墳出土の雁木玉
右・272号墳出土のトンボ玉

年2回特別公開される
赤彩古墳(272号墳)の館

272号墳の出土品の展示

古墳と柿の館内展示から

 
   

宗慶大塚古墳
県史跡

本巣市宗慶
撮影日2010/4/24


宗慶大塚古墳公園となっている。

北側から大塚古墳を見る
赤い遊具の後ろ辺りが後円部
左側が前方部


前方部から後円部を見る
低い後円部


前方部は削られているらしく
よく分からない


後円部に小さな小さな田辺神社の社殿が建つ。
後円部も低い墳丘となっている。

後円部で、リュックを背負った少年が埴輪を探している。
「埴輪を見ませんでしたか?」ときかれた。
学校で「古墳には埴輪がある」と
 聞いたばかりなのかもしれない。
宗慶大塚古墳は、全長63mの前方後円墳で、墳丘はかなり流失して低くなる。
 後円部径42m高さ4.2m 前方部幅25m(31m?)・くびれ部幅20m
1949年に発掘調査、後円部に粘土槨が確認されている。
周辺から石刀などの石器や弥生式土器などが出土。
1988年には、範囲確認調査。

  

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